2017年11月19日日曜日

NHK交響楽団第1871回定期公演(2017年11月17日、NHKホール)

私のこれまでのN響演奏会の体験中、もっとも完成度の高いものだと思った。初めて聞く音楽であるにも関わらず、70分の間中私の心は、絶えず音楽に酔いしれ、立体的な合唱や打楽器を駆使したリズムに体をゆすった。舞台後方に7列にずらりと並んだ合唱団は、かすかに消え入るかのような透明な声を、まるでひとつの演奏体から発せられるような統一感を持って3階席の奥まで響かせた。

合唱だけではない。今回の独唱に起用されたロシアの若手歌手の二人、すなわちスヴェトラーナ・シーロヴァ(メゾ・ソプラノ)とアンドレイ・キマチ(バリトン)は、いずれも指揮者トゥガン・ソヒエフが音楽監督を務めるボリショイ歌劇場で活躍する新鋭である。二人はいつのまにか、オーケストラ右手後方の、丁度チェロの後あたりに立ち、指揮者を斜めから見る。この二人の出番はそれほど多くはないが、歌が聞こえてくる時には、その声量も十分であり、低い声を駆使するロシア音楽の神髄ともいうべきものを表現するのに十分である。

NHK交響楽団もまた、これほど完璧にこなしたことはないのではないか、と思われるほどであった。決してあおるような指揮ではなく、そしてまた、異様な集中力が支配するものでもない。余裕があったかどうかはわからないが、そのように感じられるような安心感というか、何か非常に身についたものがあるように感じられる。それは簡単な話ではないだろう。なぜならこのような曲は滅多に演奏されるわけではなく、そして何とプロコフィエフなのである。

オラトリオ「イワン雷帝」(スタセヴィチ編)は未完に終わった作品で、そもそもは第二次世界大戦中に作成されたフィルムのための音楽だそうである。すなわちソビエト社会主義共和国連邦の音楽で、その作風は共産主義の賛美一辺倒であるかの如くだ。だが、この作品はスターリンによって批判を浴びることとなる。絶賛された第1部とは変わり、第2部は凋落した作品とみなされてしまうのだ。このような経過があったことが、むしろその後の復活に大きな意味を与えたのかも知れない。

フィルムを作成したのは映画監督のセルゲイ・エイゼンシュタインという人で、彼は日本趣味に傾倒した人であった、と解説書には書かれている。そして俳句、歌舞伎といったものを愛し、戦前のソビエトにおける歌舞伎公演にも触れている。だからこの作品は、ロシア史上最初にして圧倒的な専制君主であった人物(イワン4世)を題材としているにもかかわらず、随所に日本を感じ取ることができる部分があるという。

だから今回の公演では、ナレーターに起用されたのが歌舞伎役者片岡愛之助だったということにも通じる。すなわち、これは単に人気取りのための器用ではなく、このような作品の背景を元にしている。歌詞はロシア語だが、語りは日本語で、それは今回、歌舞伎の語りであった。歌舞伎役者の話す日本語は独特の大袈裟なイントネーションを伴っているが、それがロシアの寂寞とした音楽に奇妙に溶け込む。

ソヒエフの指揮する音楽は、いつも素晴らしい。そつがないという風ではあるが、職人的な見事さに集約されていて、隙がない。かといって醒めた演奏ではない。なかなかこういう演奏に出会えるものではないとも思う。昨年聞いた「白鳥の湖」でもそれは如何なく発揮されていたが、今回、珍しい作品だったにも関わらず、その板についた指揮ぶりは我が国のオーケストラと合唱団をしても、十分に感動的であった。

第2部あたりだろうか。合唱が無伴奏となって会場に轟くシーンが何回かある。合唱は最初の2列が東京少年少女合唱隊で、彼ら・彼女らは一部始終、微動だにせず行儀よく座っている。その後方3列に女声合唱、さらにその上、最上段2列が男声合唱であった。合唱は東京混声合唱団。この配列も興味深かったが、テノール・パートが男声の左側に配置され、このパートは時にソプラノのパートと共に歌う。ソプラノ・パートは中央列の右側に配置され、この時は対角線に位置する二つの合唱のみが起立して直方体を点対称にしたような図形となる。

