ラベル _EARLY MUSIC の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル _EARLY MUSIC の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024年5月14日火曜日

パク・キュヒ(朴葵姫)ギター・リサイタル(2024年5月12紀尾井ホール)

私はふだんあまりソロ楽器のリサイタルに出かけない。特に毛嫌いしているわけではないのだが、何となくソロ楽器の曲は、CDなどメディアで再生して聞く方が感慨深いような気がしている。こう書くと、私は元来「音楽はライブに尽きる」と公言してきたので、矛盾しているではないか、と言われるような気がする。確かにそうだ。もしかしたら器楽曲のライブの魅力に、まだ気づいていないだけかも知れない。オーケストラやオペラのような大規模な音楽にひと段落がついてきたので、ここは小さな編成の音楽会にも足を向けてみようと考えた。

「ぶらあぼ」というサイトがあって、ここには我が国で開催されるすべてのクラシック音楽のコンサート情報が掲載されている。日付や会場、それにジャンルを絞って検索もできるので便利である。5月12日の午後は何の予定もない。もらったチラシにも、この日のコンサートのものはなかった。そこで「ぶらあぼ」(https://ebravo.jp/)へ行き、日付を指定して検索を実行してみたところ、たちどころに多くの公演がヒットした。その中に私の好きなギターリスト、パク・キュヒ(朴葵姫)のリサイタルがるではないか。場所は紀尾井ホール。あまり好きなホールではないが、こじんまりとした曲を聞くのは悪くない。

当日券もまだ残っていることが判明し、ローソン・チケットか何かで予約して出かけた。プログラムは、最近リリースされたバッハなどバロックの曲を中心としたもので、後半にはバッハを敬愛していた南米パラグアイの作曲家、バリオスの作品も登場する。

  • D.スカルラッティ:ソナタニ短調K.32、ニ長調K.178、イ長調K.391
  • J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWV1005
  • J.S.バッハ:前奏曲・フーガとアレグロ変ホ長調BWV998
  • バリオス:最後のトレモロ、大聖堂
  • J.S.バッハ:シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004より)

韓国と日本で育った彼女は、数々のギター・コンクールで優勝した実績があり、その目覚ましい活躍はすでに15年以上前から続いている。私もアルバム「スペインの旅」というものを聞いて感銘を受け、すでにこのブログでも取り上げた(https://diaryofjerry.blogspot.com/2020/07/g.html)。

パク・キュヒの演奏の特徴は、その音色のやさしさにあるように思う。これは主観的な感想に過ぎないし、他のギターリストに詳しくもないので、間違っているかも知れない。おおよそ韓国の文化は日本のそれより大陸的で、激情的であることが多い。しかし彼女の表現は、決して過激でもなければ鷹揚でもない。むしろ繊細でとても静かに心に響く。

もともとギターという楽器は音量が小さく、その前身ともいうべき楽器リュートがバロック以降に消えていったように、ギターという楽器のために書かれた曲は少ない。音楽の規模が大きくなり、演奏会場も広くなっていくにつれて、流行らなくなってしまったのだろう。しかしギターの魅力は、その繊細なセンチメンタリズムにある、と私は通俗的に考えており、クラシックだろうがポップスだろうが、ギターの魅力を感じさせる曲は綿々と続いていった。20世紀になってギター曲を作曲したイベリア半島の作曲家や演奏家を中心に、ギター曲の見直しがなされたのではないか。その最大の功績者が、スペインの伝説的なギタリスト、アンドレス・セゴビアだった。

ギターの活躍する音楽は、ファリャやグラナドスなどのローカルな作曲家にとどまらず、バッハやスカルラッティのようなバロック音楽をギター曲に編曲して演奏することによって、大きく広がっていった。今回パクがリリースした作品集「BACH」も、彼女が満を持して演奏したこれらバロックの作品が収録されている。今回のコンサートも、まずはD.スカルラッティのソナタ3曲から始まった。

