2019年7月31日水曜日

バーンスタイン:ミュージカル「オン・ザ・タウン」(佐渡裕指揮兵庫県芸術文化センター管弦楽団、他)

ミュージカルはライヴで見るに限る。比較的ダンスに重点が置かれているからだ。オペラにおける歌は、最重要の要素なので、歌が聞けないとどれほど演出や踊りが上手くても、決定的に失望に終わる。CDでオペラを聞くことができるのも、音楽的な観点からだけで十分にその良さが満喫できるからだろう。だがミュージカルはそうはいかない。ミュージカルをCDで聞いても、ぬるいジュースのような感じがする。

だがもし、オペラ歌手が歌い、ダンスはそれを得意とする人々が中心になって舞台を彩る。オーケストラはワーグナーやブルックナーも演奏できるシンフォニー・オーケストラが担当するとしたら…。こんな夢のような公演が、この夏佐渡裕によってプロデュースされ、関西と東京で上演された。出し物は佐渡の師匠で、アメリカの最も偉大な作曲家レナード・バーンスタインの作品である。ミュージカル「オン・ザ・タウン」は、後に「ウェストサイド・ストーリー」も手掛けるバーンスタインの最初のミュージカルで、1944年末にニューヨークで初演された。まだ第二次世界大戦中のことである。

この作品は「踊る紐育」として映画化された。だがその際に、ほとんどの音楽は差し替えられたようだ。バーンスタインの音楽が前提的すぎて、保守的な映画の客層には受け入れられないと判断されたためだと言う。それはそれで頷けるような話である。なぜならこの音楽は今聞いてもその魅力を失っていない。ミュージカルとしての古めかしさはその通りだが、音楽としての独自性はバーンスタインの天性のもので、今もって十分聞き手を満足させる。

バーンスタインは自ら作曲し、一世を風靡したミュージカル作品を、晩年にはクラシック音楽として残すことに懸命だった。「ウェストサイド・ストーリー」には、カレーラスを始めとするオペラ歌手を起用してセッション録音したのは有名だ。そのメイキング風景は映像化された。バーンスタインのミュージカル作品は、音楽のみでもきちんと歌えば、後世に名を残すほどの輝きを放つと信じていたのだろう。佐渡裕がその遺志を受け継ぎ、このたび取り上げた作品が「オン・ザ・タウン」だった。

この上演へのこだわりは、配布されたプログラム・ノートを読めばよくわかる。ロンドンでオーディションを行い、書類選考で1000人、面接にも200人が残ったらしい。結果的に下記に示す歌手と役者が起用されることになった。みなオペラも歌える歌手だが、同時に踊ることも演技することも十分にこなす実力派である。もちろん英語を母国語とする人たち。さらに演出はアントニー・マクドナルドが担当した。彼は兵庫県芸術文化センターでの過去の催しである「魔笛」(モーツァルト)や「夏の夜の夢」(ブリテン)でも演出を担当し、佐渡の信頼が厚い演出家とのことである。

オーケストラはもちろん兵庫県芸術文化センター管弦楽団である。世界各地からオーディションにより集められたプレイヤーからなる臨時編成のオーケストラだが、実力派の若手が多数いるようで、その水準は高そうに思われる。定期演奏会も開いており、そのチケットを両親にプレゼントしたりしているので、自分も一度は聞いておきたいという気持ちも動いた。本公演は、毎年夏のこの時期に催されるオペラ・プロダクションの一環で、過去には様々な作品が上演されてきたが、今年は東京でも上演することになったようだ。西宮で8回の公演を行ったあとの、上京しての4公演のうちの最初のものを東京文化会館に見に出かけた。ミュージカルはできるだけ前の方で見たい。そこで一階前方のS席を1万5千円もの大金を支払って購入したのは、1週間ほど前のことだった。まだ切符がかなり残っていた。当日券も買えた。

【キャスト】
・ゲイビー:チャールズ・ライス(バリトン)
・チップ:アレックス・オッターバーン(バリトン)
・オジー:ダン・シェルヴィ(テノール)
・アイヴィ(地下鉄の広告モデル):ケイティ・ディーコン(ダンサー)
・ヒルディ(タクシー運転手):ジェシカ・ウォーカー(メゾ・ソプラノ)
・クレア(文化人類学者):イーファ・ミスケリー(ソプラノ)
・ピトキン判事(クレアの婚約者):スティーヴン・リチャードソン(バス)
・マダム・ディリー(アイヴィの声楽教師):ヒラリー・サマーズ(アルト)
・ルーシー・シュミーラー(ヒルディのルームメイト):アンナ・デニス(ソプラノ)
・ダイアナ・ドリーム(歌手)他:フランソワ・テストリー
ほか。

