2014年1月28日火曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15(P:アンドラーシュ・シフ、ベルナルト・ハイティンク指揮シュターツカペレ・ドレスデン)

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番ハ長調は、第2番の後に作曲された最初の本格的なピアノ協奏曲と言われている。確かにその規模は、それまでにないものだ。もう少し後の第3番以降の作品に比べれば、まだまだこじんまりとしているが、それでもなお、他の作品にない魅力がいっぱい詰まっている、私も大好きな曲である。

若々しくて明朗な作品は、ベートーヴェンの陽気な部分が鮮やかに現れたもので、伸びやかな旋律はこの曲がハ長調で書かれていることもあってとても好ましい。初めて聞いてもメロディーが印象に残るだろうと思う。明快なソナタ形式の第1楽章の終わりにカデンツァが置かれているが、このカデンツァではベートーヴェン自身のものが使われることが多い。しかもそれは5分以上もあるかと思われる長大なもので、それだけでピアノ・ソナタ一楽章分の長さを誇る。最大の聞きどころといっていいこのカデンッアについては、また別に書こうと思う。

第2楽章のラルゴは、初春の陽光が降り注ぐ昼下がりのように、仰ぎ見ながら深呼吸したくなるような喜びを感じるのは私だけだろうか。ここの音楽をたっぷりと、瑞々しくもロマンチックな演奏(かつては多かった)でもいいけれど、最近のテンポ早めの流れるような演奏が、今の私のお気に入りである。若いということはいいと思う。ベートーヴェンのウィーンでの活躍は、ピアノの名手としてであった。1795年のこの曲の初演では、師のサリエリが指揮をしたと記録されている。

数多あるこの曲の録音のうち、私がこれまで聞いてきたものだけで何種類もあるが、ここでは目下の一番好きな演奏を挙げておこうと思う。それはアンドラーシュ・シフがピアノを弾き、ベルナルト・ハイティンクが指揮をした1996年のテルデック盤である。この演奏は全集としても発売され、どの曲もすこぶるいい。ハイティンクの溌剌とした指揮が大変好ましく、結構早めのテンポだが、シュターツカペレ・ドレスデンの響きに一定の重みがあり、快活さとシフの明晰なタッチにうまくブレンドされて、この上なく上質の音楽に仕上がっている。何か特に意味ありげな演奏というのではなく、あくまでストレートに音楽を聞く楽しみを味わわせてくれる、吟醸酒のような名演だと思う。

2014年1月27日月曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19(P:クリスチャン・ツィメルマン、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番の次に、作曲順で第1番のことを書こうと思いいろいろな演奏を聞いているが、どういうわけかカップリングされることの多い第2番にもまだ未練があるのか、いい演奏を再発見するともう少し書いてみたくなった。この曲は一般に言われているよりもはるかに充実した曲である。モーツァルトでもなくハイドンでもない、紛れも無いベートーヴェンの音楽が、その他の曲ほど大袈裟ではなく、もう少しさらっとした感じで味わうことができる。そのことがまた、いいと思う。

私がこの曲のCDを初めて聞いたのは、アルゲリッチがピアノを弾き、シノーポリが伴奏をつとめた演奏でであった。丁度発売された時だった。この演奏は今でも個性的な名盤だと思っているが、その後自分のコレクションに加えるにあたって選んだのは、クリスチャン・ツィメルマンによるものであった。ツィメルマンはベートーヴェンのピアノ協奏曲を、レナード・バーンスタイン指揮によるウィーン・フィルの伴奏で全曲録画・録音を進行中で、残すところあと第1番と第2番となったところだった。ところがバーンスタインは1990年に亡くなってしまう。全集が未完に終ったと思われた矢先、ツィメルマン自身がピアノと指揮をする形でこの演奏がなされ、ついにリリースされたのである。