私の座席は当日の朝に買った特には指定されていなかった。こういうことは初めてで、ぴあなどでは通常座席を指定して買う。座席をおまかせにしても、決済時には座席の位置がわかるのが通常である。ところが今回は違った。これは異常なことである。当日に窓口で「整理券」をチケットを交換したところ、私の席は何と前方中央という大変いい席だった(座席はどの位置も均一料金だったことを考えると、これは大いに幸運だったと言える)。しかも左隣は空いており、右隣の女性も演奏が始まる直前に前に席に移動した。こんなに前なのに、両隣が空席というのは誠に嬉しい。そういうわけで大変望ましい状況で始まったコンサートだったが、スカルラッティの3曲が終わった時にある大きな男性が入って来た。

彼は、私の隣の席の女性が移動した先の座席の客だった。しかし係員に誘導されて入場した彼の座席は、すでに彼女によって占められていたため、誘導員は仕方なく彼は彼女の元の席、すなわち私の座席に座るよう勧めた。そもそもコンサートには遅れてくる方が悪いのであって、彼女に悪気はない。しかし私にとっては大いに迷惑な話であった。あろうことか、彼は悪臭を放っていたからだ。

そういうわけで、次のバッハの無伴奏ソナタ第3番は、私にとって最悪の状況下でのコンサートとなった。こういうことがあるから、やはり演奏会というのは難しい。もしかすると無理して出かけなかった方が良かったのだろうか。集中力も欠き、演奏はおそらく素晴らしいのに、私は楽しめる状態ではなかった。私のまわりにいた方々も同様に感じたのではないだろうか。

これには続きがあった。前半終了時に彼はその移動した女性に声をかけ、後半のプログラムでは再び女性と座席を交代したのだった。そのことによって私は悪臭から解放された。後半のプログラムは、そのようにして再び私は深遠なギターの世界に戻ることになった。彼女のギターに当たる光が、演奏する際のゆらぎに合わせてこちらに反射する。その自然の光の美しさに見とれながら、耳はバリオスの音楽を浴びている。バロック音楽のどちらかというと形式的な音楽の枠を解き放たれ、さすがに20世紀の音楽は表現が多彩である。

バリオスの演奏が終わった時点で彼女はマイクを取り、今回の演奏に寄せる思いを語った。ギターリストにとってバッハの作品は、初期の頃から学習するが、おいそれとは演奏できない至高の作品である、というような意味のことを語った。彼女は満を持して、続く「シャコンヌ」を演奏した。

ヴァイオリンで聞くオリジナルの「シャコンヌ」も、無伴奏ソナタとパルティータ中最大の聞き所である。10分を優に超えるその長さと宇宙的な広がりは、聞き手を魅了してやまない。それをどうやってギターで表現するか。弓の長いヴァイオリンは、音を長く響かせることが可能である。しかし同じ弦楽器でもギターは、一度はじくとその音はたちまち減衰していく。これはピアノでも同様である。しかしギターで聞く「シャコンヌ」はまた、もしかしたらギターのために作られてのではないかとさえ思えるほどの魅力を放っていることを私は発見した。

演奏が終わって再びマイクを取った彼女は、「シャコンヌ」の余韻に浸るべくアンコールに何も演奏しないことも検討したという。しかし悩んだ末、バッハを尊敬していたもう一人の作曲家、ヴィラ=ロボスのプレリュード第3番を演奏することにした、と話した。このようにして、1時間半に及ぶコンサートは終了した。今にも雨が降り出そうかというような陽気の中を、赤坂見附を目指して紀尾井坂を下った。

そういえば私はギターのリサイタルとしては、人生2度目である。1回目は彼女の師匠でもあった福田進一で、大阪・中津にあるごく私的なコンサートに母の紹介ででかけたのである。こじんまりとしたカジュアルなレストランのようなところで開催された演奏会には、まだ駆け出しの頃だったこともあって、その取り巻きのような方々か詰めかけていた。音楽家が有名になるには、いろいろ難しいことも多い、と思った。彼は発売されたCDにサインをして渡してくれたことを思い出した。

思いがけず行くことになったパク・キュヒのリサイタルは、全国各地と韓国で順に行われるとのことである。

2023年9月6日水曜日

クープラン:クラヴサン作品集「tic tok choc」(P:アレクサンドル・タロー)

