2014年2月26日水曜日

ハイドン:交響曲第82番ハ長調「熊」(コリン・デイヴィス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)

ロンドンと異なりハイドンは一度もパリに行かなかった(と思う)。にもかかわらずハイドンの交響曲第82番からの6曲は、通称「パリ交響曲」と呼ばれている。パリのオーケストラ団体「コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピク」の依頼により作曲されたとされるからだ。だが今日の番号と出版順は異なっている。1785年頃といえば、フランス革命(1789年)のまさに前夜といった頃である。

ハイドンは当時五十代だった。長年の間エステルハージ公に仕えた直後のことで、ここまでがハイドンの「最も仕事をした期間」だとすると、ここから始まる「晩年」は、いよいよハイドンの遅咲きの花が開く、まさにその最初の作品群と言うことができる。そのようなことを考えながら聞くと、この82番はやはり、それまでの作品とは一味違っているかのように聞こえてくる。ハ長調の堂々とした冒頭は、序奏もなくいきなり速く始まり、すぐにトランペットの響くファンファーレとなる。

第1楽章ヴィヴァーチェ・アッサイは、明確なソナタ形式であり、聞いていて気持ちが弾む。第2楽章はアレグレットだが、ここはダンス音楽であり、長い時間ステップを踏み鳴らした後、やっとのことでコーダ風の終結部が聞こえてくる。第3楽章は当然メヌエット、トリオもある。第4楽章はヴィヴァーチェのフィナーレ。ここで標題の謂れとなった「熊」の鳴き声となる。「熊」に相応しいかはともかく印象的である。このような諧謔性を含んだハイドンの音楽は、これからが本番である。

さて、このような古典派の形式を完全に仕上げたハイドンの交響曲作品は、思う存分能力を発揮して、数々の依頼に基づき優れた作品を世に送り出す。それは交響曲では、このあと104番「ロンドン」まで続く。そのどの曲を聴いても見事なくらいに美しく、古典派はここに極まったとさえ思う。別の作曲家、例えばモーツァルトは確かに極めて美しいが、その見事さはもはや神業的である。つまり人間臭さが感じられない。一方ベートーヴェンになると、これはもうロマン派に近い。18世紀の最後の20年くらいが、ウィーン古典派の隆盛期であったと思う。

完璧なまでの造形的骨格を、コリン・デイヴィスはアムステルダムのいぶし銀のオーケストラとともに、決定的な演奏で表現している。録音されたハイドン作品のなかで、この組み合わせによる交響曲の一連の演奏は、当時のフィリップスの優秀なデジタル録音とともに、歴史的名盤であると言える。私もロンドン交響曲の多くをこの組み合わせで何度聴いたかわからない。宝物のようなCDを、後期のハイドンを彩る交響曲作品の最初に選ぶことに何のためらいもなかった。ハ長調というのがまた、飾り気がなくて良い。

2014年2月23日日曜日

ビゼー:交響曲ハ長調(小澤征爾指揮フランス国立管弦楽団)

春が近づいて日々光の量が増していくこの時期になると聞きたくなる曲がある。ビゼーのハ長調交響曲はその一つだ。丁度、4年前の1月、伊豆半島を旅行した時に書いた文章が見つかった。

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まだ早い春を求めて旅に出た。品川から新幹線に乗ると、新横浜を過ぎたあたりから速度が上がる。風景も建物から自然へと変わって行く。「そうだ、ビゼー、聞こう」というわけで、持参したiPodを取り出す。iPodに圧縮した我がコレクションの中で、ビゼーの交響曲はトーマス・ビーチャムが指揮した一枚。ここでは手兵ロイヤル・フィルではなく、フランス国立放送局管弦楽団(逆にこの時期、ロイヤル・フィルを振ってこの曲を録音したのは、フランス人のシャルル・ミュンシュ)。80歳とは思われない生き生きとした音楽が、走る超特急の車窓風景に意外にマッチ。

小田原で7分も停車する間にのんびりとした第2楽章も終わる。今や「こだま」はかつての鈍行列車の旅にようにのんびりとしている。その証拠に7分も停車する普通列車は今どき珍しい。小田原のみかん畑と青い相模湾が見えると、列車は熱海へ。iPodを途中停止し伊東線に乗り換える。

