2021年12月30日木曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(15)ジョルジュ・プレートル(2008, 2010)

2008年のニューイヤーコンサートは、事前の予想通り大変魅力的なものとなった。フランス人のジョルジュ・プレートルが83歳という高齢ながらしっかりと舞台に立ち、ユーモアのセンスに溢れたワルツを披露したからだ。そうか、まだプレートルという指揮者がいたか!私が彼の登場のアナウンスを聞いた時に抱いたのは、その意外性と、これはおそらく評判のコンサートになるという確信だった。その通り、この2008年のコンサートは大好評となり、自身の持つ高齢記録をさらに更新する2010年への再登場へ道を開いた。

プレートルは、マリア・カラスと共演した「カルメン」の録音や、フランコ・ゼッフィレッリ監督のオペラ映画「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」といった70年代に活躍したオペラ指揮者で有名だが、コンサート指揮者としては特に目立つこともなく、その後の活躍もあまり知られていない。だからニューイヤーコンサートの舞台に立つということ自体が奇跡とも言えるものであった。プレートルは2017年に92歳で死去するが、ウィーン・フィルとのお正月の共演は彼自身にとっても一世一代の晴れ舞台だったようだ。ではまず2008年のコンサートから。

フランス人としての初登場となるニューイヤーコンサートらしく、この日のプログラムはフランスに関係のある曲が目立つこととなった。まず冒頭は「ナポレオン行進曲」。ニューイヤーコンサートの最初の演目は行進曲であることが多いが、このプレートルの時ほど心を躍らせた時はない。ワルツ「オーストリアの村つばめ」での緩い部分ではテンポ時にぐっと抑えて、オーケストラとの根競べの様相を呈し、指揮者の即興性とオーケストラの自主性が拮抗するようなシーン。そう書けば聞こえはいいが、何となく老齢指揮者のスケベ心が垣間見えたような気もした。

これ以降もフランス関連の曲が続く。中には珍しい作品もあり、「パリのワルツ」は素敵な曲であった。オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」から有名な「カンカン」を誂えた「オルフェウス・カドリーユ」でテンポが上がり、一気に会場が沸くあたりは映像で見る方が楽しい。思えば1980年のマゼール以降、やたら神経質になってしまったニューイヤーコンサートを、リラックスした打ち解けたムードに戻したのは、このプレートルとメータくらいだろうか。ただ当時メータはまだ若く、実際指揮のポーズだけで何もしていない。そのことがウィーン・フィルの自立性を引き出し好感を読んのだが、その点プレートルは独特の遊び心が充満し、見ていて楽しいコンサートとなった。

後半は喜歌劇「インディゴと40人の盗賊」序曲、ワルツ「人生を楽しめ」と大きな曲が2つ続く。これらは聞きものである。フランス風ポルカもしっとりと美しく、「とんぼ」などうっとりとする。一方、「皇帝円舞曲」ではちょっともたれ気味でもあるのが惜しいが、終盤は各国にちなんだポルカや行進曲が登場し、長いコンサートがあっという間に通り過ぎた。アンコールではサッカーの欧州選手権がオーストリアで開催されることを記念して「スポーツ・ポルカ」が演奏され、楽しいパフォーマンスもあって会場は大いに盛り上がった様子は、CDでも聞くことができる。

2008年の成功は2010年の再登場へとつながった。この2010年もフランスにちなんだ曲が多く、「女性」や「酒」がかくれたテーマではないかと思う。そのものズバリ、シャンパンを扱ったシュトラウスの「シャンパン・ポルカ」は有名だが、「北欧のシュトラウス」と言われたハンス・クリスチャン・ロンビが「シャンパン・ギャロップ」で初登場したのも目を引く(短いが楽しい曲で、このコンサートの最後の演目である)。ただここでのプレートルは、2008年のちょっと秋趣味な傾向をさらに押し進めた結果、時に音楽の自然な流れが壊れている()「こうもり」序曲や「朝の新聞」)。お正月のほろ酔い気分でたまに聞くには問題ないが、何回も聞いて楽しむという感じではなくなっている、というのが私の感想である。

ワルツ「酒、女、歌」は、まさにそのテーマとなった曲だと思われるが、これは前半のクライマックスである。そして嬉しいことに長い序奏が付いている。一方、後半で目を引くのは生誕200年となるニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲で、ウィーン・フィルを創立したニコライの曲はもっと登場してもいいと思うのだが、実に1992年のクライバー以来ではないかと思う。またオッフェンバックの喜歌劇「ライン川の水の妖精」という珍しい曲が入っているが、実際にはあの有名な「舟歌」のメロディーが聞こえるので、この曲はライン川にも適用されたことがわかる。同じくオッフェンバックの喜歌劇「美しきエレーヌ」をエドゥアルド・シュトラウスがカドリーユ用に編纂した曲が登場。これは2008年の「オルフェオのカドリーユ」とペアと考えることができるだろう。

テンポが名一杯遅くなって溜を打つものの、それが決して重くはならないところが面白い。総じて非常にユニークなコンサートで、円熟の極みに達したプレートルにしかできなかった数奇なコンサートであったことは確かであろう。忘れ去られた指揮者がウィーンの舞台に晴れ晴れしくカムバックし、陽気で堅牢な演奏を務めたことは、演奏の良し悪しを越えて感動的であった。

2008年のプレートル登場を頂点として、ニューイヤーコンサートは以降、長い下り坂へと入って行った。国際的な年中行事としての地位が揺らぐことはないが、一方で初登場する指揮者も多く、ウィーン的保守性との両立が次第に困難になりつつあるように見受けられる。プレートルの2つのコンサートは、2000年代のニューイヤーコンサートの一つの時代の区切りではなかったかという気がする。


さて、コロナ禍一色だった2021年もあとわずかである。かつて年末と言えば、大晦日の夕刻までは仕事や正月の準備で大いに忙しく、年を越すと急に静かなお正月がやってきて1週間程度はその気分が続いたものだった。しかし平成の時代を経て重心が前倒しとなり、今では大晦日も元日のように静かになった。12月に入ると早くもスーパーに鏡餅などが並び、クリスマスを過ぎると門松を飾るところも多い。大晦日は銀行も休みである。一方でお正月は、2日から経済活動が始まる。スーパーや百貨店も初売りが早くなった。

ニューイヤーコンサートも実際には12月末に何度か公演があり、最後の元日昼の演奏が全世界にテレビ中継される。お正月気分はむしろ年末から味わうというのが昨今の傾向のようである(いっそ日本も旧暦のお正月を祝う東アジアの伝統に回帰してはどうか)。だから年末に、今ではもう古くなったプレートルの演奏に耳を傾けてみた。静かな師走の朝に聞くワルツもいいものだ、と思うようになった。来る2022年が良い年でありますようにと祈りつつ、今年の本ブログの執筆を終えることとしたい。


【収録曲(2008年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「ナポレオン行進曲」作品156
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164
3. ヨーゼフ・シュトラウス:「ルクセンブルク・ポルカ」作品60
4. ヨハン・シュトラウス1世:「パリのワルツ」作品101
5. ヨハン・シュトラウス1世:「ベルサイユ・ギャロップ」作品107
6. ヨハン・シュトラウス2世:「オルフェウス・カドリーユ」作品236
7. ヘルメスベルガー:ギャロップ「小さな広告」
8. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「インディゴと40人の盗賊」序曲
9. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「人生を楽しめ」作品340
10. ヨハン・シュトラウス2世:フランス風ポルカ「閃光」作品271
11. ヨハン・シュトラウス2世:「トリッチ・トラッチ・ポルカ」作品214
12. ランナー:ワルツ「宮廷舞踏会」作品161
13. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「とんぼ」作品60
14. ヨハン・シュトラウス2世:「ロシア行進曲」作品426
15. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「パリジェンヌ」作品238
16. ヨハン・シュトラウス1世:「中国風ギャロップ」作品20
17. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
18. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「インドの舞姫」作品351
19. ヨーゼフ・シュトラウス:「スポーツ・ポルカ」作品170
20. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
21. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲(2010年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「女心」作品166
3. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「クラップフェンの森で」作品336
4. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「愛と踊りに夢中」作品393
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「酒、女、歌」作品333
6. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257
7. ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
8. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンのボンボン」作品307
9. ヨハン・シュトラウス2世:「シャンパン・ポルカ」作品211
10. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「心と魂」作品323
11. ヨハン・シュトラウス1世:ギャロップ「パリの謝肉祭」作品100
12. オッフェンバック:喜歌劇「ラインの妖精」序曲
13. エドゥアルト・シュトラウス:「美しきエレーヌのカドリーユ」作品14
14. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「朝の新聞」作品279
15. ロンビ:シャンパン・ギャロップ
16. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「狩り」作品373
17. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
18. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

2021年12月28日火曜日

リスト:ハンガリー狂詩曲集(管弦楽版)(ズビン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団)

ハンガリー生まれのリストは祖国に大きなこだわりをもっていて、ハンガリー風のメロディーを用いた作品を数多く作曲している。ここで紹介する「ハンガリー狂詩曲」もまた、その代表的な例である。彼は15曲にも及ぶ「ハンガリー狂詩曲集」を出版し、さらに晩年に4曲を追加したが、こちらのほうは平凡であまり有名ではないらしい。

15曲の「ハンガリー狂詩曲」は勿論、ピアノ用の曲であって、リストの超技巧的なテクニックが必要となる難曲だが、そこに独特のジプシー風メロディーが加わり、調性は絶えず変化するどころか、リズムはかなりの自由度を持って揺れ動く。ピアノで演奏される「ハンガリー狂詩曲」には、それだけに数多くのピアノの名手によって演奏され録音もされているが、この15曲の中からドップラーによってアレンジされ、さらにはリスト自身の手も加えて出版された管弦楽版「ハンガリー狂詩曲」が6曲ある。

  • 第1番ヘ短調 S.359/1 (原曲:第14番)
  • 第2番ニ短調 S.359/2 (原曲:第2番嬰ハ短調)
  • 第3番ニ長調 S.359/3 (原曲:第6番変ニ長調)
  • 第4番ニ短調 S.359/4 (原曲:第12番嬰ハ短調)
  • 第5番ホ短調 S.359/5 (原曲:第5番)
  • 第6番ニ長調 S.359/6 (原曲:第9番変ホ長調)

このうちもっとも有名なのは「第2番」で、これは原曲でも第2番なのだが、この曲の演奏を取り上げた録音は多い。私の知る限り、ハンガリー生まれのショルティは第2番を「ハンガリー・コネクション」と銘打たれたCDに録音したが、それ以前にカラヤンは第2番と第4番、それに第5番を録音している。一方、全曲を録音した指揮者は少なく、メジャー・レーベルに関して私の調べた限りでは、最も有名で未だに決定的であるドラティ(ロンドン響)を筆頭にメータ(イスラエル・フィル)、マズア(ゲヴァントハウス管)、それに1998年になって登場したI・フィッシャー(ブダペスト祝祭管)によるフィリップスの名録音が近年における最右翼であることに疑う余地はない。

かつて私は、アーサー・フィードラーの指揮するボストン・ポップス管弦楽団による演奏でクラシック音楽の楽しみを知ったのだが、当時の名曲集に収録されていた第2番の演奏は、少々雑で物足りないものだった。それに比べるとカラヤンのゴージャスな演奏は、この曲をシンフォニックに演奏して一種のスタイルを確立していたように思う。けれども随分重い演奏だと思い、さほど好きな方ではなかった。後年になってショルティの肩の凝らない演奏を聞いた時、編曲の違いもあるのだろうか、こういう演奏もできるのだと驚いた。

もともとはかなり自由な曲である上に、編曲した際にもどこをどう演奏するかは演奏者に委ねられている部分も多い。そう考えると、この曲にさらに多くの装飾を加え、リズムの変化を大きく見せるかと思えばゆったりとした部分を存分に引き延ばす、といったあらゆるテクニックを駆使して、それまでコンサート会場でなされなかったような演奏を繰り広げることも可能であろう。I・フィッシャーによる演奏はまさにそのような体である。それを優秀な録音が引き立てている。だが残念なことに、この演奏には何かが足りないように私には感じられる。

リストの管弦楽曲は難しいと言われている。その難しさを感じさせず、肩の凝らない演奏こそが望ましいというのが、私の結論である。そうなるとメータの出番である。1988年、テルアビブでスタジオ録音された一枚は、決定的ではないものの全曲をしっかりと演奏したもので、特に後半の比較的地味な曲の味わいはなかなかいい。リラックスしたムードと楽しい響き、その中にも少しは気品を感じさせ、ハンガリー情緒も大袈裟にならず、かといってしらけてもいない。

この演奏を聞きながら、今では死語になってしまった家庭におけるレコード・コンサートのことを思った。私の少年の頃の愛聴盤だったフィードラーのレコードは、まさにそのような時に取り出される一枚で、ライナー・ノーツに評論家の志鳥栄一郎が、ご家庭でビールを片手にくつろぎながらお聴きください、と書かれていた。家庭のリビングにまだテレビが一台しかなかった時代でも、我が家では時に、そのテレビではなくステレオ装置を稼働させ、主に父親の選択する何枚かのクラシック・レコードをかけたものだ。

交響曲を全曲聞くこともあれば、いくつかの小品や、長い曲のさわりだけ、ということもあった。約1時間余りの時間をそのようにして過ごす、ちょっと品のいい家庭における一家団欒の時間は、主に週末の夜などに持たれたが、そのような文化は世界中にあったと思われる。だが、テレビでさえ家族で見なくなっていく時代、LPがCDに代わった頃から、家庭における音楽文化は個人的な空間の中に閉じ込められていく。この傾向がもたらした変化は、発売されるディスクの選曲にも影響を及ぼしたであろう。

リストの「ハンガリー狂詩曲」といったポピュラー名曲は、このようにして存在価値を減らされていった。いまやその全曲を通して聞くことなどない。売れないCDを時間をかけて演奏する演奏家も減ってゆく。そう考えると、このメータによるスタジオ録音は、衰退してゆくポピュラー音楽文化の最後の残照を感じさせ、何かとても懐かしい気分にさせてくれる。だから有名な「第2番」のみではなく、「第1番」からきっちりと聞いてみたくなる。そうしたことは、実はこれまでほとんどなかったことにも気付く。

メータのリズム変化の処理が、自然でそれでいてメリハリがあるのがいい。時折聞こえてくるハープの音色に耳を澄ませ、中低弦の響きに地味な東欧の息吹を感じる。そのようにして第6番までの1時間余りは、少し音量を控えめにしてステレオ装置で鳴らしてみたい。読書などをしていてもそれを妨げず、時に親しみやすいメロディーに手を止めて聞き入るような瞬間が何度もあるだろう。家族で音楽を聞くことはなくなったが、それでも一人で何かとても充実した時間を過ごせる。このディスクはそんな演奏である。

2021年12月23日木曜日

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83(P: クラウディオ・アラウ、ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)

数多くあるピアノ協奏曲の中でも、ブラームスのピアノ協奏曲第2番ほど深い感銘を残す作品はない。それまでのピアノ協奏曲とは一線を画し、新しい地平を切り開く先鋒となった作品だと思う。俗に「ピアノ付き交響曲」と言われるような形式上の新しさ(「スケルツォ」に相当する第2楽章を加えた4楽章構成。全体での演奏時間は50分にも達する)だけでなく、ピアノとオーケストラの見事な融合は、聞けば聞くほどに発見が多い。

私は音楽の専門家ではないので、ここの新しさ、ブラームスがこの曲で見せた新境地について、確かな事実をもって語ることができない。聞いた印象のみで「何か新しそう」ということはできても、その正体がなんであるのかを詳述することは困難を極める。一人のリスナーとして、しかしながらこの曲は、多くの人が語っているように、最も素晴らしいピアノ協奏曲の一つ、そしてブラームスの数ある作品の中でも、ひときわ充実した魅力的な作品であることは疑う余地がない。

名だたるピアニストがこの曲を演奏、録音している。リヒテル、ギレリス、ルービンシュタイン、バックハウスといった往年の巨匠から、アンダ、ポリーニ、ブレンデル、コヴァセヴィッチを経て最近では、アンスネス、グリモーに至るまで、どの演奏も一聴に値するだろうし、オーケストラの出来が大きなウェイトを占めるこの曲は、それぞれに個性が感じられ甲乙つけがたい。それだけ曲自体に深みがあり、情趣に溢れているからだろう。けれども、この曲が魅力的だと感じられるまでには時間がかかる。その理由は、長大な時間と精緻な表現を間近に捉える環境が整わないからだ、というのが私の見解である。コンサート会場でごく近くの席に座り、長い時間ゆったりと耳を傾ける必要がある。ピアニストは高い技量を持ち、オーケストラが貧弱であってもいけない。音楽が派手に鳴り響くわけでもない。この玄人にしかわからないような場を、他の観客に壊されてもいけない。大規模でありながら室内楽のような表現が必要で、派手ではないものの様々な表情を音色、テンポ、ソロ楽器との交歓などに合わせ醸し出す。これがピアノとオーケストラのいずれにも必要で、しかも50分続く。

ブラームスはこの曲を自身の2度に亘るイタリア旅行の末に書き上げた(1881年)。これは前作のピアノ協奏曲第1番の22年後にあたり、ブラームス47歳の円熟期の傑作とされている。何と初演は、ブラームス自身の独奏でなされていることも、よく語れらるエピソードのひとつである。

私がこの作品のいくつかの名演奏をディスクで聞いてきて、初めて自分の心をとらえた演奏は、チリ生まれのピアニスト、クラウディオ・アラウが晩年に残した名録音で、ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が競演する1969年のものだった。アラウはこの時すでに66歳、ハイティンクは若干40歳。そのハイティンクは先日、92歳の生涯を閉じた。今から半世紀以上も前の演奏ながら、ピアノもオーケストラも必要十分な音質で録音されており、そういう観点でも評価に値するディスクだと思う。

演奏が困難を極めるこの曲を、ピアノがあまり起伏を持って表現しすぎると間が持たない。オーケストラは、ピアノを支える土台としてゆるぎないものでなくてはならないことに加え、しばしばソロを含むメロディーが主役を演じる。すっきりしすぎていては、あの重厚なブラームスが表現されない。アラウはいつものようにどっしりと骨格を示しながらも、時におおらかな弧を描く。そしてハイティンクの指揮が、これをしっかりサポートしてピアノに交わっている。この年代としては信じられないくらいに録音も素晴らしい。

第1楽章冒頭は、霧立ちのぼるホルンの主題で始まる。すぐにピアノが追いかける。このフレーズだけでブラームスの世界に引き込まれてゆく。オーケストラの短いフレーズに続いて、丸でカデンツァのようにピアノが大きく羽ばたくように独奏すると、ここから始まる長い音楽への道のりが、とても嬉しく思えてくる。第1楽章だけで17分にも及ぶソナタ形式。

第2楽章はスケルツォ楽章。いい演奏で聞くと、これほど魅力に溢れた楽章はない程白熱したものとなる。その興奮は、内に秘めたエネルギーが燃えるといういかにもブラームス風である。この楽章がなければ、この曲は目立たない作品になっていただろうとも思う。

チェロの渋い独奏で始まるのが第3楽章。主題をチェロに代わって弦楽器が繰り返すときでさえ、ピアノはまだ音を出さない。この楽章でのピアノは脇役に回っている。夜の静寂に映えるガス灯のような中間部を十分に味わって、再びチェロが冒頭の旋律を繰り返すとき、もっと印象的なものになっているから不思議である。このレトロな主題ほどブラームスを感じるものはない。

おもむろに始まる第4楽章は、大人しい音楽だが愉悦に満ちている。イタリアの影響を最も感じさせるのがこの楽章ということになっている。結局、この曲は全体で50分も続くのに、急激で派手な部分はほとんどない。これがベートーヴェン以来続くピアノ協奏曲の一般的な印象を裏切ることになる。長い曲が終わると、奏者も聞き手もぐったりと疲れたようになる。しかし本当にいい演奏で聞いた時には、さわやかな充実感が心を吹き抜けて行く。繰り返すように、ブラームスの魅力をもっとも感じさせるのが、このピアノ協奏曲第2番だと思う。第1番の失敗から22年が経過し、ブラームスはベートーヴェンからの流れを変える名曲を残したのではないか。

2021年12月 北海道新ひだか町にて
最後に、これまでに聞いた他の録音の感想を簡単に記しておきたい。代表的名盤とされるギレリス盤(ヨッフム指揮ベルリン・フィル)は、ギレリスの剛健ながらやさしいピアノが魅力的で、ヨッフムも明るく強固に伴奏をしており素晴らしい演奏だが、なぜか飽きてくるようなところがある。完璧すぎるからだろうか。

その点、もう一方の横綱級名演であるバックハウス盤(ベーム指揮ウィーン・フィル)は、その評判通り文句のつけようがない素晴らしさで、この曲の歴史的な金字塔と言える。ただ私が聞いたディスクでは、録音が少しも物足りず、箱の中で鳴っている感じがする。これではウィーン・フィルの魅力も半減する。

ここで触れたアラウ盤が大関だとすると、今一つの大関にはポリーニ盤(アバド指揮ウィーン・フィル)が良いだろう。若きイタリア人コンビには、明るく流れるような粒立ちの音が耳に心地よく、他の演奏にはない新鮮さが感じられる。なお、アラウには古い録音(ジュリーニ指揮フィルハーモニア管)が、ポリーニには1995年の録音(アバド指揮ベルリン・フィル)と2013年の新録音(ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン)もあるが、いずれも聞いたことがない。