お盆の休みに、溜まった古新聞を読んでいたらクープランの作品集を取り上げた記事に出会った(日経新聞8月13日朝刊)。フランス人のピアニスト、アレクサンドル・タローが、フランス・バロックの作曲家クープランのクラヴサンのための作品を扱ったCDである。オンライン配信が当たり前の時代になってCDの紹介記事というのも面白いが、この「tic toc choc」と題されたCDが発売されたのは2008年だから(ハルモニア・ムンディ)、もうかれこれ15年も前のことになる。こんな古いCDを、何をいまさら紹介するのだろうかとも思ったが、よく考えてみると私は、フランスのバロック音楽にほとんど縁がない。リュリやラモーの作品の入ったCDを持っているには持っているが、それは沢山の「バロック音楽集」の一部を構成しているに過ぎない。

真夏のうだるような暑さが続く毎日、クープランも悪くない。そこでSpotifyで検索したところ、一発で結果が表示された。さっそく我が家のネット・チューナーに接続し、朝から大リーグ中継を見たがる息子がテレビをつける前にオーディオ装置を鳴らす。妻はまだ寝ているから、起こさないようにと気をつけながら、熱いミルクティーを入れる。すると、聞いたこともないような音楽が聞こえてくるではないか。

このCDを紹介している音楽評論家の文章は、私が書く素人のブログとは甚だ異なり、人に音楽を聞かせようとする力が備わった、いわばプロの文章だ。200年以上も前に作られた独奏曲について、短くも説得力のある表現が続く。例えば、こんな風だ。

「感傷的な伴奏の上に、やさしげな旋律が繰り返される。神秘的と言われれば、そんな感じがしないでもない。たとえば、男女のあいだを隔てる感情のすれ違い。その見えない壁のような作用とか?」

こんな感想が相応しいのは、この演奏がとてもロマンチックに聞こえるからだろう。例えば収録された最初の曲、「神秘的な防塞(第6組曲)」はシューマンのようだ。バロック音楽が何か意味ありげな顔を見せるのは、その演奏ゆえである。だが具体的にどうすればそうなるのか、そのあたりの秘密を解読することは、私にはできない。音楽を楽しむのにその知識が不可欠というわけではないが、このような従来のイメージを刷新する演奏に出会うには、何らかの助けがいる。上記の文章は、クープランのようなバロック音楽でも、新しい演奏が可能であること、そのような演奏が存在することを具体的に紹介してくれている。だから新聞のCD紹介記事は貴重である。

タロー自身ピアノでの演奏に相応しい曲を選んだそうである。それがどういうことかはわからないが、これまでクープラン、あるいはチェンバロでしか縁のなかったフランス・バロックの新しい魅力をこの演奏で感じることができる。一気に、全20曲を聞きとおすようなことは、他の演奏では望めないだろう。それほどに変化に富み、また時にはいささか過激に、現代人の心を揺さぶろうとする。例えば、第8番目の「居酒屋のミュゼット」は、まるで2台のピアノによって演奏されているように感じる。ずっと通奏低音のようなものが鳴っているからだ。ピアノによるピアノのための通奏低音は、結果的にミニマル音楽にも通じる前衛的なムードを呼び起こす。多重録音と思われる効果は、第14番目の「戦いのどよめき」が極めつけだ。何とここではタンブランが鳴っている!

上記の新聞の紹介記事によれば、タイトルの「tic toc choc」が示すように、このCDには「リズムを前面に出した音楽」が並んでいる。「切れが良くシャープである」。それは「旋律を彩る装飾音」を「音楽の推進力へと変えてしまう」ことによって、ピアノによるバロック演奏にありがち「野暮ったい感じにならずに済んでいる」とのことである。その結果、「バロック音楽であることを忘れそうになる」くらいに「クープランの曲が持つ様々な可能性を自在に引き出」すことに成功している。

具体的にどの曲がどうの、という解説はここではしない(転記もしない)。たまにはこのようなバロックの器楽作品に耳を傾けてみるのも良いものだ、と普段はオペラやオーケストラ曲ばかり聞いている私は思った。今年の夏が例年になく暑かったこともあって、少々夏バテ気味だったからかも知れない。

今年の夏は30年以上も隔てて「青春18きっぷ」を購入し、まだ出かけたことのない関東地方のローカル線の旅を楽しんだ。車窓から見える濃い青空。そこに容赦なく降り注ぐ真夏の日差しに照らされた田畑や家々を眺めながら、このCDに耳を傾けていた。暦はもう9月。いささか日差しにも陰りが感じられる今日この頃。長かった残暑も、あと少しで終わりを告げる。


