2012年11月26日月曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第7回目(1984年3月)②


早朝の長岡駅には4時台に到着したのではないかと思う。「トンネルを抜けると雪国であった」というあの上越線を、私たちの列車は通り抜けた。三国峠を越え、2つものループを通るのも夢の中であった。だが長岡駅につくとそこは雪の中だった。3月の新潟は、当時はまだ深い雪に覆われていた。

長岡駅は開通したばかりの上越新幹線のホームも併設されていて、新しく立派な駅だった。東三条で弥彦線に乗り換え、燕三条の駅が真っ白な雪の田んぼの真中に忽然と姿を表した時には、びっくりした。このような田園の真ん中にそぐわない巨大な駅がそびえていたのである。しかし弥彦線は短いローカル線だった。対照的な短い駅を過ぎると、弥彦駅に到着した。弥彦山への参拝客のための駅だった。特徴的な駅舎の前で写真を取ると、今度は越後線で柏崎へと向かう列車の乗り込んだ。

越後線の列車は大変混雑していて、私も睡魔に襲われたので何も覚えてはいない。雪深い線を静かに走っていた。外は寒いがディーゼル車の中は大変暑かった。

3月の新潟へは2回目の鉄道旅行で訪れているが、その時もかなりの雪の中だった。当時はまだ暖冬の冬が続く90年台以降とは違っていた。特に長岡周辺は豪雪地帯で、何メートルもの雪に閉ざされるのが普通だった。列車はよく遅れなかったと思う。直江津で関西から来た列車とすれ違った。特急列車は雪で真白だった。

北陸本線は日本海岸を走って行った。夜行の特急列車が朝になると普通列車となる区間があった。寝台にもなる特急車両に追加料金無しで乗ることができるので、私たちは嬉しかった。雪で覆われた小さな駅の向こうに日本海が見えた。寒々とした光景は今でもよく覚えている。トンネルの中にも駅があった。とにかく黒部までの区間は険しい山の連続だった。親不知という名前の名所も、断崖絶壁を塗って走る区間を超えたところにあった。

富山での乗り換え時間はわずかで、今度は高山本線の乗客となった。高山までの区間、富山県と岐阜県との県境を神通川に沿って登るこの区間ほど、ローカルな区間はない。神岡線といった今では配線となった線もこのあたりである。何メートルもの雪に閉ざされる区間を、ディーゼルはゆっくりと静かに走っていた。





高山を過ぎると勾配を下る線路から雪が消えた。まだ寒いが、冬を越した山間の田畑は、春を静かに待っているように思えた。陽が傾く頃、カタコトと走る列車の音に合わせて私たちはその日何度目かの睡眠に入った。春の太平洋と冬の日本海を行ったり来たりする2日間は、このようにして過ぎていった。ただここから大阪へはまだ、何時間も乗り継がなくてはならなかった。

2012年11月25日日曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第7回目(1984年3月)①

大学受験を1年後に控えた春休み、友人のU君が東京へ行きたいと行った。漫画やアニメの類を好む彼は、私の趣味とは相容れなかったが、同じクラスで楽しく付き合っていた。彼は神田の古本屋をめぐってお目当ての漫画を手に入れたいと言うのである。ただ2人に共通していることはお金がないことである。そこで私はある提案をした。

大阪から一日かけて東京まで鈍行列車で行く。夕方には東京に到着するので、それから夜行列車の出る深夜近くまでを古本屋巡りに費やす。その後上野駅を出発する夜行普通列車長岡行きに乗り、高崎線、上越線を経由して早朝の長岡駅に到着。そのあとは私の鉄道旅行に付き合って弥彦駅を訪れ、そのあと北陸本線で富山へ。最後に高山本線を乗り通して岐阜から大阪へ帰る。わずか2日とは言え結構な行程で、電車にほとんど乗りっぱなしである。

この旅行に、いつものN君を誘い、U君は友人のO君を誘った。計4名のうち、鉄道旅行派は2人である。残りの2人が果たしてこの強行日程に耐えられるかは不明である。けれどもこれから1年間は受験勉強一色の生活になることを思うと、何かのんびりと旅行しておくのも悪くははいと思ったのであろう、全員が早朝の大阪駅中央コンコースに集合した。

