2022年9月27日火曜日

東京都交響楽団第398回プロムナードコンサート(2022年9月23日サントリーホール、小泉和裕指揮)

コロナ禍に見舞われた2020年は、ベートーヴェンの作品が数多く演奏されるはずだった。しかしそれが叶わなくなり、私も大変残念だった。だから、その後徐々に再開されたクラシックのコンサートでベートーヴェンの作品がプログラムにのぼると、私はできるだけ聞きに行こうと思ってきた。奇数番号の交響曲で、この願いはまず達成された。そして今回、「田園」のプログラムが目に留まった。指揮は都響の終身名誉指揮者、小泉和裕。毎年何回か開かれる「プロムナードコンサート」と題された、わずか一夜のみの名曲プログラムは、実のところなかなか充実した名演奏となることが多い。

それにしても「田園交響曲」を聞くのは何年ぶりだろうか。手元のリストを検索してみると、何と2004年にロジャー・ノリントンで聞いて以来であることが判明した。この時の演奏は究極のノン・ビブラート奏法で、舞台最上段にずらりとならんだコントラバスから響く嵐のすさまじさに圧倒されたものだった。もはやベートーヴェンの交響曲は、従来のモダン風演奏には出会うことができなくなったとさえ思った。まあ、古楽器奏法の魅力に取りつかれていた私は、それでも良いか、などと納得していた。

それから20年近くがたって、今では様々な演奏が切り広げられているが、ここで聞く小泉の演奏は、まっとくもって一昔前風の、つまりはモダン楽器による演奏スタイル。とはいえ、カラヤン譲りの颯爽とした演奏はスタイリッシュで新鮮である。いわゆる巨匠風の悠然たる演奏ではないが、昨今の過激なまでに集中力のある演奏とは一線を画す、安心して聞いていられる演奏である。こういう演奏が結局は人気が高いようだ。サントリーホールは、コロナ禍で私が出かけた演奏会の中ではもっとも客入りが良かったように思う。私も久しぶりに「田園」を聞きながら、長かった2年半の「非日常」の日々と、特に今年の夏に起こった公私にわたる様々な困難に、思いを馳せた。

いっときはどうなるかと思った夏の日々を回想しながら、まだ続く不順な天候に自律神経がかき乱されている最近の状況も、わずかずつではあるが時が経つにつれて改善されているように思える。何も手につかない日々が続いたが、それも癒されていくのだろう。そう「田園」には、ベートーヴェンのモチーフである「困難を克服して喜びに至る」テーマが反映されている。

今回の演奏では第3楽章の繰り返しが省略されていた。「農民たちの楽しい踊り」もあっという間に嵐が来て、乱されていく。しかしすぐに始まる「神々への感謝」とともにフィナーレに向かった。それにしてもわが国のオーケストラも聞いていて上手くなったものだと改めて思った。そつなくこれくらいの演奏はできるのである。

休憩をはさんで演奏されたのは、レスピーギの「ローマの噴水」と「ローマの松」であった。この2曲は、やはり実演で聞くに限る。オーケストレーションの巧みさを肌で感じることができるからだ。録音だとつい聞き逃してしまうわずかなフレーズやアンサンブルに、耳をそばだて集中して聞き入ることができる。そして小泉の演奏が実に職人的で、これらの曲を見通し完全に手中に収め、純音楽的にオーケストラを操る余裕の演奏。

特に「ローマの松」のような大規模な曲になると、いわゆる熱狂的・扇動的な演奏になっても大変聞きごたえがあり、バランスを欠いているにもかかわらず大いに盛り上がる。それも音楽の表現ではある。けれども小泉の演奏は、その対極にあると言ってよかった。冒頭の賑やかな部分も、オーケストラをゆとりをもってドライブし、冷静でさえあった。そのため各楽器がよく聞こえt。「アッピア街道の松」が最終部に差し掛かった時でさえ、そのことは保たれた。おそらくすべての管弦楽作品中最大と言っていいような、左右の金管バンダを含め、あれだけの音量が鳴っていながら、冷静さを感じるその指揮と演奏が、私がこれまでに聞いた「ローマの松」では経験できなかった新しい側面を浮き彫りにした。