会場に入ると幕に大きくタイトルが表示され、本場のミュージカルの雰囲気さながらである。やがてオーケストラ・ピットに登場した佐渡は軽く頭を下げ、おもむろに幕が開くと、そこはブルックリン。以降、本作品にはニューヨークの各地が次々と登場する。3人の水兵がわずか24時間の休暇を与えられ、初めてニューヨークの街へと繰り出すシーンである。「ニューヨーク・ニューヨーク」の歌が3人の水兵によって歌われる。

オペラと違い音楽が速く、台詞も多いのが難点である。字幕を追っていると舞台を見損なってしまう。まるで学芸会のセットのようだが、地下鉄の車内が登場。ここで女性に写ったあるポスターを見つける。その女性は「ミス改札口(turnstile)」と字幕では表示されていたが、これは回転式の出札口のことで、今でもニューヨークの地下鉄にはあると思うが、電気式ではない簡単なやつである。その「ミス改札口」に今年選ばれた女性を、水兵たちがそれぞれ分れて探しにいくところから物語は始まる。何とも他愛のないストリーだが、楽天的な昔のニューヨークの活気も伝わり、古い時代の気分を感じさせてくれる。

ニューヨーク賛歌とも言える作品には、私もかの地で1年余りを過ごした者として、非常に懐かしい気分にさせられた。初めてニューヨークに来た時の高揚感と、そこを歩き出した時の緊張感。ここを訪れた人はみな同じ気分を味わうに違いない。人種のるつぼ、とはよく使われる形容詞だが、そこは40年代ということもあり、このミュージカルに有色人種は登場しない。

音楽は残念なことに拡声器で増幅されている。実際のミュージカル上演でもよくあるが、歌唱のみならずオーケストラの音までがスピーカーを通じて聞こえてくると、ちょっと興醒めである。東京文化会館という、ミュージカルには広すぎる空間を考慮したためだろう。そして舞台がやや小さく見えてしまっている。このことが非常に残念だった。だが欠点は最初に書いておこう。これだけなのだから。

3人の水兵は、それぞれ別の女性に出会う。まずチップはタクシー運転手のヒルディと、オジーは自然史博物館で働くクレアと、そしてゲイビーは「ミス改札口」に選ばれた当人の歌手アイヴィと。皆が個性的なら、その周りにいてそれぞれのカップルを邪魔する人たちもまた多分に個性的だ。すなわち、チップが連れてこられたヒルディの部屋には、風邪をこじらせてくしゃみを繰り返すルームメート(ルーシー・シュミーラー)が、オジーが出会ったクレアには、すでに婚約者であるピトキン判事がいて、婚約の契りを交わすというまさにその日ということになっており、さらに「ミス改札口」のアイヴィには、音楽教師のマダム・デイリーがアルコールに溺れながら「性愛と芸術は両立しない」などと説いて回る。

3人は同じ場所で落ち合うことにしていたので、まずはタイムス・スクエアのナイトクラブのシーンとなる(ここからが第2幕)。舞台は次々と変わり、コンガカバーナというキューバ系のダンスホール、そしてまた別のクラブへ。ここの音楽は非常に楽しい。バーンスタインの乗りに乗った音楽が、これでもかこれでもかと続くのだが、実際にはその間に差しはさまれる芝居の台詞が、どこかの新喜劇さながらのドタバタ劇であることも忘れ難い。

3組のカップルは最後に、眠ることのない街の地下鉄に乗ってコニー・アイランドへと出かけてゆく。深夜のコニー・アイランドではトルコ風のダンスまで登場。するとそこに警官が現れて、お開きに。24時間があっという間に過ぎ去り、水兵たちは次の休暇組と交代して戦艦へと帰ってゆく。「ニューヨーク・ニューヨーク」と再び歌われる中、幕が閉じる。

「ニューヨーク・ニューヨーク」も有名だが、私はヒルディがアパートで歌う「I Can Cook Too」が好きだ。ティルソン=トーマスが指揮したロンドン交響楽団の一枚を私は昔から持っていて、ここの歌は良く聞いていた。けれども第2幕のコンガカバーナのシーンなど、実演で見なければその楽しさも伝わって来ない、ということが今回よくわかった。そんな中で、「カーネギーホールのパヴァーヌ」(第1幕)はコミカルで楽しいと思ったし、ピトキン判事のアリアとも言うべき「I Understand」は、唯一バスの歌が魅力的で、実際、かなりのブラボーが飛び出した。

オーケストラの中には結構な数のエキストラが世界中から集まっていたのも見逃せない。まずコンサート・マスターはベルリン・ドイツ交響楽団のコンサート・マスター、ベルンハルト・ハルトークで、この他にもペーター・ヴェヒター(元ウィーン・フィル)などゲスト・プレイヤーやスペシャル・プレイヤーが名を連ねている。もちろんトランペットやドラムスなど、エクストラの奏者も数多く、その水準はミュージカル作品としては異例の高さにあると言って良いだろう。