いつものように東海道本線を米原まで行き、乗り継いて大垣に行く。ここでわずかな時間を利用して朝ごはんを買い込み、浜松行きの快速列車の中で食べる。この列車は割合快適で、しかも必ず座れるから、それからは昼寝の時間である。それでも豊橋駅を過ぎる辺りで目が冷め、浜名湖を眺めながら静岡県を横断する。浜松からは比較的混雑しているが、沼津または熱海からは東京行きの16両編成の最後尾にゆったりと座り、夕暮れの東海道線を一路上って行く。

私はこの東海道本線の上京ルートが好きであった。変化に富んだ車窓風景と、徐々に東京へ近づいていく気分で、いつも高揚していた。3月の快晴の一日は、肌寒いものの日差しも強く、浜名湖を渡るときは車窓を開けたく成るようなポカポカ陽気であったし、安倍川、大井川、富士川と渡る鉄橋は、いつもちょっとした気分だった。まだ新幹線も特急こだまも走っていなかった頃、同じ程度の長さの時間をかけて数多くの急行列車が走っていたことだろう。その都度、これらの車窓風景が乗客を楽しませたに違いない。

富士山を右手に見える三保の松原付近の景色が私は好きだ。駿河湾の向こうに晴れていれば大変きれいに見ることが出来る。しばらくすると今度は左手に移り、富士川を越え、しばらく富士山が見てている。新幹線だと20分くらいで通り過ぎるこの区間を、1時間程度かけてゆっくりと進んでいく。

沼津で列車を乗り換え、丹那トンネルを抜けると熱海である。それから小田原までの区間は、東海道本線のクライマックスである。湯河原あたりでは眼下に太平洋が見え、青くて大変美しい。谷底に民家が見え、山にはみかん畑が広がる。トンネルを抜け、鉄橋を渡り、小田原に到着する。それから横浜までの湘南の駅に止まるたびに、人が少しずつ乗ってきていよいよ東京が近づいてくるのがわかる。川崎を過ぎると列車もかなりスピードを上げる。平日でも上りなら、せいぜいが満席である。ネオンサインが夕闇に映えてくる頃、列車は品川駅に到着する。

私たちは確か二手に別れて、数時間の東京見物を楽しんだ。私はU君と古本屋街へ出かけるため、神田駅で降りた。ところがそこには古本屋の一軒もない。どうしてかと調べていると、神田というのはこのあたり一体を表すようで、古本屋街は神保町へ行かねばならない。私たちは水道橋まで行き、そこからさらに白山通りを歩いて神保町まで行った。

当時の神田はまだ活気があった。古本屋も数多くが営業中で、今とは比べ物にならないほどの活気だった。専門的な書店が多く、どの店も大阪にはないこだわりの店構えに思えた。私は興奮してその一軒一軒を少しずつ訪ねていった。U君のお目当ての本は、いくつかの専門的な店で聞いてみたが、置かれていなかった。いまなら秋葉原へ直行するところである。

それからどのようにして上野駅に行ったかは覚えていない。夕食もどこかの蕎麦屋のようなところで食べたはずである。4人は各駅停車の長岡行き夜行に乗るため、深夜の上野駅に集合した。酔っぱらいだらけの高崎線ホームで、私たちはボックス席を専有して座った。だがこの列車は間もなく満員になった。そればかりか最終列車にはかなりの酔っ払い客が乗っていた。かれらはささいんばことでわめき、そして車内で喧嘩が起こった。男気のある人がかれらをなだめて次の駅に下ろすまでは、車内に緊張が走った。だがこのような光景は1度や2度ではなかった。東京の郊外へ行く列車は、何と毎晩過酷なものかと、その時思った。列車はそのような週末のサラリーマンの悲哀を乗せながら、深夜の高崎線を走っていた。

2012年11月24日土曜日

プッチーニ:歌劇「トスカ」(2012年11月23日、新国立劇場)

ワーグナーを含む数多くのオペラ作品に接するにつれて、私はプッチーニの音楽にも親しみを抱くようになっていた。丁度その時、新国立劇場で歌劇「トスカ」の上演があることを知った。パンフレットには第1幕の聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会と思われる舞台が掲載されていて、目を見張った。この装置が舞台一面に広がったらどれほど素晴らしいかと思った。それで私は17回目となる結婚記念日に妻をさそってチケットを買い求めた。その席の値段は、他の演目よりも高く、さらに私のこれまでのコンサートでも1,2位を争うほどに高額だった。