関脇にはアンダ盤(カラヤン指揮ベルリン・フィル)を挙げたい。カラヤンは不思議なことに、この第2番しか録音しなかった。アンダのピアノも魅力だが、オーケストラに関する限り、カラヤンとベルリン・フィルにはやはり脱帽せざるを得ない。新しいグリモー盤(ネルソンズ指揮ウィーン・フィル)も関脇としたい。久々の新録音に相応しい新鮮な演奏で、録音の良さとウィーン・フィルの美しさが際立つ。そして小結には、コヴァセヴィッチ盤(サヴァリッシュ指揮ロンドン・フィル)とブレンデル盤(アバド指揮ベルリン・フィル)を挙げておこう。

2021年12月19日日曜日

東京交響楽団演奏会・第172回名曲全集(2021年12月18日ミューザ川崎シンフォニーホール、指揮:秋山和慶)

本当に感動的なコンサートは、あとあとまで余韻が残るものだ。今年最後のコンサートに、年末の「第九」を選んだ。久しぶりだった。今年は妻が「第九」を聞きたいと言ったからだ。ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」を聞くのは、2018年末のNHK交響楽団(指揮:マレク・ヤノフスキ)以来3年ぶりである。コロナ禍で多くのコンサートが中止となった昨シーズンから年月が経ち、ようやく日常が取り戻せるようになってきた今年の締めくくりに、「第九」ほど相応しい作品はない。

ところが「第九」は人気作品であって、どの公演も満員御礼となることが多く、今年も例外ではなかった。各オーケストラが短い期間に演奏を競い合う中、やや惰性的で散漫な演奏も少なくない。今年のコンサート情報を眺めながら、私たちが行くことのできる日程(それは週末に限られる)と会場から、売れ残っているチケットを探し始めたのが11月のことであった。

幸なことに、東京交響楽団が名曲全集と銘打ったシリーズの中に、辛うじて席を探し出すことができた。とはいえまだクリスマスも1週間後に控えた12月18日。年末の雰囲気には少し早すぎる。これは各公演の中でも最も早いもので、東京交響楽団でもこのあと30日まで断続的に「第九」公演が続く。しかし早くも冬休みに入った高校生の息子に尋ねると、しぶしぶ「行く」と答えた。何でも「オミクロン株」なる新しい変異型コロナウィルスが世界を席巻しつつある中、いつ何時再度ロックダウンという事態も起こりかねない。行けるなら早い方がいい、というのが私たち家族の結論だった。

14時前に会場へ赴くと、すでに大勢の人でにぎわっており、公演情報を映した掲示板にはチケットはが売切れと表示されていた。ホールはすでに満席の状態で、こういう光景は久しぶりのことである。あらためて「第九」の人気に驚くが、やはり今年はちょっと気分が違っているのかも知れない。昨年にも「第九」の演奏がなされたのかは知らないが、まあそんなことはどうでもよい。指揮はこの楽団の音楽監督である秋山和慶。1941年生まれというから御年80歳。私の父とほぼ同年代である。先日(12月4日)ここ川崎で、彼の指揮する洗足学園のオーケストラによるサン=サーンスを聞いたばかりだが、学生オーケストラとは思えない落ち着いた名演奏で、私は息を飲んだほどである。この他にもかつて、東響でマーラーの「嘆きの歌」の名演に接している(もっと古いところでは1989年に神戸でN響公演を聞いている)。

秋山の指揮は私にとって、とても印象深い名演の記憶ばかりである。非常に端正でオーソドックスながら、洗練された美しい響きで新鮮な印象を残す。外面的な効果を狙うわけではなく、音の重なりの微妙な違いをきっちりと表現し、どのフレーズも次につながる時に停滞したり、急ぎ過ぎたりしない。こういうちゃんとしたところは、素人の私が聞いていても大変よくわかるし、几帳面であるものの堅苦しくはなく、むしろモダンである。思えば小澤征爾と始めたサイトウ・キネン・オーケストラの初回の演奏会には、彼が小澤と交代で指揮をしていた記憶がある。桐朋学園における斉藤秀雄の門下生ということになる。もっとも小澤は1935年生まれだから、6歳ほど年下ではあるが。

プログラムの最初にワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲が演奏されるというのも、今となっては大変古風でさえあり、私などは大いに好ましいと感じる。そもそも「第九」のみでは、何か損をした気分になるのだが、ここにワーグナーを持ってくることで、「第九」から最も啓示を受けた作曲家のひとりにスポットライトを当てる。

だがその演奏は、残念ながらオーケストラの試運転状態といったところ。私の席からは、丸でおもちゃのような音がしていた、と書けばちょっと気の毒だが、アマチュアに毛の生えた程度の演奏に思えたのは私だけではなかったようだ。クライマックスのシンバルが少し早すぎたように感じたし、それは1回だけではなかったので、「第九」の時にどうなるのかちょっと心配になった。

休憩なしで「第九」が始まった時、合唱団とソリストはまだ舞台に上がっておらず2巻編成のオーケストラのみ。向かって左手から第1・第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラの順。右手奥にコントラバス。一方、打楽器は左手奥に並び、ちょっと私の席からは見えにくい。この会場は舞台で死角となる部分が、座る席のよって多いのが残念である。また残響が大きく、私の好みとはやや異なる。しかも縦に高く、席は非対称というのも変わっている。この結果、3階席以上となると見下ろす感じとなる上に、間接的な音波のみを聞いているような感じがする。今回はS席2階だったので直接波を聞いている感じがしており、こういう状態で「第九」を聞くのは、もしかすると初めてではないかと思った(正確にはサイモン・ラトルの指揮でウィーン・フィルの「第九」を聞いているのだが、どういうわけかこの時の印象がぼやけている)。

オーケストラから緊張が感じられたのは第1楽章を通しても変わらなかった。決して間違いを犯すわけではないのだが、まだ固く、アンサンブルの溶け合い具合が定まらない。これは実演でよくあることで、仕方がないのだが、この後どうなるかというところがとても大事である。それにしても「第九」というのは長い曲だなと改めて感じる。

第2楽章に入って、オーボエを始めとするソロ、ティンパニの活躍を含む長いスケルツォが進むにつれて、ようやくエンジンの調子が良くなってきたように感じたオーケストラは、第3楽章のアダージョをとても美しく弾き切った。目を閉じると、各パートが管楽器と重なる時の音色の変化がとてもよくわかる。これはやはり実演で聞いてこそ感動的である。録音・調整された音が鮮明に各楽器を捉えているのは当然のことだが(そうでないものもある)、ライブで見ながらこれを実感するのは、驚異的なことだと思う。

まだ録音技術がなかった今から200年前に書かれ、その後多くの作曲家に底知れぬ影響を与えた「第九」は、おそらく実演で聞いた時の感動たるや、想像を絶するものだったに違いない。アダージョ楽章の、管楽器がしばし揺蕩うひとときを経て一気に3拍子で流れを変え、ピチカートでクライマックスを築く時の変化は、この音楽の分岐点としてその後に続く「新しい音楽」への序章でもある。ここを境にして、今日の演奏もまた、大きく飛躍を遂げたと感じたのは私だけではなかったようだ。

間を置かず第4楽章に突入するのが近年の流行りだが(そのため、合唱団とソリストは第2楽章と第3楽章の合間に登場した)、この理由は、やはり第3楽章の「頂点」から一気に下るスピード感に弛緩を許したくないからだろうと思った。第4楽章の最初に各楽章の回想シーン(とその否定)があることから、私は長年、第3楽章のあとに「切れ目」があると思っていた。だがそうではないのだ。

低弦楽器のよっておもむろに「歓喜の歌」の旋律が流れてきたとき、今日の演奏はとてもいいものになると確信した。各楽器が右から左へと重心が移り、その変わる様を「生のステレオ」効果によって実感することができる。そしてついにバリトンが大声で宣言する。「おお友よ、もっと喜びに満ちた歌を歌おう!」

今日の歌手は全員日本人で、バリトンは加耒徹。その声は大音量をもって会場にこだまし、この音楽の際立った目印を示した。「やるな」と思った。決定的な宣言が音波を通し、震えるようなエネルギーとなって体に共鳴を与える。雪崩を打つように合唱団が、ソリストが歓喜を歌う。総勢40人程度しかいない新国立劇場合唱団の、何と見事なことか!ソプラノの安井陽子が、負けじと大声を張り上げる。彼女の歌はもはや誰の耳にも明確に聞こえ、メゾ・ソプラノの清水華澄も円熟の音楽性だ。

長いフェルマータも、秋山は無駄に伸ばしたりはしないあたりが、演奏に程よいストレスを持続させるのだろう。行進曲でテノールの宮里直樹が、これでもかと歌う声はまだ若くて張りがあり、そのことがとてもいい。フーガに突入するオーケストラ、そして大合唱。「第九」の聞きどころは続く。

だが、本日最大の聞きどころは、このあとコーダに入るまでの、天国的な空間に分け入る部分だった。厳かで畏敬の念を感じさせる「第九」の真骨頂を、その通り示したのだ。これは私の「第九」経験史上、初めてのことだった。4人の歌手と合唱が一体となって神を賛美し、人類の歓喜を鼓舞する。ここが「第九」最大の聞きどころだとわかってはいても、そう感じる演奏にはなかなか出会えるものではない。CDやビデオの場合は、ここまで集中力をもっておかないとよくわからなくなってしまう。ライブの場合では、客席を含めもっと数多くの要素が絡む。

消え入るような歌唱に続いてコーダになだれ込む「第九」の最後は、もうどうでもいいような歓喜の中を突っ走る。秋山の指揮は、その状況でも合唱とオーケストラのバランスを鮮明にし、テンポをやや抑え、そこはかとない効果を指示することを忘れない。これは練習通りにやったためでのことかも知れないが、さらに白熱した演奏ぶりは指揮からも十分に感じ取れる。

正攻法の「第九」を久しぶりに聞き、「音楽」を味わったと思った。満場の拍手は途切れることなく続いた。舞台最前列に登場した4人のソリストが、次のカーテンコールでは元の位置(合唱団の最前列)に上がった時、まさかアンコールが演奏されるとは思わなかった。緊張が解けて、最高のアンサンブルに成熟したオーケストラから充実した響きが流れてきた。合唱が重なると、それはあの有名なスコットランド民謡だった。私は感涙し、体の震えが止まらなかった。これほどにまで美しい合唱を聞いたことがない。その震えは暫く続き、涙で舞台が見えにくくなったと思っていたら、照明が少しずつ消えて行き、最後には指揮とコンサートマスターのみを照らし出した。「蛍の光」を歌う合唱団とオーケストラのメンバーがペンライトを持っている。このまま続けて第2番の歌詞も聞いていたいと思ったら、音楽は終わってしまった。だが思いがけない年末のプレゼントに、会場は再び沸いた。

このような企画は、最初から予定されていたのだろう。毎年恒例の行事かも知れない。けれどもそうとは知らない私たちは、この光景に大いに感激し、初めて味わった「第九」の見事な演奏にしみじみととした余韻の時間を過ごした。たった1回限りの音楽は、それが名演であれば、はかないながらも説得力のあるものとなる。「第九」の感動によってワーグナーは、ベルリオーズは、ブルックナーは、そしてマーラーまでもが作曲家になる決意をした。その力は、こういうことだったのか、と思った。また来年も、このコンビによる「第九」を聞きたいと思った。心温まる感動を残しながら私たちは、師走の川崎の街をあとにした。

2021年12月17日金曜日

サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付き」(Org: サイモン・プレストン、ジェームズ・レヴァイン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

大阪に日本初のクラシック専用ホールが完成したのが1983年のことである。この時話題に上ったのが、正面に設えたパイプオルガンで、以来、我が国には雨後のタケノコのようにパイプオルガンを備えたクラシック専用ホールが完成してゆく。オーケストラの背後に席を設けるのと同様に、まるでそうしなければならないかのように。丁度バブル景気に乗って、自治体にも潤沢な資金があったのだろう。それを満たすだけの音楽文化が、この国に根付いているのかはよくわからない。何もクラシック専門でなくてもいいのではないかと思うのだが、かといって多目的の文化ホールのみでは、どんな種類の音楽にも中途半端なままである。その極みとも言うべきNHKホールは、丸で紅白歌合戦のためにあるようなホールだが、N響は今でもここを本拠地としており、そして潤沢な受信料収入を背景に大規模なパイプオルガンが備えられている。

ところが世界中を見渡してもパイプオルガンまで備えたホールは、さほど多くはないと思う。オルガンは教会で聞くものだということだろう。私もオルガンの曲を敢えて聞くということはまずない。そしてオーケストラの曲にオルガンが混じると言うのも、実際のところそれほど多くはない。そしてそれを交響曲に取り入れた作品となると、サン=サーンスの交響曲第3番くらいで、オルガン奏者だったブルックナーもオルガンを思わせるような交響曲を書いたが、交響曲にオルガンを混ぜるようなことはなかった。

オルガンとオーケストラの響き合いが困難だと思われたのかも知れない。またオルガンを備えたホールが少ないということもあるのだろう。私が初めてこの曲を聞いたのは、ニューヨークのカーネギーホールだったが、ここにもオルガンは備えられていない。そこで聞いたマゼール指揮フランス国立管弦楽団の演奏会では、小さな移動式のオルガンが設置されていた。どういう響きだったかはもう覚えていない。何せ30年以上も前のことだから。

東京にあるいくつものクラシック専用音楽ホールでこそ、サン=サーンスのオルガン交響曲は演奏に値するだろう。にもかかわらず、私はまだ日本でこの曲を聞いていない。これほど有名な曲であるにも関わらず、どういうわけかこれまで、プログラムに登っていても会場に足を運ぶことはなかった。だが今回、初めて川崎で音大オーケストラフェスティバルというのがあって、この曲を聞く機会があった。学生オケとは思えないようないい演奏で、多分に感心して帰ってきたこともあり、久しぶりに我がCDライブラリの中から、この曲を聞いてみようと思った次第である。

サン=サーンスの「オルガン交響曲」は、2つの楽章から成り、それぞれの前半はオーケストラのみで奏されるが、後半はオルガンの壮麗な響きが加わって、独特のムードを醸し出す。都合4つの部分に分かれ、第1楽章後半はゆっくりとした緩徐楽章、第2楽章前半はスケルツォのような趣を持っているため、全体で4つの楽章から成る交響曲と考えても違和感はない。

メロディーの一部にはグレゴリオ聖歌の音形が引用されていたり、第2楽章に4手のピアノも混じったりと聞きどころは多く、フィナーレでは次第に音量が上がって迫力満点であり、この作品が初演時から一貫して人気を博しているのも頷ける。特に美しい第1楽章の後半は、ロマンチックというよりは静かな美しさに満ち、丸で昇天するかのように崇高で静謐なメロディーは最大の聞きどころではないかと思う。

もしかするとオルガンを用いるということは、教会の領域に半ば踏み込むことになり、相当な覚悟も必要だったのかも知れない。ただ、演奏会を含め、この作品の録音にはオーディオ効果を表現するにはうってつけの作品であり、メロディーも映画やドラマなどに使われることもあって、割に世俗的でもあると思う。特にスタジオ録音された管弦楽に、別の場所で録ったオルガンをミックスするやり方は、デュトワ、カラヤン、バレンボイムなどといった名だたる名盤でも使われている。

さて。今年亡くなった音楽家の中にジェームズ・レヴァインがいる。シンシナティ生まれでジョージ・セルの助手を務めてキャリアをスタートさせ、特に1971年以降はニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の音楽監督を始めとする要職を長年務めた。この間に指揮台に立った回数は2000回を超え、このオーケストラの技量を飛躍的に向上させた。

彼はコンサート指揮者やピアニストとしても有名で、特に1980年代の活躍は世界を席巻するほどのものだった。全盛期を誇るその時代に初めてベルリン・フィルと録音した曲が、サン=サーンスの「オルガン交響曲」だった。ドイツ・グラモフォンによるCDは、今聞いてもほれぼれとするような旋律美と迫力に満ち、丸でイタリア・オペラのカンタービレを思わせるようなフレーズや、ヴェルディ作品のようなドキドキ感を生々しく伝えている。

結論から言うと、私のこの曲のベスト盤のひとつは、ジェームズ・レヴァインがベルリン・フィルを指揮した1986年の録音であると思っている。カラヤンにはカラヤンの、デュトワにはデュトワの、そしてこの作品のモデルとも言うべき古典的なミュンシュやオーマンディにもそれぞれの持ち味と魅力があるが、レヴァインの持つ味わいには彼でなくては引き出せないようなものがあると思う。オルガンを務めるのはイギリス人の著名なオルガニスト、サイモン・プレストンで、第1楽章の後半ではそのオルガンの響きが極小にまで控えられ、天国的な美しさを醸し出す一方で、フィナーレでは前面に出たオルガンを含む全体が壮大なスペクタクルのようにドライブされていく様は、興奮を覚える。

だがこの演奏を含め、レヴァインの数々の名演奏(それはすこぶる多い)に素直な気持ちで接することができなくなってしまった。この心理的ショックを、世界中の人々、とりわけ特に2000年代後半以降に病に倒れてからの、奇跡的な復帰を喜んだばかりのニューヨークの人々は、どう清算しているのだろうか。在任中から数々の疑惑が絶えなかったにも関わらず、その音楽的な才能から彼の活躍に拍手を送り続けて来た私を含むファンは、この時、とうとう最後の絶望の底に突き落とされた気がした。

晩年の生活はほとんど語られておらず、寂しい死だったと思われる。善と悪、芸術と犯罪は隣り合わせにあるような脆弱性の中で成り立っているのだろうか。極度のコンプレックスとその反作用として才気が、彼の演奏の中に共存していたような気がする。教会の崇高さ外面的装飾性を合わせ持つ「オルガン交響曲」を聞きながら、私の心は常にアンヴィヴァレントな状況から脱することができなかった。


(追記)

本CDにはデュカスの交響詩「魔法使いの弟子」も収録されている。こちらもテンポを速めにとった圧巻の名演である。

2021年12月12日日曜日

東京交響楽団第84回川崎定期演奏会(2021年12月5日ミューザ川崎シンフォニーホール、指揮:ジョナサン・ノット)

フランス人ピアニスト、ニコラ・アンゲリッシュが病気のために来日できなくなり、今回の東京交響楽団の定期演奏会でブラームスを弾くピアニストに変更が生じた。だがそれは珍しいことではない。コロナ禍に見舞われて以来、中止となった演奏会は数知れず、開催できたとしても無観客。そもそも聴衆を入れないコンサートなんてほとんど意味がないんじゃないの?と思っていたが、それも今年に入って少しずつ緩和され、聴衆を入れたコンサートが日常に戻ってきた。アーティスト、特に来日する外国人音楽家には高いハードルがあり、感染の状況によっては長い隔離期間が必要だったりしてなかなか思うような日程が組めず、結局、代役に交代というケースが続出する。日本人にも素晴らしい世界的演奏家が多いので、最初から日本人を中心とした演奏家によるプログラムが組まれることも多くなっている。だからアンゲリッシュが来日できなくなったと聞いても、さほど驚きはなかった。では誰が代役を務めるか?