だが、ツィメルマンの弾き振りとなった初期作品の1枚は、バーンスタインのバックによる演奏とは趣きを異にし、やや小規模ながら精緻で、しかもバランスのいい演奏だった。ピアノの美しさは言うまでもなく、ショパン・コンクールの覇者らしくタッチは綺麗で、ウィーン・フィルの音色と見事に融合して、当時のデジタル録音の中では出色の出来栄えであると思われた。瑞々しい感性は、古い演奏とはひと味違い、かといって過激な部分はまったくない。テンポも遅くはないが、早すぎるわけでもない。

ツィメルマンは完璧主義者ではないかと思うのだが、そのおかげで一度録音した曲を再録音することは稀なようだ。コレクターから見ても好感が持てるし、(彼の録音するCDは、どれもそうだが)このベートーヴェンも大変完成度が高い。

このツィメルマンの演奏を久しぶりに聞いてみて、第1番よりも第2番に惹かれたのは意外だった。当時私はまだ第1番しかよく知らず、第2番は付け足しのように思っていた。それで第2番の方を聞くことはあまりなかったように思う。でもCDとして長い間ラックに眠っていた甲斐があって、今回ブログに何か書こうと思って聞き直したところ、この第2番の演奏の素晴らしさに気づいた、という次第である。特に第2楽章の、管弦楽と融け合うところの、少しテンポを落としてロマンチックに歌う部分は、もうこの曲が古典派の域を脱しつつあるとさえ思わせるものがある。

ベートーヴェンが越えるべき対象であると考えたであろうモーツァルトは、全27曲のピアノ協奏曲で、考えもつかないほどの感性の深みに到達している。ベートーヴェンはその後を継いで、ピアノ協奏曲をより大規模な、交響曲に匹敵するようなジャンルへと押し上げた。その最初の作品は、習作というレベルをはるかに超えている。この曲が作曲者自身によってウィーンで初演されたのは、作曲家自身のデビューを飾る演奏会でであった。1795年のことである。それはまだ交響曲の第1番が作曲されるよりも5年も早く、ベートーヴェンがまだ25歳の時であった。

2014年1月25日土曜日

サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団演奏会(2014年1月24日、文京シビックホール)

少年の頃の想像は、あとになっても色褪せないものだ。それどころか、現実以上のものが存在するのではと半ば確信に満ちたように追い求めてしまう。思えば子供の頃の私は、目の前で本物の楽器を持った人たちが、音楽を奏でるというそのことだけで、放心したように感動したものだ。その音楽がモーツァルトであれシュトラウスであれ、また今から思えばとうてい上手だとは思えないような演奏・・・初めて接するホンモノのハーモニーには、比較するものがなかった。

かつてムラヴィンスキーという大指揮者がいて、ソビエトのレニングラードのオーケストラを指揮する演奏は、鉄のカーテンを突き破って轟音を響かせていた。科学的合理主義が生み出した一つの極限とも言うべき演奏は、まるで戦車が行くがごとく強烈で、しかも一糸乱れることはなかった。レコードやラジオを通して、それらの音楽は私を身震いさせるに十分だった。

そのレニングラード・フィルの実演に接することは、ソビエトの崩壊に至るまで遂にできなかった。名称がサンクト・ペテルブルク・フィルと変わってしばらくした頃、1996年のニューヨークで、私は初めてユーリ・テミルカーノフによる演奏に接することができた。カーネギー・ホールにこだましたのはマーラーの交響曲第1番「巨人」で、技術的に衰えが顕著などと言われた前評判を覆す大名演だった。オーケストラの上手さもさることながら、テミルカーノフという指揮者に興味を持った。いい指揮者だと思ったのである。

そういう経験があったので、インフルエンザが猛威をふるう東京で、キャンセルされた会社行事の時間の穴埋めにと、「ぶらあぼ」の検索サイトでこの演奏会を見つけた時は、迷わずチケットを買うことに決めたのだった。結構席も余っており、そして世界一流のオーケストラの演奏会にしては安い。文京区の新しいホールでの演奏会は、あまり宣伝されていなかったのだろうと思い、とはいえ当日にチケットが売り切れてはどうしようかと、内心心配であった。