歌劇「トスカ」などは、年中いつもどこかで上演されているようだし、いまさら何をという気持ちがしないでもない。私が最初に実演で見たオペラも「トスカ」だったし、そのことは前にも述べた。それでも私はこのオペラのすべてを味わい尽くしているかといえば、それには程遠い。所有する唯一のCDであるモンセラット・カバリエの歌うコリン・デイヴィスの録音だって、何回か聞いた程度にすぎない。

でもやはりオペラは実演に接するに越したことはない、と今回改めて思うのに数分とかからなかった。指揮者の沼尻竜典が棒を振り下ろすと、ピットの東京フィルハーモニー交響楽団は、ほぼ完璧といえるような音楽を奏ではじめた。脇の2階席の最前列で見ていると、オーケストラも良く見えるし、舞台にも近い。幕があいた瞬間、その豪華な教会の内部に見とれたが、光の加減によって様々な場面を形成する。新国立劇場の照明はいつも大変印象的だ。

ライト・モティーフというような音楽用語も、「トスカ」を参考にするとわかりやすい。スカルピアのテーマで幕が開き、トスカのテーマが流れると、これから始まる物語の予感がして感極まる。「歌に生き、恋に生き」のさわりのメロディーが、カヴァラドッシとの愛情のシーンに重なって、うっとりさせる。トスカはここで青い衣装で登場し、一頭映えていた。

少年たちが出てきてテ・デウムの練習をし始めた時に、いよいよスカルピアの登場である。その印象的な部分で照明が一気に明るくなる。そしてしばらくすると舞台が動き、何と教会の内部が広がって大変豪華なシーンとなった。そのすばらしさを見るだけで、この上演を見る価値があるだろう。わずか数分の最終シーンは、音楽がクライマックスになることもあって、前半最大の見所であった。オーケストラも大変上手い。

興奮気味に第1幕がおわり、25分の休憩の後、第2幕となった。この第2幕はスカルピアのオフィスが舞台で、舞台としてはさほどでもないが、奥と左右に扉があって、拷問のシーンは向って左、人が出入りするのは奥、そして窓をあけて外の音楽が聞こえてくるのは右手となっている。一挙手一投足に音楽が付けられての丁々発止のやりとりは、このオペラ最大の見所だろう。CDで聞いていただけではわからないドラマとしての音楽が、ここで十全に示される。ドラマにあわせるように舞台奥からトスカの歌声が重なって聞こえてくるあたりは、プッチーニの音楽の最高のものではないだろうか。

スカルピアは窓から舞台外へ消えて、舞台にトスカだけが残るのは、アリアを歌うための演出である。ノルマ・ファンティーニの素晴らしい歌声は、ここで最高潮に達し、その力強くも宿命的な哀れさを持った声は、マリア・カラスを思い出させる。満場の拍手は一度収まりかけて再び盛り返し、天井桟敷からは多くのブラーバの声が鳴り響いた(前回の上演でのこのシーンの模様が、YouTubeにアップされている)。

トスカが引き立つのはスカルピアが素晴らしいからでもある。韓国のバリトン歌手センヒョン・コーは、小柄ながらも憎い警視総監の役をこなし、同行した妻によれば「これほど憎いものはない」という演技であった。もしかすると小ささゆえのコンプレックスが、スカルピアを悪者にしたのではと思わせるようなところがあった。

再び25分の休憩をはさみ、最終幕は夜空に城壁内部と銅像がそびえ、そうかここがあのサンタンジェロ城の内部かと思いを新たにすると、何と舞台が動いて牢屋が全面に出現し、カヴァラドッシ役のサイモン・オニールは「星も光りぬ」を心をこめて歌った。そのメロディーへと流れていく第3幕の冒頭の音楽は、何と美しいのだろうと思った。そしてそこへトスカがやってくるシーンは、ワーグナー顔負けのドラマチックな抱擁シーンである。プッチーニはおそらく意識して真似たのではないか。

夜が明けようとしている城壁で、射殺刑のシーンになると再び舞台が動いて牢屋が消え、城壁の内部(屋上)へと戻った。トスカは迫り来る兵士の前で後方に飛び降り、舞台は幕となった。

全体にほぼ完璧なオーケストラと指揮、3拍子揃った歌手と豪華で見応えのある舞台装置、照明と衣装の演出(イタリア人のアントネッロ・マダウ=ディアツ)も大変素晴らしく、満席の客からは惜しみない拍手が送られた。カーテンコールは4度、5度と繰り返され、鳴り止まぬ拍手をあとに紅潮した聴衆が雨上がりの寒い街へと消えていった。新国立劇場の「トスカ」は単なる客寄せの芝居ではなく、大変充実した世界的レベルの上演であったと言うべきだろう。だから何度も繰り返され、そして高額のチケットも売れるのだろう。