アンゲリッシュのキャンセルが発表されたのは11月5日、そして代役の発表が18日にホームページであった。それによれば何と、丁度来日中だったドイツの巨匠、ゲルハルト・オピッツとなっているではないか!プログラムはブラームスのピアノ協奏曲第2番。「ピアノ付き交響曲」とも言われるこの長い(50分)曲を、急な登板で弾き切るピアニストなどそうそういるわけではない。だがオピッツはそれを引き受けたようだ。そうなると余ったチケットを何としても手に入れたいと思うのが人情というものだろう。ところが実際は、当日券が沢山余っていた。定期演奏会は前日のサントリーホールのものと合わせて2回ある。しかし私はすでに音楽大学オーケストラのコンサートが前日にあるので、迷わず川崎定期にやってきたのだった。

オピッツは親日家として知られ、NHKのピアノ講座も担当したドイツ正統派の巨匠である。ケンプを師匠とすることもあり、ベートーヴェンとブラームスに特に定評がある。メジャーレーベルに数多くの録音もある。オピッツは丁度日本ツアーの最中で、リサイタルを中心に11月から来年1月にかけて3か月もの間我が国に滞在し、各地でリサイタルなどを開くようだ。そしてそのスケジュールの合間にすっぽりと収まる形で今回の代役が決まったのだろう。

それでもブラームスの2番コンチェルトは宇宙的に長く、よほどいい演奏で聞かないと音楽の緊張が持続しない散漫な演奏になる。これは録音されたものでも言える。私は何枚かのCDを持っているが、ことこの曲に限っては捉えどころがないと長年思っていた。実演で聞いた過去の演奏会でも、なかなか忍耐の要る曲である。オピッツは曲目を変えることなく、そのままブラームスのピアノ協奏曲第2番を弾く。会場に現れただけでも総立ちで拍手したいところだったが、そこはコロナ禍でのコンサートである。客席は思い切り熱い拍手をする。

ホルンの調べに乗って冒頭のピアノのメロディーが静かに流れ始めた時、ああやはりこれはブラームスの音だと即座に感じた。そして次々と紡ぎだされゆく音楽に、私は丸でこの曲を初めて聞くような感覚を覚えたのだ。これはどうしてか。もしかするとそれは、これまでに聞いた実演の聞く場所が良くなかったからではないか。とてつもなく広いNHKホールの3階席が、若い頃の私の指定席であったことを思えば、それは納得ができる。そしてCDについては、たった2枚しか持っていない。このCDを真剣に聞きこんだ記憶がないのだ。つまり、私はこの名曲の良さを知らずにここまで来たということだ。長すぎるというのも理由の一つで、CDではどうしても忙しい日常から抜け出せていないし、かといってコンサート会場の安い席では、どうしてもこのような精緻な曲の良さを味わうのは至難の業である。

そういうわけで、私はミューザ川崎シンフォニーホールのオーケストラの真横の席であるにもかかわらず、はじめてピアノが管弦楽と見事に融合してブラームスの音色を出すのを初めて聞いた気がした(興味深いことにこのホールは、オーケストラを正面に見る席は比較的少なく、それは随分高い位置にあるので、その代わりに真横や裏手からオーケストラを見るしかない)。

オピッツが弾くブラームスの1時間は、私にとって至福の時間だった。それが特に感じられたのは、やはり第3楽章のチェロ独奏を伴った静かな楽章だった。ここで私はやはり恥ずかしいことに、楽章の冒頭と最後でチェロの独唱がこんなにもピアノと絡み合うということを発見するのだが、この雰囲気こそまさにブラームスで、それがコンサート会場で再現される様を間近で見ることと、そのような時間を過ごすだけの精神的なゆとりの時間が、とても嬉しくて泣けてきた。兎に角この曲をここまで味わったのは私は初めてのことで、これまで敬遠してきたこの名曲の録音をいろいろ聞いてみようと思った次第である。

さて、休憩を挟んで演奏されたのは、ポーランドの作曲家、ルトスワフスキの管楽器のための協奏曲である。1954年に書かれた30分ばかりの曲ながら、数多くの楽器がはちきれんばかりに鳴り響く。東京交響楽団が全力投球、真っ向勝負するのを指揮するノットは、何と完全暗譜である。そして割れんばかりの拍手に相当満足した様子で、観客の隅々にまで手を振り、何度もカーテンコールに呼ばれては各楽器のセクションの合間を回ってソリストを讃える。その時間が永遠に続いた。オーケストラが去っても指揮者が呼び戻されるのは、定期演奏会では珍しいが、それでも大名演の時にはあり得ないわけではない。ところが、それが2度ともなると私の記憶する限り初めてのことであった。

それほどにまでこの曲に感動した人は多かったようだ。最近ではTwitterで感想を短くつぶやく人がいて、それがリアルタイムでわかるという面白さがあるのだが、昨日と今日の定期を合わせて、このルトスワフスキの演奏に感激している人が非常に多い。しかし私にっとって、この曲は初めてだった。だからどうしても、客観的に評価しにくいのだが、言えることはオーケストラが、この難曲をかなりの自信を持って、しかもすこぶる快速に弾き切ったことである。これは相当な練習量と技量が伴っていないとできないことのように思われる。今日の東響には、それだけの実力があるということの証拠でもある。

東響の定期は、先月のウルバンスキが指揮したシマノフスキに続き、ポーランドの作曲家の作品が並んだ。2日続きの演奏会だったが、やはり昨日の学生オーケストラとは違いプロは上手いと思った。そしてコンサートは、前の方で聞くのがいいとも思った。貧乏な若い時は仕方なく3階席の後で聞いていたが、これでは演奏だけでなく、曲の魅力も伝わりにくい。だから、もう迷うことなく前の席に座ろうと思う。

2021年12月10日金曜日

第12回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2021(国立音楽大学オーケストラ、洗足学園音楽大学管弦楽団、2021年12月4日、ミューザ川崎シンフォニーホール)

生で聞く音楽は本当にいいものだと思う。それは演奏の良し悪しに関係なく、メディア再生によるものでは到底味わえないレベルのものだ。理由は簡単で、音楽の演奏とは、消えてなくなるわずかな時間を共有する演奏家と聞き手との間で醸し出される、たった一度限りのものだからだ。真剣勝負のスポーツの試合にも似ているのかも知れない。本当に音楽を愛する人であれば、どのような演奏であっても、そこに何かを発見するし、そういうプロセスを楽しむことができる。

東京には数多くの音楽大学があって、学生は様々な楽器や歌などを学んでいる。その数はちょっとしたものだと思う。各大学にはオーケストラがあって、定期的に演奏会を開いているようだが、その音楽大学の9校が演奏を競い合う「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」というのがある。いつもコンサートに出かけると、会場の入り口でチラシの束を受け取るが、その中に今年もこのイベントのものが混じっていた。

今年で第12回を数えるそうで、私はこれまで一度も出かけたことはなかったが、コロナ感染も落ち着きを取り戻し、行けるコンサートにはどこにでも行きたいと思っていたところ、家から比較的近いミューザ川崎シンフォニーホールにおいて、このうちの2回が開催されることがわかった。12月4日に開かれるコンサートは、前半が国立音楽大学オーケストラ、後半が洗足学園音楽大学管弦楽団となっている。

どのオーケストラもプロの指揮者による意欲的なプログラムを組んでいる。この2つのオーケストラが演奏する曲目は、国立音楽大学はオール・アメリカン・プログラム(指揮:原田慶太朗)、洗足学園がサン=サーンスのオルガン交響曲(指揮:秋山和慶)となっていて大変魅力的である。私は妻を誘い、わずか1000円のチケットを購入して師走の土曜日の午後に出かけた。川崎駅は常に物凄い人手で窒息しそうになるが、駅から会場までは近く便利である。そしてこの会場に来る音楽の愛好家は、何かとてもコンサートを楽しみにしているような気がする。もっとも学生オーケストラのコンサートとあっては、家族や先生、それに友人たちが押し掛けて会場はハレの大騒ぎ、かと思いきやそんな雰囲気はなく、至って整然としている。プロを目指す彼らは、ある意味で舞台慣れしているのだろうか。

コンサートの前・後半の最初には、横一列に並んだプラス・アンサンブルがお互いの学校のファンファーレを競演する。私の席からは全員が後を向いている。そしてそれが終わると、所せましと並べられた打楽器を始めとするオーケストラの面々が舞台両袖から登場した。暖かく拍手が送られる。女性が多く、第2バイオリンはすべてが女性。前半のプログラムは最初がメキシコの作曲家、レブエルタスのセンセマヤである。7拍子の生々しいリズムに乗って奏でられるのは、生贄の音楽である。鮮烈な打楽器の、会場をつんざくような冒頭から、一気に引き込まれてゆく。原田の指揮は十八番のアメリカものとあって、速めのテンポが冴えている。

曲の合間の奏者の入替えの時間を使って、原田はマイクを握り、曲の解説を行った。次の作品はバーンスタインのミュージカル「ウェストサイドストーリー」より「シンフォニックダンス」である。有名なマンボの場面では、声を発することができないので、拍手をしてほしいと呼びかける。練習に1回これを行うと、さっそく音楽が始まった。ノリのいい音楽は、若者のエネルギーが爆発するかのように生き生きとしている。一糸乱れないアンサンブルは、興奮するくらいに上手いと思う。ミューザ川崎シンフォニーホールの残響が大きいので、オーケストラの音が重なりとても賑やかである。バーンスタインの音楽の特性もあるのだろう。何せこれでもか、これでもかと、やかましいくらいに多彩な音が鳴る。これは天才モーツァルトと似ているといつも思う。私は昔、大阪で作曲家自身が指揮するこの曲を聞いているが、お尻を振りながら指揮をしたその時のことを思い出した。

前半最後の曲は、コープランドのバレエ音楽「ロデオ」より4つのダンス・エピソード。ここでやっと、何か落ち着いた曲が聞こえてきたように思った。それでもアメリカ気質丸出しの底抜けに明るい音楽である。少し弦楽器が弱いと感じたが、これは学生オーケストラだから仕方がないと思った。そしておそらくは相当な練習量だったに違いない。自信に満ちたアンサンブルが大いに心地よく、馬に乗ったような軽快なリズムに会場が沸いた。そして満場の拍手喝采。1時間半近く及んだ前半のプログラムが、これでようやく終わった。

後半の冒頭には、さきほど演奏を繰りひろげた国立音楽大学の管楽器セクションが再び登場し、ファンファーレを披露。その後、洗足学園の学生が静かに入場した。今度は指揮台が置かれ、打楽器は減り、管の編成も小さくなった。代わりに正面のパイプオルガンにも奏者がスタンバイ。やがてゆっくりと登場した秋山は、コンサート・ミストレスと腕をタッチして登壇。前半とは違った落ち着いた雰囲気が会場に漂う。その空気感の違いが、すでに音楽の一部を構成しているようで、何かとても印象的だった。

第1楽章の冒頭の弦楽器の音が聞こえてきたとき、私は本当にこれが学生オケの音かと耳を疑った。音がスーッと入る時の、一切の乱れがない響きの美しさは、プロ顔負けのものである。指揮者がうまいからだろうか。そして楽器と楽器が溶け合う時のバランスの見事さ。特にこの曲はオルガンと響き合うので、これを意識する瞬間は多い。第2楽章の美しいアダージョは何といったらいいのか。後半に入って次第に音量を増してゆくこの曲は、演奏会での人気曲でもある。だからみな固唾を飲んで聞き入っているし、それゆえにこの演奏の素晴らしさにも気付いている。この曲が終わったときほど、会場でブラボーが発せられないもどかしさを覚えた人は多かっただろう。素晴らしい演奏で目だったミスもなく、若さに任せて勢いで乗り越えてゆくわけでもない、実に音楽的な演奏だった。

秋山はこの大学の芸術監督でもあるようだし、それに東京交響楽団の指揮者としてこのホールの特性を知り尽くしているように思った。私は彼の指揮する「第九」を2週間後に聞きに来ることになっている。今から待ち遠しいが、その前に明日、東京交響楽団の定期演奏会がここで催される。このチケットも買っている。

コンサートが終わると5時半になっていた。もうとっくに暗くなった川崎の夜空を見上げながら、隣の駅の蒲田まで電車に乗る。今夜はギリシャ料理を味わうことになっている。1年以上も続いている足腰の痛みが、ここにきてかなり改善されてきた。そのことが何より嬉しい。前半のエネルギーが充満した音楽と、後半の精緻なアンサンブル。どちらの演奏も大いに魅力的で、生で聞く音楽の良さを堪能した2時間半だった。冬の夜風が火照った頬を冷やし、澄み切った地中海の冷えたビールが乾いた喉を鎮めた。

2021年12月4日土曜日

オルフ:カルミナ・ブラーナ(S: バーバラ・ボニー他、アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

ドイツ南部、バイエルン州の州都であるミュンヘンは、20世紀の作曲家カール・オルフの生まれた都市でもある。北部のどんよりとした風景とは異なり、明るく、賑やかな都市であるという印象が強い。そのミュンヘンにあるボイエルン修道院で発見された写本との出会いが、世界的にCMなどで有名な「カルミナ・ブラーナ」を生むきっかけとなった。

この写本は中世(11世紀から13世紀)に書かれたもので、全部で250編に及び、ラテン語を中心に古いドイツ語やフランス語も混じる世俗的な歌で、オルフはその中から24編を選び、「春に」「酒場にて」「愛の誘い」の3部からなる世俗カンタータとして世に送り出した。特に最初と最後に配置された「おお、運命の女神よ」は有名である。合唱団とソリスト、それに打楽器をふんだんに織り込んだ鮮烈なリズムとメロディーは聞いていて楽しいが、その合間に挟まれた静かな独唱(第21曲)や、男声ア・カペラとなる精緻な曲(第19番)など、聞きどころ満載の曲である。

私は大晦日に生中継された1989年の小澤征爾指揮ベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートでこの曲を知った。何でもこの演奏には、わざわざ日本からアマチュアの合唱団を連れて行き、ベルリンのコンサートにアジア人が大勢加わるという何とも不思議な光景だったが、そこで繰り広げられた渾身の演奏は、小澤の集中力のあるリズム感によって、この作品の生き生きとした側面を再構築した名演となった。この演奏とは別のセッション録音(1988年)のCD盤では、先日亡くなったエディッタ・グルベローヴァがソプラノを歌っている(上記ライブはキャスリーン・バトル)。

賑やかな合唱は、繰り返しも多く、比較的単純なメロディーで覚えやすいため、一度聞くと忘れられない。歌詞がラテン語をメインとしているので、日本語とも相性が良いということもあるだろう。そして発音だけを真似ると何とも単純なフレーズに置き換わる。NHK-FMのクラシック番組にも「空耳クラシック」なる知る人ぞ知るマニアックなコーナーがあるが、その常連の曲と言える。しかも打楽器や笛の音がこだますると、私などは時代劇かチャンバラ映画の効果音のように聞こえてしまう。

そういうわけで、この20世紀の音楽にはとても多くのファンがいる。特に合唱を聞くのにこれほどワクワクする曲はない。その凄まじいエネルギーが、中世の抑圧された世相の中にも生き生きとした庶民の心情を表している様を感じるだけでなく、さらに20世紀の音楽とミックスして不思議な感覚をもたらす。その新しさは、ピアノの伴奏と多様な打楽器に加え、拍子がふんだんに変化することではないかと思う。

この曲を解説してくれている数多くのWebサイトのおかげで、私はそれを省略することができる。ただ簡単に言えば、「春に」では明るく陽気な様が溢れる女性的な曲、「居酒屋にて」はテノールとバリトンの歌声に合唱が混じる男性的な曲、そして「愛の誘い」ではその両者がミックス。男声のア・カペラとソプラノの美しいアリアが色を添え、混声合唱と児童合唱が加わってクライマックスを築く。

1時間余りの曲は、コンサートでも録音でも非常に収まりがいいので、演奏される機会も多いし、数多くの指揮者が録音している。古いところでは、陽気でどんちゃん騒ぎのヨッフム盤が有名だが、やや粗削りであることもある。一方、上記で述べた小澤盤は、早めのテンポで新鮮だがやや単調に聞こえる。その他の演奏をほとんど聞いてはいないのだが、個人的にはアンドレ・プレヴィンがウィーン・フィルを指揮したディスクが気に入っている。この演奏は、1994年の発売当時、私がこの曲の魅力を初めて感じた演奏だった。

私がこのディスクを取り上げようと思ったのは、先日東京交響楽団の定期演奏会で、ウルバンスキ指揮による名演奏に接したからだが、この演奏は純粋に音楽の魅力を表現した美しい演奏で、このプレヴィンの演奏に近いと思った。それにしてもプレヴィンという指揮者は、丸で魔法のようにオーケストラの音色を変えると思う。ニューヨークのセント・ルークス管を見たときも、N響を指揮した時もそう感じた。そしてウィーン・フィルとの相性の良さも、多くの録音で知る通りである。

例えば「春に」の冒頭で3回繰り返されるピッコロと打楽器のモチーフは、拍子木が鳴って場面が変わり、真夜中の討入り前といった感じ。この音をいかに印象的に響かせるかは、私の聞きどころのひとつ。他にも沢山あるが、プレヴィン盤の印象を深くしているところは、"Veni, veni, venias"のところ(第20曲)から「楽しい季節」(第22曲)にかけて。ここは合唱とソリストが全員参加して最終盤のクライマックスを築く。

ソプラノはバーバラ・ボニー、テノールがフランク・ロバート、バリトンにアントニー・マイケルズ=ムーア、アルノルト・シェーンベルク合唱団、ウィーン少年合唱団。非常に録音が良く、ウィーン・フィルのふくよかな響きと学友協会の残響が上手く捉えられている。そして驚くべきことにこの録音は、何とライブであることだ。ボニーの美しい歌唱が特に素晴らしいが、他のソリスト、それに合唱も素晴らしい。

この演奏はやや弛緩しているとか、エネルギーが少ないといった意見が聞かれることがある。しかし長い目で見れば、何度聞いても飽きない演奏だと言える。もし不満が残るならば、それは実演でこそ体験すべき領域での話である。録音技術を駆使して、効果を狙った演奏も多いが、それは作られた感じがする(まあ、どんな曲でも同じ話だが)。より自然にこの曲の魅力を伝えているのがプレヴィンの演奏だと思う。

プレヴィンにはロンドン響を指揮した旧盤も有名で、こだわりのある人はこの録音の古い演奏の方が良いと言うのだが、私はまだ聞いたことがないので何とも言えない。一方、シャイーやブロムシュテットにも録音があり興味は尽きない。


【曲目】
§ 運命の女神、全世界の支配者なる
1. おお、運命の女神よ(合唱) O Fortuna
2. 運命の女神の痛手を(合唱) Fortune plango vulnera

§ 第1部: 初春に
3. 春の愉しい面ざしが(小合唱) Veris leta facies
4. 万物を太陽は整えおさめる(バリトン独唱) Omnia sol temperat
5. 見よ、今は楽しい(合唱) Ecce gratum

§ 芝生の上にて
6. 踊り(オーケストラ)
7. 森は花咲き繁る(合唱と小合唱) Flore silva
8. 小間物屋さん、色紅を下さい(2人のソプラノと合唱) Chramer, gip die varwe mir
9. 円舞曲: ここで輪を描いて回るもの(合唱) - おいで、おいで、私の友だち(小合唱)Swaz Hie gat umbe - Chume, chum, geselle min
10. たとえこの世界がみな(合唱) Were diu werlt alle min

§ 第2部: 酒場で
11. 胸のうちは、抑えようもない(バリトン独唱) Estuans Interius
12. 昔は湖に住まっていた(テノール独唱と男声合唱) Olim lacus colueram
13. わしは僧院長さまだぞ(バリトン独唱と男声合唱) Ego sum abbas
14. 酒場に私がいるときにゃ(男声合唱) In taberna quando sumus

§ 第3部: 愛の誘い
15. 愛神はどこもかしこも飛び回る(ソプラノ独唱と少年合唱) Amor volat undique
16. 昼間も夜も、何もかもが(バリトン独唱) Dies, nox et omnia
17. 少女が立っていた(ソプラノ独唱) Stetit puella
18. 私の胸をめぐっては(バリトン独唱と合唱) Circa mea pectora 
19. もし若者が乙女と一緒に(3人のテノール、バリトン、2人のバス) Si puer cum puellula
20. おいで、おいで、さあきておくれ(二重合唱) Veni, veni, venias
21. 天秤棒に心をかけて(ソプラノ独唱) In trutina
22. 今こそ愉悦の季節(ソプラノ独唱、バリトン独唱、合唱と少年合唱) Tempus est iocundum 
23. とても、いとしいお方(ソプラノ独唱) Dulcissime

§ ブランツィフロール(白い花)とヘレナ
24. アヴェ、この上なく姿美しい女(合唱) Ave formosissima

§ 運命の女神、全世界の支配者なる
25. おお、運命の女神よ(合唱) O Fortuna

2021年11月18日木曜日

思い出のうた(3) 坂本九「明日があるさ」(作詞:青島幸男、作曲:中村八大)

小学校低学年頃、NHKの人形劇「新八犬伝」(1973-1975)を見るのが好きだった。この人形劇は、滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」を元にした奇想天外なストーリーで、私は夜6時になると夕食までの小一時間、「こどもニュース」から始まる子供向け番組(の中で放映された)を毎日見ていた。

人形劇と言えば「ひょっこりひょうたん島」(原作:井上ひさし)だが、私もこの人形劇の歌をよく覚えていて、見た記憶があるようなのだが、どう考えてもそれはかなり幼少の頃で、記憶していること自体が疑わしい。これに対し「新八犬伝」(脚本:石山透)は、そのストーリーも楽しく私がもっとも好きだった番組である。人形劇はその後も続き、「真田十勇士」などは大いに期待したがさほどでもなく、以降、「笛吹童子」、「紅孔雀」、「プリンプリン物語」と続くが「新八犬伝」を上回るワクワク感に及ぶものはなく、そのうち私も人形劇から卒業してしまった。

なぜ「新八犬伝」がそれほど楽しかったか。の理由のひとつは、坂本九の楽しい語りにあったと思う。所詮、小学生の頃である。飽きない演技とコミカルな表現。黒子となった九ちゃんが丸九と書かれた頭巾をかぶって時々登場する。私はまだ漢字を覚えたての頃だったから、あちこちに「仁義礼智忠信孝悌」などと書いては、知らない文字を書けることに優越感を感じていた。

坂本九は1960年代を代表する歌手で、その絶頂期に丁度世間に行きわたり始めたテレビ・メディアの寵児とも言える芸能人だった。「上を向いて歩こう」(作詞:永六輔、作曲:中村八大)は1961年に始まったバラエティ番組「夢で会いましょう」で紹介された途端にヒットし、日本人として全米ヒット・チャートのトップを飾った記録はいまだに破られていない。さらには、「見上げてごらん夜の星を」、「幸せなら手をたたこう」、「明日があるさ」、「涙くんさよなら」などのヒットソングを連発する。

その坂本九が人形劇の語りを担当し、テーマ曲を歌った。「夕やけの空」というのがそれである。そしてこの曲が、挿入歌だった「めぐる糸車」と合わせてドーナツ盤レコードになり、私も大いに欲しかったが叶わなかったのを覚えている(レコード屋に見つけることができなかったのである)。

小学校3年生になって、私は同級生の友だちの家に遊びに行くことが多くなった。アメリカ人と日本人のハーフというのは当時としては非常に珍しいことで、遊びに行くとアメリカ人のお母さんが瓶入りのコカ・コーラを出してくれた。もっとも彼との普段の会話はすべて普通の日本語で、顔つきは白人なのに英語が喋れないことにコンプレックスを抱いていたようである。

そんなことは知らず、小学生二人が放課後の時間をかけてやるあそびが麻雀だった。と言っても小学3年生二人でやるのだから、簡単に役ができる。そんな見よう見まねの域を出ない麻雀遊びを、毎日彼の家の応接間でしていた。その応接間には立派なステレオセットが置かれていて、当然クラシックのレコードも豊富にあったと思うのだが、彼の家で良く聞いていたのが坂本九のベストアルバムだった。坂本九が、「火薬」と書かれた箱の上で煙草をふかしているというジャケットの写真でが面白く、この人はコメディアンだと思っていたくらいだ(このジャケット写真は後年、ベストアルバムがCD化されたときに復活している)。