第3楽章は逆にローカル線に相応しい感じがしてくるから不思議なものだ。この演奏、少し録音が古いのが難点で、この楽章で音がややこもる。トンネルを抜け海を眼下に見下ろしていると、何となくプロヴァンス地方に見えてくるから面白い。熱海は日本のコート・ダジュールと呼ばれているらしい。

伊豆急下田までの区間は少し日本離れした風景の連続で、晴れると素晴らしい風景が車窓に広がる。冬の伊豆半島は観光客も少なく、すれ違いで停車するローカル駅のすぐ前でみかんの木が静かに揺れている。

だが私の旅は伊東でおしまい。音楽も終わった。ビーチャムのビゼーは老巨匠が若い日を思い出したような演奏で、滅多に聞くことはないが捨てがたい魅力も感じられる。けれどもデジタル録音された、より音のいい録音を聞けば十分であるような気もする。駅を出るとまだまだ冷たい空気が顔を撫でた。快晴の空はどこまでも明るく、そして遠くに見える海はどこまでも青かった。

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その数日後、私はもっと新鮮な演奏を求めて、小澤征爾の演奏に耳を傾けた。そしてこの演奏が一番のお気に入りになった。ヤルヴィ、ハイティンク、プラッソンなども聴いてみたが、今でも小澤盤がもっとも好きである。ただ小澤征爾には後年、水戸室内管弦楽団を指揮した演奏もある。こちらは聴いたことがない。一方我が国の若手、山田和樹がこの曲を録音していて、そのさわりを聴いたことがあるが、小澤盤を彷彿とさせるいい演奏のように思えた(横浜シンフォニエッタ。ただこのCDは高い)。少し前の録音では、オルフェウス管弦楽団のものに未練が残るが、廃盤になったままで今では聞くことができない。

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春一番と呼ぶにはまだ早いこの時期、それでもたまに暖かい日はあるもので、東京の今日の最高気温は何と18度、四月上旬並みだそうである。寒い冬をさえぎって駆け抜ける早春の風、そんなさわやかな曲はこの若きビゼーの交響曲をおいて他にない。若干17歳で作曲されたハ長調のシンフォニーは、まだ未熟な雰囲気を残しつつも聴く者を捕えて離さない。私もその魅力に取りつかれた一人である。

小澤征爾がフランス国立管弦楽団を指揮した一枚もそのひとつ。ここで小澤は、フランスのオーケストラから堅実かつ新鮮な雰囲気を引き出すことにさりげなく成功している。けだし名演である。

第1楽章の新鮮なリズムは、もう少し湧き立つような演奏に出会いたいと思っていたが、小澤盤は標準的な早さながら瑞々しさがみなぎっており、完成度は高水準である。しかし何といっても第2楽章のオーボエの融けあうメロディーがこの演奏の白眉である。どの演奏でもここは魅力的だが、特にこの小澤盤が極めて美しく、酔わせる。第3楽章のリズムも全体の中にあって、吹いてくる南風のよう。 改めて聞きなおして、この演奏に惚れなおした。しばらくまた、ビゼーの交響曲にはまりそうである。

(2010年1月24日)

2014年2月21日金曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15(P:ラルス・フォークト、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団)

今年のお正月に始まった日経朝刊の連載「私の履歴書」(小澤征爾編)を楽しく読んでいたら、N響との決定的対立を招いた1962年(昭和37年)のマニラでのコンサートについて書かれているのを発見した(1月18日付)。私はその事実については以前から知っていたが、その原因となったのがベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番であることは初めて知った。カデンツァの終わりかけで、オーケストラが入ってくるのを小澤が間違えたというのである。私はなるほどと思った。特に第1楽章の作曲者自身によるそれは、確かに長くピアノの技巧を見せびらかすようなところが延々と続く。