5回の公演の最終回を見た。マチネが終わるともうすでに真っ暗で、私たちはタクシーで渋谷へと出向いた。新婚旅行で出掛けたポルトガルの料理で舌鼓を打ち、 ワインで程よく酔いかけた頭に、あの甘美なメロディーがしばらく鳴り響いていた。

2012年11月17日土曜日

アダン:バレエ音楽「ジゼル」

毎年クリスマスが近づくシーズンになると、ゆったりとバレエ音楽が聞きたくなる。「くるみ割り人形」がその定番で、世界中のバレエ劇場では年末の数週間は、着飾った親子が赤いカーペットの劇場へ家族と鑑賞に出かける姿が思い浮かぶ。クラシック音楽が好きな私でも、ほとんどバレエを見ることはないが、「くるみ割り人形」だけは実演で接した唯一のバレエである。

「くるみ割り人形」のような、いわゆる古典的なバレエには他にも数多くの作品があるが、そのようななかでも最も古い代表的なものがアダンの「ジゼル」である。「ジゼル」はバレエ音楽としては有名な曲であるにもかかわらず、録音はそう多くない。あったとしてもバレエ音楽をもっぱらとするような指揮者やオーケストラによる演奏が中心で、管弦楽曲としてしっかり楽しむにはやや力不足という感じがしていた。ところがあのカラヤンが、何とウィーン・フィルを指揮してこの曲の録音を残しているではないか。1961年というから相当古いが、この年代に専属契約していたウィーン・フィルの一連の録音を担当したプロデューサーは、あのカルショウ(デッカ)である。

私は初めてこの曲の演奏をカラヤンで聞き、そしてにくいほどにツボを押さえた音楽に聞き惚れてしまった。音楽を活かすも殺すも指揮者次第であることをこの演奏ほど思い起こさせるものはない、とさえ思ったのだ。ところがその後、私はこの演奏をどこかになくしてしまい、長年、ジゼルの演奏からは遠ざかっていた。できればもっと新しい録音で、いい演奏はないものか、と思ってもいたのでカラヤンのCDを買う気も起こらず、そのままとなっていた。

あるとき新宿のレコード屋を覗いてみたら、アダンの棚にネヴィル・マリナーの指揮するアカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズの演奏する録音があることに気づいた。90年台のデジタル録音であるにもかかわらず、そのCDはたったの680円だった。最初リリースされたCaproiccioレーベルではなく、そこから版権を買い取ったBrilliant Classicsからのリリースで、それがこの安さの理由だが、マリナーの演奏なので悪かろうはずはなく、私はとうとうそれを買い求め、日夜iPodに転送して聞くことになった。

マリナーで聞く「ジゼル」は、十分な演奏であった。イギリス系の指揮者らしくストレートな表現は、音楽を味わうには今ひとつスパイスが足りないような気がするのだが、その不足感がなぜか良くて最後まで聴き通し、もう少しこうだったらいいのになあ、などと思いながらもう一度聞く、ということがよくある。地味というには演奏が立派だし、かと言って過剰な装飾は一切ない。そうか、この曲はこんな曲だったか、などと思いながら聞いていたら、逆にカラヤンの演奏を再び聞いてみたくなった。

久しぶりに聞くカラヤンの演奏は、ほとんどマリナー盤と抜粋された音楽は同じなのだが、よくよく聞いてみると少し楽譜が異なるような気がする。カラヤン盤はトライアングルなどが入ってきて、とてもきらびやかなのである。これに彼一流のシンフォニックな表現と、アナログ録音の感触が加わり、なぜか大変チャーミングな演奏になる。ギャロップやワルツが始まると、何かウィンナ・ワルツを聞いているような感じである。それはそれで大変ステキなのだが、ではこれが「ジゼル」かどうかはわからない。