人形劇の語りだった坂本九の歌を、私と友人は毎日のように聞きながら、麻雀をしていた。随分変わった小学生だった。そのLPに収録されていた曲には、上記のミリオン・セラーの他に「ステキなタイミング」、「悲しき六十才」、「あの娘の名前はなんてんかな」といったギャグのような歌詞を持つ曲も収録されており、私はそれらの歌詞を覚えては友人に自慢していたようだ。独特の歌い方と伸びやかな声で、坂本は高度成長期の元祖アイドル的存在だった

人形劇に語りを担当した1941生まれの坂本九は、この頃まだ30代である。しかし、1970年代に入るとテレビに登場する機会は減っていった。私の世代から見ると、彼はすでに「過去の人」という感じである。同年代で彼の歌を知っている人はほとんどいない。永六輔や中村八大が細々とでも活躍を続けるのと違い、アイドルの賞味期限は短かったのである。だが誰もが予想しなかった事故が起こった。1985年の日航ジャンボ機墜落事故である。坂本九は偶然にもこの便に乗り合わせ犠牲者となった。享年43歳。その時私は大学受験浪人中だったが、ラジオなどで坂本九の歌が数多く流れた。その中には、かつてLPで親しんだ数多くの楽曲が含まれていた。昭和の終わり、丁度バブル景気が始まろうとしていた頃のことだった。

平成の時代になって、テレビのCMなどで坂本九の歌が復活する。私の最も好きな「明日があるさ」がウルフルズ他の歌手によって歌われ、紅白歌合戦でも披露されている(2001年)。「見上げてごらん夜の星を」(作詞:永六輔、作曲:いずみたく)はゆずがカバーし(2006年)、「上を向いて歩こう」は、最も新しいところではSEKAI NO OWARIが歌っている(2016年)。「明日があるさ」が復活したのは、日本経済が長期的低迷に入り込んでいたことによる諦めから来る開き直りである。けれども本来の「明日があるさ」は、日本経済の高度成長期におけるストレートな明るさと自信を感じさせる。我が国の奇跡的復活は、大雑把に言えば60年代から70年代までである。私はこの最後の部分を、少年時代にわずかに感じることができた最後の世代だと思っている。


【歌詞】
いつもの駅で いつも逢う セーラー服の お下げ髪
もうくる頃 もうくる頃 今日も待ちぼうけ
明日がある 明日がある 明日があるさ

ぬれてるあの娘 コウモリへ さそってあげよと 待っている
声かけよう 声かけよう だまって見てる僕
明日がある 明日がある 明日があるさ

今日こそはと 待ちうけて うしろ姿を つけて行く
あの角まで あの角まで 今日はもうヤメタ
明日がある 明日がある 明日があるさ

思いきって ダイアルを ふるえる指で 廻したよ
ベルがなるよ ベルがなるよ 出るまで待てぬ僕
明日がある 明日がある 明日があるさ

はじめて行った 喫茶店 たった一言 好きですと
ここまで出て ここまで出て とうとう言えぬ僕
明日がある 明日がある 明日があるさ

明日があるさ あすがある 若い僕には 夢がある
いつかはきっと いつかはきっと わかってくれるだろう
明日がある 明日がある 明日があるさ

2021年11月14日日曜日

東京交響楽団第695回定期演奏会(2021年11月13日サントリーホール、指揮:クシシュトフ・ウルバンスキ)

新型コロナウィルス感染者が減少し、それにともなって少しづつ日常を取り戻しつつあるように見える昨今である。コンサートも通常通り実施されるようになってきており、人数制限も緩和された。もうしばらくは演目にのぼることはないだろうと思われた大規模な曲、特に合唱を伴うような曲は、飛沫感染の恐れを考えると、当然の如く避けたいところだ。だが、いくらなんでも小規模なオーケストラだけの曲というのも淋しい。

そう感じていたところ、東京交響楽団の定期演奏会でオルフの「カルミナ・ブラーナ」が演奏されるという。3人の独唱に加え、混声合唱団と少年合唱団。結構大声で歌う派手な曲だから、是非聞いてみたい。しかも指揮は、前から注目していたポーランド人、クシシュトフ・ウルバンスキである。彼は既に来日し、隔離期間を過ごしているという。だから公演は間違いない。ただ人気があるプログラムだけに、チケットの残りがあるか心配だった。公演は2回あり、13日のサントリーホールと14日のミューザ川崎シンフォニーホール。後者の方がマチネで、残り枚数も少なくなっていた。私が探した時には2階以上の高い位置の席しかなく、むしろ前日のサントリーホールでの公演の方が、良い席が余っているように見えた。

だが、私には直ぐにチケットを買えない事情がある。愛するオリックス・バファローズがクライマックス・シリーズに進出しており、その試合結果次第では、13日の18時、すなわち丁度コンサートの時間帯に次の対戦がある可能性が高かった。ところが10日から始まった対戦は、バファローズがアドバンテージの1勝を含め3連勝。12日の対戦で早くも日本シリーズ進出を決めそうになった。試合は逆転に次ぐ逆転となり、とうとう最終回、代打サヨナラヒットが出てバファローズが勝利を掴んだのである!こうなったら13日夜の予定がなくなり、コンサートに躊躇なく行くことができる。1階席のチケットを買ったのは当日のお昼で、合わせて日本シリーズのチケットも予約した。

すっかり日常を取り戻したかに見えるコンサートだが、出演者の一部変更が生じている。これは来日するはずだった音楽家が、来日できなくなったことによるようだ。同様の問題は各オーケストラでも生じており、N響でもたびたび指揮者の変更がアナウンスされている。またチケットの販売枚数も感染数の変化を見て修正されており、聞く方としてもなかなか大変である。それでも会場前で配布されるチラシの数は、コロナ前の分厚さに戻っている。お客さんも高齢者を中心に、出足好調のようであり、制限付きながらサントリーホールのバーカウンターも営業している(ここでは「山崎」と「響」が飲める)。

変更が生じた出演者の中には、プログラム前半でヴァイオリンを弾くソリストも含まれていた。ウルバンスキの出身国であるポーランドの作曲家、シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番の独奏が、弓新というヴァイオリニストに変更されていた。弓新(ゆみ・あらた)は、1992年東京生まれのヴァイオリニストで、若い頃からヨーロッパに在住しているようだ。丸で弦楽器奏者になるべくしてなったような名前に驚くが、プロフィールによれば佐賀県に多い苗字だそうで、そこに尊敬する著名建築家磯崎新氏の名前を付けたようだ。私などは失礼ながら、中国人ではないかと思った次第。

だが、シマノフスキのヴァイオリン協奏曲のような難曲を、直前に演奏するように言われたことは想像に難くなく、だとすればこれをこなす相当の実力と努力が必要だったと思われた。3つの部分から成るシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番は、2つの戦争の間に活躍した彼の比較的若い頃の作品で、聞いた印象ではスクリャービンのようでもあり、ナイーブで神秘的な作品だと思った。弓はこの難曲を、最初はとても安全に弾いているように感じられたが、途中からは若々しく、少しづつ実力を発揮し始めたように思う。メリハリの効いた指揮によってオーケストラは好演。カデンツァでは指揮者は指揮台を下りて、ここは聞きどころであると合図した。オーケストラは雄弁な打楽器とピアノ、ハープなども混じり、あまり聞くことのない新しい音が次々と楽しめる作品ではあったが、ではいまどこを弾いているか、などとなるとまだまだ印象が薄いというのが正直なところ。

休憩を挟んでの「カルミナ・ブラーナ」では、通常のP席の位置に混声合唱団がディスタンスを取って着席。その人数は40名程度と少ない。一方、少年合唱団は十名程度が舞台左手の2階席に陣取っていたようだが、私の座っていた1階席左手奥からは一切見えなかった。このためいつ少年合唱団が入って来るのかとやきもきしていた。できれば正面に配置して欲しかった。

冒頭のメロディーが大音量で鳴り響いた時、ちょっと合唱が弱く聞えたが(もしかしたら席のせいかもしれない)、これは最初だけで続く音楽ではオーケストラと合唱が上手く溶け合って、この曲の精緻な面を多分に表現した名演だった。ウルバンスキの指揮は、その長身を生かしたパースペクティブの良さが際立っており、全体の音量と音感を微妙に調整しながら、各パートのどんな細かいタイミングもわずかのずれもないようにキューを出す。その見事さは特筆に値するだろう。私は初めて聞くこの指揮者の人気がわかるような気がした。

「カルミナ・ブラーナ」はもともと陽気な作品で、演奏によっては時代劇かチャンバラ映画の音楽のように感じることもある変わった作品だ。しかしここでのウルバンスキの演奏は、より精密に音色の変化を追求した。勢いに任せてはしゃぐのではなく、純音楽的な側面を際立たせる、いわば玄人向けの演奏だった。

新国立劇場合唱団と東京少年少女合唱隊の実力がこれを最大限に支えたのは言うまでもない。第1部冒頭の静かな部分では中世の響きが会場に満たされ、まるで教会にいるよう。そして2人が代役に交代という運命に見舞われたソリスト陣も好演。バリトンの町英和は、最初ちょっと線が細いと思ったが、後半になると声も大きくなり、おどけたように舞台右手から現れて第2部「居酒屋にて」を歌ったテノールの弥勒忠史は、出番は少ないながらも聴衆を惹きつけ、酔った演技も大いに素晴らしく、見とれているうちに舞台右手に消えて行った。

ソプラノを歌ったのは盛田麻央。彼女もまた今回の出演はピンチヒッターだったが、それを補って余りある熱演で持てる実力を示したと思う。そしてオーケストラ。ウルバンスキの見通しの良い指揮に合わせ、特にオーケストラのみが活躍する部分での千変万化するリズムを巧みに表現し、このコンビの成熟した関係を良く表していた。ウルバンスキが東響の首席客演指揮者だったのは、2013年からわずか3年だったようだが、このように定期的に指揮台に現れては名演を繰り広げているようだ。私も遅まきながら、そのファンに加わった次第。

前半のシマノフスキを含め、聞き惚れ得ていたら過ぎて行った、あっという間の二時間。コンサートは20時に終了した。合唱やオーケストラが引き上げても鳴り止まない拍手に応え、マスクをしたウルバンスキが再度登壇すると、会場からはさらに大きな拍手が送られた。

2021年11月13日土曜日

思い出のうた(2)天地真理「虹をわたって」(作詞:山上路夫、作曲:森田公一、編曲:馬飼野俊一)

今から思えば1970年代というのは、歌謡曲の全盛期だった。それまでの演歌歌手やグループ歌手に加えて大勢の若手のアイドルが台頭し、同年代の若者から圧倒的な支持を得ていた。20代になっていた団塊の世代が社会に出て、日本中のあらゆる側面で変化が起こった。圧倒的に人数の多いこの世代は、それだけでマーケティングの対象になる。勃興した大衆消費社会が彼らに迎合し、彼らも自分の時代が来たと思ったに違いない。それは文化的な意味で、戦後生まれの世代が我が国の中心に躍り出ようとする初期段階であった。

1966年(昭和41年)生まれの私は、その70年代を小学生として過ごした。1973年(昭和48年)に大阪郊外のマンモス小学校に入学、その6年後の1979年に卒業した。今でもよく覚えているのは、新しく赴任する小学校の先生が次々と若返り、新しい風を私たちにもたらしたことだ。遠足に持っていく歌集には、新しい歌が数多く登場した。それまでの文部省唱歌や教科書に載るような歌が中心のお仕着せの歌集の他に、先生が別刷りで作成したものだ。その中には流行のフォークソングなどが含まれていた。夜になればキャンプファイアーを囲んで、誰かのギターに合わせこれらを歌う。その歌詞は、それまでの体制から離れて自由になろうとする新しい時代の意志が込められていた。その象徴的な存在は、ジローズが歌った「戦争を知らない子供たち」(作詞:北山修、作曲:杉田二郎)だろう。この曲は大阪万博の年、すなわち1970年に発売された。

私の世代、つまり丙午(ひのえうま)を底とする「くびれ世代」は、その団塊の世代の20年ほど下である。従って、私達の親世代の文化と同時に、それとはずいぶん異なる団塊の世代の文化に大きく影響を受けていると言える。この2つの価値観が、学校や職場で共存・対立し、やがては下の世代が上の世代を駆逐してゆく有り様を、昭和から平成へと連なる過程で観察してきた。もっとも我々の世代は、その上下の世代に比して同年代の人数が圧倒的に少ないから、時流に乗ることもなければ世間の注目を集めることもない、極めて地味で消極的な世代だと思っている。実際、タレントや政治家になって世間の注目を浴びる人の割合は、これらの上下の世代に比べ圧倒的に少ない(1966年「ひのえうま」生まれは特に少ない)。

1970年代に隆盛を誇り、以後は低迷してゆく昭和アイドル文化はまた、団塊の世代が同年代の人を支えた文化ではないかと思う。そしてこれらアイドル系歌謡曲の裏で若者の心を捉えるニューミュージックもまた、彼らの文化である。実はニューミュージック系の文化こそ、若者文化の本流だったと知るのは、私が中高生になってからで1980年代のことである。従って小学生の私は、いわば表側の若者カルチャーたるアイドル歌謡曲に触れることが、生活の中でのごく一般的な出来事だった。そしてそのアイドル歌手の中で、もっとも高度成長期の底抜けの明るさを感じさせるのが、天地真理だと思う。

私が小学生に入った頃、すべてのチャンネルのテレビ局では歌謡曲番組が花盛りで、ヒット曲の歌手が出演する歌番組は、毎夜どこかの放送局がゴールデンタイムに放映し、その合間にはアイドル向け番組が時代劇やプロ野球中継の狭間に差し込まれた。TBSの「真理ちゃんシリーズ」は、そのような番組のシンボルだった。私はその中でも「真理ちゃんとデイト」を良く見ていた記憶がある。アイドルの中でも天地真理ほど、各放送局が競って登場させた歌手はいないだろう。どの時間にテレビをつけても、彼女を見ない時間帯はなかった。その様子は、全盛期の坂本九に匹敵し、それ以降にはもう存在しないと思われる。三人娘の他の歌手、南沙織と小柳ルミ子がこれに及ぶことはなく、郷ひろみや沢田研二のような男性系アイドルも、滅法有名ではあったが、そこまでテレビの寵児とまでは行かない。天地真理こそ1970年代を駆け抜けた満面笑顔の大スターだった。

彼女は「恋は水色」でデビューし、瞬く間にヒット作がこれに続いた。「ひとりじゃないの」「ふたりの日曜日」「恋する夏の日」などである。私はその中でも一番印象に残っているのが「虹をわたって」である。この曲は1972年にリリースされた4枚目のシングルで、3曲連続でオリコン1位を獲得したことでもわかるように、この年の代表的なヒット曲となり、翌年の選抜高校野球大会の入場行進曲に選ばれた。この1973年頃が天地真理の短すぎる絶頂期だったと思う。それ以降にも新しい曲は発売され、コンサートも活況を呈するが「思い出のセレナーデ」以降は翳りが見える。

とにかく天地真理の屈託のない曲と朗らかな歌唱は、高度成長が続く我が国の、楽天的で自信に満ちた喜びを感じる。楽曲の中にはメランコリックな曲も多いが、それがちっとも深刻にはならず、むしろ幸福感を感じるようで、この時代の雰囲気を良く表している。だが、実際にはベトナム戦争がひどくなってゆくこの頃、社会のひずみも増していくのと同様に、彼女自身もまた少々無理をしていたようだ。1974年を最後に紅白の舞台からは遠ざかり、1977年には体調不良で芸能活動を休止。以後、今日に至るまでマスメディアの話題にのぼることはなくなった。昭和アイドル歌謡の絶頂期を駆け抜けた表の顔は、彗星の如く登場し、虹のように消えて行った。


【歌詞】
虹の向こうは 晴れなのかしら あなたの町の あのあたり
小さな傘が 羽根になるなら 今すぐとんで ゆきたい私
虹をララララ わたり 愛を胸に あなたのもとへ
とてもきれいな 雨あがり あなたを想って 歩くのよ

並木の電話 かけようかしら 話すことなど ないけれど
きれいな虹の ことだけ言えば 私の想い つたわるかしら
虹をララララ わたり 愛を胸に とんでゆきたい
とてもきれいな 雨あがり あなたを想って 歩くのよ

虹をララララ わたり 遠い国へ 二人でゆくの
とてもきれいな 雨あがり あなたを想って 歩くのよ

2021年11月7日日曜日

京都市交響楽団・東京公演2021(2021年11月7日サントリーホール、指揮:広上淳一)

まるで魂が乗り移ったような演奏だった。

長年、常任指揮者などを務めた広上淳一が京都市交響楽団を率いるのは、来年2022年3月までとなった。京響の2年ぶりとなる東京でのコンサートは、このコンビとしては今回が最後となる。常任指揮者としての「ファイナルコンサート in 東京」と題されたチラシを見たのは先月の下旬だった。演目はベートーヴェンとマーラーのいずれも交響曲第5番。前者がハ短調、後者は嬰ハ短調。凡そ100年を隔てて作曲されたこの2曲は、それぞれ新しい境地へと踏み出す交響曲であると同時に、モチーフにおいても大きな関連性がある。広上は大胆にもその2曲をプログラムに配し、真っ向から勝負するというチャレンジングなもの。14年に及ぶ関係の有終の美を飾るものとなるかは、勿論当日の出来次第。音楽は決して事前に作り置きしておくことのできないものだからだ。

ベートーヴェンの冒頭で、聞きなれた主題が鳴り響いた時、私はとても新鮮なものを感じたのは不思議ですらあった。配置は昔からの標準的なもので、左からヴァイオリン、チェロ、ヴィオラの順。古楽器奏法が主流の現在、むしろ懐かしい響きである。しかもテンポはゆっくり目。主題提示部の繰り返しは省略。たっぷりと旋律を歌わせ、自らも道化師のように踊る広上の姿に、こちらも釘付けとなるのに時間はかからなかった。このような「古典的な」ベートーヴェンは随分久しぶりに聞くな、などと思いつつ、それがここまで新鮮に響くには何か理由があると考えた。それは広上が、すべてのフレーズ、すべての和音に至るまで、ここはこういう音でなければならないという確信に満ちた音作りを目指しているからではないだろうか。

広上の演奏に接するのは初めてである。最近ではNHK交響楽団にもたびたび客演しているし、東京生まれの指揮者なので勿論のことながら、東京での活躍が多い。にもかかわらず、私はこれまで広上の生演奏に接したことがなかった。それなのに、初めて聞く彼の指揮するオーケストラが、京都のオーケストラであるというのも何か不思議な感じである。第1楽章のオーボエのカデンツァ以外では、オーケストラの自発性に任せているというよりは、細部にまでこだわって指揮をしているように思えた。ただそれが威圧的ではなく、開放的で明るいのは、その滑稽とも思える大袈裟な指揮姿からではないだろうか。

第2楽章もたっぷりと歌わせ、聞きなれた音楽が何故かとても嬉しいくらいに新鮮だ。きっちりと、しかし曖昧さもなく進むが、それについて行くオーケストラの技量も確かなものだと感じた。そして第3楽章の低弦の響き。最近の我が国のオーケストラも、かつてのように薄っぺらい低音ではなくなって、むしろヨーロッパのそれに近い。しかし第3楽章までですでに非常に朗らかな感じがしてしまうため、第4楽章の歓喜はむしろ控えめに感じられた。第4楽章でも主題提示部の繰り返しはない。これはプログラム自体が長いためだろうか。

私はこの曲をこれまでにどのくらいコンサートで聞いているか、過去のメモを手繰ってみた。印象には残っていないものの、結構な回数であることが判明した。今回の第5交響曲の演奏は、その過去の記録に照らしても、これほどまでに印象に残った演奏はないと思った。聴衆が期待しているのはこんな演奏ではないか、と広上は考え、その実践をしているように思われた。だから後半のマーラーに、期待が膨らんだ。ただマーラーの交響曲第5番は、ホルンやトランペットを始めとして、結構な技巧が要求される。京都市交響楽団は、その期待に応えられる技量があるのだろうか、と私は少し心配だったのが正直なところだ。だがこれは杞憂に終わった。

私は広上の指揮に限らず、この地方自治体が運営するオーケストラを聞くのも初めてだった。いや実際には、2回目ということもできる。それは小学生の頃、体育館で聞いた出張演奏会の小さなアンサンブルが、京響だったからだ。今から50年近く前のことである。私の通っていた小学校は、大阪府の北部にあった。私の通っていた小学校の音楽の先生は、音楽室に高額なオーディオ装置や楽器などを配備し、児童には楽器を触らせてばかりいる大変ユニークな方で、この先生がその年に招へいするオーケストラを決める時、「京響が一番真面目でいい」と言っていたのを覚えているのだ。まだ何もわからない小学生の授業の中で、そういうことを言った。それ以来、京響は私にとって、いつかは聞くべきオーケストラとなっていた。けれども当時、一番人気は大フィル。大阪から京都に出かけて行くのも不自由なら、京都に音響のいいホールもなかった。

東京に来てからは、関西のオーケストラを聞く機会もほぼなくなった。しかし2008年に京響の常任指揮者に広上が就いてから、京響の技量は飛躍的に上昇し「黄金時代をもたらした」(プログラム・ノートより)とのことだった。私は初めて聞く広上の指揮する演奏会に、京響を選んだ。そしてそのことが大正解だったことを、マーラーの奇跡的な大名演によって確信するに至る。オーケストラの巧さだけでなく、それを引き出した手品師のような広上の指揮が、これほどにまで聴衆を惹きつけるのかと思った。