会社の友人を誘って出かけた会場は、しかしながら、空席が目立った。マーラーの交響曲第2番「復活」という曲は、100人を越える大編成のオーケストラに、2人の独唱、合唱団、さらには舞台裏にまで楽隊を配する空前の規模の作品であり、その演奏がたとえどのようなものであっても感動に至らないわけではないだろうと、勝手に想像を膨らませ、朝から頭にメロディーが浮かんでは消えない。早い話が仕事にならないのだった。

だが演奏が始まると、その遅いテンポに加え、緊張感を失ったオーケストラが時に音を外すに至っては、ここに足を運んだことに大いに悔やんだ。練習不足という以前に、オーケストラの技量がついていないのだ。これでは我が国の二流のオーケストラのレベルである。しかも75歳のテミルカーノフは悠然と指揮をするだけで、辛うじて最低限の緊張は保っているものの、音楽的な表現とはほど遠いものだったのである。これがあのサンクト・ペテルブルク・フィルなのかと耳を疑った。

私の「復活」経験で、名演でなかったことがない。それだから一層、悔やまれた。誘った友人にも申し訳ないし、第一、この演奏について私は何をブログに書けばいいのだろう?第1楽章の何度かのトゥッティも、第2楽章の天国のように美しいはずのハーモニーも、第3楽章の印象的な民謡風メロディーも、生気を失い、濁った音がただ鳴り響く。こんな遅い演奏が最後まで続くのは、許されないとさえ思ったものだ。

だがそのような演奏も、第4楽章になってアルトの坂本朱が登場すると、変化が訪れた。厳かに歌い出す坂本に絡み合うオーボエのソロが、それまでになく丁寧に、音楽を始めたのである。この瞬間がこの演奏の転機をもたらした。オーケストラが「そろそろ本気でやろうか」と思ったかどうかはわからないが、このような光景は我が国でも年末の「第九」でしばしば見られる現象である。

第3楽章からは続けて演奏されるので、ソプラノの森麻季は、舞台袖から演奏中にゆっくりと登場し、合唱団は(最初は座ったまま歌っていたが)三々五々起立していく様子などは、効果的な印象を与えることになった。そして舞台裏のバンダが大変素晴らしく(もしかすると舞台上よりも)、さらに二期会合唱団の素晴らしい歌声に触発されて、オーケストラは少なくともその持っている力のレベルにおいて、最善を尽くさざるを得なくなった。

前半の楽章がすこぶる緊張感に満ちたものであっても、後半になって息切れするような演奏もある中で、今回の演奏はあくまで後半、それも第5楽章にこそ全ての力が注がれたと言って良いだろう。この第5楽章は何度聞いてもどこまで聞いたかがわからなくなるのだが、今回ほど、一生懸命聞いた演奏はなかった。テンポは相変わらずロシア的風格を呈していたが、それでも調子が上向いてくると、観客も手に汗を握って聞き入ったことだろう。

総じて曲の素晴らしさの前には、演奏自体の評価を云々することがあまり意味を持たないことを今回の演奏ほどわからせてくれるものはなかった。徐々に音楽が高揚していくと、私はやはりかつてそうであったように、何百人もの人が一斉に音を出し、客席が物音一つ立てず聞き入る、その時間を経験しているだけで、感動的であった。できればこの瞬間が過ぎ去って欲しくないと思った。だが、空間をハーモニーが満たし、それが消え去る時、満場のブラボーが飛び交う結果になったことを私は心から喜んだ。楽団が退場しても2度も指揮台に戻されたテミルカーノフは、いつもの変わらぬ笑顔で手を振っていた。

マーラーの交響曲第2番「復活」のCDを、私はここのところアバドの演奏で聞いていた。アバドの訃報が飛び込み、私もまた久しぶりに「復活」の実演に行きたいと思っていた矢先のことだった。だからこの演奏会に出会ったのは、偶然とはいえ運命的だった。そしてその演奏も(前半はどうなることかとハラハラしたが)、終わってみると拍手の嵐が会場を覆うことになった。終わり良ければすべて良し。興奮を覚ますために、私と友人は東京ドーム近くのバーで遅くまで飲みながら、緩んだ真冬の夜風にあたっていた。