一言でいえば大変「整った」演奏だった。コンサートが終わって舞台に何度も呼びもどされた小泉も、いつもの表情で拍手に応え、台風の近づく秋分の日のコンサートがが終わった。会場を出ると、とうとう雨が降り出していた。もう9月も終わるというのに、蒸し暑い日が続く。今年の夏は異例づくめの夏だったが、それでも少しずつ、少しずつ、秋の足音が近づいている。

2022年9月24日土曜日

ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲ニ長調(P: レオン・フライシャー、小澤征爾指揮ボストン交響楽団)

第1次世界大戦で右手を失ったピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタインのために、ラヴェルは「左手のためのピアノ協奏曲」を作曲した。この作品は、(両手のための)ピアノ協奏曲ト長調と並行して作曲が進められ、「両手」よりも先に完成、初演された。2つの作品はいずれも米国旅行から帰国後に作曲され、ジャズの影響が顕著である。難しすぎると言ったウィトゲンシュタインとラヴェルの関係はこじれたが、右手が不自由になったピアニストにとってこの曲は代表的なレパートリーとなっている。

アメリカ人ピアニスト、レオン・フライシャーもその一人である。彼はベートーヴェンやブラームスの協奏曲で有名なピアニストで、ジョージ・セルとの一連の録音は有名だが、それはかなり前のこと(1960年代)である。病気によって右手の自由を失ったフライシャーは、左手の作品でピアノ演奏を続け、それは2000年代に回復するまで続いた。小澤征爾と左手のための作品のみを取り上げたCDがリリースされたのは、1992年のとだった。

収録されていたのは、もちろんこのラヴェルのほかに、プロコフィエフのピアノ協奏曲第4番、そしてブリテンの「ディヴァージョン」である(https://diaryofjerry.blogspot.com/2012/10/21p.html)。これらの3曲は、いずれもウィトゲンシュタインの依頼による作品である。両手が使えるピアニストも、積極的にこの曲を演奏、録音しているが、左手のための協奏曲のみを取り上げたこのCDは、ユニークな存在である。私も興味深くこのCDを購入して数十年が経つ。

曲はLentoと記された単一楽章から成っているが、実際には3つの部分から構成されている。まず第1部はとても静かに始まり、低音楽器の重奏が陰鬱な感じである。しかしほどなくしてオーケストラの音がクレッシェンド。ここで登場するピアノは、ややメランコリックなカデンツァである。続くオーケストラは全開で、ここにきてやっと明るくなる。

程なくして第2部になると行進曲が開始される。これは軍隊の行進を思い起こさせ、全体のテーマが戦争ということではないかと思えてくる。ただそのリズムの弾け方が、とってもジャジーでお洒落であることが嬉しい。小太鼓などが入り、なんとなく「ボレロ」のさきがけを聞く感じ。

第3部に入ると再び大きく弧を描いてテーマが再現され、曲が終わりに近づいたことを感じる。ピアノはしっとり、キラキラと夜景の如きカデンツァ。そしてコーダの部分はオーケストラによる大団円になったかと思うと、おもむろにリズムが強調され、いつものごとく突如終わる。18分ほどの曲。

小澤征爾はラヴェルを得意としていたが、この曲で見せるリズムの感性は、小澤の真骨頂ともいうべきもので、一糸乱れぬアンサンブルがボストン響の技巧にうまくマッチし、聞きごたえのある演奏に仕上がっている。特にコーダでの、まるで戦車が行進するかのごとき迫力は圧巻である。

2022年9月22日木曜日

東京フィルハーモニー交響楽団第975回オーチャード定期演奏会(2022年9月19日Bunkamuraオーチャードホール、バッティストーニ指揮)