マーラーの冒頭はトランペットの響きで始まる。モチーフはベートーヴェンのそれと同じ3連符とフェルマータ。しかし100年後のクラシック音楽は、非常に複雑だ。長いマーラーの演奏は、聞いてゆくと今どこにいるのかもわからないような世界に入ってゆく。交響曲第5番の、比較的構造の明確な曲であってもまたしかりである。第1楽章の重苦しく闘争的な音楽。悲劇的な第2楽章。こういった場面をたっぷりと、体を左右にゆすりながら、時に大きくジャンプしては向きを変え、丸でパントマイムのように軽やかに踊る。オーケストラはその表現に寄り添い、最大限の技量をもってついてゆく。この一糸乱れぬ関係は、長年に亘って築かれたものであることを感じさせ、さらにはかなりの量の練習が施されたのではないかと想像するに十分であった。

奇跡的に、まるで魂が乗り移ったようにオーケストラと指揮が一体化してきたと感じたのは、第3楽章からだった。この長いスケルツォを千変万化するリズムやフレーズの中に表現しきった彼らは、続く有名なアダジエット(第4楽章)で、さらに深化したアンサンブルを響かせた。指揮者の正面に配置されたハープと、100%の音量を鳴らす弦楽器の絡み合い。一音ごとに響きに重みを増すフレーズに合わせ、指揮はこれでもか、これでもかとオーケストラを引き立ててゆく。時に唸り声が響く。その楽章が終わったとき、会場が物音ひとつしない静寂に包まれた。消えてゆく音に合わせ、かすかに目を閉じた私は、終楽章でのホルンの響きに身を寄せ、流れては澱み、大胆に鳴らされては消え入るように染み込むマーラー・マジックに翻弄されることとなった。難しい音楽が次から次へと現れ、重なり、大きくなって会場を満たすときでさえ、広上の確信に満ちた指揮は、驚くべきほど雄弁なものだった。こうなればオーケストラも、乱れることなく心がひとつになって、実力以上の力量が示されることとなる。すべての楽器の、すべての奏者が体を揺らし、思いっきり力を込めて弾く。後方にいる弦楽器奏者までもが、まるで魔法にかかたかのように熱演を繰り広げる。その有様は、聴衆にも乗り移ったかのようだ。

全部で2時間20分以上に及んだコンサートが、さらに長い間、拍手の嵐に包まれた。何度も舞台に呼び出された指揮者は、オーケストラが去っても熱心な聞き手に応えた。「アンコールはありません」などと会場に向け挨拶をした広上は、「京響がとても個性的なオーケストラに成長した」というようなことを云った。私はこれまで、そのあまりに大袈裟でひょうきんな指揮姿に、いったいどういうコンサートをする指揮者なのかとこれまで思ってきたが、今日の演奏を見て明確に判った。両手だけでなく、顔の表情、時に両足までも駆使しながら、体のすべてを通して音楽を伝えようとする姿は、それゆえにオーケストラのあらゆる部分に明確な指示を出す。そのユニークな指揮と演奏が一体になった時、驚くような名演奏が誕生する。本日の演奏は、まさにそのことを実体験することとなったのだった。

このような個性的な指揮が、歳をとるとしづらくなってゆかないか心配である。けれども少なくともあと何回かは、京都でこの組合せの演奏会が予定されている。特に注目すべきは、文字通り最後の演奏会となる来年3月の定期である。この時取り上げられるのは、マーラーの交響曲第3番だそうである。私は帰省を兼ねて、京都まで聞きに行こうかとも思っている。

2021年11月6日土曜日

思い出のうた(1)「帰ってきたウルトラマン」主題歌(作詞:東京一、作曲:すぎやまこういち)

いまどき珍しいことに、私はゲームというのをほとんどしたことがない。昨今のスマホに代表されるネットゲームはおろか、家庭に初めて登場したコンピュータゲームがまだ「テレビゲーム」と呼ばれていた時代から、私はゲームを楽しめないでいる。理由はよくわからないが、人間が作り出した世界よりは、社会や自然の方がより複雑で面白いからだ、と答えることにしている。にもかかわらず私は情報科学、いわばコンピュータ科学を専攻する学生になった。

学生の頃、叔母に会いに行ったときゲーム「ドラゴンクエスト」の音楽が、耳から離れないと言われた。叔母も特にゲームに興じるような人ではない。それなのに、なぜか叔母は私にそう言った。私もなぜか「ドラゴンクエスト」の音楽のさわりを聞いて少し知っていたから、叔母に「この音楽はすぎやまこういちが作曲したのだ」と答えた。

それまでのコンピュータが発する音は、いわゆるビープ音の類、つまり必要があって何かを(だいたい不吉なことが多い)知らせるためのもので、音階で言えばAの音、しかも正弦波である。だがこの頃からコンピュータは、単なる事務機から娯楽の分野へと領域を広げ、アップル社のマッキントッシュなどは、起動時に鳴る和音で利用者をあっと楽しませるような「遊び心」がふんだんに搭載されていた。コンピュータゲームにも音楽が必要だとすぎやまは考えた。そこで耳に心地よい音楽の作曲を思い立ったのである。

叔母は団塊の世代である。彼女は「亜麻色の髪の乙女」や「学生街の喫茶店」のような歌謡曲が、すぎやまの作曲であることを知っており、なるほどそうなんだ、と大いに頷いたのを記憶している。確かにすぎやまの音楽は、いつまでも聞いていたくなるような音楽、たとえばイージー・リスニングなどと呼ばれた一種のポップス・オーケストラによるムード音楽(FM番組「ジェットストリーム」で聞ける音楽である)のようなものとよく似ているだろう。すぎやまが後に編曲し、自らが指揮して演奏した交響組曲などを聞いてみると、そのような感じがよくわかる。人類が音楽を様々な局面で使用するようになってから1世紀。映画やテレビ番組、それにデパートや広告などで使用される音楽の種類が、またひとつ増えた。それがゲーム音楽である。

だが私がここに書こうとしているのは、彼の代表作であるゲーム音楽の類のことではない。私が生まれて初めて聞いた音楽(少なくとも記憶する限りにおいて、自ら意識して聞いた音楽で、その曲名や旋律が明確なもの)は、当時大流行りしていたテレビ番組「ウルトラマン」シリーズの最新作「帰ってきたウルトラマン」の主題歌だった。当時幼稚園児だった私に、祖母が欲しいものを買ってやろうと言ってくれた。私は祖母と阪急北千里駅にあった小さなレコード屋に行き、一枚のドーナツ盤レコードを買って欲しいと言った。確か500円くらいだったと思う。バスの初乗りが30円の時代。1972年頃ではないかと思う。そのレコードに収録されていた「帰ってきたウルトラマン」の主題歌を作曲したのが「すぎやまこういち」だったことを覚えているのは、その名前がひらがなで書かれており、幼稚園児の私でも読めたからであろう。

そのすぎやまこういちが、先日亡くなった。もっとも私は彼の晩年の、特に国家主義的な政治活動に賛同できなかったし、ゲーム音楽に興味もなく、従って彼の作品を良く知っているわけでもない。だがこの「帰ってきたウルトラマン」の主題歌だけは、私の心に残る「最初の音楽」、つまりは音楽体験の原点なのである。そしてその主題歌は、今でも口ずさむことができるほど歌詞もメロディーも頭から離れたことがない。ウルトラマン・シリーズは円谷プロダクションが経営危機に陥った後も延々と続いているようだが、主題歌に関する限り「帰ってきたウルトラマン」を上回る作品はないのではないかと、勝手に思っている。

Wikipediaによると「帰ってきたウルトラマン」は1971年から1972年にかけて夜7時から放映されている。おそらく私は週1回、この放映を欠かさず見ていたであろう。またそれ以前のウルトラマン作品は、毎日夕方5時台に再放送されており、私は友人たちとそれを見るのが日課だった。このことからもわかるように、私は「ウルトラマン世代」の最後の部類に入ると思っている。それ以降のアニメや特撮ものは、私の世代から少し外れている。仮面ライダーしかり、マジンガーゼットしかり。そういうわけで、私の幼少期の音楽を代表するのは、すぎやまこういちの作曲した「帰ってきたウルトラマン」の主題歌なのである。

すぎやまこういちの訃報に接してから、急に数多くの追悼ビデオが流され、そのほとんどが「ドラゴンクエスト」である。関係の深かった都響は、10月の定期演奏会の冒頭で大野和士が「ドラゴンクエストⅡ」から「レクイエム」を演奏したようだが、「帰ってきたウルトラマン」の主題歌については、ほとんどどこにも掲載されていないようだ。かねてから私は、自分の幼少期からの音楽体験(つまりは好きな流行歌)のいくつかについてこのブログに書いてみたいと思っていたから、丁度いい機会が訪れたと思い、とうとうこの文章を書くことに決めた。

「帰ってきたウルトラマン」の主題歌は、東京一(あずま・きょういち)という名前の円谷プロダクションの社長が作詞し、主人公を演じた団次郎(だん・じろう)とみすず児童合唱団が歌っている。「ウルトラマン」全盛期を思わせ、高度成長まっしぐらの明るい音楽である。私の通っていたカトリック系幼稚園でも「ウルトラマンごっこ」が流行しており、男の子ならだれもが「スペシウム光線」などの技を知っており、3分経つとエネルギーが急速に失われるシーンを真似ることができた。

「ウルトラマン」の時代、一家に一台だったテレビは家族全員で見るものだった。同じ勧善懲悪ものでも「ウルトラマン」の前と後では、その意味内容が完全に変わってしまったと主張するのは社会学者の宮台真司である。「ウルトラマン」のストーリーには簡単には理解しにくいテーマを含んでいる。例えば怪獣(悪者)にも一抹の善意があって、ウルトラマンもそれを認めようとする立場があったりするのである。それを大人がお茶の間で、子どもに解いて聞かせることを前提にしていたからだ、と彼は言う。しかしそれ以降の時代になると、テレビは家族全員で見るものではなくなってゆく。自然、ストーリーは単純化され、誰が見てもわかる価値観を提示しないといけなくなるのだ。善は善、悪は悪と。この転換期に始まる日本社会の衰退は、いわば高度成長の絶頂期を境とした「坂の上」からのなだらかな下り坂になって今日まで続いている。


【歌詞】
君にも見えるウルトラの星 遠く離れて地球に一人
怪獣退治に使命をかけて 燃える街にあとわずか
轟く叫びを耳にして 帰ってきたぞ帰ってきたぞ ウルトラマン

十字を組んで狙った敵は 必殺技の贈り物
大地を飛んで流星パンチ 近くに立ってウルトラチョップ
凶悪怪獣倒すため 帰ってきたぞ帰ってきたぞ ウルトラマン

炎の中に崩れる怪獣 戦い済んで朝が来る
遥か彼方に輝く星は あれがあれが故郷だ
正義と平和を守るため 帰ってきたぞ帰ってきたぞ ウルトラマン

2021年11月3日水曜日

東京都交響楽団第393回プロムナードコンサート(2021年10月30日サントリーホール、指揮:小泉和裕)

1982年に大阪のザ・シンフォニーホールが我が国初のクラシック音楽専用ホールとして開館した時、全国各地のオーケストラが招待され、連日オープニングコンサートが開催された。最初は朝比奈隆の大フィルで、トリがNHK交響楽団だった。このコンサートは後日朝日放送でオンエアされ、コンサートホールの違いが各オーケストラの響きをどう変えるのか、私も大いに注目して見た記憶がある。

その中に記憶が正しいか自信がないのだが、小泉和裕が指揮する京都市交響楽団というのがあった。曲目も忘れてしまったが、アンコールに演奏されたブラームスのハンガリー舞曲第1番だけは鮮明に覚えていて、世界各国のオーケストラと華々しく共演を続ける若干33歳の若手指揮者の才能を見たような気がした。

あれから私は小泉和裕のコンサートをいつか生で聞いてみたいと思いつつ、なんとこれまで一度も接したことがなかったのである。この間40年の歳月が流れている。中学生だった私は55歳になり、俊英の指揮者も70代に達した。小泉はこの間、いくつもの国内のオーケストラを指揮しているから、何度もチャンスはあったのである。だが私は何故か、小泉の演奏会に行くことはなかった。20代前半でカラヤンコンクールに優勝した指揮者は、その後の演奏を国内に限定してしまったにもかかわらず。

予期せぬ感染症が全世界を多い、すでに1年半が経過した。ここへきてようやく日常を取り戻しつつあるが、この世界的パンデミックはクラシック音楽界にも激震をもたらした。海外からの演奏家が来日できない状態が続いたのだった。しかし我が国には世界を股にかける演奏が大勢いる。今年のショパン・コンクールもその例にもれず、日本人の活躍が目立ったのは言うまでもない。

そんな中で目にした都響のプロムナードコンサートと題するわずか一夜だけのポピュラーコンサートに、私は目を惹かれた。ドヴォルジャークのチェロ協奏曲と交響曲第8番という取り合わせ。メールで送られてくる当日券情報にも、まだ席が数多く残っていることが記されていた。

通常、日本人指揮者を迎えて演奏される有名曲ばかりのコンサートに、あまり行く気がしない。オーケストラも小遣い稼ぎ程度としか思っていない可能性がある。エキストラを数多く配して、にわか作りの感が否めないようなものも多かった。しかし、今回は違った。

まずチェロ独奏は、目下最も期待される日本人演奏家である佐藤春真という若者である。ブックレットに記載されたプロフィールによると、2019年ミュンヘン国際音楽コンクールに優勝したとある。この時若干22歳。ということはまだ24歳ということになる。少し詳しく検索して見ると、名古屋生まれでベルリン在住。ドイツ・グラモフォンよりデビューアルバムも発売されている。私はさっそくSpotifyでアクセス。若々しいブラームスのソナタが聞けた。

実際に舞台左手横真から聞いた独奏チェロは、木管楽器ととても上手く響き合う。正面を向くチェリストを見ながら、オーケストラに指示を与えるのは指揮者である。指揮者を介した木管と独奏のアンサンブルの妙は、CDなんかではなかなか聞けない醍醐味であることを知る。こんな有名曲でも私のコンサート記録には、過去にたった一度しかない。舞台正面の席であれば、もう少しオーケストラの音が一体化されているのだろう。だがこの場合には逆に、管楽器が見えにくい。左横からは音を少し犠牲にしている反面、指揮者と独奏者、それにオーケストラのソリストの呼吸が大変良くわかる。

それにしてもドヴォルジャークのこの曲ほど、琴線に触れる曲はないと思う。おそらくカザルスやフルニエの歴史的名演、それに続く万感のロストロポーヴィチの名演などにCDで接してきた聴衆は、その時に聞いた音を重ね合わせているに違いない。そのしびれるようなカンタービレ。もう一体何度聞いたかわからないほど馴染んだ曲なのだが、それでもああここはこういう風にフルートが、オーボエが、クラリネットが重なっているのか、という発見の連続だった。

佐藤春真のチェロが技術的に巧いのは言うまでもないのだが、それが小泉の指揮にピッタリ寄り添って、オーケストラとの交差が見事である。完全にオーケストラに溶け込みつつも、ソロの巧さを表現している。オーケストラの中に入った独奏という感じ。これは相当練習し、かつ指揮が上手いからに違いない。

佐藤春真のことをTwitterなどで見るていと、その辺りを歩いている普通のいまどきの学生と変わらない表情で、私の会社にもいる感じである。ごく普通の感覚でありながら、聞かせどころにうまく歩調を合わせ、親しみやすいドヴォルジャークの旋律をフレッシュに聞かせてくれた。

後半のプログラムは交響曲第8番だった。舞台に上がったマエストロが指揮棒を自然に振り下ろすと、オーケストラが一斉に鳴り響いた。前半の独奏者に遠慮した硬い感じからは解放され、オーケストラの醍醐味が満喫できた。特に中低音が活躍するドヴォルジャークのメロディーは、チェロとコントラバスの人数が多い今日の編成では特に重要である。そしてチェロ協奏曲を含め、オーケストラが音を外すことなどなく、すべての楽器が素晴らしかった。第1楽章のフルートや、第2楽章でのオーボエとヴァイオリンのソロ、第4楽章冒頭のトランペットに至るまで、それは完璧だった。

第3楽章のスラブ舞曲風メロディーや、第4楽章のハンガリー風ダンスも興に乗った演奏で会場の聴衆は大いに沸き立った、と書きたいところだが、コロナ禍で「ブラボー」は禁止され、この日のコンサートには空席が目立ったことは残念である。ところが、驚くべきことにオーケストラがすべて退散した後にも拍手が鳴りやまないという、珍しいことが起きたのである。来日した老齢のマエストロならわかるのだが、通常の都響のコンサートでこの光景は特筆に値するだろう。熱心な観客は、この演奏の素晴らしさを長い拍手で表現したのである。

思えば小泉はカラヤンの弟子の一人で、アシスタントも務めていたのだろう。その指揮はやはりカラヤンのようにスタイリッシュで、流れるような旋律も颯爽と乱すことはなく、そして多くの楽器で旋律を始める時に、もたつかず自然に、しかもすっと入るあたりの職人的な感覚は、見ていて惚れ載れする。こういうところは目立たないが、なかなかのものである。一緒にコンサートを聞いた妻も、一気に小泉の演奏に引き込まれたようだ。私も毎年何度か開催される彼の名曲コンサートに通ってみたいと思う。

土曜日の昼下がり。ようやく秋めいてきた快晴の赤坂を歩く。今宵は神谷町のイタリアン・レストランで妻の転職・昇進祝いをする予定である。まだ少し時間があるので、新しくなったホテル・オークラのカフェにて1時間余りの時間を過ごす。贅沢な秋の一日は、素敵なトスカーナのワインと、北イタリアの郷土料理に舌鼓を打って帰宅。彼女は明日から北海道の実家に出かけ、妹と母親、それに私の母も参加して沖縄旅行をする予定である。その準備に取りかかりなら、久しぶりに聞いたドヴォルジャークの旋律が心地よい週末の夜だった。

※ご本人のTwitterに当日のコンサートの写真が掲載されていたので、転載させていただきました。

2021年10月17日日曜日

NHK交響楽団第1939回定期公演(2022年10月16日東京芸術劇場、指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット)

10月に入っているというのに気温の高い日々が続いている。例年だとすっかり秋めいて行くこの時期、今年はまだ半袖のシャツが欠かせない。オリンピックで日程が後に倒れた今年のプロ野球ペナントレースも、いまだに両リーグの優勝チームが決まらない。我が愛する阪神タイガースは辛うじて優勝の可能性を残してはいるものの、いくら連勝してもそれを上回るヤクルト・スワローズの快進撃にあっては焼け石に水である。むしろ25年も優勝から遠ざかっているオリックス・バファローズを私は応援している。万年最下位のこの弱小チームは、多くの選手を怪我などで欠きながらも奇跡的に首位を独走しているが、ここへきて2位のロッテ・マリーンズに優勝マジックが点灯してしまった。これもまた今年の異常と言える。

異常と言えば、あれほど感染者があふれた新型コロナウィルスの猛威が9月に入り原因不明の収束を見せつつあることは喜ばしいことだ。そしてその機会をとらえ、自民党・岸田政権は衆議院を一気に解散し、史上最速で総選挙に突入しようとしている。株価が連日乱高下し、台湾海峡では緊張が高まっている。サプライチェーンの乱れに端を発した世界的なインフレや円安にもはや打つ手がないというのに、日本中がつかの間の安堵を感じている。

そんな毎日のある日、私はNHK交響楽団の定期公演に関するメールを受け取った。昨年は中止になった定期公演が今年から復活、9月にはパーヴォ・ヤルヴィが来日し、予定通りのプログラムをこなしたようである。そして10月には何と、94歳にもある世界最高齢の現役指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテットが3つの公演に登場するというのである!さらに地方公演も含めると1か月近くを日本に滞在することになる。もっともそのようなことは、ファンの間では知れ渡っていて、チケットは早々に売り切れ。改装工事で使えないNHKホールよりも収容人数の少ないホールとあっては、もはや手にする術はないとあきらめていたのだが、緊急事態宣言の終結を受けて追加販売されたようで、何と初日土曜日のコンサートのA席が、横並びで余っていることを当日の朝に発見した。妻に聞くと行くとう。私はさっそくこれをを購入し、夕方6時開演のコンサートに東京芸術劇場まで出かけた。

2年ぶりの池袋は、物凄い人々でごった返している。いつ行っても好きになれない街だが、コンサートとあっては仕方がない。長いエスカレータに乗ると、いつもは目にする老人や杖をついたような人をあまり見かけない。渋谷には行き慣れた人々も、池袋までとなると諦めざるを得ないのだろうか。久しぶりの満員のコンサートは、やっと取り戻された「日常」の光景である。客席がマスクをして開演を待っていると、同じようにマスクをした二人の人間が舞台に登場した。オーケストラは管楽器を除いてまだ舞台には登場していないから、係の人が何かを告げに来たのではないかと思っていたが、会場は大きな拍手に包まれた。何とその2人こそ、ヴァイオリニストのレオニダス・カヴァコスと指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットだったのである。

驚いたことにブロムシュテットは杖もつかず、歩いて指揮台に向かった。そしてその後を追うようにオーケストラの残りのメンバーが舞台に現れた。何とも粋な演出は、9月のヤルヴィの時にもそうだったらしい。やがてチューニング。今日のコンサートはFMで生中継、テレビ録画もされる。プログラムの最初はブラームスのヴァイオリン協奏曲である。ギリシャ生まれの世界的ヴィルトゥオーゾ、カヴァコスは、1967年生まれというから私とほとんど年齢が変わらない。若いと思っていたら、もう50代なのである。ブックレットによれば、すでに過去3回もN響と共演しているようだ。