私も1年余りのニューヨーク滞在中に、十数作品の上演中の出し物を見たと思う。だがそのどれをとっても今回のような水準には達していない。それは今回の公演が一時的なプロダクションだったから可能だったとも言える。この公演は、ミュージカル作品がオペラと同等の上演が可能であることを印象付けた。

そしてやはり、ニューヨーク。私の40丁目のアパートからは、空にそびえるエンパイアステートビルが正面に見えていた。その先端が夕空に映えて一層幻想的なものとなる(写真はその当時のもの)。私は毎晩ソファに横たわって、その光景を飽きることもなく眺めていた。その懐かしい日々と、ニューヨークの各地の思い出は、私の20代の心の財産である。今の妻に出会ったのもニューヨークだった。だからこの作品は、まさに私の若い頃の気分を(半世紀の開きがあるとはいえ)燦然と蘇らせてくれた。そして最終公演の日のチケットを妻に贈ったのは当然の成り行きだった。妻も非常に喜んでくれた。ニューヨークの魅力は、時代が変わっても生き続ける。このミュージカルが、そうであるように。

2019年7月18日木曜日

オッフェンバック(ロザンタール編):パリの喜び(アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団)

初めて買ってもらったLPレコードは、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団のクラシック名曲集(2枚組)だった。1枚目にはスッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲やロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲など威勢のいいポピュラー曲が、2枚目にはタイースの「瞑想曲」やチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」など、アダージョ系の落ち着いた曲が入れられていた。

私はこのLPを、それこそ毎日すり減るほど聞きた。特に1枚目は、私にとって後に1000枚を超えるコレクションの下地を作ったと言っていい。ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、ハチャトリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」より「剣の舞」、ケテルビーの「ペルシャの市場にて」など、旋律を覚えては家族に自慢をしていたようだ。まだ小学生になったばかりの頃で、自宅にあった貧弱なステレオ装置にレコードをかけると音が鳴る、その操作自体も楽しかった。

このLPレコードの演奏には志鳥栄八郎の解説が付けられていて、それによればボストン・ポップスは、あのボストン交響楽団の首席奏者を除いたメンバーで構成されているため、演奏水準が非常に高く、そのようなプロ中のプロが、かくもポピュラーな名曲を日常的に演奏しては米国の子供たちを喜ばせている、というようなことが書いてあったように思う。丁度、合衆国建国200周年の頃のことで、古き良きアメリカの伝統が少しは残っていたような時代だった。もっとも当時はベトナム戦争の後遺症に、アメリカ中が苦しんでいたのだが。

だからアーサー・フィードラーと聞くと、私は非常に懐かしい気分になる。私にとって、クラシック音楽の原体験だからである。そのフィードラーが、オッフェンバックの様々な曲から、有名なメロディーをつなぎ合わせてバレエ用に編曲された「パリの喜び」なる曲を演奏していて、その演奏がすこぶる名演だと知った時、躊躇なくそのCDを買い求めた。LIVING STEREOと名付けられたそのシリーズの演奏は、1950年代にはすでに存在していた最初期のステレオ録音で、そのヴィヴィッドな演奏が意外なほどに鮮明に記録されている。

この「パリの喜び」も1951年の演奏だが、そうとは信じられないようなクリアな音色である。しかもここでのボストン・ポップスの演奏は、技術的にも信じられないような満点の演奏をしている。早く、正確で、さらには生き生きと。勢いのある「古き良きアメリカ」のモータリゼーション全盛の時代を思い起こさせる、と書くと陳腐すぎる表現だが、そういう形容詞しか思い出せない。まるで機械のように正確である。このLIVING STEREOシリーズには、この他にもミュンシュやハイフェッツの演奏など、同様な傾向の演奏が多く、その後暫く低迷するアメリカのオーケストラの黄金時代を記録した遺産である。

だから、これがオッフェンバックの喜歌劇から抜粋された享楽的なパリのムードを醸し出しているかどうか、などといったことにはさほど関係がない。むしろ早送りで古い映画を見ているような雰囲気がある。このようなチャラけた音楽も、こんなに真面目に、鮮烈に演奏されると、くだけた気持ちもどこかへ行ってしまう。目が覚めるようなカンカンが、耳元から飛び出してくる。

もっとフランスらしいオーセンティックな演奏がいいと思う時には、編曲者であるロザンタールがモンテカルロのオーケストラを指揮した自作自演盤があり、こちらの方がオペレッタ感満載の洒落た演奏である。カラヤン指揮ベルリン・フィルもこの曲を指揮しており、さらにはパウル・シュトラウス指揮ベルリン・ドイツ管弦楽団の定評ある古い演奏もある。曲が実に楽しいので、どういう演奏で聞いても楽しめる。