今年初めて東フィルの定期会員になって、毎月のように演奏会に出かけることになったが、これまでのところコロナで中止されたのが1回、予定が入って行けなかったのが2回、そして今回も仕事が重なった。1年前からスケジュールが固定されるため、それを避けて予定を入れることにしていたが、それでも急な変更や中止が結構あるもので、なかなかやりくりが難しいと感じている。

もっとも今回は、予定していた9月16日のサントリー定期に行けないことがわかったのが1か月以上前のことだった。この場合、定期会員には振替という便利な制度がある。チケットを別の日の同じプログラムのチケットと交換してくれるのである。私はこれを初めて利用することになった。

ところが会員向けホームページを見ても、その制度があるということだけで、どうすればいいのか書かれていない。前回7月の定期では、残念ながら「振替可能期間」に間に合わなかったのだが、今回も間に合うかどうかわからない。そこで、書かれていた電話番号に電話をしたところ、まだ期限内であることが判明した。その締め切り日は、チケットとともに送られてきた案内に記載されているのだという。調べてみると、確かにあった。

そこで振替を申し出たところ、古いチケットを指定の住所へ郵送するようにとのことであった。私はこの古風なやり方に感動し、さっそく便せんに内容をしたためて切手を貼り、郵便ポストへ投函した。あとで新しいチケットが送付されてくるのかと思いきや、それはなく、当日会場の指定場所で受け取れるのだという。私は東フィルの会員証を忘れずに財布に入れ(これはIDがあれば不要だった)、会場へ足を運んだ。席は指定できない。けれども1階中央のなかなかいい席だった。これはこれで、どこで聞けるか当日までわからないという楽しみもあるな、と思った。

前置きが長くなったが、今回のコンサートはイタリア人で首席指揮者のアンドレア・バッティストーニである。1987年生まれの彼は若干35歳ということになるが、その活躍と人気ぶりは東京では確かなものがある。私も川崎で聞いたレズピーギ以来の2回目。2016年以降わが国と関係が深く、これまで何度か演奏していると思ったマーラーだったが、何とこれが初めてとのことであった。交響曲第5番は、オーケストラだけで演奏可能なマーラー作品の中で比較的短く(それでも70分はある)、プログラムに上ることが多い。

だがこの日は、マーラーに先立ち、リストが作曲したピアノ曲「巡礼の年」第2年「イタリア」より「ダンテを読んで」を管弦楽曲に編曲した作品が演奏された。編曲をしたのは指揮者バッティストーニ氏であり、これは世界初演という触れ込みだった。18分ほどの曲で、オーケストラは結構な規模だった。自ら作曲も手掛けるバッティストーニは、しばしば自作を演奏会の演目にしているようだが、私はこれが初めてであった。

ところが私は残念なことに、その作品のすばらしさ、演奏の良しあしについて書くことができない。なぜなら「経験したことのない」台風の襲来と猛暑で睡眠不足の私は、音楽が始まるや否や睡魔に襲われたからだ。右隣の老人も同様だった。結構大きな音が鳴っていたのだが、音量と睡眠への欲望は、この際関係がないように思われた。コンサートではしばしばこういうことがある。そうでなくても残暑が続き、天候不良の多い今年は、例年になく疲労が溜まり、9月のコンサートはちょっとつらいのだ。

後半のプログラム、すなわちマーラーの交響曲第5番は大のつく名演だった。悠々とした出だしから、興奮に満ちた第5楽章の終結部まで、一糸乱れぬアンサンブルは常に緊張感に満ち、しかも音楽的だった。第4楽章のアダージエットも情感豊かで言うことはなく、指揮者の構成力は自身に満ち、金管楽器、特にホルンを筆頭に技術的な水準も最高位に達していたと思う。

だが私はこれから、どういうわけかこの演奏が、特に前半部分において心に響かなかったことを告白せねばならない。それは大変残念なことだが、事実である。後半、特に第5楽章に至っては、熱演のエネルギーが私の体をゆすり、見ごたえのある結果となった。それでもなお、これは見ごたえであって、聞きごたえではない。何故か?