一言で言えば、ブラームスのヴァイオリン協奏曲をこんなに軽々しく演奏したのを見たのは初めてだ。CDで数多くの演奏に接している名曲だが、どの演奏もずっしりと重く、相当真剣になって弾く曲という印象が強い。録音ならなめらかで美しく聞かせるか、ライブなら必死の形相で難曲を弾き切るか。ところがカヴァコスは、どんなに速いところでも圧倒的なテクニックで難しいフレーズを乗り切って見せる。これは言ってみれば、パガニーニ風のブラームス。そして驚くのは、その速さに指揮がきっちりとついて行っている、というと失礼で、完全に独奏者の求める伴奏をこなしていることだろう。

これまで私たちは、老齢の指揮者がしばしば椅子に腰かけながら演奏する弛緩した音楽を、「枯淡の境地」などと形容しながら受け入れてきた。ブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラーの生気を失った音楽は、辛うじて間に合ったステレオ録音によって忘却を免れ、故障続きのヘルベルト・フォン・カラヤンや晩年のレナード・バーンスタインの常軌を逸した演奏も、理解ある聴衆と商売気の塊であるレコード会社、それに献身的オーケストラによって、評論家をも巻き込んだ賛美の嵐が演出されてきた。それでも何十年かが経つと評価は歴史の波にさらされる。結局、80歳を過ぎても矍鑠として、一切の妥協を許さない指揮をしたのは、ギュンター・ヴァント、ピエール・ブーレーズ、それにニクラウス・アーノンクールくらいしか思いつかない。しかしかれらは80代で突然この世を去ってしまった。

94歳のブロムシュテットは、まだ20年は若かろうと思うような生気に満ちた音楽で私たちを瞠目させた。コロナ禍でなかったら、ブラボーの嵐が絶えなかったであろう。ブラームスでのオーケストラは、それでもやや練習不足か、少し硬いところが目立った。第2楽章の導入部分などがそうである。だがカデンツァの深く味わいに富んだ表現や、そこからそっと入って溶け合うフレーズの、なんとも洗練された品格は、まるでそれが当然のことのように示されるとあっというまに通り過ぎてしまう。だがそこは、高い技量があってこそであることは、この曲を知っている人なら納得するだろう。軽々しくヴァイオリンを操るカヴァコスは、終始ブラームスを楽しんでいるようだったし、ブロムシュテットの指揮も若々しく、それこそが奇蹟だった。そう、ブラームスは枯れてはいけないと思った。この音楽、どのフレーズも生々しい野心に満ちている。それを表現できない演奏は、本物のブラームスではないような気がしている。

しかし、本日の圧巻はブラームスよりもむしろ、後半のニールセンにあったことは確かだ。一音を聞いただけでオーケストラの響きが違った。この日のN響は、確かな練習量を想像させた。特にクラリネット独奏の見事さと言ったら!ブロムシュテットの十八番であるニールセンの音楽を、初めて聞く曲でありながらかくも新鮮な感覚で聞かせる演奏に出会えたのは、一生の思い出になるだろう。ブロムシュテットは愛する北欧が醸し出す独特の風景を、圧倒的な自信を持って聴衆に明示した。そのエネルギーは強力にオーケストラに乗り移り、乾いてやや冷たい色彩感と打楽器に象徴される独特の緊張感を、30分以上に亘って維持するというものだった。

記憶する限りニールセンの交響曲を、ブロムシュテットは過去に2回録音している。1回目はEMIへの録音(70年代)でデンマーク放送響によるもの、2回目デッカへのデジタル録音で、オーケストラはサンフランシスコ響である。このことからもわかるように、彼はこの作曲家の第1人者と言える。その確固たる解釈でニールセンを聞いていると、確かにこの作曲家にしかないようなものを感じる。それはシベリウスとも異なるものだ。

作曲された1920年代という時代は、第1次世界大戦が終結し、つかの間の平穏を取り戻しつつあった頃である。時折鳴り響く小太鼓が、いつのまにか世界を巻き込む戦争を想起させるが、そのこととこの度の世界的なパンデミックとを重ね合わせて考えることができる。もう元に戻らないのではないかとさえ思わされた災いが次第に遠ざかり、少しずつ日常を取り戻していくことができるのだろうか。そんなことを考えながら聞いたコンサートだった。何度も舞台に呼び出されては満員の聴衆から総立ちの拍手を受けるマエストロ。その光景を2年ぶりのN響定期で味わうことができた。今回こそもうこれが最後かと思った前回のブロムシュテットの演奏会から、もう2年以上の歳月が流れた。コロナ禍が世界を覆っても、忘れてはならない日常が存在する。日常と異常の交錯。そのことを音楽で示したのは、ニールセンを指揮するマエストロの飽くなき情熱だったような気がする。

2021年10月3日日曜日

エネスク:「2つのルーマニア狂詩曲」作品10(アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団)

中学生の頃、ルーマニアに行ってみたいと思っていた。何故かはわからない。もしかすると「ラジオの製作」という今は無くなってしまった雑誌の表紙か何かに、東欧のどこかの国の広場の風景が載っていて、その石畳の広場では民族衣装をまとったグループがダンスを踊っている。そんな風景に憧れたのだろうと思う。なぜラジオに興味を持つ中高生向け技術雑誌の表紙に、そんな写真が掲載されていたのかはよくわからない。だが当時、短波放送を聞くといった趣味が流行していて、私もその影響を受けたのだが、異国の放送を聞くことはその国の文化に触れることにもなるわけで、ここに技術的な追及が諸外国への関心とが結びつく。

ある日の早朝だったか。ルーマニア国営放送の海外向け放送を聞いたのはそんな頃で、当時はチャウシェスクによる独裁国家だったのだが、なかなか受信が困難なその放送を聞いた時の喜びは計り知れないものだった。雑音にまみれた不明な言語で放送されていたその放送が、確かにルーマニアの放送であることを確信したのは、その放送開始の音楽にエネスクの「ルーマニア狂詩曲第1番」のフレーズが使われていたからである。このルーマニアを代表する作曲家の作品の中で、ひときわ有名な曲だったが、今のようにオンライン配信サイトで気軽に聞くことなどできなかった時代、これがどんな音楽かを知るには多くの困難が伴った。けれどもこの音楽は、確かに「ルーマニア狂詩曲」であることを確信した。

もっとも「ルーマニア狂詩曲」の全曲を聞いたのは最近になってからのことである。「ルーマニア狂詩曲」は第1番と第2番の2曲からなる作品だが、第2番は地味であまり演奏されないことに比べ第1番の録音は多い。それは曲の親しみやすさにあると思う。兎に角全曲舞曲風のリズムが弾け、聞いていて楽しいことこの上ないのである。しかし弦楽器のメロディーが印象的な第2番も味わい深い作品であるように思う。この2つの曲は対照的で、エネスクは2つで1つの作品としていることからも、ルーマニアの2つの側面を様々に表現したからだろうか。想像するに民族舞踊に代表される文化的側面と伸びやかで美しい自然、といった感じだろうか。あくまで勝手な想像に過ぎないのだが。

「ドナウ河紀行」(加藤雅彦著、岩波新書)は、ドナウ川が起源を発する南ドイツから黒海に至るまでの東欧各国について、その歴史や文化を美しい文章で綴った名著である。この本を読みながら、ウィーン以外は行ったことのないドナウ川の河流に思いを馳せた。この中に当然、ルーマニアの章もある。それによれば、ルーマニアはローマが支配した間にラテン化されたダキア人の国だったとのことである。だが、ルーマニアを巡る諸民族の興亡は、この国に多彩なものをもたらす。例えば、ドナウ川に面していないトランシルヴァニア地方は、ハプスブルク家の領土だったこともあり、ドイツ風の街並みが見られるとのことだ。そしてその役割を果たしたのがハンガリー帝国だったと聞くに及び、この地域の入り乱れた文化的背景は、隣国のユーゴスラヴィアなどどともにまさに民族のモザイクとも言うべき歴史を持っている。

私が有名な第1番を聞いた時の演奏は、ハンガリー人アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団だった。Mercuryの古いにも関わらずヴィヴィッドな録音は、音符の隅々にまで各楽器がきっちりと音色を響かせるさまと沸き立つようなリズムを明確に捉えており、今聞いても興奮する。けでどもこのディスクは、どういうわけか第1番と第2番が別々に収録され発売されている。第1番の方はリストの「ハンガリー狂詩曲」などと一緒に収録されていた。一方、第2番の方はブラームスの「ハンガリー舞曲」。この「ハンガリー狂詩曲」と「ハンガリー舞曲」の演奏は大変有名で素晴らしく、今もってこの曲の代表的な録音なのだが、エネスクの方は何か付け足し、レコードの余白を埋めるための小ピースという扱いを受けていた。

Spotifyの時代になって、うまく検索すればこの2つの曲を別々に聞くことができる。さらにはストコフスキーやロジェストヴェンスキーといった指揮者による名演奏にも触れることができる。Enescuと検索すれば、もっと珍しい他の作品や、彼自身が指揮した古い録音などもあって興味が尽きない。

長く続いた緊急事態宣言が解除され、大雨をもたらした台風一過の晴天が本格的な秋の訪れを感じさせる朝になった。私はひさしぶりに音楽が聞きたくなり、「ルーマニア狂詩曲」を聞いてみたくなった。第1番の冒頭は、クラリネットとオーボエなどが掛け合ってメロディーの一節を歌う。これらが噛み合ってやがてひとつの流れになると舞踊風の曲が弦楽器で流れてくる。スメタナの「モルダウ」などを思い出させるが、こちらはもっと明るい。そういえばルーマニアはローマの流れを組むラテン人の国だと思いだす。音楽は常に早く、ジプシー風の舞踊曲が次から次へと流れて行くので聞いている方はウキウキする。このような曲を集めたポピュラー・コンサートもかつては結構開かれていたように思うが、最近ではほとんど見かけなくなった。一度実演で聞いてみたいと思う。

第2番は打って変わって、弦楽器のアンサンブルが懐かしいメロディーを奏でる序奏部にまず憑かれる。ただ底流を流れる明るさは第1番と共通した傾向だ。オーボエのソロが終始印象的で、これは夜のシーンで多用されるような感じだが、やがて大きく、明るくなると、どこか大自然を感じるような気分になるのは私だけだろうか。終結部でもまた、妖精が出てくるような静かなシーンが心地よい余韻を残す。

このブログでは最初、有名な第1番のみを取り上げようと思っていた。第2番は聞いたことがなかったからだ。だが検索の仕業により第2番を間違って聞いたことから、この曲との出会いが始まった。そしてこの第2番は第1番とは異なったムードでありながら、やはり明るく高らかにルーマニアの魅力を伝えているように思われた。目立たないが、それなりに演奏されているエネスクの代表作は、また音楽以外の面でもあまり知る事のできないかの国への関心を掻き立ててくれる。丁度中学生の私がラジオ雑誌の表紙でイメージを膨らませたように。

あれから40年以上が経過したが、今ではEUの一員にもなったルーマニアにも、やはり一度は出かけてみたいと思っている。

2021年9月4日土曜日

ハイドン:弦楽四重奏曲作品20(第31番変ホ長調、第32番ハ長調、第33番ト短調、第34番ニ長調、第35番へ短調、第36番イ長調)(モザイク四重奏団)

子育ても一段落した中年以降の妻子ある男性とって、家庭内の居場所が徐々に失われて行くことは世界共通の極めて深刻な悩みである。家の大きさや経済状況もその傾向に影響を及ぼす要素ではあるが、本質的な部分は変わらない。無観客となった東京オリンピックのメイン会場に、放送局が特設スタジオを設置しているが、その画面から見える会場周辺をうろつくうろつく人々にも、そのような中年男性の姿が映っている。たいていは一人で写真などを撮っていたりしている。

盛夏となった今年の東京も、青空に雲が沸き、なかなかいい陽気である。五輪選手の中には東京の暑さを訴える人がいるようだが、大阪生まれの私にとっては今年の東京の夏は、理想的な夏である。晴れて風が吹き、日陰に入るとさわやか。これが凪を伴う瀬戸内地方へ行くと、こうはいかない。だから日曜の朝、、家族はまだクーラーなどを書けて朝寝坊をしているが、ひとり家を飛び出して近くのベンチで音楽などを聴いている。もちろんあちこちに同類の友がいる。

自分も腰を痛めて満足に歩けないため、家に籠っていたが、それも限界である。かといってコロナ禍では家族に外出を勧めるわけにもいかない。実家などへ長期に帰省することも憚れる。学校や休みとなる夏だが、観光に出向くこともできず、お酒も飲めない飲食店でゆっくりと過ごすわけにもいかない。コンサートも中止、スポーツ観戦も無観客、展覧会は過密状態が気になり、乗り物への乗車も怖い。もうこういう状態が1年以上続いている。同じ境遇なのか妻は機嫌が終始悪く、子供は引きこもってしまった。私も引きこもってしまいたいが、その場所がない。そして昨年来の腰痛で、外出もできない。いや、そもそも不要不急の外出は、腰の状態にかかわらずすべきでないのだ。持病のある私にとって、感染は命取りになるからだ。ワクチン接種は無事終えたが、重症化を防いでくれるだけで、デルタ株などあまり感染抑止に効果がないらしい。

そんな蒸し暑い休日の朝、人気の少ない家の近くの公園で、ひとり静かに音楽を聞くことができるのは、せめてもの慰めである。そして私の愛するハイドンの弦楽四重奏曲を、今日も聞いている。ボートの講習会に集まった小学生たちが、親と一緒に運河に船を運んでいる。今日聞いているのは、ハイドンがいわゆる「疾風怒涛(シュトゥルム・ウント・ドランク)」と呼ばれた時期に作曲した「太陽弦楽四重奏曲(作品20の6曲)である。「太陽」というあだ名がついたのは、出版された楽譜の表紙に太陽が印刷されていたからだそうだが、なるほどこの夏の暑い日の朝に聞くのに相応しい名前だということだろうか。

作品20の6曲の特長はいくつかあるが、短調で書かれた作品があること(第3番ト短調、第5番へ短調)、そして終楽章にフーガが多用されていることである(第2番ハ長調、第5番へ短調、第6番イ長調)。この作品は、ハイドンが交響曲とともに探求してきた弦楽四重奏曲の、いわば転換点となる作品とされている。ここで様式が確立されたのだそうだ。だから外せない、と私はいつか、モザイク四重奏団の演奏する2枚組のCDを購入していた。購入したのはいいのだが、少し聞いただけで棚に戻してしまい、以後、まとめて聞いた記憶がないのである。ハイドンの弦楽四重奏曲の最後の方の作品を聞いた後で、どうしてまたこのような古い作品を、と思わないでもないのだが、こういった理由で取り上げることにした。もちろん私の朝の散歩の慰めに聞いたことも理由ではあるのだが。

さてCDではまず第1番(第31番)変ホ長調から始まる。疾風怒濤の時期の作品ながら、上品で落ち着いた開始の音楽でほっとするのだが、この第1楽章が滅法長い。10分近くあるのだが、後期の作品を聞いて来たので冗長であるような気がしてならない。第2楽章は少し短いが、ここはメヌエット。そして第3楽章はどうも冴えない曲がだらだらと続く。どうも自分の心理状態を反映しているようで、あまり気分が良くない。

続く収録作品は第5番(第32番)へ短調である。短調であることも珍しいが、へ短調というのも聞いたことがあまりない。そしてそのほの暗い陰鬱なメロディーは、私を再び悲しい気分にさせるのに時間はかからなかった。むしろ今の気分に合っているような気がする。だからなのか、10分も続くが聞いていられるのが不思議である。第2楽章メヌエットを経て始まる第3楽章アダージョは、親しみやすい慰めの音楽にほっとさせられる。そして終楽章の短いフーガは、再び気持ちが現実のものとなってしずかに押し寄せる。それでも重くなり過ぎないこの曲は、なかなか特徴的でいい曲だと思った。

2枚組の1枚目最後は、第6番(第36番)イ長調である。この曲はその調性からか、とても明るく快活である。そして第2楽章アダージョ、カンタービレは、何とも心に淡々と染み込んでいく素敵な曲である。メヌエットを経てフーガ静かに始まる。全体的にまとまりがいい曲である。

2枚目のCDは第2番(第32番)ハ長調で始まる。ここでは第1楽章冒頭のチェロが印象的である。夏の風に揺れる青々した木々を眺めている。静かで落ち着く時間である。そして淡々と続いて行くフーガは落ち着いた風情を見せ、明るさの中身も一定の重みが感じられる。ところが第2楽章は悲痛なモチーフで始まる。続く劇的な音域の激しい上下は、心を突き刺すような激しさで聞く者を驚かせる。ところが中間部に入ると、まるで楽章が変わったように一点、落ち着いた優しいメロディーが聞こえてくる。痛みにもがいていた重症患者が、心地よい眠りに入った時のようなこの落差は、まるでロマン派の音楽のようだ。気が付くと第3楽章の三拍子となっており、第4楽章では再び劇的な音楽が展開されて終わる。この曲は若きハイドンの野心的な試みの曲だと思った。

第4番(第34番)ニ長調もまたハイドンの表現の幅を追求した作品のように思える。第2楽章のどこか懐古的なメロディーは、モザイク四重奏団のモダンで明るい音色によって中和されているとはいえ、懐かしさを覚える。第3楽章は楽し気で、第4楽章は速くて明るく陽気である。第3番(第33番)ト短調は、短調の曲に相応しく、聞いていたあまり楽しくない。第2楽章に陰鬱なメヌエットが置かれており、長い第3楽章の静かなメロディーは、時々途切れるのが新鮮だ。これは第4楽章でも同様である。

ハイドンの音楽の魅力は、古典派の様式を映し出す理性の枠組みは維持しつつも、それを意図的に逸脱して崩す仕組みを随所に散りばめながら、決してその一線を越えない情緒が垣間見えるところであろうか。この交響曲でもさんざんつき合わされた試みが、四重奏曲の分野でも同様に行われている。ひとつひとつの曲は、交響曲のほうが聞いていて楽しいが、かといって浅番の作品をわざわざ取り上げて聞くこともないのが実情である。それにくらべると弦楽四重奏曲の方が、BGM代わりにずっと聞いていられる。仕事の邪魔をしないし、旅行に持って行って車窓風景を眺めながら聞くのにも有用である。この際の欠点は、今どの曲のどこを聞いているのかもよくわからない状態になってしまうことなのだが、まあこれは仕方のないことだろう。

2021年8月9日月曜日

日本フィルハーモニー交響楽団演奏会(2021年8月7日ミューザ川崎シンフォニーホール、指揮:下野竜也)

コロナ禍に見舞われた昨年、NHKは日曜夜のクラシック音楽の放送枠に、全国の地方オーケストラの公演を取り上げた。その中でとりわけ私を注目させたのは、下野竜也が指揮する広島交響楽団のベートーヴェン「エグモント」(全曲)の演奏会だった。序曲だけが有名なこの作品の全曲を、ナレーション(エグモント)とソプラノ(クレールヒェン)付きで演奏する意欲的な取り組みは、ベートーヴェン生誕250周年だったこともあり、事前に組まれていたものだろう。だが私の目を見張ったのは、その演奏の素晴らしさだった。

私は未だにこの鹿児島生まれの指揮者の姿を見たことがない。読売日本交響楽団などをしばしば指揮しているから、接しようと思えば簡単なことだと思いながらも、なかなかその機会が持てないでいた。だがテレビで見たその指揮は、なかなかスマートなもので、特にフレーズが次のフレーズに移ってゆく時、自然に流れを持続させるのが非常にうまいと思った。広島交響楽団というのが、どの程度の演奏団体なのかは実演で接したことがなく未知なものだったが、少なくとも映像で見る限り、これは第1級の演奏だと思った。他のオーケストラと比べても、それは歴然としていたと思う。

そしてエグモントとしてナレーションを担当するのが、バリトン歌手の宮本益光。この単なるナレーションに歌手をわざわざ起用しているのは、この演奏会の成功の要因だと思った。日本語なので自然に頭に入って行くことに加え、音楽との微妙な交わりがとても良い。ミューザ川崎シンフォニーホールで聞いた実演に関していえば、マイクを使う必要もなかったのではないだろうか?かえって残響が耳に残った。

クレールヒェンを歌ったのは、これも広響との公演と同じソプラノの石橋栄美で、彼女を私は新国の「フィデリオ」(2018年)で聞いている(マルツェリーネ)。その経歴から、私の生まれた大阪出身で、しかも私の育った豊中にある大阪音楽大学の出身とある。豊中でもとりわけ庶民的な地域にあるこの大学の前を、私はこの4月に歩いたばかりであるだけでなく、私の通った高校の音楽の先生などもこの大学を出ていたりしたから非常に親近感が沸く。もしかして同じ高校?などと勘繰り、さらに経歴を調べてみたら彼女は東大阪の出身で高校は天王寺にある夕陽丘高校だと判明した。

その石橋のソプラノの素晴らしさも特筆すべきもので、舞台向かって右後方より聞こえてきた自信に満ちた歌唱は、私が聞いた1階席では完全に音楽に溶け込み、素晴らしいバランスで3つのアリアを完璧に歌いこなした。 

ゲーテの戯曲にベートーヴェンは音楽を付けた。そのことだけでも興味が沸くこの作品の全曲が演奏されることは非常に少ない。私はかつてジョージ・セルがウィーン・フィルを指揮して録音した演奏でこの曲を知り、その後、クルト・マズアがニューヨーク・フィルと録音したCDで親しんで来た。だが実演に接する機会が来るとは思わなかった。この度、偶然川崎の音楽祭のパンフレットなどを眺めていたら、昨年テレビで見た広島での公演と同じものを日フィルとやることがわかった次第。迷わずチケットを買い、勇んで会場に入ったがその客席は2割にも満たない状況に、いくらコロナ下とは言えちょっと残念に思った。前日のバッティストーニは、5割は入っていたと思うからなおのことである。

プログラムの前半は、何とシェークスピアを題材にした曲が3つ。ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲で始まり、ヴォーン=ウィンドウズの「グリーンスリーヴス」による幻想曲を経てニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」と続く不思議な選曲。これらの3曲は非常にポピュラーで聞いていて楽しい作品だが、この日の演奏会は兎にも角にも後半の「エグモント」に注力した感じ。練習していないとは思わないが、軽く流した感じもしてちょっと不満ではある。だが「グリーンスリーヴス」の美しい音色は、心に染み入ってしばし音楽に触れることを喜んだ。

昨日の東フィル、今日の日フィル、いつもの東響、だけでなくここ川崎で聞くオーケストラの音は、いつもちょっと濁っている。これはホールに原因があるのかも知れない。だがこのホールに来ていつも思うのは、その客層の良さである。何かとても音楽を聞くことを楽しみにしている人が多いと思う。醒めたN響の定期会員や、何か特別な感覚のある読響、それに余り音楽に縁のない人がなぜか多い都響、と在京オーケストラにも様々な個性がある。そんな中で、この川崎に集う聴衆は、オーケストラが登場するだけで拍手を送る。だがそのような愛すべき聴衆も、今や高齢化が避けられないようだ。そのことがちょっと淋しいと思った。

なお、毎年夏の「フェスタミューザ」の広告に使われるイラストは凝っていて面白い。今年はベートーヴェンがテニスのラケットを持ち、マーラーがコーラ片手に山登りに出かけるというもの。とても面白いからここにも張り付けておきたいと思う。


2021年8月8日日曜日

東京フィルハーモニー交響楽団演奏会(2021年8月6日ミューザ川崎シンフォニーホール、指揮:アンドレア・バッティストーニ)

 ツイッターでフォローしている音楽ライターが、川崎で毎年夏に開催される「フェスタサマーミューザKAWASAKI」での音楽会について、好評のコメントを寄せている。ということは、このコロナ禍においても演奏会が開催されているということである。考えてみると神奈川県は緊急事態宣言も出ておらず(7月末時点)、中止になる理由はない。そういうわけで私も久しぶりにコンサートに出かけようとプログラムを眺めてみたら、何とバッティストーニ指揮の東フィルがまだ沢山あまっているではないか!