なので、このディスクはフィードラーの、そのトップ・レベルの演奏を楽しむものだ。この演奏で踊ることは、もはやできない。続きにはロッシーニが作曲し、レスピーギが編曲した「風変わりな店」が収録されている。こちらも同様の名演だが、完璧すぎてもはや「ヤバい」演奏である。

2019年7月15日月曜日

ビゼー:「アルルの女」第1組曲、第2組曲(ギロー編)(ジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団)

学生時代に初めてヨーロッパ旅行をした時には、私はかなり欲張り過ぎていたのだろう。北欧からドイツ、オーストリア、スイスなどを経由し、イタリアを巡る頃には日程も半分以上を経過していた。このままではイベリア半島や英国に渡ることはできない。そう考えた私は、ローマのテルミニ駅からスペインのバルセロナへ向かう夜行列車に飛び乗った。

列車は地中海岸沿いをひた走り、モンテカルロに着くころには夜も更けていた。早朝のマルセイユで、パリ辺りから来た同類のバックパッカーが大量に乗り込んできて、以降、バルセロナまでは満員の列車だった。おかげでスペインやポルトガルにまで足を延ばすことはできたのだが、南仏のあの美しいプロヴァンス地方をスキップしてしまった。1987年の夏のことだった。

これから何度も行ける、と若い頃は考えていた。実際、そのあとヨーロッパを旅行したのは何度かあって、スイスに2か月以上滞在したこともあったのだが、未だに南フランスへの旅行は果たされていない。だから私がビゼーの音楽「アルルの女」を聞くときには、想像力を掻き立てながら、眩くような光と地中海の風に抱かれた、さぞ麗しいところだろうと空想している。

この「アルルの女」の聞き方は、私がこの曲を初めて聞いた中学生の時からまったく変わっていないということを意味する。この曲を聞いたのは、学校の音楽の授業の中でのことだった。フランス音楽の柔らかい響きは、それまで専ら聞いていたベートーヴェンやモーツァルトなどのドイツ音楽とは対照的な魅力があることを発見した。先生は、第1組曲の第4曲がヨーロッパの教会の鐘をモチーフにしていること、「タンブラン」と呼ばれる民族楽器が効果的に使われていること、第2組曲は夭逝したビゼーの友人ギローが、別のオペラ「美しきパースの娘」のメロディーも引用して作曲したこと、などを説明し、これらは「試験に出しますから」と余計なことを言った。

私は友人と「アルルの女」のLPレコード(たしかクリュイタンス指揮)を買ってきて、それぞれの曲を覚えるまで聞いた。最も有名な第2組曲のメヌエット以外にも、第1組曲にもメヌエットがあって、ここの音楽を私は好きになった。中間部でフランスの田舎を空中飛行するような気持になった。第2組曲の第2曲は牧歌で、目立たないが旋律の美しさがとてもいい。最後の「ファランドール」は再び主題が登場してクレッシェンドしながら速度を上げ、見事なフィナーレを迎える。

クリュイタンスの演奏は、もっとも定評のあるもので、音質は悪く、少々重たいものの、「これがフランスの音か」などとベルリンやウィーンのオーケストラにはない音色に瞠目したものだった。ハープやフルートといった楽器が多用されているのも印象的だった。

「アルルの女」の演奏は数限りないが、私はいまだに中学生の時のままの気持ちで接している。だから、カラヤンやアバドのような演奏も聞いたが、これらの演奏には私が求めているものは感じられない。他の多くのファンと同様に、フランスを感じさせてくれる演奏、それもしっとりほのぼのとしたものでなければならない。

そんな気持ちでこの曲に接してきたところ、ジャン・マルティノンがシカゴ交響楽団を指揮した演奏に出会った。シカゴ交響楽団はフリッツ・ライナーとゲオルク・ショルティの
 二つの黄金時代に挟まれた比較的地味な時代(それは60年代このとで、マルティノンによれば、暗黒時代だったようだ)のことである。けれども機能的なシカゴ響の名人芸はここでも健在で、ミキシングの効果もあるのだろうか、音色がきらびやかでフランス的である。

どの曲もしっとりとした味わいだが、「間奏曲」(第2組曲)の深々と音楽的な演奏は今では聞かれなくなった古き良き時代のものを思い起こさせるし、「ファランドール」の見事なアッチェレランドは、オーケストラの技量を含め見事の一言に尽きる。

 「アルルの女」はもともとドーデの戯曲を元にした劇音楽である。ビゼーはこの劇音楽が成功しなかったにも関わらず、その中からのメロディーを選んで組曲とした(第1組曲)。一方、ビゼーの死後に友人のエルネスト・ギローによる編曲で、この中には別の作品のメロディーも使用されている。けれども第1組曲の「前奏曲」のメロディーが最後の「ファランドール」にも登場する。

