2017年5月25日木曜日

NHK交響楽団演奏会(2017年5月24日、NHKホール)

ダンテの「神曲」地獄篇を題材にした幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、チャイコフスキーがフランス滞在中に作曲した大規模な管弦楽曲である。あまり演奏されることはないがなかなか聞きごたえのある曲で、重く暗い和音を弦楽器が速いテンポで唸る中に、トリルを多用した木管楽器が浮き上がる。中間部ではチャイコフスキーらしいリリシズムも感じられ、ドラマチックな音楽はオペラ的題材ともなった物語を彷彿とさせる。もちろん、この音楽が音楽らしく聞こえるのは、優秀な演奏に接した時だけだろう。

NHK交響楽団はサントリー・ホール休館中の今年、「水曜夜のクラシック」と題した演奏会を従来のBプログラムの代わりに開催した。ロシアの巨匠ウラディーミル・フェドセーエフが2013年の初顔合わせ以来、早くも5度目となる登場となるのは、N響にとっても魅力ある指揮者だからなのだろう。私も何度かテレビで見て、一度は聞いてみたいと思っていた。そしてその時が来た。フェドセーエフは今年85歳だそうである。

もっとも私はかつて一度、フェドセーエフを聞いている。1993年4月、モスクワ放送交響楽団(現、チャイコフスキー交響楽団)を率いて来日した際に、渋谷のオーチャード・ホールでのコンサートに出かけたからだ。だがこの時は、ロシアの伝説的なピアニスト、タチアナ・ニコラーエワを聞くためであった。ニコラーエワはこの年の秋に急逝したので、最晩年の演奏だったことになる。ピアノ協奏曲を2曲、十分にテンポを落としてチャイコフスキーとベートーヴェンの「皇帝」を弾き切った。この時のフェドセーエフはひたすら彼女に寄り添い、丁寧で温かみのある伴奏に徹した。

だからフェドセーエフらしい演奏というのは、よくわからないままであった。レコードでは我が家に「悲愴」の録音があったので、まあ馴染みがなかったわかではない。けれどもそれほど際立った特徴が感じられたわけではなかった。この頃、フェドセーエフはまだ50代だった。

この日、技術的にも実力を増したN響と聞かせた5曲のロシア音楽は、最初から圧巻であった。まずショスタコーヴィッチ。「祝典序曲」という作品はロシアというよりもソビエトの音楽である。壮麗なファンファーレはモスクワ五輪の時にやたらと聞いた。全編華やかなこの曲を、きっちりと迫力満点でドライブしてゆく。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は、同じロシア人の長身ボリス・ベレゾフスキーを迎えた。この大柄なピアニストは、いかにもロシア風ヴィルティオーゾという風貌で、スピードのあるテクニカルな演奏をここぞとばかりに披露する。フェドセーエフはもう少しゆっくりと演奏したかったに違いない。もしかしたら聴衆も、より陰影に富んだ演奏を期待しただろう。だがベレゾフスキーのピアノは、ここ一番の聴きどころをせっかちに進めてしまう。第2楽章の後半で、オーケストラの木管ソロが活躍する場所にきて、ようやく落ち着いたかに思われた。だが第3楽章になると、ここはピアニストの独断場である。しかし私は、どちらかというと上手く合わせるオーケストラに聞き入った。

終わってみれば、まあこういう演奏も迫力満点の名演で、中学生なら歓喜を上げるだろう。しかし日本の聴衆は近年高齢化が著しく、しかも普段から非常に音楽に詳しい。技量だけの演奏はつまらない、と感じた人がいても不思議ではない。いずれにせよ終楽章の技術的完成度は非常に高く、そしてよほど気に入ったのか、コーダの部分を何とオーケストラ付きでアンコールしてしまうというオマケ付き。最初はどこか間違いでもしたのかと思ったが、おそらく普通のアンコールだったのだろうと思う。

リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」は私の大好きな曲で、今回もN響が、重厚感を持ちながらもリズミカルな演奏を繰り広げた。かつて私がテレビで見たサヴァリッシュの演奏を思い起こした。この曲は、もっと速い演奏が多い。けれどもフェドセーエフは、ひとつひとつのソロのパートまでもきっちりと指揮をする。いよいよオーケストラの本領発揮といった感じで最後のプログラム、チャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」に入る。

N響は完全にひとつの楽器と化し、チャイコフスキーの音が会場を満たした。この25分間は、完璧であった。何といったらいいのか、とても長く、そしてずっと心地の良い25分間であった。指揮者が振り返ると怒涛のような歓声が飛び交い、それは何度も繰り返された。指揮者もオーケストラも満足した様子であった。この日はNHK-FMで生中継されたらしい。そしてなんと、大歓声にこたえて太鼓を担当する団員が舞台に上がる。アンコールである。

私のN響コンサート経験史上、初めてのアンコールが始まった。アンコールはハチャトリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」から「レズギンカ舞曲」。オーケストラが揺れる。木管が高く楽器を振りかざし、チェロは全員が舞曲を踊るが如く。それにしてもすべてが大名演のポピュラー・コンサート。フェドセーエフはいつもロシア物ばかりをプログラムに並べて、お国ものだけで勝負する。聴衆もそれが目当てだから、十分である。で、N響も中低音が素晴らしく、ロシア音楽に相応しい音がするように思う。今回の演奏会では、チャイコフスキーの新しい魅力に触れたような気がした。

随分長い間、音楽を聞いていたように感じた。やはり実演のコンサートは楽しい。昼間の仕事のストレスから気分を変えるのが大変だった平日夜の演奏会も、気がつけば音楽の魅力に取りつかれ、それは眠りにつくまで続いた。仕事のことを思い出そうとしても、頭に心地よい残響が残って、思い出すことすらできない程であった。

2017年5月22日月曜日

NHK交響楽団第1860回定期公演(2017年5月14日、NHKホール)

ここまでスメタナの「わが祖国」を聞いてきたが、丁度いいタイミングで実演を聞く機会に恵まれた。NHK交響楽団の定期公演でこの曲が取り上げられたからだ。指揮者はドイツ系イスラエル人のピンカス・スタインバーグ。彼はボストン交響楽団の音楽監督を務めたウィリアム・スタインバーグの息子である。私は今から25年前の1992年9月、同じコンビのこの曲を聞いている。上京した年の秋のことだった。