だからだろうか音楽が立体的で、その十分な声量は類まれな統一感を持ちつつも舞台の奥から会場へと響き、さらにはオーケストラや独唱、語りとうまく融合して時間差がない。バランスの妙味と、作品を把握する点での曖昧のなさは、もしかするとソヒエフの天性ともいうべき才能ではないか、とさえ思った。コンピュータによって計算されたような機械的なものでは決してないのである。

兎に角なんと表現しようと、私の表現力では当日の素晴らしさをうまく伝えることはできない。最初、もう少し前の方で聞いた方が良かっただろうか、と思い始めていた。最近そういうコンサートが多かったからだ。だが音響がすぐれないと言われるNHKホールでも、才能ある指揮者にかかれば、実にその音楽はどこで聞いていても魅力的であった。唯一残念だったのは、3階席から見る字幕が小さすぎて読みにくいこと、それからマイクなしで語るナレーションの声が、ちょっと分散しすぎて聞き取りにくかったことである。だがそういったことも、これほど完全な演奏を前にしては、まあどうでもよかったことにしてもいいのではと思う。歌詞を追わなくても、音楽のみで十分に感動的であった。

後半になるにつれてオーケストラのアンサンブルにさらに磨きがかかってくると、合唱の響きは無伴奏の中にあっても、時空を超えて超越的な美しさを長く保った。その音楽に触れている恍惚した瞬間に、私はこみ上げてくるものがあった。歌詞がどうの、というものではない。純粋に美しい音楽に触れただけで起こる不思議な瞬間が、そこにはあった。滅多にできない感動を味わった人は多かったに違いない。終始物音ひとつしないマナーの素晴らしい客席からは、間をおいてからは熱狂的な拍手が鳴りやまず、それは音楽を愛するがゆえに大きく、そして献身的であった。

いい演奏を聞いたと思った。すべてを聞いているわけではないが、もしかしたらこの演奏は、今年のN響のベストではないか、と思った。

2017年11月4日土曜日

ブラームス:ハンガー舞曲集(イシュトヴァーン・ボガール指揮ブダペスト交響楽団)

私の通った大阪府下の中学校では、毎年学級別に合奏コンクールをすることになっていて、その年の課題曲はブラームスの「ハンガリー舞曲第6番」だった。たしか二年生の時である。ただ普通の公立中学校、しかも校内暴力などが吹き荒れる時代のことである。生徒は半分以上が不良とは言わないまでも学習意欲などなく、しかも学校行事など真剣になるはずもない。つまり荒れ果ててすべてに醒めた学校は、一部の先生のみが権力を振りかざし、従って私のような気弱で真面目な生徒は、毎日泣いていたものだ。学校へ行きたくないと。

そのような中での合奏コンクールである。私は楽器が何も弾けないから、指揮をすることになった。指揮者と言っても棒を振るだけで、その姿を見て演奏する人はいない。おそらく出だしだけが揃えば、あとは何とかなるのである。そして私の通った新興住宅地にある超マンモス校は、全部で11クラスはあったと思う。それがわずか5分程度の演奏でも2時間近くかかる。生徒は体育館に座らされ、ただでさえ退屈な時間を、さらに苦痛に過ごす。生徒は次第に騒ぎはじめ、そして誰も入賞することなど期待していない。なぜなら優勝したクラスはもう一度アンコールを演奏することになっており、そんなことは御免だと、クラスの皆が思っている。

そんな合奏団のブラームスである。だが私の隣のクラスを指揮した秀才のA君は、連日カラヤンのレコードを聞きこみ、統制の取れた演奏を披露した。ハンガリー風にリズムに緩急をつけ、民族的な情緒をたっぷりと歌った名演だった。これには音楽の先生も随分協力したらしく、そして彼のクラスは当然の如く第1位に輝いた。

さて私は、そんな芸当はできないから指揮はひたすら情熱的に進め、指揮者だけが空回りした演奏となった。何名かの女子生徒(パートはアコーディオンだった)頑張ってついてきてくれたが、全体的にはバラバラの音がしたのだろうと思う。だがそんなことはおかまいなしに、私は一心不乱にタクト(ただの棒である)を振り、そして最後の主題を繰り返す部分に来ると音量を少し押さえてさらに速くし、最後は何とか決まった。私は第2位だった。そしてA君は「君はアバド流だったね!」などと奇妙なことを言ってくれたが、まあこの当時、売られていたハンガリー舞曲のレコードはライナーのものとカラヤンのものくらいでいずれも抜粋盤。そこへアバドのウィーン・フィル盤が全曲録音という触れ込みで登場した頃である。