私はバレエというものに疎いので、実際踊るとすればどちらがいいのかも検討がつかない。そして決定的に素晴らしいと思っていたカラヤン盤が、何度目かのリスニングでどこかしらけたような気分になってしまったのである。わざとらしい、というほどでもないが、何か曲の深みの限界が露呈するというか、そのような演奏なのである。これに対してマリナーの演奏は、曲本来の姿で表現している。そのことが好ましいと思える時が、あるのだ。これがリヒャルト・シュトラウスの音楽なら、カラヤンの圧勝だろう。すべてにおいて飾りが施され、それをそうとわかってアーティスティックに演奏する技術に依存する割合がとても大きいからだ。だが19世紀はじめのパリの作曲家は、まだそのような時代に生きていたわけではなかった。ここで表現される音楽は、もう少し素朴な魅力を湛えている。

結婚前に死亡した花嫁の亡霊が、妖精となって新郎の前に現れ、彼が死ぬまで踊り狂うという、何とも恐ろしいストーリーも、何度も出てくるパ・ド・ドゥの親しみやすいメロディーとワルツで楽しい。マリナーを聞いて時々カラヤンにも手を伸ばす。カラヤンは捨ててしまうにはあまりに勿体無いが、それだけで十分かと言われると、今となってはもう一枚欲しい、ということに結果的にはなってしまった。

2012年11月10日土曜日

ドニゼッティ:歌劇「愛の妙薬」(The MET Live in HD 2012-2013)


ロッシーニの出来損ないで、ヴェルディほどのドラマ性もなく中途半端、「愛の妙薬」では「人知れぬ涙」だけが突出して聞きどころのオペラ。これが私がかつて抱いていたドニゼッティに対する見方であった。しかしこれまでに聞いた「ランメルモールのルチア」で悲劇的なオペラ作曲家としての側面に接し、オペラ・ブッファでは「連隊の娘」の何とも庶民的でほのぼのとした喜劇に腹を抱え、そして野心作「アンナ・ボレーナ」に至っては主演のネトレプコの大名唱もあって、まるでヴェルディ初期の趣(というよりもヴェルディが参考にしたであろうイタリア・オペラのドラマ性への傾向)に触れると、私のドニゼッティ感は修正を余儀なくされた。というよりこれは大きなショックでさえあった、というべきだろう。

そのドニゼッティの代表的なオペラ「愛の妙薬」がとうとうThe MET in HDシリーズに登場することとなった。しかも2012-2013シーズンの幕開けを飾り、初演出というから力が入っている。私も一度、この美しい歌に満ち満ちた作品をきっちりと見てみたいと思っていたので、今シーズンの始まりに次第に浮き足立ち、その日は朝から緊張状態であった。前日からこじらせた風邪で少し体調も悪く、咳が出るとあってははたして万全のコンディションで挑めるだろうか、などと過剰な心配もしながら、開演1時間半も前に東劇に到着しチケットを買い求めた。今作品は1日2回の上演であるにもかかわらず結構な客の入りで、年々この企画の人気が広まっているように感じる。

演出のバートレット・シャーは、デヴォラ・ボイトによる刺激的なインタビューでも答えているように、この作品を喜劇的な側面よりは恋愛ドラマとしての側面をむしろ強調することにより、作品が持つ現実性を浮き彫りにしようとした。勇気がなくて愛の告白をすることができない純情青年と、それを知りつつも男を挑発してしまう強がりの女性。どこにでもあるような青春ドラマは、19世紀のイタリアの小さな村を舞台に展開する(原作ではバスク地方)。

ここに登場する人物はみな愛すべき性格を持っている。素朴な村の住民は純情で他愛ない。一見してそうとわかるいかさま行商人のドゥルカマーラが、何にでも効く薬があると言って売りつけようとしても、その効果を信じて疑わないところに、それは現われている。しっかりもので知的なアディーナでさえ、「トリスタン」の物語に出てくる媚薬を存在を信じたくて仕方がないのである。主人公モネリーネは、そのようなアディーナが気になって仕方がない。どんな出来事も惚れた女性の仕草に照らして悩む恋の病の表情は、確かに喜劇の題材にはぴったりだが、誰にも経験のある現実の滑稽さでもあるのだ。

そういうわけでこの歌劇は、バレエもなければコロラトゥーラを多用する歌のための劇でないにもかかわらず人気があり、ほのぼのとした味わいを持っている。喜劇として笑い飛ばしてだけ楽しむには勿体無いということだろう。主演のアンナ・ネトレプコは、しっかりものの女性としての貫禄と、素朴な村の娘としての側面(それは彼女のロシア人としての性格にも依るのかも知れないが)を併せ持ち、しかも美しいのでこの役にはぴったりである。だが彼女はもっと難しい役をもこなす歌手なので、ここではまず難なく歌っているということだろうか。