これから書くことは、ひとりのリスナーの正直な意見、あるいは告白である。それはBunkamuraオーチャードホールという会場が、私の愛するオーケストラの音を再現してくれないということに尽きる。

思い起こせば、私がこのホールに前回出かけたのは、1998年のことである。以来20年以上、私はこの会場から遠ざかっていた。それは意識的にである。ここのホールで聞く音楽が、どうにも好きになれないのである。人工的な音、それがこじんまりとして何か箱の中で鳴っているような感じ。それは1階の中央であれ、3階の上部であれ同じだった。

私は音響工学の専門家ではないから、よくわからない。言ってみればこれは、好きか嫌いかの問題なのかもしれない。多くのクラシック専用ホールは、今ではオーケストラの周りを客席が取り囲んでいる。このことによってオーケストラの音が横方向にも開放されている。このことに慣れてしまったのかも知れない。NHKホールのような巨大なホールでは、舞台の左右にも広く、従って同様のことがいえる。しかし多くの市民会館のような多目的ホールでは、舞台のオーケストラの響きは、その中に閉じ込められ、前方にのみ音が届く。

私はBunkamuraオーチャードホールで聞く音響は、近くで聞いているにもかかわらず、何故かやたら反射音のみを聞いているような感じである。中音域を特に強調する管の長いスピーカーを通してラジオを聞いているような感覚が、人工的で嫌味なものとして私の耳に残る。これは私だけの問題なのかも知れないが、このようなことは他の会場ではあまり感じないのも事実で、東フィルについてもサントリーホールで聞く場合には、もう少し開放的でナチュラルである。

今回私がBunkamuraオーチャードホールに出かけたのは、冒頭で書いたようにサントリーホールでの演奏会を振り替えたからである。今回の東フィルの定期は、東京で会場を変えて3回行われており、合わせて新潟県長岡市での演奏を加えると、4回の演奏会が同じプログラムで行われた。会場ごとに異なる響きにオーケストラの音がどのように変化しているか、興味はあるのだがこれらを聞き比べることもできない。ただ私がこれまでBunkamuraオーチャードホールで聞いた演奏会に、あまり感動的だったものがない。そういうわけで、大変残念なことに、今後もこのホールに出かけることはほぼないであろう。ついでに言えば、オペラシティにあるコンサートホールも、私とは相性が良くない。ここも長方形の形状をしており、段差の少ない客席から舞台が見えにくい。もっともここは我が家からも遠いので、わざわざここのホールに出向くこともほとんどない(オペラパレスは別だが)。

サントリーホールが開館するまで東京には、クラシック専用ホールというのが存在しなかった。その後、全国各地にホールができたが、私はサントリーホールで聞くのが最も好きだ。そして次に好きなのは、東京文化会館である。しかし東京文化開館は古くて客席が狭く(何と傘を置くところがない!)、席によっては正面を向かない(高い階の席は苦痛である。カーネギーホールを思い出す)。案外音響がいいと思ったのは東京芸術劇場だが、ここは池袋という辺境の地にあって周りの風紀は悪く、人の流れが一定しない駅のコンコースを分け入って進むうちに、音楽の余韻が吹き飛んでしまう。これは渋谷にも当てはまる。ミューザ川崎シンフォニーホールも駅の雑踏は最悪だが、さらには会場が縦に高い風変わりな形をしており、ベストな位置というのがよくわからない。ついでに言えば、錦糸町のすみだトリフォニーホールは、そもそもコンサートが少ないのであまり経験はないのだが、やはり感動したコンサートは少ない。

2022年9月17日土曜日

ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(P: アリシア・デ・ラローチャ、レナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団)