2014年1月21日火曜日

マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」(クラウディオ・アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団、他)

昨日1月20日クラウディオ・アバドが死亡した。突然の訃報に言葉を失い、またひとつの世代が過ぎ去りつつあるように感じられた。私のアバドとの出会いは中学生時代、LPによるロッシーニの序曲集と、モーツァルトの「ジュピター」交響曲であった。村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」の冒頭に、そのアバドの演奏で歌劇「どろぼうかささぎ」序曲を聞くシーンが出てくるのを読んで、ニヤっとした覚えがある。

だが私のアバド実演体験はただの1回しかない。1992年1月、ベルリン・フィルの音楽監督になった時の大阪公演でブラームスを聞いた時だけだ。この時のベルリン・フィルの演奏は、私にとっても初めてのベルリン・フィルだったが、さほど印象的ではない。確かにこの時期のベルリン・フィルの演奏は、東西ドイツが統一される頃の演奏で、カラヤン後の一種の停滞期にあったように思う。けれどもベルリンにおけるアバドの活躍は、その後に大変充実したものとなり、ラトルの時代になってその花が開いた。

アバドの演奏は「ベルリン以前」のロンドン交響楽団、シカゴ交響楽団、ヨーロッパ室内管弦楽団、あるいはミラノ・スカラ座での活躍など枚挙に暇がない。一方、「ベルリン後」にもモーツァルト管弦楽団やマーラー室内管弦楽団などとの名演の数々が多く残されていることに嬉しさを禁じ得ない。もちろんウィーン・フィルとはブルックナーやベートーヴェンの交響曲録音を残している。

今夜はそのアバドの追悼盤として何を聞こうかと考えたところ、このCDを置いて他にはないというものが私のCDラックにもあった。2003年にルツェルン祝祭管弦楽団を組織して演奏したマーラーのライブ録音である。アバドがこの交響曲第2番を録音したのは、シカゴ、ウィーンに次いで3回目である(カップリングはドビュッシーの「海」)。そしてこの3回目の「復活」は、彼自身の新時代を祝う新しい演奏でもあった。この演奏には他の演奏にはない思いが込められ、それを録音から感じ取ることができる。この時期のアバドは、まだ病からの復帰途上にあったが、音楽をする喜び(というよりは感謝の気持ち)に溢れている。

2003年当時から今日に至るまで、私もまた大変な闘病の中にある。だからアバドの指揮台への復活は、私にとってもこの上ない喜びであった。ベルリン・フィルとイタリアへ里帰りし、ビデオ収録したベートーヴェン交響曲全集は、私にとっての宝物である(「ブランデンブルク協奏曲」も!)。

第3楽章から始まる後半の演奏部分(CDでは2枚目)では、大いなる感銘とともに、特別な熱気と高揚を感じることができる。特に最終楽章におけるアバドの、献身的とも言えるような自然さの中に、圧倒的な感動が沸き上がってくる様子は喩えようがない。最終楽章こそがこの演奏の白眉である。アバドがこの最終楽章(40分もある!)に最大の重心を置き、それに向かって前半の楽章を構成したことは明らかである。特に終盤は音楽を聞く喜びに涙さえ禁じ得ない。

マーラーはこの交響曲で、ベートーヴェンの「第九」に勝るような作品を書いた。舞台外にも楽隊を配置し、2人の独唱(ここではソプラノのエテリ・グヴァザヴァと、メゾ・ソプラノのアンナ・ラーション)に合唱団(同様にオルフェオン・ドノスティアラ合唱団)を加えている。1時間を越える作品は常に感動的で、この曲がコンサートで取り上げられる時は必ず聞きに行く人も多い。

私もこの曲に関しては、数々の思い出があるが、今日はそのことを横において、アバドの演奏に耳を傾けている。この演奏におけるルツェルン祝祭管弦楽団は、かつてバウムガルトナーが率いていた頃のローカルなオーケストラとは異なり、第1級のオーケストラ・メンバーがヨーロッパ各地から駆けつけた、比類ないものになっている。だがそのことがまさにアバドの魅力を物語っている。アバドほど多くのオーケストラから慕われた指揮者もいないのではないか、と思うからだ。