一方のテノール、マシュー・ポレンザーニは表情が固く、この役にはやや知的過ぎる。喜劇性を重んじるなら、もっと脳天気な歌い方のハイCテノール(というえばかつてのパヴァロッティ、いまではフローレスか)を思い浮かべるのだが、喜劇性を抑えた演出では彼の演じ方もまたありなのだ。そればかりか歌はたしかに良く、「人知れぬ涙」では満場のブラボーをさらっていたし、その後から幕切れまでの間は、ベストの出来栄えであったというべきだろう。

兵士ペルコーレを演じたマリウシュ・クヴィエチェンは可もなく不可もなくということだが、最後に特筆すべきは行商人ドゥカマーレを歌ったアンブロージョ・マエストリの、堂々として役柄にピタリとはまったその演技と歌であった。彼の登場がなかったら、このオペラはもっとつまらないものになっていただろう。第1幕第2場の登場のシーンや、第2幕の全体にわたって要所要所で登場するいかさま行商人こそが、この作品の成功を良い方向にも悪い方向にも増幅する役割を果たす。そして今回の彼の登場は、もっとも良い方向へと物語を色づけることに成功した。

指揮はベニーニで、確かな手応え。見応え充分なこのMetの新演出が、かつてバトルやパバロッティを配して上演された80年台の記録的名演に迫るものとなったか、どうか・・・。

2012年11月1日木曜日

グラス:ヴァイオリン協奏曲(Vn:ギドン・クレーメル、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

1937年生まれのアメリカの作曲家フィリップ・グラスは、その作風が非常に印象的だ。一般にミニマル・ミュージックと呼ばれる分野の草分けで(ただし本人はこれを好んでいない、とありきたりの注釈を入れなければならない)、短い旋律を何度も繰り返しながら、それが少しずつ変化していく。何か透明な感じ、そして東洋的な神秘的な感じである。歌劇「サティアグラハ」は、ガンジーの南アフリカでの人生を描いた作品で、昨シーズンのMet Live in HDシリーズでも上演されたが、そのさわりの音楽もまた、このように透明、そして東洋的であった。

詳しいことは音楽の専門家に任せることにして、このグラスの作品を初めて本格的に聞いた。それが1987年に作曲されたヴァイオリン協奏曲である。全部で3楽章から成る構成は、急-緩-急の形式で馴染み深い。いわゆる現代音楽に属するが、その音楽は非常に聴きやすい。映画の音楽やテレビドラマの主題音楽などに使ってもよさそうな感じ、といえば陳腐に聞こえるが、ここで聞く音楽は「クラシック」としては新鮮でありながら、現代人にとってはむしろ親和的ではないかと思う。

短いメロディーが連続的に、リズミックに繰り返されて、徐々に高まり、徐々に収まる。この曲には急に音楽が強くなったり(バロック音楽やベートーヴェンの得意としたやつだ)することはなく、かと言ってだらだらと静かなフレーズが続いたり、ロマンチックでありすぎたり、不協和音が不快すぎることはない。20世紀に入って様々な音楽的方向性が試行されたが、このような音楽は、なかなかいける。インドの音楽の影響を受けているとされるが、民族的ではなく、ロックやジャズとも違う。純音楽的に、これはひとつの作風であると思う。

第1楽章の冒頭から聞き手を情熱的に惹きつけると、第2楽章の静かな部分でも緊張感を失わない。そして第3楽章ではパーカッションの刻むリズムが耳に心地よい。オーケストラの小刻みな伴奏に乗って、クレーメルのヴァイオリンはいつものように夜の静寂の如く繊細だ。最低限の力で持続するように緊張の糸を細くしたり、伸ばしたり、あるいは太くしたり、といったあたりが作風と良く似合っている。だからこの曲の決定的な演奏として録音になったのだろうと想像しながら、何度も聞いてしまった。

伴奏は何とウィーン・フィルで、そのことがまた面白い。クレーメルとウィーン・フィルは、バーンスタインとのブラームスやムーティとのパガニーニなど、時おり気まぐれに素敵な演奏が存在するが、これもその一つだろう。だが、恥ずかしながらこのような演奏が存在していたことは最近まで知らなかった。

カップリングはシュニトケの合奏協奏曲第5番だが、これについてはまた別の機会に記そうと思う。

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...