そのピンカスは1945年生まれだから、今や70代。指揮者としては円熟した演奏を聞かせる年代ということになっている。25年前の記憶はほとんどないが、もう一つのプログラムで演奏されたホルストの「惑星」はかなりの名演だったと記憶している。どちらかと言えば職人肌の名指揮者というイメージだから、今回のコンサートにも期待が膨らんだ。N響の昨今の上手さは、管弦楽曲を贅沢に聞く楽しみに浸るに十分なレベルであると思う。売り切れを心配し、数日前にB席を確保したが、結局当日券はあったみたいだ。

私の席は1階席の前方向かって左側で、ヴァイオリンのセクションは全員後を向いているが、2台のハープ、トライアングルとシンバルが直接見える。指揮者の横顔もバッチリで、テレビなどで目に触れる角度である。そのハープに対し、キューを出したのかどうかわからなかったが、幅広い音階を絡み合いながら上下する美しい響きがこだましてコンサートは始まった。

スタインバーグの指揮する音楽は、すべての部分においてきっちりと練習され、唖然とするような瞬間こそ少ないものの、実直で風格のあるものだ。時折指揮者の唸り声が聞こえる「ヴィシェフラド」で一気にオーケストラを乗せてゆく。「モルダウ」の広がりを感じさせる有名なメロディーは、懐かしさを込めてたっぷりと歌い、まるで今日の陽気のように清々しい。一音一音が良くブレンドされ、1階席で聞くN響は音量も十分である。オーケストラがいわばひとつの楽器のように感じられる。それくらいきれいにまとまっている。

「シャールカ」では、同じようなフレーズも少しずつ聞こえ方が異なり、CDで聞くときとは集中力が違うのか、こちらも息を飲んで聞き惚れていたら、突如畳みかけるようなリズムで激しく一気にコーダに向けて突進した。ここの素晴らしさは今度テレビで放映されたとき、もう一度聞いてみたい。

休憩を挟んで「ボヘミアの森と草原より」の最初のフレーズが会場を満たした時、N響はやはりうまいなあ、と感心した。「ボヘミア紀行」とも言えるこの音楽は、もう楽しさの極みである。スメタナ特有のやや渋みがある響きで、これがチェコの音楽という感じなのか、N響の音にピッタリである。「ターボル」を経て「ブラーニク」に続く時、私はこの音楽が永遠に続いてほしいと思わずにはいられなかった。すべての音が有機的に交わり、技術は完璧である。ホルンもシンバルも、ここという時にはオーケストラの中から丁度いい塩梅で浮き出す。「ブラーニク」最初のオーボエを中心とした木管の絡み合いは、まさにこの演奏の白眉であった。

25年ぶりに聞くこのコンビでの「わが祖国」は圧倒的な感銘を持って私を襲った。どの音符もおろそかにしないで、少し余裕を持った水準を保ちつつも熱く、それでいて整っており、いわばプロフェッショナルないぶし銀の演奏だったと思う。素晴らしいサウンドを引き出したスタインバーグは、オーケストラからも温かい拍手を向けられ、会場の覚めやらぬ大歓声の中で満足気であった。と同時にもうこのコンビの演奏を聞くことはないかも知れない、とも。トライアングルを担当した女性団員が大きな花束を指揮者に手渡したときは、会場からより多くの拍手が送られた。

オーケストラを聞く醍醐味をまたしても味わうことが出来たN響の水準は、3月に行われたヨーロッパ公演でも十分証明されたようだ。5月号のプログラム「フィルハーモニー」には、各地の演奏報告と新聞評が掲載されている。もはやヨーロッパの一流レベルとなった我が国オーケストラを、聞き逃す手はない。次回の定期公演を指揮するフェドセーエフのロシア音楽に、私は早くも胸を躍らせている。

2017年5月18日木曜日

スメタナ:「わが祖国」より交響詩「ターボル」「ブラーニク」(エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団)

交響詩「ターボル」から「わが祖国」はいよいよ終盤に差し掛かる。「ターボル」と「ブラーニク」は同時に続いて作曲され初演された。音楽的にも関連性が高く、「ターボル」の最後のフレーズは「ブラーニク」の冒頭と同じで、そのまま引き継がれる。このため間をあけず、音楽をつなげて演奏する指揮者も多い。従ってここでも一緒に取り上げたいと思う。

私は先日「シャールカ」での恐ろしい神話を引用したが、この「ターボル」の第一印象はそれ以上に陰鬱で、おどろおどろしいものだった。重厚で迫力のある連音に続いてティンパニーが強烈に連打するシーンが何度も登場する。ところが実際にはこの音楽は、カトリックのチェコにおける宗派、フス派信徒たちを讃えるものだそうだ。いわばチェコにおける宗教改革のような運動からフス戦争に発展したことが、やがてはチェコ民族のアイデンティティーを高める結果となった。スメタナが最後に選んだのは、その フス戦争の舞台となった街ターボルと、フス派の戦士たちが眠る山ブラーニクであった。

フス戦争のモチーフである戦いのシーンは、「わが祖国」の中で最も激しく、音楽的な聞きどころに事欠かない。ここへ来て聴衆は、オーケストラに固唾をのんで聞き入るはずだ。初めてこの音楽を聞いたのは、クーベリックのチェコ復帰演奏会(「プラハの春」音楽祭)のライヴで、最初は乱れていたオーケストラも必死になってこのシーンを演奏していたのを良く覚えている。

特に最大の聞かせどころは「ブラーニク」の始めに登場するメランコリックなオーボエのソロだろう。何分も続くかのようなそのメロディーは、「新世界交響曲」の第2楽章にも似た懐かしいものだ。チェコ国民学派の魅力のひとつは、間違いなくこのような胸を締め付けるメロディーだ。