アバドはこの演奏の頃から、本当に音楽を心から楽しんで演奏しているような感じであった。真面目にヴェルディやロッシーニの埋もれた作品に挑んだ若きホープとしての初期から、晩年の円熟期に至るまで、アバドの演奏は常に時代の中心にいた。多くの同年代の指揮者の中にあって、アバドは常に一歩先を行き、新しい境地を示していた。優等生の演奏はしばしば生真面目だと言われた。だが彼の音楽を愛する者は、それこそが最高の褒め言葉であると信じていた。享年80歳。全曲を聴き終わってから、もう一度第2楽章が聞きたくなった。

2014年1月18日土曜日

シューベルト:劇音楽「ロザムンデ」D797(カール・ミュンヒンガー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ほか)

「ロザムンデ」という名の曲は弦楽四重奏曲(第13番イ短調D840の第2楽章)にもあるが、オリジナルはこの劇付随音楽「キプロスの王女ロザムンデ」の間奏曲第3番である(とされている)。憂愁を帯びたメロディーはシューベルト自身のお気に入りだったようだ。さらに他の曲でも使われている。

私が最初にこのメロディーを聞いたのは、「4つの即興曲」変ロ長調D953の第3曲である。一度聞いたら忘れられないメロディーは、シューベルトらしさが十全に出たもので、一見簡単なのだが不思議なパワーを持っている。何故かわからないのだが、懐かしさが込み上げてくる。丁度中学生の頃、毎日歩いていた街並みなどを思い出す。

シューベルトはこの劇付随音楽をかなり大急ぎで作曲したようだ。よく知られているように、序曲は他の作品からの転用である。だが今ではこの序曲を「ロザムンデ」序曲として演奏される。初めてサヴァリッシュの指揮で聞いた時は、何か出来損ないの散漫な曲だと思ったものだ。だが何度か聞くうちに(いつもシューベルトではそうなのだが)、だんだん曲が耳に馴染んできて、いつのまにか虜になってしまう。序曲の序奏からして、こんなにきれいな音楽だったのか、とさえ思う。こうなったら、全曲を聞いてみたい。

序曲といくつかの曲を抜粋で録音したディスクは多いが、全曲を録音したCDは少ない。その中で私は、カール・ミュンヒンガーの指揮したウィーン・フィルによる名演奏の録音を中古屋で発見し、即座に買い求めた。1974年のデッカによる録音はリマスターによって色褪せてはいない。アルト独唱はロハンギス・ヤシュメ、合唱はウィーン国立歌劇場合唱団である。

第1幕への前奏曲と続くバレエ音楽は、ともに同じメロディーで始まるが、バレエの方が木管楽器が活躍し美しい。ただシューベルトはいつもそうなのだが、続けて聞いても冗長に感じない。そして第2幕への前奏曲を経ると、いよいよ「ロマンツェ」となり深々とした歌が始まる。そしてさらに合唱が登場する「亡霊の合唱」。

あの「ロザムンデ」のメロディーはそのあとの「間奏曲」である。ここのメロディーの美しさを何と例えたらいいのだろうか。何か特にあるものの印象を残すわけではないのが不思議で、いわば極めつけの心象風景である。単純なメロディーなのに、無性に悲しい。7分以上もあるこの曲を、丁寧に心を込めてウィーン・フィルが演奏している。

音楽は「羊飼いのメロディー」、「羊飼いの合唱」、さらに「狩人の合唱」、「バレエ」へと続く。何かウェーバーあたりの歌劇を聞いているようだ。シューベルトが特に嫌いでもない限り、全曲盤を聞く価値はあると思う。お正月明けの寒い冬の朝、この曲を聞きながら出勤するのがここのところの日課である。このブログを書いてしまったら、別の曲に切り替える予定だが、なかなかそれが残念な気持ちにさえなっている。