ベートーヴェンが書いたとされるカデンツァは全部で3種類もあるそうだが、良く演奏されるのはその中でも長大なもので、彼自身によって初演されたようだ。作曲家というよりはピアニストとしてウィーン・デビューしたベートーヴェンは、自分のテクニックをしらしめるためと思えるような曲を書き、「大協奏曲」と名付けた。そのクライマックスに2つのカデンツァ(第1楽章と第3楽章)置いたことは明白である。ベートーヴェン自身によるカデンツァはあまりに見事なので、多くの録音ではそれが使われているようだ。

で、丁度N響の定期公演のテレビ番組を見ていたら、ドイツ生まれのピアニスト、ラルス・フォークトが独奏を弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番が始まり、その見事な演奏に感銘を受けたところだったので(指揮はロジャー・ノリントン)、そのフォークトによるピアノ協奏曲第1番のCDを聴いてみることにした。

サイモン・ラトル指揮のバーミンガム市交響楽団の伴奏によるEMI録音盤(95年)は、よくあるように第2番とのカップリングであるが、このCDには珍しいことに、もう一枚CDが付いていて、そこにはグレン・グールドが作曲したカデンツァによる演奏が収められているのである。しかもカデンツァ以外の部分もまるごと入っているので、他の部分は重複することになるのだが、確かにどちらも(もしかしたらグールド版のほうが)完成度の高い演奏である。従ってカデンツァを自然な流れの中で、全く別のバージョンとして楽しむことができる、という趣向である。

第1楽章のカデンツァは、グールドの箇所に来ると、まるでバッハのフーガが間に挟まったように思えてくるから面白い。同じことは第3楽章でも言える。こちらはもっと華やかだ。どちらも長さはベートーヴェンのに比べると短い(普通の)長さだが、グールドの作風はベートーヴェンとはずいぶん異なっているのでそのコントラストが面白い。しかもその繋ぎ目が何とも自然なのだから聞いていて面白い。

さてベートーヴェンの第1楽章のカデンツァは、それだけで5分程もある大規模なものだ。その終わりかけで、もう終わるかと思いきや、意に反して静かなタッチが一瞬挟まる。あれっ、と思ったところで一気にオーケストラとピアノが同時にコーダへ雪崩れ込む。ここの瞬間が私は好きだ。だが、演奏によってはその強弱を付けないものもあって、エッシェンバッハのもの(カラヤン指揮)などは、そういう感じなのだが、私が最も好んでいるラン・ランの演奏(指揮がエッシェンバッハ)は、ここぞとばかりに強調してみせる。

実演で聞くと、ここの第1楽章のカデンツァは息を飲んで聞くところだ。だがベートーヴェンはこの曲を最後に、長大なカデンツァを終結部近くに置くことを避けるようになる。それにしてもこの曲には、まだ苦悩に満ちたベートーヴェンがいない。若くてエネルギーのみなぎるベートーヴェンは、私の青春の音楽でもある。今でも大好きで、特に陽射しの強さが増してくる冬の終わり頃、この曲が無性に聞きたくなるのだ。

2014年2月19日水曜日

NHK交響楽団第1775回定期公演(2014年2月8日、NHKホール)

4000人は入ろうかというNHKホールの客席に座っていたのは、わずか400人くらいではなかったかと思われた。NHK交響楽団の定期公演であれば、定期会員だけでも半分以上は埋まっているのが普通だから、これはもう異常である。私の再三の問い合わせに対しても、電話対応した女性は「予定通り開催します」としか言わなかった。おそらくキャンセルとなれば払い戻しやテレビ収録のやりくりが大変なのであろう。それにしてもこの日のコンサートは、私が出かけたコンサーの中でもっとも聴衆の少ないコンサートだった。

朝から降りだした雪は首都圏をまたたくまに白銀の世界へと変えていった。昼過ぎから積もりだした後は、さらに吹雪となって大荒れに。鉄道や道路が麻痺するのは当然のことで、それでも混乱が比較的少なかったのは、この日が土曜日だったからだろう。多くの人は外出を控え、始まったばかりの冬季オリンピック観戦と決め込んだのかも知れない。