東フィルのコンサートも、首席指揮者として大人気のバッティストーニが指揮する公演は、いつも売切れ。私も過去に何度か行こうとしてきたが、直前だと満員御礼のことが多く、未だに一度も聞いたことがない。そうこうしているうちにコロナが感染爆発を起こし、コンサートそのものが中止になってしまったのが昨年である。東フィルに限らず、辛うじて観客数を抑え何とか公演にこぎつけた場合でも、外国からの指揮者を迎えることはできない日々が続いていた。

それに加えて、私を襲ったのが腰痛とそれに続く長い闘病の始まりであった。もうかれこれ1年近くに及び、私の下半身はいまだに言うことを聞かず、しびれと痛みが時おり襲ってくる。このような状態で2時間もの間、会場の椅子に座る自信もなければ、そもそも会場に足を運ぶだけの力も失せてしまった。クラシック・コンサートの会場では、歩くのも苦労するような人々をいつも大勢見かけるが、彼らはそうやってここへ来て座っているのだろうか、といつも思っていた。ところがその仲間入りを、私も果たしてしまった。

どうせ世の中は不要不急の外出をしないよう呼びかけられている。たとえ外出に成功したとしても、感染の恐怖に怯えながら常時マスクを装着しなければならず、酷暑の中では不快で不自由極まりない。そういうわけでわずかに開催される演奏会にも、出かけたくなる精神状態ではなかったのである。おそらく同様の状況に置かれてる人は多いと推測される。だからチケットが結構余っている。これでは演奏家の方々も可哀そうである。

コロナ禍が襲いつつあった昨年2月の新国立劇場で見た歌劇「セヴィリャの理髪師」を最後に、生の演奏会から遠ざかること1年余り。しかしここへ来てやっとのことで、腰痛は少し軽くなり、我慢をすれば外出もできるように思えてきた。そもそも人間は、旅行をしたり芸術に触れることによって人間性を回復し、家族や友人との交流によって生活を営む存在である。音楽に接することは、生活に必要な行為であると言える。演奏会への参加は、決して不要不急なものではないのである。

そういうわけで私は久方ぶりにチケットを購入し、8月6日の演奏会に出かけた。プログラムはオール・イタリアン。ヴェルディの歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲で始まり、レスピーギの珍しい組曲「シバの女王ベルキス」と続く。賑やかな演奏会になりそうだ、との大方の予想通り、カラフルなサウンドが会場を満たすと、実演で聞く音楽の高揚感が1年ぶりに私の体に押し寄せてきた。

ドリンクの販売もない休憩時間を経て後半には、世界を代表するハーピスト、吉野直子が登場。今日のプログラムの目玉であるニーノ・ロータの珍しいハープ協奏曲を披露した。

ロータは映画音楽で有名な作曲家だが、実際には複数の交響曲を含むクラシック音楽を多数作曲しており、それらの音楽が死後に演奏されることが多くなっている。ハープを独奏楽器とする曲は大変珍しいが、この曲も定番のフルートとハープの組合せだけでなく、トロンボーンやホルンなどといった楽器との二重奏などもあって、この音色の溶け合いが大変新鮮だった。ハープの清涼感あるバロック的な響きが、現代音楽の要素の中に入りこむ野心的作品に思えたが、音楽としての充実度はどうか、と問われるとちょっと答えに困惑する。

吉野直子を聞くのは初めてだった。彼女の弾くハープのディスクは、アーノンクールによるモーツァルトの定番「フルートとハープのための協奏曲」を私も愛聴しているのは、先に書いた通りである。若い頃から頭角を現し、数々の演奏家と共演を重ねている彼女はロンドン生まれだそうだが、私と一つ違いという年齢もあって親近感が沸く。そして音楽学校を出ておらず、国際基督教大学の出身であることも最近知った。

彼女は鳴り止まない拍手に応え、アンコールに小品を披露したが、これはフランスのハープ奏者だったトゥルニエの演奏会用練習曲「朝に」という曲であることが、ミューザ川崎シンフォニーホールのWebサイトに掲載されている。今日のプログラムは編成が大きく、オーケストラの中に2台のハープが置かれていた。だが彼女はこれとは別のハープを演奏した。曲の中で聞こえてくると世界が一瞬にしてモードが変わり、丸で蝶が舞うような感覚にとらわれるハープも、独奏楽器として使われると、長大な時間、重い楽器をずっと弾いていなければならないのは大変タフなことだと思わずにはいられなかった。

プログラムの最後を飾るレスピーギの交響詩「ローマの松」については、もう何も言うことはないだろう。極採色の大編成はオルガンとその左右に計7名もの金管奏者を配するもので、私の知っている音楽の中でもっとも大音量だと思う曲である。キラキラ光る鮮やかな冒頭とに挟まれて、鳥が鳴く静寂な中間部も聞きものである。私のバッティストーニに対する感想は、意外にも落ち着いたオーソドックスな指揮だということ。だから安心して聞ける指揮者だと思った。その分興奮に満ちた音楽という前評判も、私にはどこか醒めたものに感じられた。

楽団員が引き上げても指揮者のみがステージに呼び出されるのは珍しい光景である。来日した巨匠の最後の演奏会ではよく見るが、それが何と実現された。舞台に再び登場したバッティストーニは、惜しみない拍手に応えていたが、それは彼の日本での人気ぶりを表していた。

2021年7月28日水曜日

ハイドン:弦楽四重奏曲作品77(第81番ト長調、第82番ヘ長調)、作品103(第83番ニ短調)(アマデウス四重奏団)

一連のハイドンによる弦楽四重奏曲の最後を飾る「ロブコヴィッツ四重奏曲」(作品77)は、1799年に作曲された。この頃のウィーンにはすでにベートーヴェンがいて、ピアノの名手として名を馳せていた頃である。ベートーヴェンが記念すべき交響曲第1番を初演するのは1800年である。そのベートーヴェンはまた弦楽四重奏曲を数多く作曲しているが、その最初の作品18は、ハイドンの作品と同様にロブコヴィッツ侯爵へ献呈されている。このことは興味深いことである。ハイドンの最晩年の弦楽四重奏曲とベートーヴェンの最初の弦楽四重奏曲は、いずれも同じロブコヴィッツ侯爵の依頼によって作曲された。ハイドンは70代にさしかかろうとしていたのに対し、ベートーヴェンはまだ20代の若者だった。

ハイドンの生涯はモーツァルトを包含し、ベートーヴェンに重なっている。交響曲と弦楽四重奏曲という分野において、この事実は3人の作品が互いに影響を与え合うことになった。弦楽四重奏曲のスタイルを確立したのは紛れもなくハイドンであるが、ハイドンはまたモーツァルトによりプレゼントされた「ハイドン・セット」から影響を受けた。交響曲の分野ではハイドンがモーツァルトやベートーヴェンに与えた影響は計り知れない。モーツァルトによる輝かしい弦楽四重奏曲については、また別の機会に触れなければならいし、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、ハイドンの古典的スタイルから次第に脱皮し、交響曲同様、新しい極致を開拓している。これについても数多くのことが書かれているし、私も取り上げないわけにはいかないだろう。

だがここで私が聞いているのは、ハイドンが最晩年に作曲した2つの弦楽四重奏曲で、ハイドンによる弦楽四重奏曲はこれ以降は、未完に終わった作品103だけである。ハイドンがロブコヴィッツ侯爵に献呈した最晩年の2つの作品を聞いて感じることは、これらの作品が実に落ち着いているにもかかわらず、軽やかであることである。自然に音楽が体に入って来る感覚。一般に晩年の作品ほど自然体に近い感覚にとらわれる作品を残す作曲家は多いが、常に襟を正しているような格式のあるハイドンの作品で、このような感覚を持つのは異例である。交響曲の最後の作品を聞いてもそのようには感じないし、この「ロブコヴィッツ四重奏曲」と同時期に作曲されたオラトリオ「天地創造」などは渾身の力のこもった作品である。またその後に作曲されたオラトリオ「四季」はハイドン最高峰の作品だと思っているが、ところどころに音楽が自然に身に沁みとおる感覚はあるにせよ、何せ規模が大きく、そして凝っている。

それに対し、弦楽四重奏曲作品77の2曲はどこをどう聞いても、ここにはもう他にどのような曲になるかも考えられないような必然的な音楽が、恐るべきことに何の余分な力も入らない形で、しかもハイドンらしい節度をわきまえた感覚で私の前に存在している。もうこれ以上どこに向かうこともできないような、それでいて行き詰まり感などのない世界。信じられないことに、音楽の完成度という点においてこれ以上のものはないのではないだろうか?そしてそれはモーツァルトのような天才性というのとも少し違う。同様に無欠の完全性を持つ作品であったとしても、ハイドンのそれは、長い試行錯誤の末に築き上げられた努力の結晶ともいうべきものだからである。だから私はハイドンの作品に、モーツァルトにも増して親近感を覚える。そしてまたベートーヴェンがこの先を発展させざるを得なくなる苦悩に対しても。

弦楽四重奏曲第81番ト長調(作品77-1)は、スタッカートのような跳ねるようなリズムで始まるのが印象的である。丸で鞠で遊ぶようなおどけたようなメロディーは、第1楽章を通して聞かれる。一聞、イージーに書かれたような印象を与えるが、決してそうではないと思わせるようなものを持っている。

第2楽章が秀逸で、無駄なく、しかもしっかりと音楽がそこに存在している。そして重要なことは、ハイドンの音楽が決してスピリチュアルではない点である。むしろそれとは対極的に音楽としての存在を主張する。第3楽章の速いメヌエットの中間部では、スケルツォのような激情も登場するが、それもしかしベートーヴェンのように破綻するものではなく、きっちりと中庸の器の中に間隙なく収まっている。第4楽章に至っても無理なく自由である。

一方弦楽四重奏曲第82番は、結果的に完成されたハイドンの弦楽四重奏曲の中で、最後になった作品である。その感想を一言で言えば、第81番同様に無理のない中にも高度な完成度を感じることに加え、さらに深みを覚える作品である。また第2楽章は前作のアダージョとは異なり、メヌエットが置かれている。そのリズムの処理は諧謔的。第3楽章の長いアンダンテが尻切れトンボのように終わると、終楽章のソナタが始まる。

ハイドンはロブコヴィッツ四重奏曲を当初6曲から成る作品として作曲を開始した。しかし完成を見たのは2曲のみである。ハイドンの意欲は、むしろこの時期にはオラトリオ「四季」に費やされた。その作品から3年が経過し、ハイドンは作品103(第83番)として知られる次の弦楽四重奏曲の作曲に取り掛かった。しかしわずか2つの楽章のみを作曲しただけで未完成のままとなった。現在聞くことのできるのは、第2楽章と第3楽章のみということになっている。私もこの機会にこの作品に接して見たのだが、先入観のせいかそれ以外の作品のような優雅さにいささか欠けるような気がする。ハイドン自身、この作品には満足できるものではなかったようだ。だが、それは歳のせいであるとわかっていたハイドンは、そのことを素直に告白して、この作品を未完成のまま出版した。そういうところがハイドンらしいと思う。彼は自分の作品が一定の完成度を持たないといけないと考えた。音楽は常に明るく、楽しいものなくてはならない。そして彼は、出版された楽譜に、そのことをわざわざ告白している。

すでに老いたしまったハイドンは、これ以上の作品を生み出すだけの力を発揮することはなかった。これに代わって6曲から成る弦楽四重奏曲をロブコヴィッツ侯爵に献呈したのは、ベートーヴェンだった。息子よりも若い世代の活躍にハイドンはどう感じていたのだろうか。しかしモーツァルトであれベートーヴェンであれ、彼らの才能をいち早く認めていたのは、ほかならぬハイドンだった。古く懐かしいが、いまなお評価の高いアマデウス四重奏団のセットを聞きながら、コロナ禍が続く2021年の暑い夏を静かに過ごしている。

2021年6月29日火曜日

ハイドン:弦楽四重奏曲作品76(第75番ト長調、第76番ニ短調「五度」、第77番ハ長調「皇帝」、第78番変ロ長調「日の出」、第79番ニ長調、第80番変ホ長調)(タカーチ四重奏団)

室内楽曲と交響曲という2つの形式は、ハイドン自身によって確立されたと言っていい。このうち交響曲は、エステルハージ公を始めとする貴族に仕える職業として専有の楽団を指揮して演奏される比較的大きな規模の作品へと発展し、それはハイドンのまさに正職であった。様々な試みのもと、次第に様式を変遷させ、最終的には古典派の交響曲というジャンルを確立したハイドンは、ロンドンへの演奏旅行で不動の名声を確立する。その過程は華々しく、大器晩成型の作曲家の典型である。

一方、当初はディヴェルティメントと呼ばれていた小規模な楽曲は、せいぜい数人の奏者を必要とするだけであり、その用途も非常に限られた個人的なものだったと思われる。このような曲は、正式な依頼によって要請され、大規模な演奏会で披露されて出版されるものではなかった。ハイドン自身もこのような分野の曲を、個人的な依頼によって作曲した。当初はピアノを加えた三重奏曲が中心だったが、次第に弦楽四重奏曲が、これに変わった。そして面白いことに、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、それにチェロからなる弦楽四重奏は、とりもなおさず交響曲のミニチュアのような様相を呈し、いわば交響曲のエッセンスを形作っていると言ってもいい。

ここで私は学者でも音楽家でもないから、弦楽四重奏曲の何たるかについて、縷々語る資格を持たない。従って今回聞くハイドンの有名作品も、まあこれらの曲は一度は触れておかなくてはならない、という程度の義務感と、それに何といっても「ドイツ国歌」として使われるほどに有名な「皇帝」他の曲も聞いてみたい、などといった程度の動機であることを始めに記しておこうと思う。

ホーボーケン番号において77番とされる弦楽四重奏曲作品76の3番は「皇帝」のニックネームで知られるハイドンの、最も有名な弦楽四重奏曲である。なぜならこの曲の第2楽章こそが「ドイツ国歌」だからである。この曲を含め、有名な標題付きの作品「五度」「日の出」はいずれも作品76番として出版された6つの作品(エルデーディ四重奏曲)の一部である。

私はドイツ国歌がオーストリア人によるものだったことに最初は驚いていた。「皇帝」はもともとオーストリアの皇帝、フランツ・ヨーゼフ2世の誕生を祝うために作曲されたものである。そこに歌詞を付け、ドイツ賛歌としての性格を与え、次第にドイツ国歌として成立していく経緯は、ドイツ大使館のホームページなどに詳しく書かれているが、それによれば、ヒトラーの時代と東西に分断された冷戦時代を乗り越え、統一ドイツの国歌として承認されたのはようやく1991年になってからということになっている。

「ハイドンの弦楽四重奏曲は第2楽章が印象に残る」という私の個人的な発見の例にもれず、「皇帝」の第2楽章、すなわち「ドイツ国歌」はとても荘重で格調高い印象を残すカンタービレだが、この曲は第1楽章も印象深い。飾ることなく堂々と正面から対峙している印象は、ハ長調という性格によるものだからだろうか。

しかしハイドンはこの曲を、オーストリアの国歌として作曲した。イギリス滞在中に英国人が自国の国歌を歌うのを耳にしたことから、祖国にも国歌が必要だと感じたからのようだ。そしてめでたくこの曲はオーストリア帝国の国歌となる。しかし現在はこのメロディーがドイツ連邦に引き継がれ(ドイツ人の歌)、オーストリア共和国の国歌はモーツァルトの作品に歌詞を付けたもの(山岳の国、大河の国)となっている。 

第76番「五度」は、第1楽章冒頭の動機が5度の下降を見せ、この主題が曲全体に展開されているからだ。音楽に素人の私は、中学生程度の音楽的知識しか持ち合わせていないため、「5度」を数えることくらいはできるが、それがどういう意味を曲に与えるかについて何かを語ることができない。むしろこの曲の冒頭を聞いて印象的なのは、この曲がめずらしく短調で書かれていることだ。そしてこのメロディーは悲劇的である。ハイドン版「走る悲しみ」といった感さえ漂う。

第2楽章のピチカートを伴うシンコペーションのリズムも何か憂鬱な響きだが、丁度今の梅雨の時期に聞いているからだろうか。第3楽章のメヌエットを聞いているとモーツァルトのト短調交響曲を思い出す(ただし作曲はモーツァルトの方が先である)。そして終楽章も激しくリズムがほとばしり出る。5度という下降モチーフが全体に展開されることによって激情的でシビアな印象を残す。短調だが印象的でまとまりあよく、何度も聞きたくなる曲だと感じた。

第63番「日の出」は一転して伸びやかで明るく、優美な曲である。このようなフレッシュなイメージから「日の出」というあだ名が付けられているが、確かにメロディアスで長音が多い印象を残す。これは細かく音符を刻む「五度」とは対照的である。太陽が東の空に昇ってゆく日の出がそうであるように、これは次第にメロディーが隣の音へと移ってゆく。つまり1度か2度の変化。ハイドンは同じ作品番号の中に、性格の正反対な曲を敢えて揃えた。

梅雨空の続く毎日に美しい日の出は期待できない。今日も台風が近づいているせいか、朝から雨が降り出しそうな陽気である。それでも朝5時半に起きて、バルコニーで熱い紅茶をすすりながらハイドンを聞いている。心が落ち着く時間である。

だがハイドンの多くの作品がそうであるように、安易に付けられたニックネームに騙されてはいけない。第2楽章アダージョの深く沈むような音楽は、まるで深夜の散歩道のような静けさである。またこれに続く第3楽章は、一転して明るいメヌエットだが聞いていてさほど面白くはない。第4楽章では新しい音楽への営みが感じられるのが新鮮ではある。そしてコーダは滅法速い。

作品76番の他の3曲は、いずれもニックネームを持たない曲であるがゆえにか、あまり聞く機会がないのが実情である(ただし第79番は「ラルゴ」と呼ばれる時がある)。タカーチ四重奏団によって録音された目を見張るような名演奏のCD2枚組には、この他の3曲も録音されている。そして標題の付いていない曲こそ、リスナーが余計な先入観を排して自由に聞くことのできる作品でもある。

第1番目の作品である第75番ト長調は、名曲ぞろいの全6曲の最初にあって。これから楽しい弦楽四重奏曲の旅に出るのに相応しい明るい雰囲気を持っている。もっそもソナタ形式の第1楽章が終わると、長いアダージョの第2楽章が始まる。ハイドンは緩徐楽章を(交響曲でもそうであったように)しばしば第3楽章に配置したが、(やはり交響曲でそうだったように)様式を確立してきた後期には第2楽章に固定し、第3楽章のメヌエットが次第にスケルツォの様相を帯びてくる。

この第75番もその例にもれず、第3楽章はスタッカートを多用したスケルツォである。ただし優雅なトリオが中間部に配置され、ピチカートが印象的。一方、静かに始まる第4楽章は悲劇的なト短調の性格を表しているのが印象的である。この1曲だけで当時の弦楽四重奏曲の最先端を見る思いがする。そしてこれは続く「五度」(ニ短調)の前奏曲のようでもある。

表題の付いた名曲を3つ経ての第79番ニ長調は、前作「日の出」同様に伸びやかな曲で始まるが、途中から速い部分もいきなり出現するあたり、交響曲にはない自由さが感じられるのが面白い。ソナタ形式によらず主題を様々に変奏していく様が面白い。その第2楽章は長大なラルゴである。伸びやかでありながら荘重な雰囲気は、卒業式に似合うのではないか、とメモしたことがあった。そしてメヌエットとはいえもはやスケルツォというのが相応しい前衛的な第3楽章を経て演奏される滅法速い終楽章の楽しさと言ったら!