全曲を収録したディスクにはこの他に、クラウディオ・アバドによるもの(ヨーロッパ室内管弦楽団)や、ウィリー・ボスコフスキーによるもの(シュターツカペレ・ドレスデン)などがある。このミュンヒンガー盤では、ウェーバーの劇音楽「プレチョーザ」序曲、シューマンの歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲がカップリングされている。

2014年1月11日土曜日

ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」(The MET Live in HD Series 2013-2014)

ヴェルディ・イヤーを締めくくる作品は何と言っても「ファルスタッフ」だ。ヴェルディが80歳にして作曲した作品は、「レコード芸術」誌2013年10月号の特集記事「10倍返しの男」(岸純信・著)によれば、①「宿敵ニコライの人気作『ウィンザーの陽気な女房たち』に一矢報い」、②「ロッシーニの魂を蒼ざめさせた」上で、③幕切れのフーガで「対位法はお手の物さ」と宣言した。「ナブッコ」から半世紀を経て彼は、「積年の恨みを晴ら」し、「執念深さを創作意欲に変える姿勢」が完成した。

奇跡とも言える作品の指揮をしたのは、これまた奇跡的にMETの舞台に2年ぶりのカムバックを果たした音楽監督ジェームズ・レヴァインである。彼は専用の車椅子に腰掛けて、ほとんど座りっぱなしでこの2時間余の曲を精力的に指揮した。総裁のピーター・ゲルブ氏はレヴァインのカムバックを誰にも信じられなかったと紹介している。第一「本人にも信じられなかった」からだそうだ。

レヴァインの指揮が全く衰えを見せないどころか、このオーケストラとの長年に亘る関係の上にしか構築できない円熟の音楽によって、ヴェルディの音楽が息を吹き返し、見ているものを興奮させた。ニューヨーク・タイムズの記事によれば、この「ファルスタッフ」に匹敵する舞台は「ブロードウェイにも多くはない」と絶賛している。

さらに本上演の呼び物のひとつは、この作品の演出が55年ぶりに新しくなったことだろう。しかもその役を担ったのは、私がパリ・オペラ座の「ホフマン物語」で惚れ込んだロバート・カーセンであった。この天才演出家がどのような舞台を作るかは、私の見逃せないポイントだったが、何とそれは50年代のアメリカの台所という、丸で古い映画が飛び出してきたような(と案内役のルネ・フレミングは言っていた)舞台の、細々と並べられた小道具のひとつひとつにまでこだわった見事なもので、次々と変わる舞台の裏側をお得意のカメラワークで迫る。

ゲルブ総裁とレヴァイン、それにカーセンの三者の対談が、この幕間のインタビュー最大の見どころであった。登場人物の素晴らしい演技によって、まったく自然な感じに演技が推移するが、これは綿密に計算され、練習に次ぐ練習によって成し遂げられたものである。カーセン氏が言うようにこの舞台は、何にもまして人間味を謳ったものに仕上がっている。そこでは各登場人物が、何と生き生きとしていることか!

まず主役のファルスタッフは、世界中でこの役をこなし(200回以上も)、昨年のスカラ座公演でも日本に話題を振りまいたアンブロージョ・マエストリであった。まるでファルスタッフがそのままいるかのような圧倒的な存在感は、それだけで見るものを圧倒するし、インタビューで垣間見られたようなイタリア人そのままの気質が、彼の演技を唯一無二なものにしている。文句のつけようがないばかりか、この人のファルスタッフを見てしまうと他の人の演技が想像できないし、できたとしても見劣りがするだろう。

ファルスタッフが恋文を送る2人の夫人、アリーチェ・フォードはアンジェラ・ミード、メグはジェニファー・ジョンソン・キャーノである。このうち、良く歌う方のアンジェラ・ミードと、仕返し劇を企むクイックリー夫人を演じたステファニー・ブライスが登場すると、それだけで舞台は狭く感じられる。何せ巨漢揃いの舞台の上で、九重唱などといったシーンが連続するのだから。だがそういった容姿を含めて、何せ見応えのある舞台である。