それで私は一層、何としてもこの演奏会に行ってやろうと思ったのだ。こういう時こそ、やってくる客はよほど熱心な客だろう。だとすれば、静かな中で名演奏が期待できるのではないか。思えば東日本大震災の日、コンサートを開いたオーケストラによっては、舞台の上のほうが人数が多かったところもあったようだ。

しかもこの日は、オール・シベリウス・プログラムだった。このような寒い冬の日に聞くにはうってつけである。指揮は尾高忠明で玄人好み。ヴァイオリン協奏曲の独奏は、中国人のワン・ジジョンという人であった。彼女は演奏後に「このような悪天候の中を・・・」と挨拶をして、パガニーニのカプリースの一部をアンコール演奏した。

私がこの演奏でもっとも嬉しかったのは、シベリウスの交響詩「レミンカイネンの伝説」を聞くことができたからだ。この曲は50分くらいの長い曲だが、4つの部分から成っている。第1曲「レミンカイネンと乙女たち」、第2曲「トゥオネラの白鳥」、第3曲「トゥオネラのレミンカイネン」、第4曲「レミンカイネンの帰還」である。いずれも北欧の叙事詩「カレワラ」を題材にした魅力的な作品である。最も有名な「トゥオネラの白鳥」は、チェロやオーボエの独奏が美しい有名な曲だが、第1曲も素晴らしいし、何と言っても「レミンカイネンの帰還」の、疾走しながら高揚していく感じは、ある時の私を虜にしていた。久しぶりに、しかも初めてこの曲を実演で聞ける、そう思うと私は迷わず、大雪の渋谷を目指していた。

そして、私はかねてからN響のシベリウスはいいと思っていた。いつだっかたデュトワの指揮した交響曲第1番などは、そのまま録音してもいいのではないかという位の名演だった。それから尾高忠明の指揮する音楽は、昨年のウォルトンを始めとするイギリス音楽の演奏会で、私は圧倒的な感銘を受けたばかりだった。

その「レミンカイネン」の演奏は、とても「巧い」演奏だったと思う。曲を構成する力がシベリウスの曲調をよく捉えていたと思うのは、指揮者の力量だろう。今のN響は技術的に、とても高い水準にあると思う。そのことは第1曲の冒頭で示された。どこからか吹いてくる北欧の冬の風は、瞬く間に私を凍った湖に誘った。どこをどう聞いても、これは北欧の冷たい冬の朝のようなイメージである。「トゥオネラの白鳥」の冒頭、すっと吹いてくる突風のようなものを、オーケストラが奏でる。シベリウスはそのイメージを音楽にしたのだろうか。

ヴァイオリン協奏曲は別にして、この日の演奏には「冷たい熱狂」のようなものがあった。もしかするととても巧すぎて、ちょっと醒めた演奏に聞こえたかも知れない。まばらな客で会場の温度が上がらない。それでNHK交響楽団が演奏すると、何か大河ドラマの主題曲のような感じになる時もあったが、全体に聴かせどころを捉えた素晴らしい演奏だったと思う。

私はこの曲をエサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンゼルスフィルハーモニー管弦楽団の極めつけの名演で親しんできた。オーケストラの圧倒的な技巧力に支えられて舌を巻くような演奏である。今回のN響の演奏は、その演奏を思い出させてくれた。収録された演奏をもう一度テレビで見てみたいと思う。少ない客にしては多くのブラボーが飛び交った演奏が終わると、出口には列車の運行状況を知らせるホワイトボードが置いてあり、臨時の渋谷行きバスが運行されていた。だが私はその高まった気持ちを抱きながら、雪の中を歩いて行った。土曜日の夜だというのに店は早々に閉店し、行き交う人もまばらな公園通りをゆっくりと下っていった。

2014年2月2日日曜日

プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」(2014年1月29日、新国立劇場)

今日もまたたまたま時間が取れたのでコンサートに出かけようと思ったところ、新国立劇場のオペラ公演だけが辛うじて私の興味を惹いた。だが出し物はプッチーニのオペラ「蝶々夫人」で、特に新演出というわけでもなく、それほど前評判が高いわけでもない。それ故かほとんど全部の種類の席が売れ残っている。ちょっと誰かのブログに出てないか、チェックしてみたものの誰も取り上げている様子はない。これはどういうことかと思ったら、本公演は今シーズン4公演のうちの初日ではないか。歌手も指揮者も以前の公演からは変わるので、過去の評判はあまりあてにならない。