第2組曲の「メヌエット」と「ファランドール」はアルルの女でもっとも有名な部分で、特に後者はフランスからの来日オーケストラがよくアンコールで締めくくる。私もマゼール指揮のフランス国立管弦楽団の演奏会で聞いた覚えがある。

そもそもオリジナルの「アルルの女」も聞いてみたいと思っていたところ、クリストファー・ホグウッドがバーゼル室内管弦楽団を演奏したCDが登場した。私はこCD(カップリングはシュトラウスの「町人貴族」)をさっそく買って聞いてみた。このCDには、元の劇付随音楽「アルルの女」から後に組曲に編集されるようになった曲が、その登場順に並んでいて、何となく中途半端な印象がぬぐえない。やはり「アルルの女」は2つの組曲で聞くのが良い、というのが私の結論である。

2019年7月12日金曜日

ワルトトイフェル:ワルツ・ポルカ集(ヴィリー・ボスコフスキー指揮モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団)

今でも放送されているのか知らないが、NHKの「名曲アルバム」という短い番組は、気軽に音楽旅行を楽しむことのできる番組だった。この番組はいつ放送されるのか、事前に把握しておくことは困難で、新聞のテレビ欄に「名曲」小さく載っていたところでわざわざチャネルを合わせるほどでもない。けれども野球中継が早く終わった時や、深夜の台風情報の合間などには、いくつもの「名曲アルバム」が流れて、そのまま見るしかないような隙間の番組だった。

この番組には「モルダウ」とか「大学祝典序曲」のような小品が特に取りあげられ、誰もが親しむことのできるクラシックのポピュラー名曲に合わせ、その音楽にちなむ映像が字幕の解説とともに付けられていた。この映像がなかなか良くて、作曲家の生家や暮らした街の情景などが居ながらにして楽しむことができるのだった。その中にワルトトイフェルのワルツ「女学生」というのがあった。パリのカルチェ・ラタンの風景を映した噴水の映像を、なぜかよく覚えている。

ワルトトイフェルはアルザス地方に生まれたフランス人で、ヨハン・シュトラウスと同様に数多くのワルツやポルカを作曲している。ここでワルツはウィーン風のそれではない。従って、あのウィーン訛りとも言うべき独特のアクセントのないワルツである。例えば「スケーターズ・ワルツ(スケートをする人々)」という有名なワルツも、ウィンナ・ワルツではなく、普通にブンチャッチャとなる。

今回取り上げるCDで、肩ひじ張らないワルトトイフェルのワルツやポルカを指揮しているのは、ウィーン・フィルでコンサート・マスターを務めた後、あのニューイヤー・コンサートを何年も指揮したボスコフスキーである。これはワルツの第一人者にワルトトイフェルの作品を振らせたレコード会社の企画なのだろうか。そしてモンテカルロの歌劇場のオーケストラらしく、きらびやかな音色がアナログ録音で良くとらえられている。

「名曲アルバム」の最大の欠点は、どのような曲であれ5分という時間にピタリと収まるように演奏されていることだ。このため編曲がなされ、ストップウォッチを見ながら音楽のスピードが調整されている。今ではテレビ放送も垂れ流しの状態だから、いっそ時間は無視して、いい演奏に映像をつけてくれればとも思うのだが、そういう番組だとかえって締まりがなくなってしまうような気もする。

ワルツ「女学生」を聞いていると、何かとても懐かしく、そしてうきうきとした気分になってくる。この時期、梅雨の鬱陶しい陽気を打ち払って、夏のフランスに出かけてみたくなるのは「名曲アルバム」の効果だろうか。夏に聞きたくなるCDである。なお、ワルツ「スペイン」はシャブリエの「スペイン狂詩曲」を円舞曲に編曲した作品である。


【収録曲】
1 .ワルツ「スペイン」作品236
2. ポルカ「真夜中」作品168
3. ワルツ「スケートをする人々」作品183
4. ギャロップ「プレスティッシモ」作品152
5. ワルツ「女学生」作品191
6. ポルカ「美しい唇」作品163
7. ワルツ「歓呼の声」作品223
8. ポルカ「フランス気質」作品182

2019年7月10日水曜日

ブラームス:ドイツ・レクイエム(S:アンジェラ・マリア・ブラーシ、Br:ブリン・ターフェル、コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送合唱団・交響楽団)