「ブラーニク」の中盤あたりからは終結部へと続く長い道のりに入る。戦勝を讃えるコーダのメロディーが静かに、だが確信に満ちて演奏され始めると、とうとうここまで来たかと思う。このチェコ賛美の音楽は、何度も繰り返されていくうちに大規模なものとなり、勇壮さと壮麗さを増してゆくと、「ヴィシェフラド(高い城)」などで使われたメロディーも回帰して合わさり、例えようもなく喜びに満ちた中で音楽が終わる。

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これまで取り上げた演奏を振り返ってみよう。私が所有している演奏は、①クーベリック指揮ボストン響による演奏、②レヴァイン指揮ウィーン・フィル、③アーノンクール指揮ウィーン・フィル、④コリン・デイヴィス指揮ロンドン響、それにここで取り上げた⑤インバル指揮フランクフルト放送響のものである。また手元には⑥クーベリックの指揮するプラハ・ライヴ(チェコ・フィル)もある。

この曲の熱心な聞き手は、往年の名盤であるアンチェル盤やターリッヒ盤、あるいはもう少し新しいノイマン盤などを称賛する。だがどういうわけか、私はこれらの演奏を聞いていない。ドヴォルジャークとスメタナになると突然、チェコ人による演奏のオンパレードとなり、最近ではビュログラーベクやコバケン(小林健一郎)による炎の演奏なども評価が高いようだが、いずれにせよこの曲は、チェコ・フィルやチェコ人指揮者の独断場のように見える。

確かにチェコの愛国心を高ぶらせる要素は大いにあるが、同時にこの曲は、純粋に管弦楽曲としての聴きどころが満載である。中音域の多い渋めの音色は、中欧でもドイツとはやや異なる色合いであり、リズム処理もハンガリーやポーランドとは異なる。トライアングルやシンバルがスラヴ系の舞曲を楽し気に表現するのも魅力的だ。

私の所有ディスクからレコ芸「名曲名盤300」風に10点を割り振るとすれば、一位がレヴァイン、インバル、クーベリック(ボストン響)でそれぞれ3点ずつ、それに許されるならデイヴィス盤に1点を献上するだろう。

2017年5月16日火曜日

スメタナ:「わが祖国」より交響詩「ボヘミアの森と草原から」(コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団)

「わが祖国」も後半に入り、いっそう充実した音楽的時間を過ごすことになる。私がもっとも好きな「ボヘミアの森と草原から」は、オーケストラの多くの楽器が和音を奏でる厚い響きの中に、明るい日差しも感じられるような出だしである。

この曲のテーマはタイトルそのもので、ただ音楽に浸っていればいい。その幸福感と楽しさは、まず夜明けのような静かな部分を経て、牧歌的なメロディーが、まずは木管楽器が、やがてホルン主体に、そして最後は弦楽器と次第に規模を大きくしながら繰り返される前半部分から感じることができる。さしずめ音楽による「ボヘミア紀行」という趣きだが、写真や絵画で見たことがあるものの、実際に行ったことがないので想像するしかない。

後半は祝祭的なポルカである。初めて聞いた時は何か不安な音楽かと思ったが、そのメロディーは次第に熱を帯びて軽快な雰囲気となり、最後には牧歌的メロディーと融合していく。テンポが時に変化したり、シンバルやトライアングルが鳴ったりといったスメタナ独特のオーケストレーションは、「わが祖国」の全交響詩に共通しているが、「高い城」と「モルダウ」で活躍したハープは、後半には使われていない。

朝もやの中を私は郡山を目指してドライブしていた。曇っていた田園風景に少し明るい陽光を感じた。カー・ステレオでアーノンクールの指揮するこの曲を聞いていた。その時の光景が心に残っている。だから、どういうわけか私がこの曲で思い出すのは、福島の山々である。後にここは、原発事故でほとんど過疎となってしまった。

アーノンクールの演奏は独特で、スピードも遅ければ印象的な部分の多くで聞き手の期待を裏切る。だからこの曲についてどうしても好きになれない。そこでいろいろ聞いてみたが、目下のところ、コリン・デイヴィスの演奏が熱っぽい演奏で気に入っている。デイヴィスはまた、アーノンクールとは異なる側面で聞き手の期待を下回るところがあるが、もしかするとその不足感が持ち味ではないかと思う。流されない音楽的情緒に魅力があるのだ。

例えばこの曲の場合、何やら賑やかになってきたなと思う。そして急にポルカに移ると、今度はめっぽう速い。重量はあって、時に力が聞き手を圧倒するが、そのような演奏で聞く牧歌がまたロマンチックであったりする。不思議なものだ。ただLSO Liveというレーベルから出ている一連の晩年のシリーズは、やや録音が悪い。これはホールの特性もあるのだろう。けれどもライヴ演奏の緊張感を伴ったパワーを感じることも事実である。ボヘミア的情緒に溺れないイギリス人の、構成力ある演奏で、手放してしまうのは結局躊躇してしまう。デイヴィスはこの頃、「プラハの春」音楽祭に客演しているので、定評のある演奏だったのだろう。

2017年5月15日月曜日

スメタナ:「わが祖国」より交響詩「シャールカ」(ジェイムズ・レヴァイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

「モルダウ」を過ぎると「わが祖国」はいよいよ、深くチェコの森に入ってゆく。最も有名な音楽が過ぎ去り、あとは退屈な音楽が続く、と思ってはならない。ここからが聴きどころの連続なのだ。「モルダウ」の有名なメロディーも、あとから振り返ってみれば、最初の方で聞いたかなあ、などと記憶の隅に追いやられることも多い。それくらいここからの音楽は、深い印象を残す。演奏家もそのあたり良く心得ていて、オーケストラが乗って来るのは、まさに「シャールカ」からである。