プッチーニの代表作のひとつである「蝶々夫人」は、我が日本を舞台にしたオペラの中で、最も有名な作品であるにもかかわらず、私にとっては何とも乗り気のしないオペラでありつづけていた。やや滑稽なストーリーと、ちょっと違和感のある描き方によるものかも知れず、それは私がかつてニューヨークで見たメトの舞台のあとでも変わらなかった。CDは持っていないし、知っているアリアといえば「ある晴れた日に」くらい。ところどころで現れる日本のメロディーも、それほど心を捉えない。

それでも3階のA席を買い求め、会場へ入った途端に驚いた。何と主役の蝶々さんが交代するではないか。貼られていたのは一枚の張り紙で、その存在はあまり目立たなかった。だがそこである人は声を出して嘆き、ある人はチケット代を返金してほしいものだ、とつぶやいたのだった。

キャンセルをしたのはギリシャ人のソプラノ、アレクシア・ヴルガリドゥという歌手だったが、その後任に抜擢されたのは、日本人の石上朋美である。パンフレットを買ってみると、まだ歌手名がキャンセル前のままとなっているから、かなり急な変更だったのだろう(とはいえ表紙の写真では石上は蝶々さんとして写っているが・・・!)。そしてその案内は、どういうわけか当日のウェブ・サイトにも、ボックス・オフィスにも掲示されていなかったのである。私は、特段歌手にこだわりがなかったので、これがヴィオレッタなら憤ったかもしれないが、蝶々さんなら日本人でいいのではないか、などと気楽に考えて席についた。

第1幕が開くと、曲線状に下った階段の下に、簡素な日本式の部屋がしつらえてあり、障子が貼られた戸の奥と内に歌手達が出たり入ったりする仕掛けになっている。階段上の奥には星条旗がはためき、ここに蝶々さんが印象的に姿を現す。階段の下の家は、本来なら長崎の港を見下ろすところにあるのだろうが、この栗山民也の演出では、行き場を失った蝶々さんの居所を象徴的に現しているという。簡素ながらも、なかなかセンスのいい舞台、それに新国立劇場の大変素晴らしい照明効果によって、視覚的には大変充実したものである。

が、しかし。肝心の音楽が第1幕に何とも乗ってこないのである。指揮者はカナダ人女性のケリー=リン・ウィルソンで、細身で長身の彼女は東京交響楽団を指揮。もちろん新国立劇場には初登場である。一方、蝶々さんと長い愛の二重唱を歌うアメリカ人海軍士官ピンカートン役は、やや小柄なロシア人のミハイル・アガフォノフ(テノール)、彼の友人で良心的アメリカ領事シャープレスには、ウィーンで活躍した日本人バリトン甲斐栄次郎(彼はお正月のニューイヤー・コンサートの中継に出演していた)、蝶々さんの忠実な女中スズキにメゾ・ソプラノの大林智子という布陣であった。

第1幕では両隣の客が眠ってしまい、ちょっと緊張感が強すぎるのか、全体に表情が固すぎると思わざるを得なかった。それでプッチーニの音楽が、意識過剰に響くのである。ストーリーの展開がやや効果を狙いすぎて不自然でもある。そういうわけで拍手もまばらで、今回も残念なことにちょっと外れたかと思われた。休憩時間になっても客の紅潮した顔は見当たらず、心なしかいつもの華やいだ雰囲気が欠如している。バー・カウンターに並ぶ客も少なく見える。

さて。本来ならこれでこの公演は失敗であったと指摘する所である。だが、第2幕の「蝶々夫人」は一転、息もつかせないほどの充実した歌と音楽、それに演技で、このオペラの再発見をしたばかりか、私にとって今シーズンのもっとも素晴らしい公演となったのである。そのことについて、わたしはこれから大いなる興奮を持って書き記さねばならない。けれども音楽はその時に消えてしまう代物である。私がその感動をどれほど伝えられるのかは、その音楽自体の意外性にもまして不確かなものなのだ。