ブラームスが「ドイツ・レクイエム」を作曲したきっかけは、師と仰ぐシューマンの死であるとか、普墺戦争で亡くなった兵士を弔うため、などとか言われているが、より直接的な動機としては最愛の母の死であった、と音楽評論家の志鳥栄八郎は書いている(講談社+α文庫「クラシック不滅の名曲名盤」)。10年余りを経てようやく完成したのは1868年のことで、現在の7曲から成る作品は翌年に初演されている。丁度明治維新の頃だ。ブラームスがまだ30代前半で、もちろん交響曲はまだ作曲しておらず、ウィーンに住み始めた頃だった。

「ドイツ・レクイエム」は通常のレクイエムとは異なり、ブラームスが自ら選んだテキストにより演奏会のための作品として作曲されている。簡単に言えば、ミサ曲ではない。そしてそのテキストはドイツ語で書かれている。ドイツ語が書かれたひとつのレクイエム、というのが正しい。これには日本語にはない冠詞と定冠詞の違いを理解する必要がある。「ドイツ・レクイエム」の正式名称は「Ein Deutsches Requiem」(英語にするとA German Requiem)となっている。若きブラームスの、いわば一つの試みとも言える作品だが、敬愛するシューマンにも「レクイエム」がある。こちらは定型的なラテン語の歌詞に基づいている。

「ドイツ・レクイエム」は全部で7つの部分から成っている。例の如くここに7曲の冒頭の歌詞を列挙するが、ドイツ語の歌詞は(当然だが)同じでも、訳す日本語が文語調か現代口語調かで随分イメージが異なる。文語調の方がクラシックらしく好きな人もいるが、意味が伝わりにくい。あちこちの書物を参考に、括弧で口語調を付記するが、あまりくだけると安っぽくなる。

  • 第1曲 Selig sind, die da Leid tragen 「幸いなるかな、悲しみを抱くものは(悲しんでいる人は幸いである)」
  • 第2曲 Denn alles Fleisch, es ist wie Gras 「肉はみな、草のごとく(人はみな草のようなものだ)」
  • 第3曲 Herr, lehre doch mich「主よ、知らしめたまえ(主よ、私に教えて下さい)」
  • 第4曲 Wie lieblich sind Deine Wohnungen, Herr Zebaoth! 「いかに愛すべきかな、汝のいますところは(あなたの住まいは、何と麗しいことでしょう)、万軍の主よ」
  • 第5曲 Ihr habt nun Traurigkeit 「汝らも今は憂いあり(あなた方は、今は悲しんでいます)」
  • 第6曲 Denn wir haben hie keine bleibende Statt 「われらここには、とこしえの地なくして(私たちの地上には、栄え続けることのできる街はない)」
  • 第7曲 Selig sind die Toten, die in dem Herrn sterben 「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは(これからのち、主のもとで死を迎える人たちは幸いである)」

第1曲の静かな、安らぎに満ちた音楽は、いい合唱で聞くと心に染み渡ってゆく。カラヤンの演奏など、その典型だと思う。かなりゆっくりと始れられる音楽は10分以上続くが、これが第2曲に入って、よりいっそう深みを増してゆく。この効果は、第2曲目に第1曲目になかったヴァイオリンが入るからである。一方、第1曲には最後にハープも入り、その世離れした幸福感は第7曲のコーダでも再現されるというからくりである。

第3曲になるとバリトンが歌いだすが、曲はゆっくりしたままである。同じようなテンポの続く感じは、ハイドンの「十字架上のイエス・キリストの最後の七つの言葉」を思い出すが、「ドイツ・レクイエム」ではこの第3曲の後半にフーガがあって盛り上がり、非常に聞きごたえがある。

第4曲は3拍子の比較的短い曲で、続く第5曲も短いが、短いと言っても5分以上はあり、それぞれ合唱は休むことがない。なおソプラノ独唱が入るのはこの第5曲のみである。慰めのひととき。

さて、全体のクライマックスで最大の聞きどころは第6曲である。バリトン・ソロが再び登場し、「最後の審判」(怒りの日)を歌い上げる。途中から凄まじくドラマチックな展開は、手に汗を握るシーンとなる。やがて合唱が頂点に達したところで途切れると、女声合唱のみが残り、拍子も変わって一転、天国的な賛歌への移る様は、見事と言うほかはない。そして最終曲になると永遠の安らぎが訪れる。

この曲は、いい演奏で聞かないと真価がわからない側面があるように思う。だから演奏家を選ぶ。最初に接したのは、コリン・デイヴィスがバイエルン放送交響楽団、合唱団を指揮した一枚で、この演奏はほとんど顧みられることがないが、今でも抜群の名演だと思っている。確かにカラヤンのような演奏も非常に美しく洗練されていていいが、もっと若々しいブラームスの、武骨でエネルギーに満ちた感じを求めたくなる。しかも録音が秀逸で、ソリストの声をよく拾っており、合唱とオーケストラががっぷりと噛み合う、迫力に満ちたハーモニーが全編を貫く。