恐ろし気な出だしに始まるも、すぐに陽気な行進曲風のメロディーが始まり、やがてクラリネットの素敵なソロとかみ合うあたり、何か休日にピクニックに出かけるみたいだ。そうしているうちに、高速道路でも走っているような気分になる。これまでは序曲のようだった音楽も「シャールカ」からが本番、いよいよここからボヘミア旅行に出かけるのだ、と初めて聞いた時は思ったものだ。だがこの音楽は、そんなこととは対照的な音楽である。Wikipediaから引用しよう。シャールカとは、プラハの北東にある谷の名であり、またチェコの伝説に登場する勇女の名でもある。
シャールカは失恋によって受けた痛手を全ての男性に復讐することで晴らそうと考えた。ある日彼女は、自分の体を木に縛りつけ、苦しんでいるように芝居をする。そこにツティーラトの騎士たちが通りかかる。助けられたシャールカは、酒をふるまい、皆がすっかり酔い潰れて眠ったのを見はからうと、ホルンの合図で女性軍を呼び、騎士たちを皆殺しにする。
ホルンの合図で音楽は急展開、一気にプレストとなる。たたみかけるような音楽がクレッシェンドし、大音量とともに劇的に終わる。おそらく全曲中、最大の見せ場の一つは、ここの音楽である。それは上記のように、虐殺のシーンだった、というわけである。

スメタナが「わが祖国」を作曲した当時、チェコはオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあり、ドイツ語が話されていた。スメタナもチェコ語を習得し、それに基づいて民族派のオペラを書いているが、最初から堪能であったわけではないらしい。考えてみると、ウィーンの郊外を少し行くと、そこはもうチェコである。1980年代まで西側の国際都市だったウィーンのすぐ隣に、鉄のカーテンがあった。だがウィーンとプラハはもともと行き来が盛んだった。

モーツァルトは「ドン・ジョヴァンニ」をプラハの聴衆のために書き、ベートーヴェンもたびたびチェコを訪れている。だからウィーン・フィルがこの曲を得意げに演奏しても驚きはない。古くはクーベリックによる名演が残されているが、それからしばらくたって、このオーケストラで「わが祖国」全曲を録音したのは、アメリカ人ジェームズ・レヴァインだった。このことは少し意外だったが、このCDが発売されたとき、私は大阪・心斎橋のタワー・レコードでさっそく輸入盤を買った。

それから毎日のようにこの演奏のCDを聞き続けた。私が「わが祖国」ファンとなったのは、この演奏に出会ったからだ。1枚のCDとしてはぎりぎりの長さであり、それはすなわち「わが祖国」としてはかなり速い方の演奏である。特に「シャールカ」の後半では一気に、突進するかのような演奏に興奮する。全体を通して完成度は高く、この演奏は評判こそ芳しくなかったが、今もって名演であると思う。

レヴァインの音楽は、まるでオペラのようにドラマティックであり、その録音はワーグナーのように聞こえるから不思議である。ウィーン・フィルのふくよかな響きは、木管やホルンにおいて顕著だ。そしてウィーン・フィルによる「わが祖国」の録音は、2010年代に入ってリリースされた2枚組のアーノンクール盤まで待たねばならない。

2017年5月13日土曜日

スメタナ:「わが祖国」より交響詩「モルダウ」(フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

モルダウ(ヴルタヴァ)川はチェコとドイツの国境付近を源流とし、プラハ市内を流れ、エルベ川に合流して北海に注ぐチェコ最長の川である。有名なプラハのカレル橋もこの川に架かっている。プラハの街を訪れた人はみな、この光景を見てヨーロッパ一美しい街だった述懐する。私の大学時代の友人もそうであった。だが私はこの街に行ったことはない。

「ヴルタヴァ」と題された2番目の交響詩は、美しい2本のフルートの音色で始まる。ここが2つある源流を表現している、と中学生の時に習った。川は流域を抜けるに従い、川幅を増してくる。あの一度聞けば忘れられないメロディーは、この川の豊かな流れを表している(と思っていたが、実際には古い民謡の一節だそうで、イスラエルの国家と同じ起源と言われている)。川のそばでは村人たちが婚礼の儀式に踊り、 やがては月夜に照らされて妖精たちが舞る。

しかし水量を増した川はやがて激流となり、水しぶきを上げて下流へと下る。川はいよいよプラハ市内へと到達した。そこにそびえるのは、前作でのテーマになった高い城である。音楽はクライマックスを迎え、再びモルダウのテーマが高らかに鳴ると、弦楽器が音程を上下させながら次第に静かになり、コーダを迎える。

わずか10分余りの曲に凝縮されたボヘミアの川の風景は、私たちをひとときの空想旅行へと誘う。遅い演奏で聞けば、モルダウは滔々と流れる大河のようであり、フルトヴェングラーのモノラル録音など、まるで海に注ぐ黄海の河口のように広大である。歌うようなメロディーをとことん堪能する演奏もいいが、私が気に入っているフリッチャイの名演は、速くてしかもメリハリの効いた演奏である。ただ場面の転換に伴う表情の変化が素晴らしく(それはカップリングされている「新世界」交響曲でも際立っている)、違和感はないどころか、まるで観光用のビデオを見ているように完成度が高い。

「モルダウ」は単独で演奏されることも多く、カラヤンもこの曲だけは何度か取り上げている。カラヤンに「わが祖国」全曲録音があれば聞いてみたいと思っていたが、チェコの民族色が強いこの曲を、カラヤンがすべて取り上げることはなかったようだ。若くして亡くなったこのフリッチャイの演奏も「モルダウ」単独だが、 オーケストラはベルリン・フィルである。1960年の録音で、クライマックスで少し音が割れるのが残念だが、クリアーでバランスも良く、当時のアナログ盤としては出色のものである。

単独で演奏される「モルダウ」は、ゆったりと染み入るような演奏もいいが、「わが祖国」は実は「モルダウ」以降が聴きどころである。したがって、ここであまり構えすぎるのではなく、速く駆け抜けていくのが好きだ。かといって雑なのも困る。その点、レヴァインの演奏などは私のお気に入りである。レヴァインの演奏は次の「シャルカ」で取り上げようと思う。

2017年5月12日金曜日

スメタナ:「わが祖国」より交響詩「ヴェシェフラド(高い城)」(ラファエル・クーベリック指揮ボストン交響楽団)

今日5月12日はスメタナの命日である。毎年この日、「プラハの春」音楽祭が開幕する。その初日を飾るのが代表作「わが祖国」ということになっている。この演奏は専らチェコ・フィルによってなされると思っていたのだが、近年の国際化の流れを受けているのだろうか、調べてみると今年(2017年)はダニエル・バレンボイムがウィーン・フィルを指揮することになっている。