ラヴェルのピアノ協奏曲は、音楽史上数多あるピアノ協奏曲の中でもひときわ光り輝いている。この曲が作曲された時点で、こんなに斬新で素敵な曲があったのだろうか思う。もっとも時は1931年。日本ではすでに昭和に入っていた。

ラヴェルのピアノ協奏曲の特徴は、何といってもアメリカ旅行で影響を受けたジャズの要素ではないだろうか。第1楽章のリズミカルなタッチは、聞いているだけで興奮を呼び起こすだけでなく、明るく色彩感に溢れて陽気である。このころラヴェルはすでに病に侵されて、予定していた南米やアジアへの旅行も叶うことができなかったようだが、初演は大成功を収めた。もしラヴェルがもう少し長生きし、こういった国々の影響を持つ曲が生まれていたら、どんな素敵なことだっただろうかと思う。

音色の多彩さは、ピアノ協奏曲にはふだん使われない楽器にも負っている。冒頭、鞭がパチンと鳴り、ピッコロも聞こえてくる。わずか20分余りの短い曲に様々な音楽要素が満載。若手ピアニストがテクニカルに演奏すると、冴えわたった空間にまるで虹のような光線が飛び交う。

だが、この曲の最大の魅力は何といっても第2楽章である。ここを聞くとき、何と美しい曲なのだろうかと思う。夜の川辺を歩いていると、水面に映る灯りが揺れる。夏が終わりを告げ、ちょっと生暖かい風が頬を撫でる。疲れを感じつつも、ようやく迎えた癒しの季節。しばしやすらぎに心を委ね、繊細で浮き上がるようなピアノに聞き入る至福のひととき。単純なのか、複雑なのか。感傷的なのか、冷静なのか。音楽の魔法は私の脳に、麻薬のような陶酔感をもたらす。

不思議な音楽である。これをずっと聞いていたい、と思う。だが、消え入るように第2楽章が終わると、そこに登場するのは「ゴジラ」の音楽だ。全編に亘ってジャズの要素が絶えることはないのだが、一口にジャズといっても実に様々である。映画「ゴジラ」の音楽が、ここの第3楽章から来たのは明らかだが、それは作曲した伊福部昭がラヴェルの作品、とりわけピアノ協奏曲にほれ込んでいたというエピソードからも明白である。

若い情熱的なピアニストが、気鋭の指揮者と組んだ演奏、たとえばアルゲリッチとアバドの最初の録音は、私がこの曲を最初に聞いた時の演奏だが、そういう若手のエキサイティングな演奏も忘れられないものの、その後出会ったこの作品の愛聴盤は、より年配の熟年コンビによる演奏だった。アメリカ人の指揮者レナード・スラットキンが伴奏を務めるアリシア・デ・ラローチャの演奏がそれである。

このCDが発売されたとき、私は何か名状しがたい魅力を感じ、迷わず購入した。「左手」のピアノ協奏曲と、「優雅で感傷的なワルツ」なども併録されているが、やはり「両手」のピアノ協奏曲ト長調に尽きる。スペイン人ピアニストのラローチャは、モーツァルトのピアノ協奏曲で名を馳せ、このころには2度目のサイクルをRCAに録音中だったと思う。その時にやはり2度目となるラヴェルの協奏曲も発売された。

ここでラローチャは、天性の素質を生かして気品に満ちた演奏を繰り広げるが、それをもっとも感じさせるのが第2楽章であることは言うまでもない。スラットキンのゴージャズなサポートと優秀録音のお陰で、比類ない完成度を保ちつつ、余裕すら感じさせる風格をさりげなく醸し出す。特にコールアングレとピアノの二重奏となる部分は、全体の白眉である。

この時すでに70歳にも達していたラローチャのテクニックが、この難曲を演奏するに十分なものかという意見も見たことがあるが、これだけ年期の入った熟練ピアニストでなければできない表現というのも事実であろう。と、ここまで書いて、今日も今から夜の散歩にでかけることにしようと思う。もちろんラローチャのラヴェルを聞きながら。