【収録曲】
F.クープラン:クラヴサン組曲より
1. 神秘的な防塞(第6組曲第5番)
2. ティック・トック・ショック、あるいはオリーブ搾り機(第18組曲第6番)
3. クープラン(第21組曲第3番)
4. 信心女たち(第19組曲第1番)
5. さまよう亡霊たち(第25組曲第5番)
6. 編物をする女たち(第23組曲第2番)
7. キテラ島の鐘(第14組曲第6番)
8. 居酒屋のミュゼット(第15組曲第5番)
9. 葦(第13組曲第2番)
10. アタランテ(第12組曲第8番)
11. パッサカリア(第8組曲第8番)
12. ミューズ・プラティヌ(第19組曲第5番)
13. 奇術(第22組曲第7番)
14. 戦いのどよめき(第10組曲第1番)
15. 子守歌、あるいは揺籠の中のいとし子(第15組曲第2番)
16. 空想にふける女(第25組曲第1番)
17. ラ・ロジヴィエール(アルマンド)(第5組曲第1番)
18. 双生児(第12組曲第1番)
19. かわいい子供たち、あるいは愛らしいラジュール(第20組曲第3番)

デュフリ:クラヴサン組曲より
20. ラ・ポトゥアン(第4巻第5番)


2020年8月16日日曜日

「サンチャゴへの巡礼(中世スペインの音楽)」(S: キャサリン・ボット他、フィリップ・ピケット指揮ニュー・ロンドン・コンソート)

バロック以前の音楽、いわゆる「古楽」あるいは「アーリー・ミュージック」と呼ばれるジャンルの音楽ディスクを初めて買ったのは、このところのような猛烈な暑さの続いた1993年夏のことだった。当時発売された「サンチャゴへの巡礼(The Pilgrimage to Santiago)」という新譜のタイトルが目に留まった。デッカの古楽レーベル、オワゾリールの2枚組。「中世スペインの音楽」という副題が付けれれ、もちろん知っている曲など皆無。だか詳しい解説書が欲しくて6000円もする邦盤を買うことにした。

サンチャゴとは聖ヤコブを祀るサンチャゴ・デ・コンポステーラのことで、スペイン北西部に位置する巡礼の最終地点である。中世の頃から巡礼地として栄え、フランスからピレネー山脈を越えて続く1000キロ以上にも及ぶ街道は、いまもって人が絶えることがない。いやそれどころか、高度に文明の発達した現代に至って、むしろこのような古風な習慣がブームとなり、世界中からの巡礼者が訪れているという。我が国でも四国霊場を訪ねる人が後を絶たないのと同じである。

この巡礼について、私はかねてから関心があった。今のようにブームとまではいかないものの、古くからこの道を歩く巡礼者は多かった。巡礼の道には彼らが寝泊まりをする修道院や宿舎も用意され、そこには宿坊であることを示すホタテ貝のマークがつけられた。ホタテ貝のことを、フランス語で「聖ヤコブ」という。ホタテ貝のマークは、シェル石油のガス・ステーションにも使われている。

巡礼の宿場町で歌われた音楽は、これまでにもいくつか録音されてきたが、その中でも最も多くの作品、すなわち知られてるほぼすべての作品を網羅したのがこの2枚組というふれこみだった。巡礼は少なくとも13世紀には整備され、これらの音楽は街道沿いの巡礼者用宿泊施設などで奏でられていただろう。当時の音楽と言えば、単旋律歌曲、あるいはモテットなどど呼ばれる多声音楽が中心で、トルバドゥールと呼ばれる吟遊詩人によって継承された。この中世の世俗音楽には、興味深いことにイスラムの影響が見られ、そのことが特に異国的に響く。私たちが普段接しているバロック以降の「クラシック音楽」とは、一味も二味も違い、まるで別の音楽である。

ヨーロッパの文化的背景を持たない私たちが、これらの古い写本をもとにした歌曲に接する積極的な理由は、音楽や歴史の研究者を除けば、それが単に珍しく新鮮で、そして癒しにも通じるリラクセーションを与えてくれるからだろう。実際、私の場合はこの音楽を、真夏の夜に聞くことが習慣になっていた。遠くから聞こえてくるような信心深い音楽が、教会で歌われる正式な典礼歌ではなく、むしろストリート・ミュージックであることも手伝って親しみやすい。ただそのことを知ったのは、このCDを聞いてからのことだった。