第2曲の中盤以降などは、集中力を維持しつつ次第に重力を増していく様が、レクイエムの厳粛で重々しい特徴を一層際立たせている。ここの身震いするような表現は、この演奏の真骨頂である。第4曲と第5曲の、優しくて清らかなメロディーも、この演奏で聞くとしっかりメリハリがあって、聞きごたえがある。この演奏には、「ドイツ・レクイエム」に求めたいものがほぼ全て備わっている。いい演奏に思えても、次第に単調な表現に陥ったりすることがないように思う。ドイツで活躍したデイヴィスの面目躍如たる名演である。

ゴツゴツした演奏の代表格としては、あのクレンペラーの演奏も忘れ難いが、合唱の美しさと、ブラームスらしいエネルギーを兼ね備えた一枚としては、ジュリーニの演奏が素晴らしい。ここでウィーン・フィルは相当な熱の入れようで、ジュリーニ最晩年の名演に数えられるだろう。

近年になってガーディナーのようなオリジナル楽器版も登場し、アーノンクールも加わって選択肢が増えたが、最近の演奏の中ではプレヴィンがロンドン交響楽団を指揮したライヴ盤が、非常に美しい名演で迫力もあり録音も素晴らしいと思った。一方、世間の評価に目を転じれば、アバドがベルリン・フィルをウィーン学友協会に率いて演奏した1997年(ブラームス没後100周年記念)のライブ映像が、迫真の大名演だそうである。これは録音のみの媒体としては売られていない(と思われる)ので、なかなか触れることはできない(注)。


(注)アバドのウィーンでのライブ映像は、ベルリン・フィルの動画サイト「Digital Concert Hall」で見ることができる。またDVDとしてEuroArtsから発売されている。

2019年7月7日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団演奏会・ジェイド#607(2019年7月4日、サントリーホール)

出かけるコンサートを選ぶとき、もっとも重視する要素のひとつが演目である。私の場合、気が付いてみると50歳を過ぎていて、若い頃は何度も聞けると思っていた音楽が、意外にもあまり聞く機会がないことを大変残念に思っている。もともと限られたクラシック音楽の中でも、まだ実演に接していない曲は沢山ある。

そもそも音楽は、実際に演奏するものを聞くという目的のために作られている。まだ録音技術のなかったころは当然ながら、音楽を聞くには実際の演奏に接するしかなかった。ラジオやテレビが大量の音楽を放送するようになった20世紀においてでさえ、クラシックに限らず、通常音楽はライブを主体とする。まして、クラシックのように比較的長い曲を、一定の集中力を持って聞くことはなかなかできるものではない。仕方がなく、ごく一部の、金銭に多少なりともゆとりのある愛好家のみが、レコードやCDがこの体験を疑似化してきた。

ところが我が国では、実演で聞く演奏よりも、放送やディスクによって聞くことを重視する傾向が強い。特にクラシックでは、メディアによって得られる音楽体験の方が、実演よりも語られることが多いのは、残念なことだ。実際のところ私も、コンサートに行くよりもはるかに、レコードやCDによる過去の演奏によって曲に馴染んできた。

本当の音楽の良さは実演に接することでしか得られないものだと確信するには、一定の量のコンサートに出かけ、感動的な演奏だけでなく、つまらない演奏にも数多く接する必要がある。経済的な負担のみならず、時間的負担も大きいうえに、出かけるコンサートが運よく聞きたい曲目を並べていることも少なく、チケットが買えなかったり、安い席に甘んじてしまうことも数限りがない。このようにクラシック音楽のもつ敷居の高さは、(かなり下がったとはいえ)今もって高いと言わざるを得ない。

さて、ロマン派後期を代表する大作曲家の一人、ブラームスの合唱作品「ドイツ・レクイエム」は、売られているCDも数多く、何といっても「ドイツ三大B」の代表作品である。だが、どうだろう。この作品を聞いたことが、過去に何回あっただろうか。アマチュア合唱団にでも入っていたら、もしかしたら歌うことはあったかもしれない。カラヤンを始めとするCDやDVDの類も、聞こうと思えばできたはずだ。東京では年に何度かは、どこかで演奏されている曲だろうから、実演に接することはそれほど難しくはない。いやYouTubeやSpotifyを起動すれば、たちどころにいくつかの演奏が無料で楽しめるはずだ!