一方、最も有名な第5番はよく耳にする曲だったが、この曲がポール・モーリア楽団か何かで演奏された音楽をカセットテープに録音して何度も聞かせてくれたのは、同級生のI君だった。かれは中学1年生の時、毎日のように私を自宅に呼び、氷のたっぷり入ったコップに瓶入りコカ・コーラを注いで飲みながら、親に買ってもらった大きなステレオ・ラジカセを自慢した。

ポール・モーリアの演奏するハンガリー舞曲は、ポップス風にアレンジされていて、後半には付け足されたトランペットの独奏部が加わる都会的なものであるのだが、ここの速度が常に一定である。あのジプシー音楽の風味がない。いわば気の抜けた炭酸飲料のような音楽なのだが、彼はそのメロディーに合わせて歌い、そして私に何度も「いい曲だ」と言っていたのを思い出す。また、この第5番で思い出すのは斉藤晴彦が歌詞を付けて歌ったテレビCMと、はるか昔、チャップリンの映画で理髪師に扮したチャップリンが曲のひげを剃るシーンである。いずれもこの曲の大衆性が感じられる。

このように「ハンガリー舞曲」を聞くと、いつもいろいろなことを思い出すのだが、実際のところは第1番と第5番、それに第6番が突出して有名で、アンコールなどに良く演奏される以外は、あまり聞くことがない。全部で21曲あるこれらの曲は、ピアノ連弾曲として書かれた。そして民族風の舞曲集を作曲することをドヴォルジャークに勧めた。ドヴォルジャークの「スラブ舞曲」はこのようにして生まれ、そして「ハンガリー舞曲」と同様、管弦楽曲にアレンジされ有名となった。これらの2つの東欧風民族舞曲集は、似たような起源と経過をたどっており、かつては抜粋されてレコードに併録されていた。ただ「スラヴ舞曲」の方が、全体的なまとまりと音楽性において、優位にあるように感じる。

その「ハンガリー舞曲」は、作曲者自身を含め何人もの作曲家が編曲をしているが、第17番から第21番まではドヴォルジャークによって編曲されている。これらの曲がこの二人の合作となっている点で面白いが、さらには、ドヴォルジャーク風の風味を感じることが出来る点でも興味深い。少しあか抜けたような、カラフルで抒情的である。

第1番から順に編曲者とともに記載しておく。演奏は、なかなか決定的な演奏がない中で、イシュトヴァーン・ボガールという指揮者がブダペストのオーケストラを指揮した演奏が好ましい。オーケストラは、例えばマズアのゲヴァントハウス管弦楽団や、ネーメ・ヤルヴィのロンドン響には劣るが、ちょっとした表情付けが本場風であると言っておこう。抜粋版ではライナーやドラティなどのハンガリー人指揮者によるものがあるし、ピアノ連弾ではラベック姉妹によるものなどが有名である。


【収録曲】

第1番ト短調(ブラームス編)
第2番ニ短調(ハーレン編)
第3番ヘ長調(ブラームス編)
第4番嬰ヘ短調(ジュオン編)
第5番ト短調(シュメリング編)
第6番ニ長調(シュメリング編)
第7番ヘ長調(シュメリング編)
第8番イ短調(ガル編)
第9番ホ短調(ガル編)
第10番ヘ長調(ブラームス編)
第11番ニ短調(パーロウ編)
第12番ニ短調(パーロウ編)
第13番ニ長調(パーロウ編)
第14番ニ短調(パーロウ編)
第15番変ロ長調(パーロウ編)
第16番ヘ短調(パーロウ編)
第17番嬰ヘ短調(ドヴォルジャーク編)
第18番ニ長調(ドヴォルジャーク編)
第19番ロ短調(ドヴォルジャーク編)
第20番ホ短調(ドヴォルジャーク編)
第21番ホ短調(ドヴォルジャーク編)


東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...