2022年9月11日日曜日

ラヴェル:ラ・ヴァルス(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮パリ管弦楽団)

ラヴェルのオーケストラ作品「ラ・ヴァルス」は、ヨハン・シュトラウス2世を代表とするウィンナ・ワルツへのオマージュとして作曲された。ただシュトラウスが活躍したのは、主に19世の中頃で、そのあとに生まれたラヴェルが「ラ・ヴァルス」を作曲したのは、1920年ころのことである。この間には、ヨーロッパ史における決定的な事件、すなわち第1次世界大戦があった。

もっともラヴェルがウィーン風舞曲の作曲を思いついたのは、もう少し早くからである。彼は交響詩「ウィーン」という作品の着想を明らかにしている。それが1914年頃のことで、つまりは第1次世界大戦の前ということになる。この時間的な隔たりが、作品にどう影響したかを考察することが、この作品を理解するための重要な手がかりである。第1次世界大戦は、ヨーロッパにおける大変な惨禍をもたらし、ハプスブルク家の終焉をもたらしただけでなく、従軍したラヴェルの心身をも蝕み、この間に母親を亡くすなど、作曲も満足に続けられないほどに憔悴しきっていたことは良く知られている。

第1次世界大戦の前の後で、ラヴェルを取り巻く環境は大きく変貌した。そしてそのあとにバレエ音楽として作曲された「ザ・ワルツ」(ラ・ヴァルス)は、おおよそ典雅なウィーン情緒とは無縁の、複雑な音楽となった。作曲を依頼されたディアギレフは、この曲を舞曲とは認めず、そのことがきっかけで長年続いた両者の仲は決裂することになった。もしこの間に第1次世界大戦がなかったら、もっと違った作品になっていたのだろうか?これはもはや想像の域を出ない設問である。

「渦巻く雲の中から」とラヴェルは語っている。「ワルツを踊る男女がかすかに浮かびあがってくる」。この雲の向こう側にダンス会場がある。雲の向こうに見える古き良き時代は、もはや世界が取り戻すことのできない世界である。テンポが乱れ、ゆらめき、リズムはかろうじて3拍子を維持してはいるが、これで踊れと言われたら誰もが難色を示すかもしれない。ウィンナ・ワルツはもはや正常な形では踊ることもできないものになってしまった、とラヴェルは考えたのだろうか。その証拠はないし、これは単なる想像でしかない。

今でも続くウィーン・フィルのニューイヤーコンサートに「ラ・ヴァルス」が演奏されたことはない。フランス人の指揮者、あるいはフランス音楽を得意とする指揮者が登場しても、あるいはリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」のワルツが演奏されたことはあっても、ラヴェルのこの作品は取り上げられてはいない。そのうち誰かが取り上げることになるのでは、とも思うのだが、考えようによってはこのような、複雑な気持ちを抱く可能性がある。古き良きウィーン情緒に浸っていたいお正月の気分に、この作品は刺激的すぎるのだろうか?

だが純粋な管弦楽作品としての「ラ・ヴァルス」は、それなりに魅力的である。上記のような背景を知らずに楽しんで聞くこともできる。戦争の前後で変わってしまった世界を意識しなくても、音楽芸術がこの時期、行き場を失って複雑なものになってゆくのは、避けられない事実だっただろう。ウィンナ・ワルツを現代フランス風に表現したらこうなった、という単純な理解で十分かもしれない。

さて、演奏はフランスのオーケストラの醸し出す、ややヴェールのかかった音色に、十分妖艶でかつ色彩感あふれるものを選ぼうと思った。そして、パリ音楽院管弦楽団を受け継いだパリ管弦楽団ほどこれに見合うオーケストラはない。そのパリ管の歴代指揮者のなかで、ひときわ異彩を放つのが、発足直後に急逝したミュンシュの代役として音楽顧問の地位に就いたヘルベルト・フォン・カラヤンである。カラヤンはベルリン・フィルを指揮する傍ら、ウィーンのみならずパリの音楽舞台をも席巻する活躍ぶりだったと言えよう。