ハイドンの弦楽四重奏曲の集大成とも言うべき「エルデーディ四重奏」の最後の作品である第80番は、非常に自由な作品である。第2楽章は、前作と同様のゆったりとしたメロディーで始まるが、「ファンタジア」と記されている。そして第4楽章ともなると、非常に高速ながら自由に羽ばたくような曲想は、弦楽四重奏曲の当時の可能性を試しているようなところがあり、この分野ではもうやりつくしたというハイドンの気持ちが伝わって来るようだ。実際、このあとに作曲されたのは「ロブコヴィッツ四重奏曲」と言われる作品77番の2曲(及び未完とされる第103番)のみであり、もう頃にはモーツァルトは世におらず、ベートーヴェンがハイドンの弟子としてウィーンの音楽界を席巻していた時期となる。

タカーチ四重奏団はハンガリーのリスト音楽院の学生によって結成されたアメリカの四重奏団である。デッカの録音の効果もあって、透明で新鮮な音楽はベートーヴェンのクァルテットに新境地を示した感がある。ハイドンについても同じことが言えると思い、このCD2枚組をかなり昔に購入していたのだが、取り出して聞くのを忘れていた。今回、コダーイ四重奏団の演奏(これも悪くない)の演奏を聞いていたのだが、すっかり忘れていたタカーチの演奏を思い出し、急遽この録音を聞いてみたところ、これがやはり決定的な演奏であるように思えてくるのだった。

録音は1980年代の後半で、いまとなってはかなり古い部類に入るが、古楽器奏法が台頭し始めていた頃にあたり、その影響が室内楽曲にも当然及ぶ。そこでキラ星の如く登場したのがこの四重奏団だった。私などは室内楽の面白さを初めて認識したようなところがある。だが当時としてはあまりに前衛的だったということだろうか、タカーチ四重奏団によるハイドンは、この2枚組しか見当たらない。

その演奏は若々しく生命力に溢れ、あらゆる部分にまで注意と表現が行き届き、四重奏の分野でもハイドンの魅力がまだ蘇生可能であることを証明している。思わず襟を正したくなるような演奏は、日曜日の朝に聞くのに相応しい。

2021年5月30日日曜日

ハイドン:弦楽四重奏曲作品64より第66番ト長調、第63番ニ長調「ひばり」、第64番変ホ長調(コダーイ四重奏団)

うっとうしい雨の日々が続いている。西日本の一部では記録的に早い梅雨入りとなったようだが、東日本各地でもここ数日は大雨が降り、東京でも曇りか雨の日が1週間以上続いている。いわゆる「梅雨の走り」と呼ばれるこの時期は、それでも晴れると乾いた晴天となるため凌ぎやすく、私は一年でもっとも好きな時期ではある。

そんな毎日の、久しぶりに晴れた休日の朝に、久しぶりに何か音楽が聞きたくなって取り出したのが、コダーイ四重奏団の演奏するハイドンのクァルテットだった。最近はCDを聞くことがほとんどなくなったのだが、今日はどういうわけかCDの気分。1000枚以上はある棚から、作曲家の年代順に並べているのでハイドンは2段目のところに置かれている。このCDはナクソスの録音で、ジャケットがシンプルであり見つけやすい。そしてトレイにCDを載せ、再生ボタンを押す。LPからCDに変わって久しいが、やはりディスクを再生機にかけて聞く音楽には味わいがある。

ハイドンは交響曲を108曲も作曲して「交響曲の父」と呼ばれている。私はこの交響曲をすべて聞きとおそうと思い、第1番から順に聞いて来たことがこのブログを書くきっかけとなった。ブログでは初期の作品の一部を割愛したが、それでも8割以上の作品を聞いて何らかのコメントを書いたと思う。古典派様式を確立し、それを交響曲の形で実現していった模索と発展の道のりは、音楽を専門としない一リスナーとしても聞いていたとても楽しいものだった。

ハイドンは弦楽四重奏の分野においても、これと同様の試みを行っている。作曲された弦楽四重奏曲は現在のところ68曲と推定されている。この中には現在のドイツ国歌となっている第77番「皇帝」も含まれる。しかし俗に「弦楽四重奏の父」とも呼ばれているハイドンのこれらの作品を、最初から聞きとおそうとは思わない。だがそうは言ってもある程度体系的、網羅的に書こうと思い、なかなか手を付けられずにいたのだが、最近はもうそんなことに捕らわれず、好きな作品を思い付きで書く方がいいと思うようになった。室内楽や器楽曲は、もともと近親者やサロンといった、いわば少人数の集いの中で作曲された作品が多いことを考えると、これもまた当然の成り行きかも知れない。

そういうわけで、今日は「ひばり」を聞く。このハイドンを代表する作品の何と気品に満ちたメロディーだろうか。ここにはハイドンにしか書けないような伸びやかさを感じる。ベートーヴェンやモーツァルトのような、人生の苦悩やミューズの化身ともいうような天才性を感じるわけではなく、もっと自然で大人の音楽。それでもそこには確固たる信念と独自性が感じられる。ハイドンの職人的でかつ普遍的な創造性は、以降の作曲家に求められない(あるいは求めることが難しくなった)要素とさえ思われる(私が他に、このような成熟し完成された音楽性を感じるのはヴェルディである。あるいはメンデルスゾーンを加えてもいいかも知れないが、彼は若くして亡くなった)。

ハイドンの弦楽四重奏曲は、3曲あるいは6曲まとめて出版された。出版の順に付けられた作品番号だと、今回聞いた作品は「作品64の第3番、第4番、第5番」ということになるのだが、ハイドンの研究家ホーボーケンによって付与された作品番号(いわゆりホーボーケン番号)によれば、これらは第66番、第63番、第64番ということになる。ホーボーケンの作品番号は、しなしながら後年の研究によって偽作とされた作品をも含んでいることが判明し、これらを除外して並びなおされた番号も存在するからややこしい。いずれにせよこの3つの作品を含む作品64の6曲は、1790年に作曲され、「第2トスト四重奏曲」と呼ばれている。

1790年と言えば長年仕えたエステルハージ公が死去し、新たな境地を目指してロンドンに旅立つ直前のことである。この時ハイドンはもう58歳になっていたというから驚きである。今朝の新聞によれば、私が生まれた頃の日本人の平均寿命(男性)が60歳だったというから、58歳と言えば今では80歳くらいの感覚だろうか(もっとも抗生物質のない時代、若くして亡くなる人が多かっただけで、長生きする人は一定数いた)。

作品64の6つの作品のうち、後半の3曲を収録したCDでは、第4番ト長調(Hob.III-66)から始まる。有名な「ひばり」(Hob.III-63)はその次である。そこで初めてこの曲を聞いてみた。第1楽章の行進曲のようなリズムは、何かわくわくするような気持ちになる。続く第2楽章では、梅雨入り前の肌寒い雨の日に実に良く合う。ハイドンの弦楽四重奏曲の魅力は、まず緩徐楽章にあるのではないだろうか。ただそのことがわかるようになるまでには、交響曲を数多く聞くなどそれなりの努力をしてきた結果だと自負している。

第3楽章の3拍子もまた、弦楽四重奏曲の特長をよく表している。陽気な舞曲風のメロディー。第4楽章は再び早い曲に戻って楽しく終わる。そしてこの形式こそ、交響曲そのものである。交響曲の骨格部分だけを取り出して眺めているような気分が、弦楽四重奏曲を聞くときには起こるものだ。

続く第5番「ひばり」の第1楽章の伸びやかなメロディーの印象は決定的である。一度聞いたら忘れられないようなものがある。しかし第2楽章は、楽天的な第1楽章とは打って変わってちょっとメランコリックな感じがする。「ひばり」の明るく楽天的な印象だけでなく、このような陰影の変化があるからこそ名曲なのかも知れないのだが、私の印象はやや退屈。第3、4楽章も平凡。

しかし最後の第6番変ホ長調(Hob.III-64)は一層複雑で聞きごたえがある。特に印象的なのは第2楽章で、ここではシューベルトに通じるようなロマン的とも言える趣きがある。第3楽章のメヌエットには高音のバイオリンが限界まで鳴らすような印象的な中間部が置かれている。一方、第4楽章では複雑なフーガも聞こえてきて、この作品の深みはちょっとした発見であった。

コダーイ四重奏団はハンガリーで結成されたグループだが、NAXOSに録音した一連のハイドンの演奏は、オーソドックスながら極めて充実した響きを持っていて、おそらく代表的な録音の仲間入りをしている。録音が明瞭でハンガリー系の特長をよく表している。

作品64の後半3つの作品では、親しみやすい第4番、気品のあるメロディーが忘れられない第1楽章の第5番、重層的で音楽的に充実した第6番と、多彩である。ハイドンの魅力に久しぶりに触れた一日。この作品を皮切りに、今後もハイドンの弦楽四重奏曲を時折聞いてみたい。

2021年4月29日木曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(14)マリス・ヤンソンス(2006, 2012, 2016)

もう1年以上が経つというのに、一向に終息の兆しが見えない新型コロナ禍の中にあって、あろうことか腰を痛めて半年が経つ。このようなときにこそ、明るい気持ちになりたいと始めた過去の「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート」に関する記事も、折り返し地点に達した。カラヤンが歴史的な登壇を果たした1987年から数えても30年以上もあるのだから、これを全部聞くというのは無謀とも言うべきものだ、と最初は思った。

だが、とうとう2006年のコンサートについて書くときが来た。といってもここから先の20年足らずの期間は、実際のところいくつかの年を除き(例えば、2008年のジョルジュ・プレートル)、あまり筆が進まない。毎年のようにわくわくと新年を過ごしていた90年代に比べると、思い出に残るコンサートも減って印象が薄い。これは私だけが持つ感想だろうか。

まあここまで聞いて来たのだから、これから先の2021年までの演奏についても、少しは触れておきたいと思う。実際のところ、ウィンナ・ワルツを主体としたこのコンサートは、万全を期した名門オーケストラと世界的指揮者が、年に1回だけ繰り広げるハレの舞台で、色とりどりの花が所狭しと会場を飾り、それをいくつものシャンデリアが照らす光景は豪華絢爛。知らず知らずのうちに音楽は興に乗って、パフォーマンスや新年の挨拶もあり、誰が演奏してもそれなりに楽しい。思えば2000年代に入り、登場する指揮者にも少しずつ変化が訪れて、より国際的な年中行事となって完成されていった感がある。

そんな中で迎えた2006年のニューイヤーコンサートには、マリス・ヤンソンスが初めて指揮台に立った。ヤンソンスは旧ソビエト連邦、ラトビア共和国の生まれで、レニングラード・フィルの指揮者としてキャリアをスタートさせた。私の場合、オスロ・フィルと録音したショスタコーヴィチやシベリウスの交響曲、それにストラヴィンスキーの名演奏などが思い出に残っている。

ヤンソンスがウィーンに留学していた頃があるとは知らなかったが、ドイツ系の音楽が得意という印象はなく、ましてウィンナ・ワルツのような曲が得意であるという評判も聞いたことはなかった。だから、ニューイヤーコンサートの指揮者に選ばれたことを知った時、正直に言えば意外な感じだった。登場する指揮者のマンネリ化と高齢化が進む中で、ウィーン・フィルとしても新しい指揮者を迎えたかったのだろう。当時の世界的指揮者の中で、誰が相応しいかと慎重に検討した結果、ヤンソンスが無難な選択だったのかも知れない。

そのヤンソンスの2006年のコンサートは、前半にワルツが2曲もあり、「春の声」と「芸術家の生涯」という有名曲が並んでいる。この2曲の演奏では、なかなかいい滑り出しとなっているにもかかわらず、後半のコンサートは、やや失望するものに終わっている。その原因は、パロディを中心としたプログラムの安直さにあるのではないだろうか。

2006年はモーツァルトの生誕250周年にあたり、モーツァルトの音楽が多数演奏された年だった。そこで後半のプログラムの2曲目には、何とモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲が演奏されたのである。この演奏は当然悪くはないのだが、ニューイヤーコンサートに登場すると非常に違和感がある。これは1991年のアバドの時を思い起こさせた。

さらにこの曲に続き、ヨーゼフ・ランナーがモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」や「魔笛」のメロディーを取り入れたワルツ「モーツァルティアン」なる曲が演奏された。良く知られたメロディーが次々に登場するこの曲は、ただ1度だけ聞くには面白いが、それ以上でも以下でもないもので、平凡な曲と言えばほめ過ぎの感さえある。まあ記念の年だし仕方がないと思っていると、今度は「芸術家のカドリーユ」なる全編パロディの曲が登場する。

後半に演奏されたもう一つのワルツ「親しい仲」も喜歌劇「こうもり」のワルツで新鮮味に欠け、そしてこの頃から、ヤンソンスの演奏がどこか一本調子でワルツの雰囲気がやや乏しい平凡な演奏になっていくのである。映像で見ていると「電話のポルカ」での携帯パフォーマンスなどを楽しむこともできるが、辛うじて「入り江のワルツ」を除けば、ポルカでさえも表情の変化に乏しく、シュトラウスの音楽の惰性的な部分が露わになってしまい、早い話やや飽きる。全部で23曲にも及ぶこのコンサートで、私は初めて長いと感じたのだった。

このパロディ風の曲が続くプログラムは、次の登場となった6年後の2012年でも顕著である。その極めつけは「カルメンのカドリーユ」で、ワルツ「楽しめ人生を」といくつかのフランス風ポルカを除き、演奏に工夫が見られない。「トリッチ・トラッチ・ポルカ」や「鍛冶屋のポルカ」でウィーン少年合唱団が登場するのは、昔のアバドやメータの演奏を思い出させるが、練習不足なのかどことなく荒っぽい。そして「ペルシャ行進曲」から「うわごと」、「雷鳴と電光」へと続く後半の部分にいたっては、もう音楽が惰性的でさえある。さらに言えば、チャイコフスキーの作品が挿入され、ここにも違和感が否めない。結局、目を引くのはハンス・クリスティアン・ロンビーというデンマークの作曲家による「コペンハーゲンの蒸気機関車のギャロップ」くらいだ。有名な曲を並べているにもかかわらず、あまり楽しめない。2006年よりも多い24曲もの作品を並べたこのコンサートも、私にとっては印象の薄いものだった。

おそらくヤンソンスは、2000年代に入って小澤征爾を皮切りに次第に無国籍化、平凡化を余儀なくされるこのコンサートの象徴的な存在となった。そう書くとメータはどうなるのか、といった反論が聞こえてきそうだが、このたび改めて過去の演奏会を聞きなおして感じるのは、アバド、マゼール、メータといった指揮者は、この波を何とか乗り切っている事実である。だが、どう指揮者や時代が変わろうと、このどうしようもない訛り文化を、誇り高く守り抜いているのは、他でもないウィーン・フィルであることは疑う余地がない。

ヤンソンスの最後の登場は、それからさらに4年後の2016年のことであった。3回目の登場を果たしたのは、この間に新しく加わったジョルジュ・プレートル、ダニエル・バレンボイム、そしてフランツ・ウェルザー=メストよりも早かった。そしてこの時のヤンソンスは、最初の登場から10年が経過していた。だがだれも、これが彼の最後のニューイヤーコンサートになるとは思っていなかった。

ニューイヤーコンサート75周年という記念の年にヤンソンスは再登場し、やはり重く平凡な演奏を聞かせてはいるが、この時期の低迷ぶりを考慮すれば、このコンサートは平均以上の聞かせるものとなってはいる。それは珍しくも魅力的な曲を配したプログラムの工夫によるところが大きい。

まずシュトルツの「国連行進曲」なる曲で開始されるが、シュトルツと言えばウィンナ・ワルツ演奏の第1人者であることは前に書いた。そのシュトルツはまた、いくつかの曲を作曲しており、その中の1曲が取り上げられたことになる。この曲はニューイヤーコンサートで演奏された最も新しい曲ではないかと思う。

久しぶりに聞く「宝のワルツ」を経てツィーラーの「ウィーン娘」という曲が始まる。ハープの調べに乗って口笛が聞こえてくるこの曲は大変に美しく、夢見心地のうちに曲が進行する。まさにニューイヤーコンサートに相応しい曲である。ヤンソンスによるニューイヤーコンサートのプログラムは、オペレッタの序曲やギャロップ、それに他国のワルツ作品ありと、その多彩さが魅力である。

その頂点になるのは、フランスのシュトラウスと言われたワルトトイフェルのワルツ「スペイン」であろうか。この曲はシャブリエの同曲をアレンジしている点で、例のパロディ路線を継承している。なぜかヤンソンスが演奏すると、違った曲にさえ聞こえてくる。同様にまるで交響曲のような「天体の音楽」もいいが、ウィーン少年合唱団の歌声が混じるポルカ「歌う喜び」と続く「休暇旅行で」も、聞きなれたこの曲が新鮮に蘇り、楽しいことこの上ない。エドゥアルド・シュトラウスとヨハン・シュトラウス1世の曲がそれぞれ2曲、さらにはヘルメスベルガーの曲まで登場し、「ため息のポルカ」では楽団員の声も混じる2016年のコンサートは、何と2時間にも及ぶ長さだった。

精一杯の仕草とサービス精神で魅せるヤンソンスの指揮は、この3年後の急逝によってもはや聞くことはできなくなってしまった。私はヤンソンスの実演を、異なるオーケストラにより3回聞いているが、不思議なことに思い出の残っているものは少ない。そういうことを考えながら、ニューイヤーコンサートの演奏に耳を傾けていると、その理由が何かわかるような気がした。

 

【収録曲(2006年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:行進曲「狙いをつけろ!」作品478
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」作品410
3. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「外交官」作品448
4. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「ことづて」作品240
5. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「女性賛美」作品315
6. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「芸術家の生活」作品316
7. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「憂いもなく」作品271
8. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジブシー男爵」より「入場行進曲」
9. モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲
10. ランナー:ワルツ「モーツァルティアン」作品196
11. ヨハン・シュトラウス2世:ギャロップ「愛のメッセージ」
12. ヨハン・シュトラウス2世:「新ピチカート・ポルカ」作品449
13. ヨハン・シュトラウス2世:「芸術家のカドリーユ」作品201
14. ヨハン・シュトラウス2世:「スペイン行進曲」作品433
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「親しい仲」作品367
16. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「クラプフェンの森で」作品336
17. ヨハン・シュトラウス2世:「狂乱のポルカ」作品260
18. エドゥアルド・シュトラウス:ポルカ「電話」作品165
19. ヨハン・シュトラウス2世:「入り江のワルツ」作品411
20. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「ハンガリー万歳」作品332
21. ヨハン・シュトラウス2世:「山賊のギャロップ」作品378
22. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
23. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲(2012年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス:「祖国行進曲」
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「市庁舎舞踏会」作品438
3. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「あれか、これか」作品403
4. ヨハン・シュトラウス2世:「トリッチ・トラッチ・ポルカ」作品214
5. ツィーラー:ワルツ「ウィーンの市民」作品419
6. ヨハン・シュトラウス2世:「アルビオン・ポルカ」作品102
7. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「騎手」作品278
8. ヘルメスベルガー:「悪魔の踊り」
9. ヨーゼフ・シュトラウス:フランス風ポルカ「芸術家の挨拶」作品274
10. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「人生を楽しめ」作品340
11. ヨハン・シュトラウス1世:「シュペール・ギャロップ」作品42
12. ロンビー:「コペンハーゲンの蒸気機関車のギャロップ」
13. ヨーゼフ・シュトラウス「鍛冶屋のポルカ」作品269
14. エドゥアルト・シュトラウス:「カルメン・カドリーユ」作品134
15. チャイコフスキー:バレエ「眠りの森の美女」から「パノラマ」
16. チャイコフスキー:バレエ「眠りの森の美女」から「ワルツ」
17. ヨハン・シュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス:「ピツィカート・ポルカ」
18. ヨハン・シュトラウス2世:「ペルシャ行進曲」作品289
19. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「燃える恋」作品129
20. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「うわごと」作品212
21. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「雷鳴と電光」作品324
22. ヨハン・シュトラウス2世:「チック・タック・ポルカ」作品365
23. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
24. ヨハン・シュトラウス1世:ラデツキー行進曲作品228

【収録曲(2016年)】
1. シュトルツ:「国連行進曲」作品1275
2. ヨハン・シュトラウス2世:「宝のワルツ」作品418
3. ヨハン・シュトラウス2世:フランス風ポルカ「ヴィオレッタ」作品404
4. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「観光列車」作品281
5. ツィーラー:ワルツ「ウィーン娘」作品388
6. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「速達郵便で」作品259
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ヴェネツィアの一夜」序曲
8. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「羽目をはずして」作品168
9. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」作品235
10. ヨハン・シュトラウス2世:フランス風ポルカ「歌う喜び」作品328
11. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「休暇旅行で」作品133
12. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ニネッタ侯爵夫人」より第3幕への間奏曲
13. ワルトトイフェル:ワルツ「スペイン」作品236
14. ヘルメスベルガー:「舞踏会の情景」
15. ヨハン・シュトラウス1世:「ため息のギャロップ」作品9
16. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「とんぼ」作品204
17. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
18. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「狩り」作品373
19. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「突進」作品348
20. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
21. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...