「わが祖国」は6つの交響詩からなる80分程度の曲である。その音楽はチェコの様々な情景や民謡などが織り込まれた一大絵巻ともいえるもので、チェコ国民学派の記念碑のような作品である。そのうち最も有名なのが第2曲「モルダウ」で、私も中学生の時に学校で聞いた。この時に同級生がこの音楽をあまりに気に入ったため、当時クラシック音楽に少し詳しかった私に、レコードは持っていないのかと聞いてきた。私の家には「モルダウ」のレコードがなかったが、ある日FM放送でNHK交響楽団の演奏が流れることがわかり、私はそれを録音して友人に聞かせた。ヴァーツラフ・ノイマンの演奏を聞いて友人は、「本当にいい曲だなあ」と感激して言ったのを覚えている。

「わが祖国」を聞いていくにあたり、どの演奏がいいか考えた。丁度手元に6種類のCDがあり、この曲も6つの交響詩から成り立っている。どの演奏も捨て難い。いろいろ考えた挙句、いっそ各交響詩毎に1つの演奏を取りげてみたいと思う。私なりにその演奏で聞くとすれば、どの部分(交響詩)が相応しいか、いろいろ考えた結果である。この作業は発見の多い、楽しい作業であった。6つの交響詩は別々に初演されており、単独で演奏されることも多い、という理由もある。

スメタナはスウェーデンのエーテボリ赴任の頃、リストの影響を受けたとされる。交響詩の特徴は、形式にとらわれないことである。このため自由な感覚で絵画的な情景などを音楽にする「わが祖国」には、まさに相応しい形式だと考えたのだろう。いずれの作品もチェコの風景や伝説などを題材にしている。チェコを訪れたことはないが、音楽を聞きながら風景を想像する。それがまた私の聞き方である。

さて、最初の交響詩は「ヴィシェフラド」という。「高い城」と訳されているが、実際にヴルタヴァ(モルダウ)川湖畔にヴィシェフラド城は残されているらしい。プラハ郊外にあるその城は、ボヘミアの国王の居城であったそうだ。スメタナやドヴォルジャークの墓もあるという。

曲は印象的なハープのメロディーで始まる。ここでハープは2台必要とされる。このハープのメロディーだけで、いろいろな表現の演奏があることに気付く。いずれにせよこのメロディーは、「わが祖国」全体を貫く主題の一つで、管楽器に引き継がれた後は、オーケストラにより壮大に演奏される。「わが祖国」全体の序曲のような感じで、これを作曲した時には、すでに最後の方まで構想に入っていたのではないか、とさえ思わせる。スメタナはベートーヴェンがそうであったように、次第に聴力を失っていく。「わが祖国」はそのような病気の進行とともに書かれた。スメタナは次第に祖国への愛情を曲にしていくことに専念する。

まだ始まりの曲なので、最初は煮え切らない演奏も多い。特に実演で聞く場合には、この曲を含め「モルダウ」あたりまでは、オーケストラの調子が出ないこともしばしばだ。有名なクーベリックのプラハ復帰公演(ライヴ)でも、その傾向がある。だが同じクーベリックでも、ボストン交響楽団を指揮したこのスタジオ録音では、冒頭から完全試合である。したがってこのCDでは「ヴィシェフラド」のもっとも素晴らしい演奏のひとつに出会うことが出来る。クーベリックの残した「わが祖国」の演奏は数多く、それらをすべて聞いているような強者もいるようだが、私が持っているのはこれ一枚である(あとほとんどCDを所有しない妻が、なぜか「プラハの春」復帰時の演奏を収めたCDを持っている)。

このハープのテーマ(吟遊詩人の奏でるボヘミアの栄枯盛衰の物語)が、初めて弦楽器によって演奏される時の感覚は、クーベリックの演奏で聞いてハッとさせられた。やがて曲は力強く、そして速くなっていくが、適度に揺れて流れるような感覚は、まるで遊覧飛行にでも出たかのよう。長い「わが祖国」のテーマ音楽が高らかに示されると、音楽は再び静かになる。丁寧な木管のアンサンブルが、消えていくように流れ、再びハープとホルンによる主題が回帰し、これらが弦楽器とともに再びクレッシェンドを築き、やがて幻想的な部分を経ながら音楽は静かに終わる。かつて栄華を誇った城も、幾たびかの戦いに敗れ、今では廃墟と化してしまった。「兵どもが夢の後」というわけである。いい演奏で聞くと、もう長い時間を過ごしたような感覚に囚われる。だが、音楽はまだ始まったばかりである。

2017年5月7日日曜日

ドヴォルジャーク:スラヴ舞曲集(ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団)

毎日心地よい陽気の続く今年の大型連休は、大きな外出もなくのんびりしている。朝晩に近くを散歩することが多い私は、携帯音楽プレーヤーにいくつかの演奏をコピーしてある。今日はどういうわけか久しぶりに、ドヴォルジャークの「スラヴ舞曲」を聞きたくなった。この曲は、全16曲がすべて親しみやすい名曲で、当然のことながら人気も高い。演奏会では、アンコールなどでチェコ系の指揮者がよく取り上げている。通して聞くことは滅多にないが、CDで買えば、基本的に全曲が1枚のディスクに納まる形で聞くことができる。

私が最初にこの曲に触れたのは、ジョージ・セルが指揮するクリーヴランド管弦楽団のLPレコードに、そのアンコールのように入れられていた第10番と第3番からである。このLPレコードは大阪万博の年、大阪国際フェスティヴァルのために来日したこのコンビの1970年の公演と同じ、ドヴォルジャークの第8交響曲と一緒に収録されてもので、EMIからリリースされたこともあって、いつになく奥行きと残響のある、しっとりとした演奏であった。

セルはこの来日の直後に急逝し、そのことがこのレコードの評価を一段と確固たるものにした。公演を聞いた評論家が、セルという指揮者を再評価し始めたのもこの頃である。私はこの年、大阪万博の会場近くに住んでいたが、まだ小さな子供であった。だからこのLPに出会うのは、さらに10年後のことである。ここで初めて第8交響曲というのを聞いたし、スラヴ舞曲の忘れ得ぬ名演を何度も繰り返し聞いたものだ。この他にもセルのスラヴ舞曲集は売られていたが、上記の理由から特にこの2曲については、すべての演奏中、最も素晴らしいものの一つであると、今でも思う。