ところが「パリのカラヤン」を聞くことはなかなか難しい。Spotifyで検索してもカラヤンのラヴェルはベルリン・フィルを指揮したものが出てくるだけだ。仕方がないから中古のCDをAmazonあたりで探すしかない。そしてEMIがリリースしたかなり古いCDしか、これに該当するものはなさそうだった。私が今日聞いているのもそのCDである。このCDはかなり魅力的で、「ラ・ヴァルス」を筆頭に「スペイン狂詩曲」「道化師の朝の歌」そして「クープランの墓」が収録されている。いずれもカラヤンの精緻で職人的な技術が、フランス音楽にも的確に適合し、その魅力を伝えて止まないことがわかる。これは驚異的なことではないか。

大阪万博の年である1970年に、パリ管弦楽団は来日している。しかしこのとき同行した指揮者はカラヤンではなく、ジョルジュ・プレートルらだった。カラヤンはパリ管との相性があまりよくなかったといわれている。そして両者の関係はわずか2年しか続かず、1972年にはパリを離れている。それゆえに、この期間の録音は貴重だとも言える。

2022年9月9日金曜日

東京都交響楽団第958回定期演奏会(2022年9月9日サントリーホール、大野和士指揮)

重陽の節句9月9日は私の誕生日でもある。残暑がまだ続く9月の初旬は、台風が来たりすることも多く、蒸し暑くて天候が悪い。夏バテ気味の体調は、寝不足と食欲不振で疲労がたまり、とても良いコンディションとは言えない。少なくとも落ち着いて、クラシック音楽など聞く気持ちには、なれないことが多い。

特に暑かった今年の夏。もういい加減涼しくなってほしい、などと願う気持ちさえ奪われた日々は、私にとって2年も続く腰痛との闘いに終止符を打つべく、思い切って外科手術に挑むことになったことから始まった。7月初旬のことである。いつもより早々と梅雨明けとなった猛暑の日々を、術後のベッドの上で過ごした。コルセットが汗まみれになり、かねてからの口内炎で食べたいものも食べられない。そしてそんな養生の日々を新型コロナが襲ったのは8月上旬だった。最初は妻がり患し、基礎疾患のある私は、ホテルなどでの自己隔離を主治医に薦められた。しかし結果は私も陽性。ホテル滞在は息子に代わり、夫婦二人で闘病の日々が続いた。私は持病の治療スケジュールとの兼ね合いから、どうしても重症化するわけにはいかなかった。幸い、すぐに飲んだ抗ウィルス薬の効き目もあって、症状は軽症で済んだ。

猛暑と腰痛とコロナと基礎疾患。4重苦に苛まれつつ8月をやり過ごし、ようやく外出もできるころになって自分の56回目の誕生日がすぐそこに迫っていることを悟った。長く演奏会から遠ざかっているので、何か節目となる演奏会があれば、思い切って出かけてみたいと思っていたところ、都響から電子メールが届く。大野和士指揮の定期演奏会が、サントリーホールで開かれるのである。演目はドヴォルジャークの交響曲第5番とヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」。オール・チェコ・プログラムである。どちらも実演で聞くのは初めてだ。

2階S席を買い求め、仕事を早々に切り上げてサントリーホールへ向かう。暑さも少しやわらいで、心なしか涼しい風が吹いては来るものの、まだ秋のそれではない。夏が終わったのに秋が来ないという一年でも最も中途半端な日々。私が生まれたのは、こんな季節の変わり目だったのか、と毎年思う。9月最初のシーズン幕開きは、いつも暑くて上着を着るのが億劫である。