にもかかわらず、私がこれまで「ドイツ・レクイエム」を聞いたのは、コリン・デイヴィスの指揮するバイエルン放送響によるCDを買った時だけであった。どういうわけか、この曲は避けて来たのかも知れない。いや、そもそも「レクイエム」というジャンルは、キリスト教に関りの少ない我が国の音楽文化において、どちらかというと重く、そして縁遠い存在でさえある。あのモーツァルトやフォーレでさえも…。

そういうことだから、コンサートのちらしにブラームスの合唱作品ばかりを並べたプログラムを見つけたときに、これはもう一生で最後かも知れないが、一度は真剣に聞いておこうと意を決して出かけることにした。出演する音楽家は、まあ二の次であった。時間があって、チケットもさほど高くはなく、しかも当日でも手に入る。さらには、ドイツ音楽を得意とするフランス人指揮者、ベルトラン・ド・ビリーが指揮する新日本フィルということになれば、もう言うことはない、とさえ思った。鬱陶しい梅雨空の中をサントリー・ホールまで歩いて行くと、空はほのかに明るくなり、気分も良くなってきた。私はここのところ体調が悪く、毎週のように病院に通っているが、その鬱憤を晴らしたいという思いもあった。

売れ残った席のうちの最も安いB席を買い求め、LAというブロックにたどり着くと、そこは舞台後方の真横の席で、指揮者以外はみな横を向いている。そして二人のソリスト(ソプラノの高橋絵里とバリトンの与那城敬)は完全に向こうを向いている!まあそれでもサントリーホールはうまく反射板を組み合わせて補正してくれているようにも思うから、むしろ演奏家を間近で見られるこの席も、たまには悪くない、と思った。

会場は7割程度埋まっており、このような地味な曲目にしてはいい方だ。プログラムの前半は、ブラームスの「運命の歌」と「哀悼の歌」。いずれも10分余りの曲である。合唱は栗友会合唱団。 これらの2曲は、それぞれ古代ギリシャ、古代ローマにおける神話を元にした詩人(ヘルダリーンとシラー)の作品に拠っている。

ブラームスのこれらの曲(には34歳の作品である「ドイツ・レクイエム」も含まれる)は、いずれも交響曲第1番を作曲するよりも前に作曲されている。ブラームスの合唱曲は、いわば交響曲への過程の中に埋もれている。ブラームスの作品を交響曲からのみ体験すると、意外な落とし穴がここにあるように思う。とはいえ、これらの合唱曲は、何か同じような雰囲気の曲でもある。そして私は、眠くなることはなかったが、かといってこれらの曲を感動を持って楽しんだわけではなかった。音楽は私の耳に達し、そして通り抜けて行った。

どういうわけか、メイン・プログラムの「ドイツ・レクイエム」に至っても、さほど変わることはなかった。音楽の規模は大きくなり、ソリストも加わる。そしてオルガン!サントリー・ホールの、舞台真正面に設えられたパイプオルガンは、私の席から見ると左手にあり、手の動きまで良く見える。奏者の女性は指揮者をモニターで確認しながら、体を時に震わせながら、一生懸命何段にも及ぶ鍵盤とペダルを操る。一か所、オルガンが突如単独で鳴り響く箇所がある。そこを頂点として、この音楽はオルガンの底力のようなものが、目立たず、だがしっかりと低音を支えて行く。そして2台のハープもまた、時に印象的な雰囲気を醸し出す(特にコーダ)。

あと発見したこととしては、ソリストの登場シーンが意外に少ないことだ。だから一にも二にも合唱である。しかもア・カペラになるところはほとんどなく、ずっと合唱と器楽合奏が鳴り響く。「レクイエム」とはなっているが、一般的な「キリエ」だの「グローリア」だのといった典礼の決まりパターンではなく、ブラームス自身がテキストを並べて歌詞としている点がユニークである。

私は初めての経験となるブラームスの「ドイツ・レクイエム」の演奏に、飽きることはなかったが、感動することもなかった。それはなぜだろうか?ひとつだけ考えられることは、演奏の良し悪しが関係していると思われることだ。指揮者は無難にまとめているし、合唱はとても頑張っているのだが、オーケストラの響きがちょっと貧相な感じがしたのは、聞いた場所が悪かったのか、私の感性に問題があるのかはわからない。もっとも目立った間違いはなかったし、長い拍手も続いた。だが、このオーケストラを聞いていつも感じる音楽の技量に関する問題に、私はどうしても行き当ってしまうのである。

とは言え、「ドイツ・レクイエム」のような大作の実演に触れる機会は、もしかするともう二度とないかも知れない。そんな思いで、私は熱心に耳を傾けたつもりである。この経験が、録音された演奏を聞くきっかけになった。そして、カラヤンの名演奏を初めて聞く気持ちになった。そしてそこで得られる名状しがたい素晴らしさは、この実演とはまた別の音楽ではないかとさえ思わせるほどだった。このことは改めて書いてみたい。実演に勝る音楽はないのだが、録音された歴史的な名演奏には、やはり実演では得られない良さがあるのもまた事実である。けだしクラシックというのは難しい。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...