スラヴ舞曲をすべて聞いたみたいと思っていた頃、丁度NHK交響楽団の演奏会がFMで中継され、私はそれをエアチェックした。カセットに収録した演奏は、チェコの指揮者、ヴァーツラフ・ノイマンが客演した際のもので、後年CDでも発売された名演である。私は録音の悪いテープを何度も聞きながら、ほとんどの曲のメロディーを覚えてしまった。中学生の頃である。

CDとして全曲盤を買うことにしたのは、それからさらに10年以上が経過した頃である。ドイツ・グラモフォンのガレリア・シリーズで、クーベリックの指揮する名盤が安く手に入ることがわかった。クーベリックのスラヴ舞曲を収録したCDは数多いが、その中でも決定的とされるバイエルン放送交響楽団を指揮したものである。録音は1974年。

さて、スラヴとは主に東ヨーロッパからロシアにかけて住む民族の総称で、その音楽は国民学派の時代、西洋音楽に取り込まれた。丁度、ブラームスのハンガリー舞曲が流行した頃、ドヴォルジャークは同様な舞曲集を作曲する。最初はピアノ連弾曲であることも、全8曲から成る2つの作品というのも同じだ。ハンガリーはマジャール人の国で、いわばアジア系である。それに対し、チェコの民族音楽をふんだんに取り入れたスラヴ舞曲は、少し異なる味わいを持つ。いずれもオーケストラ曲に編曲され、今ではその演奏の方が主流となっている。

速い部分と遅い部分が交互に組み合わせられているのも共通だが、速い部分ではテンポの揺れがハンガリー舞曲ほど急ではないく、祝祭的である。一方遅い部分では独特の憂愁を帯びたメロディーが、時に聞き手の心に懐かしく響く。私はスラヴ舞曲の方を聞くことの方が多い。躍動感と牧歌の組合せは、管弦楽の聞かせどころ満載で、オーケストラを聞く喜びを味わうことができる。

曲が素敵なので、基本的にどの演奏で聞いても楽しめる。従って時間が許せば、可能な限りの演奏を聞いてみたいと思う。クーベリック盤は、ドヴォルジャーク第1人者としての風格が感じられる演奏で、オーケストラのバランスといい、テンポの素晴らしさと言い、何も言うことはない。この演奏を聞いていると、どこか東欧の村でお祭りに出くわしたかのような気持ちがしてくる。

一方、クーベリックの演奏を聞いてからさらに10年後、私は素晴らしい録音のドホナーニによるデッカ盤を購入した。この演奏はセルが指揮していたクリーヴランド管弦楽団を振ったもので、クーベリック盤にない魅力がある。ドライブに持っていくならドホナーニ盤にするだろう。このCDはさほど人気がないが、民族性が出過ぎない丁寧なスラヴ舞曲の中では、私のお気に入りである。

すべての曲が魅力的なので、どこがどうという記述はしたくないし、そうしたところで同じような文章になってしまう。特に言えば、作品46が派手な曲が多いのに比べ、作品72の方が音楽的にはより抒情的である。


【収録曲】
1.スラヴ舞曲集作品46
    ①第1番ハ長調
    ②第2番ホ短調
    ③第3番変イ長調
    ④第4番ヘ長調
    ⑤第5番イ長調
    ⑥第6番ニ長調
    ⑦第7番ハ短調
    ⑧第8番ト短調
2.スラヴ舞曲集作品72
    ⑨第1(9)番ロ長調
    ⑩第2(10)番ホ短調
    ⑪第3(11)番ヘ長調
    ⑫第4(12)番変ニ長調
    ⑬第5(13)番変ロ短調
    ⑭第6(14)番変ロ長調
    ⑮第7(15)番ハ長調
    ⑯第8(16)番変イ長調

2017年5月4日木曜日

ハイドン:十字架上のキリストの最後の7つの言葉(Vn: ギドン・クレーメル他)

10分程度のアダージョを7曲(序奏を合わせると8曲)も連続して聞かせる「字架上のキリストの最後の7つの言葉」という作品は、作曲者自身、相当苦労して作り出したようで、ハイドンは後年「決して容易なことではなかった」と述べている。これは司祭が説教をする合間に、オーケストラが音楽を演奏するというクライアント側の明確な仕様を満たすためであった。だが出来上がってみるとこの作品は、瞬く間にヨーロッパ中で演奏されるようになった。ハイドンは愛着を持って、この作品を弦楽四重奏曲に、そしてオラトリオにと編曲した。

この作品を私は当初、長ったらしくて辛気臭く、とても聞くに耐えない曲だと考えていた。ところがムーティの演奏を聞き続けているうちに、この曲の深い味わいに浸ることになっていった。もう何回も聞いている。通常私はこのブログを書き終えると、しばらくそこで取り上げた曲からは遠ざかることにしている。他に書きたい曲が、まだ山のようにあるからだ。だがこの曲だけは違っていた。悲しみに打ちひしがれたような曲が、延々と1時間も続くと言うのに。

そして、とうとう弦楽四重奏版を聞いてみたいと思った。私はあまり室内楽を聞かないが、この曲がどういう風に編曲されているぼか、ハイドン好きとしては聞いてみたくなったのである。が、アマゾンで検索しても、あまり録音は多くないようだった。有名なカルテットでもこの曲を録音しているのはほとんどない。あるいはすでに廃盤となっているか。仕方がないので中古屋をあたると、そこに何とクレーメルがヴァイオリンを弾き、他に3人のソリストを加えた四重奏団による録音に出会った。フィリップスから発売されているので、列記としたメジャー録音である。もう一人のヴァイオリンは、カトリン・ラブス、ヴィオラにジェラール・コセ、チェロは岩崎洸。日本語のライナー・ノーツには「クレーメル四重奏団」と書かれているが、当時まだクレーメルはソビエトの演奏家で、出身もバラバラなこの4人は時折集まって演奏をしていたようだ。