「蝶々夫人」は2つの物語を原作としている。前半はロティの小説「お菊さん」であり、後半はロングの小説、及びベラスコの同名の台本である。前半と後半で日本に対する描き方が異なっている。プッチーニの思慮深い配慮がこの不自然さを取り除こうと努力はしているが、実際には後半の方が音楽的充実は明らかである。前半は少し間の抜けた、受け狙いの要素が強いように感じる。そして2つの幕で舞台がほとんど変化しない。このことが私をして初めてこのオペラに接した際に、大いなる失望を持たざるを得なかったことなのだが、それもこれも当時の日本に関する情報の少なさゆえなのかと長年思っていた。

だが実はどうも、そうではないのである。その必要がないのだ。このオペラの第2幕は、徹底して心の内面のドラマなのである。蝶々さんはいわば、自ら家族を捨て、信仰を捨て、祖国を捨てたにもかかわらず、アメリカ人になれず、しかもピンカートンからは裏切られる。ピンカートンの薄情で浅はかな振る舞いは救いようもないが、たとえそうであっても芸者娘蝶々さんの一方的な愛情は、それがたとえいみじくも幼い少女の恋心であったとしても、少々無理がある。だがそのことを感じさせないような「何か」がこのオペラの醍醐味である。

蝶々さんは3年間も長崎の自宅で待ち続け、女中のスズキとともに暮らしている。ある日金持ちのヤマドリが寄り添っても、取り合おうともしない。そのとき大砲が鳴り軍艦が近づくのが見えると、彼女は夜を徹してピンカートンの帰りを待つ。今から100年以上も前の時代、アメリカが列強に倣って世界進出してきた頃ののとである。当然国際電話もない時代、たった一通の手紙を信じ、夜通し起きて彼の帰りを待つ・・・その時間の経過の何とうるわしいことか。このような時間変化を私たちはもはや、このような古典でしか味わえない。プッチーニは第2幕の場面の展開で、素晴らしい管弦楽のみの間奏曲を作り、そこでみるみる調子を上げるオーケストラに聞き入った。

幕の中にうっすらと舞台があらわれて朝が来たことを知らせる。やがて現れるピンカートンとシャープレス。だがそこに一人の女性が混じっていた。ピンカートンの妻ケイトである。彼女は蝶々さんに息子を渡すようにと告げる。ストーリーからは2歳か3歳であろう蝶々さんの一人息子は、舞台では5歳くらいの子が演じる。歌こそないものの、結構重要な役を演じる男の子を見るていと、私も目頭が熱くなった。最初若干15歳だった蝶々さんも、今では18歳の女性である。そう言えば「ある晴れた日に」以降であった。今公演が見事に蘇ったのは。

第2幕は全体を通して、体が舞台に釘付けになり、目頭は常に熱く、そして聴衆はむせび泣かんとしていた。若き女性指揮者ウィルソンは、この緊張感を維持し、東京交響楽団から素晴らしい音を引き出すことに成功した。石上朋美の演技は、第2幕で円熟の女性となり、ふっきれたように素晴らしかった。彼女は重要な役を突然こなす重圧もはねのけることに成功したのだ。子供の前で母親が自害するというショッキングなシーンは、照明効果がもっとも印象的に使われた場面だったが、子どもは星条旗を振り向くことはなかった。大拍手が客席を覆うかと思われた矢先、大きなブーイングが飛び、全客席が大いに面食らったが、それでも気を乗り直し、ブラボーが盛んに飛び交う結果となった。

おそらく「蝶々夫人」は日本を舞台にした、やや異国趣味の側面が強調されたドラマであるものの、それを越えて表現される心理劇である。そのところまで理解が進むと、俄然このオペラは見どころを発見できるようになる。そのような、普遍化された一段階上の演出こそ、我が日本において確立すべきもののように思う。そして今回の公演は、日本人のきめ細かい演出によって、主役のピンチヒッター演技にもかかわらず、なかなか良い線を行っていたように思う。

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...