このCDでは巡礼の街道に従って、「ナバーロ」「カスティーリャ」「レオン」「ガリシア」という4つの地域に区分けされ、順に紹介されている。独唱や合唱の他に、名前もわからない楽器が登場し、それらが独特の(イスラムの影響を受けた中世の)リズムによって一種独特な世界を形作っている。いまでこそサヴァールなどの活躍によって、これらの古い音楽が見事に蘇っている様に接する機会は多いが、それはこれらの音楽が、学究的に貴重な試みであることよりもむしろ、中世の巡礼とまさに同様に、いわば現代人をも感化するだけのスピリチュアルな魅力を有しているからだろうと思う。

今年の夏は盆踊りも高校野球も中止となり、季節感がないまま過ぎて行く。気が付けば暦の上ではもう秋である。このCDを、私は猛暑とコロナで自宅に軟禁状態になっていたある日、久しぶりに聞いてみた。透き通るような歌声や、遠くから響いてくるエキゾチックなメロディーに、しばし時の経つのも忘れて聞き入った。日課の散歩コースは、夜になっても人が絶えない。ベンチに腰掛け、灯が運河に反射してゆらめく様を眺めている。熱帯夜とは言え湿気の多い生暖かい風が吹いてくると、日中とは違って少しは心地よい。

この音楽を聞きながら、息子が成人したら妻と再びヨーロッパ旅行がしたいと思った。いや、その時はいっそ仕事をやめ、1年かけて世界一周でもいい。その頃にはコロナも終息しているだろう。そう心に誓い、さあ、明日も何とか乗り切ろうと思いを新たにした。



【収録曲】

CD1 ナヴァラとカスティーリャ
1.カンティガ「聖母様によく仕える者は」(カンティガ第103番)
2.モテトゥス「ベリアルは狡猾なるもの」(ラス・ウエルガスの写本より)
3.モテトゥス「主は墓よりよみがえりたまいぬ」(ラス・ウエルガスの写本より)
4.カンティガ「たいしたことではない」(カンティガ第26番)
5.モテトゥス「輝かしき家系より生まれたる」(ラス・ウエルガスの写本より)
6.コンドゥクトゥス・モテトゥス「アルファに,牛に」(ラス・ウエルガスの写本より)
7.4つのプランクトゥス(ラス・ウエルガスの写本より)
8.セクエンツァ「心地よく良き言葉を」(ラス・ウエルガスの写本より)
9.トロープス「神の小羊/良き生活の規範」(ラス・ウエルガスの写本より)
10.モテトゥス「ファ・ファ・ミ・ファ」/「ウト・レ・ミ・ウト」(ラス・ウエルガスの写本より)
11.一族の父(カリストゥスの写本より)

CD2 レオンとガリシア
12.カンティガ「聖母マリアは喜んで」(カンティガ第253番)
13.コンドゥクトゥス「毎年なされる祝典が」(カリストゥスの写本より)
14.カンティガ「星が船乗りを導くように」(カンティガ第49番)
15.コンドゥクトゥス「不滅なる栄光の王に」(カリストゥスの写本より)
16.カンティガ「聖母マリアは責められない」(カンティガ第159番)/「聖母マリアに焦がれて」(同第175番)
17.コンドゥクトゥス「われら喜ばしき一団は」(カリストゥスの写本より)
18.カンティガ「神のみ母」(カンティガ184番)
19.コンドゥクトゥス「全キリスト教徒はともに喜ばんことを」(カリストゥスの写本より)
20.7つのカンティガス・デ・アミーゴ(コダス)
21.巡礼歌「一族の父」(カリストゥスの写本より)

映画:「シラート」(2025年、スペイン・フランス)

「大統領のケーキ」を見た翌日、またもや救いようのない映画を見てしまった。作品のタイトルは「シラート」。アラビア語で「審判の日に天国と地獄の上に架けられる細い橋」を意味するらしい。つまり、死んだ人が集う場所から、それぞれが天国に行くか地獄に行くか、いったいどうやって決まるのか。それ...