弦楽四重奏曲は、二人の弦楽器だけで演奏される。これはオーケストラからすべての管楽器、打楽器、それにコントラバスを除き、しかも各パート一人による編成となる。すべての管弦楽曲は、あらゆる贅肉をそぎ落とし、いわば骨と皮だけの、まるでウィスキーの原液を飲むようなエッセンスのみの音楽である。弦楽四重奏曲が大規模な曲に編曲されることも多いし、逆に、管弦楽曲を弦楽四重奏曲に編曲されることも多いが、「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」は後者である。

弦楽四重奏曲となることでフルートやホルンのパートはなくなり、地味で退屈な旋律を延々と聞くことになるのだろうか、という事前の予想を裏切って、ここでもまたハイドンの、シンプルだが深い印象を残す旋律に引き込まれていった。正直な感想としては、音楽は意外に軽やかである。編成が最小限であることにより、音楽の持つ本来の美しさが際立つ。ここでいう美しさとは、装飾的なものではない。何の衒いもなく、しかも気品を保ちながら流れ出る旋律は、言ってみれば「ハイドン・マジック」とでもいうべき奇跡的なことで、それがここでも十二分に感じ取れる。

序奏は5分程度。すでに痛々しい悲しみが表現される。これに続き第1のソナタから始まる「7つの言葉」は、しばらく親しみやすいメロディーが続く。第1のソナタは3拍子である。これに対し第2のソナタは「グラーヴェ(非常にゆっくりと)」で、切々と重々しい。悲しみがこれでもか、これでもかと襲ってくる。「カンタービレ」でもあるので、歌うようなメロディー。そして第3のソナタも「グラーヴェ」。このあたりに来て、もうちょっとどうにかしてくれ、という感じになる。

第4のソナタはラルゴ。音楽の速度記号は、
  • ラルゴ < アダージョ/グラーヴェ <  レント < アダジエット
という感じだから、まあこのあたりに来たら覚悟を決めて、聞き続けるしかない。どうあがいても速い曲はやってこないのだから。演奏会でなければ、このあたりで一服。残りは別の機会に、という聞き方も可能である。でも、どういうわけか聞き続けてしまうことが多い。

ここでハイドンは音楽に緩やかな変化をつけることをやめなかった。第5のソナタでは、ピチカートが印象を残す。ここで聞き手は気を取り直し、これはこれでいい曲だなあ、と思う。そう思ったところで結構な大きさのメロディーが切り裂くように響く。速度は遅くてもドラマティックである。

第6、第7のソナタはいずれもラルゴだが、ここはやや現代的というか複雑というか、つまりは音楽が深みを増す。第6のソナタは口ずさめるが、第7のソナタになると長調に転じ、少し明るい感じもするが、ここは終わりが近いと思って、このまま終曲になだれ込むしかない。余韻を残すかのようにピチカートで終わるあたりが憎い。

第7のソナタが終わるや否や、「地震」となる。ここで音楽は一気にプレスト(急速に)となる。キリストの死とともに大地は裂け、揺らぐ。数分の短い曲だが、何か一気に解放された感じがする。

音楽というのは怖いもので、時に人の心をゆさぶる。複雑に入り組んだストレスの多い現代人にとって、最後にたどり着くのはマーラーの晩年の曲かと思っていたが、意外にもハイドンのこのような曲が、実は「癒し」を与えてくれるような気がする。何を聞いてよいかわからないような時に、気持ちを慰めてくれるという意味である。

こうなったら次はオラトリオ版である。先の中古CD屋でオラトリオ盤も衝動買いしてしまったし。今年のゴールデン・ウィークはどこへも出かけず、音楽を聞く時間に費やしたいと考えている。

2017年5月3日水曜日

マーラー:交響曲第7番ホ短調(リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)

マーラーの交響曲の中でもっとも人気がなく、とっつきにくいとされている交響曲第7番について、素人である私が何かきちんとしたことが書くことができるとは思えない。そこで以下に個人的な3つのエピソードを書くことから始めようと思う。

(1)中学生時代、短波放送を聞くことを趣味としていた私は、外国の放送の聞いては放送局に報告書を書き、そのお礼に受信確認証というものをもらうということを趣味にしていた。米国からの放送には日本語放送がなく、英語放送を聞く必要があった。フィリピン中継のVOA(アメリカの声)放送は、日本でも大変良く受信できたが、私を苦しめたのは、放送内容がほとんどわからなかったということである。私は音楽番組なら何とかわかると考え、特にクラシック音楽は、比較的良く知っているので曲名もすぐにわかるだろうと考えた。

当時VOAには、確か土曜日にクラシック音楽を放送する番組があって、ある日私はその番組を聞くことができた(インターネットもない時代、何という番組がいつ放送されているかは、ほとんどわからないので、これは根気のいる作業だった)。オーケストラの長い曲が延々小一時間に亘って放送されただけのその番組は、時折深いフェージング(伝播障害)を伴い、音が大きくなったり小さくなったりする上に、雑音や混信による影響も受けるという短波放送特有の障害を伴うもので、辛抱をしながらも何とか。聞いたこともない大規模な曲を聴き終えた。さて何という曲なのか?

音楽が騒々しく終わって、アナウンサーが曲のタイトルを話した。「The Song of the Night」と言ったのは、私の英語力でも聞き取れた。マーラーの交響曲第7番「夜の歌」であった。演奏はアナウンスされたと思うがわからない。兎に角その内容で私は手紙をワシントンへ送った。「夜の歌」などというニックネームとは違い、随分やかましい曲に聞こえたのは、受信状態が悪かったからではない。だがそのような短波放送でも、マーラーは放送されるのだと思った。

(2)2度目の長い入院生活を終えたのは、真夏の暑い日であった。私は久しぶりに我が家のソファに腰を下ろし、自分がどこにいるのかわからないような不思議な感覚にとらわれていた。生きている、という実感も湧かない。これが6年前の時なら、喜んで踊りだしたくなるような気持だったのに。