このような太っちょの方々の間で独自の恋愛劇を繰り広げるアリーチェの娘ナンネッタ役のリゼット・オロペーサと、その相手役のフェントンを演じるパオロ・ファナーテも、逆に存在感があった。若い役はこの2人だけで、「フィガロの結婚」におけるケルビーノのように、何とも初々しい。一方、うだつの上がらないフォード氏はフランコ・ヴァッサッロという歌手で、そういえば第2幕で衣装を変えてガーター亭へとやってくるシーンでは、客席の笑いを買っていた。

衣装の変更の見事さもこの舞台では特筆されるし、台所に置かれたトランジスタ・ラジオのようなものにまで音楽と一体感のある演出の素晴らしさも記憶に残るが、第3幕ではそれまでの舞台が一転、何か幾何学的なものとなる。私は今回、初めて東劇ではなく、六本木のTOHOシネマズで見たが、土曜日の朝の都心は人も少なく、広い館内には5%程度しか客がいない。私はいつものように嬉しくなって赤ワインなどをちびりちびりとやっていたら、たちまち睡魔が襲ってきた。

それで第3幕の後半は、よく覚えていない。涙が出るほど感動的だった舞台も、気が付くとフーガのシーンになっていた。見逃したかと後悔しかけたが、考えてみればこれほどお正月に見るのに相応しい作品もないだろう。昨年12月14日の舞台は、年末に歌舞伎座でも上演されたようだが、私は年があらたまって最初に見たオペラとなった。気分よくうとうとしていた耳元に、「世の中はすべて冗談。理性だってあやふや。」と歌う歌手の声がこだましていた。

2014年1月7日火曜日

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲ヘ短調「冬」RV297(Vn:アラン・ラヴディ、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ)


冷たい雪の中で凍えて震え、
激しい風が吹きすさぶ中を、
絶え間なく足を踏みしめて進む。
あまりの寒さに歯も噛み合わない。

火のかたわらで満ち足りた静かな日々を過ごす。
外では雨が降りしきっている。

倒れないように気をつけながら、
氷の上をゆっくりと進む。

強く足を踏み出すと滑ってころぶが、
また氷の上を走り、強く走ると今度は、
氷に割れ目ができて穴が開く。

閉ざした扉から外に出ると、
南風や北風、そしてあらゆる風が戦っている。
これが冬。だがこれもまた、
冬の喜びをもたらしてくれるのだ。


「四季」の中の「冬」は演奏によってずいぶん表情を変える。だがどのような演奏でも第2楽章の美しいメロディーは、一度聞いたら忘れられない。通奏低音がよく聞こえる演奏もあるし、そのうちの多くがチェンバロによるものだ。だがオルガンによるものもある。私の愛聴するマリナー盤では、暖炉のそばにいるような暖かさでオルガンを聞かせてくれる。

星の数ほどある「四季」の演奏の中で、数々の荒波にも耐え、私がいまだに最高の出来栄えだと思う演奏が、このネヴィル・マリナーによる1969年の録音だ。デッカの録音も古さを感じさせない。「春」の最初から素敵だが、ここでは「冬」に登場してもらった。この演奏は古楽器奏法だの、バロックだのと何もこだわらなくても、いい演奏はいいのだ、と思わせてくれる。とても気持ちがいい。

第1楽章の凍りつくような寒さと、第3楽章の冬の嵐。けれどもそれらはやはり、イタリアの「冬」なのだろうか。ヴァイオリンの響きは明るくて、爽快である。だから「これもまた冬の楽しみ」と言われると妙に嬉しい。厳しいだけの冬はここにはない。

2014年1月1日水曜日

謹賀新年

年頭にあたり新年のご挨拶を申し上げます。

平成26年(2014年) 元旦


お正月は恒例のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで始まりました。今年の指揮はダニエル・バレンボイムの第2回目でした。第1回目は5年前ですが、このとき私は暗い病院の一室でひとり見ていたことを思うと感慨深いものがあります。演奏は想像するほど悪いものではありませんでしたし、大好きな「ウィーンの森の物語」は特に素晴らしかったと思います。

今年も好きな音楽を中心に、手当たり次第に書いて行きたいと思います。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...