6年前の退院時に聞こうとして取り出したCDは、軽快なウィンナ・ワルツだった。あふれる喜びとリラックスした気分にウィンナ・ワルツほど似合う曲はない、と思ったのた。だが2回目はそうではなかった。遭難した登山客が救助された時のように、まるで生きた心地のしない複雑な気持ちで、私は何か音楽でも聞いて気持ちを紛らわせようとした。いろいろ迷った挙句、その時に取り出したCDが、どういうわけかほとんど聞いたことのないマーラーの交響曲第7番だった。

喜びのあふれる気持ちのはずが、到底ゆっくり落ち着くこともできず、気持ちは落ち込んだり舞い上がったり、常に何かに煽られ、同時に邪魔をされているような気持ちだった。生きていることを実感するには時間を要した。だが長い時間をかけて、ただこの音楽に耳を傾けていた私の心は、次第に落ち着きを取り戻していった。マーラーの交響曲がこのような効果を発揮するとは思っていなかった。それ以来、私はマーラーが好きになり、そしてこの第7番が少しわかったような気がした。

(3)都会に住む現代人の生活は多忙で、精神的にもストレスが高い。少しでも自分の時間を取り戻そうと、少ない機会をとらえては携帯音楽プレーヤーなどで音楽を聴いている。私はモーツァルトやシューベルト、あるいはワーグナーでさえも持ち歩き、朝夕の通勤電車などでそれらを再生している。ところがイヤホンの外側では、けたたましい発車の電子音とともに怒鳴り声にも似た駅のアナウンスが鳴り響く。特に新宿駅の山手線ホームなどは最悪である。折角の音楽がこれでは台無しである。駅を離れて店に入ると、スターバックスのようなカフェでさえも、希望していないのに何らかのポップスがイヤホンの向こうから聞こえてくる。スーパーマーケットでも同様だ。もういい加減にしてくれ、と叫びたくなったその瞬間、私はもしかするとこれこそマーラーではないか?と思ったのだ。

あるメロディーを聞いていたら、それを遮り、打ち消すように違う音楽が聞こえ、それはあるときは雑音のようであり、また別の時には美しい別の音楽であったりする。音楽が関係なく交じり合い、聞く側の異なる感情も入り乱れ、さらにそれに合わせて心情も複雑に変化する。そうだ。マーラーの音楽は現代人の感覚そのものだったのだ。まだテレビもラジオもない時代、よくこのような音楽が書けたものだ、とある時私は感動した。その象徴的な曲は、もしかすると第7交響曲ではないか。

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交響曲第7番は第6番の完成後、間をおかずして書かれた。だから私も第6番に続けてこの交響曲を聞いている。私の感想からすれば、この第7番は第6番はもとより、第5番より親しみやすい曲である。音楽が楽しげでわかりやすいとさえ思う。マーラーの絶頂期に書かれたというだけでなく、この曲はハッピー・エンドなのである。ただそこはマーラー流の「苦悩から歓喜へ」という構造になる。スケルツォを挟んで緩徐楽章(夜の歌)が第2楽章、第4楽章におかれ、さらに両端の楽章がアレグロとなる。多くの打楽器が登場するのは第6番と同様だが、この曲は古典的様式をかなり逸脱しており、調性の乱れも甚だしい。一応ホ短調ということにはなっているが。

第1楽章は大河ドラマの主題曲のようである。各楽器のメロディーとその重なりを追っているだけであっという間に過ぎてしまう。これは第2楽章に入ってもかわらない。「ナハトムジーク」となっているので、夜の散歩の時に聞いているが、朝に聞いてもいい。第3楽章スケルツォもやはり楽器の特徴が随所に発揮される。3拍子の変化に富んだリズムも、サスペンス映画の途中で流れるような感じで、違和感などないどころか興奮する。

これに対し第4楽章は再びアンダンテの「ナハトムジーク」。ある時私はこの曲を聴きながら、仕事帰りの山手線で眠ってしまった。列車の走行音の後で、ずっと同じメロディーが鳴っていたように思った。管楽器が活躍し、さらにはギターやマンドリンまで登場する。イヤホンで聞くと、これらの多彩な楽器が余すところなく堪能できる。耳にこびりつく何とも不思議なセレナーデ。

終楽章は20分程度の曲だが、軽快な音楽で始まる。音楽を聴いて踊り出したくなるように嬉しくなるのは、マーラーの曲では珍しい。これを素直に喜ぶべきか、それとも強烈な皮肉が込められているのか、よくわからない。だが、私にとってそんなことはどうでもいい。時に商店街の大売り出しのようであったり、テレビ番組の主題歌のようでもあり、ハチャメチャというか支離滅裂というか、お祭り騒ぎの中に、どこか醒めている自分がいる。他の交響曲にあるような大宇宙を思わせる空間的広がりや、大爆発的感動をマーラーらしさというなら、この曲にそれを期待することはできない。だが私は、前半を精緻な演奏で、後半はさらにヴィルティオーゾなオーケストラで聞くこの曲も楽しいし、好きである。コーダの部分では、第6番でも登場したカウベルをはじめとするあらゆる楽器が登場し、ガチャガチャと鳴りながら、祝祭的とも言えるような雰囲気の中で騒々しく、そして華々しく曲が終わる。

リッカルド・シャイ―は、主兵のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、デッカとしてはショルティ以来となる素晴らしいマーラー全集を録音したが、私はこの第7番こそはシャイ―に相応しい曲であるように思う。こんなに複雑な曲なのに、洗練された流れるような音楽が耳を捉えて離さない。ムード音楽のようでさえある。オーケストラが抜群に上手いが、それをさりげなくやってしまう。だが私は実際のことろ、他の演奏をあまり知らない。結構好きな曲になったので、手当たり次第に聞いてみたいと思う。いやコンサートがあれば、できれば前の方で聞いてみたい。なぜなら実演で聞いたのは、デイヴィッド・ジンマンがNHK交響楽団を指揮した時に、広いNHKホールの3階席で聞いた、ただ1回きりなのだから。

なお、この2枚組CDの最初には、オランダ人作曲家アルフォンス・ディーベンブロックの「大いなる沈黙の中で」という珍しい曲が収められている。バリトンの独唱(ここではホーカン・ハーゲゴード)が混じり、ワーグナーとマーラーを足したようないい曲である。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...