それでも2年以上のコロナ禍の中で、聴衆も落ち着いたものだ。客席はおおむね満員。まだカウンターバーの営業はなく、マスク着用も避けられないが、音楽を聴きたい気持ちは共通している。もう毎日のように演奏会が開けれ、会場入口で渡された袋入りのチラシには、海外から来る演奏団体の数も多く、コロナ前の水準に達している。

中欧のくすんだ音色が会場を満たし、木管楽器の浮き上がるようなメロディーが重厚で明るい弦楽器と溶け合う。これはまさにドヴォルジャークの音だと思う。常に見通しのよい大野の指揮が、楽天的で民俗的なリズムによく合っている。さわやかな第1楽章、抒情的な第2楽章。いすれもたっぷりとした曲だが、第3楽章も比較的長く、特徴が地味である。このため第2楽章や終楽章との切れ目がわかりにくい。大野はこの第2楽章と第3楽章を一気に演奏したように思う。一方、第4楽章がそれなりに輝かしい。

ブラームスに見いだされたドヴォルジャークは、ちょうどこのころから出世街道に乗って作風の完成度を高めていく。やがてはアメリカに渡り、「新世界交響曲」に結実する人生は、悲劇の多い作曲家の中で、稀にみるサクセス・ストーリーである。その出発点となったのが交響曲第5番であった。輝かしく伸びやかであるが、全体をスラヴ舞曲のように覆う作品かといえば、意外にそうではない。やはり交響曲として意識した作品である。

20分の休憩をはさんで、ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」が演奏された。ヤナーチェクもチェコの作曲家だが、ドヴォルジャークよりも13年だけ若い。けれども作風は、同じように民俗音楽をベースにしながらも、歌謡性に満ちた親しみやすさのドヴォルジャークとはずいぶん異なる。一言でいえば、ドヴォルジャークの故郷ボヘミアが都会的であるのに対し、ヤナーチェクのモラヴィア地方はより土着的、東欧的である。ただ私はチェコを旅したことはなく、このあたりの感覚はよくわからない。

ヤナーチェクの音楽には打楽器が活躍する。「グラゴル・ミサ」も同様で、オーケストラ最上段に並べられたティンパニは3台。それに小太鼓やシンバル、2台のハープ、そしてオルガンも加わる大規模なものだ。ソリストは4人(ソプラノ、アルト、テノール、バス)、それに混成4部合唱。今回の独唱陣は、順に小林厚子(S)、山下裕賀(A)、福井敬(T)、妻屋秀和(Bs)、さらにオルガンが大野麻里、新国立劇場合唱団は通常P席の位置に、ディスタンスを取って並ぶ精鋭部隊。

このたび演奏された「グラゴル・ミサ」は1927年第1稿ということだが、これは何と1993年になって出版されたもので、それまでの楽譜では最後に置かれていた「イントラーダ」が冒頭にも置かれている。もっとも私はこの曲を聞くのがほとんど初めてだったから、その違いには気づかない。そして冒頭からリズミカルにティンパニが鳴り響くと、そのパースペクティブの良さから、決して全体の調和が乱れない音楽的な表現に心を奪われた。これは大野の得意とするようなところだろうか。

第2部の、これもオーケストラだけの「序奏」のあとに、いよいよ「キリエ」が始まり、ソプラノと合唱が入る。おそらく難しい古代スラヴ語の歌詞が、どれほど歌手の負担となっているかは知る由もない。ただ今回のようなわが国の第1人者によって歌われると、そういう難しさが伝わることはなく、そのことが今回の演奏水準の高さを物語る。それはソプラノだけではない。やがて「クレド」で歌われるテノールもしかりで、合唱とオーケストラに負けていない。

「クレド」の中間部におけるオーケストラの響きは、金管楽器や小太鼓などに続きオルガンも入る大規模なもので迫力満点。見通しのよい演奏で聞くと興奮さえ覚える。この長い「クレド」の真ん中で折り返し地点を過ぎるように曲が構成されていて、対称的な構造となっている(今回の1927年第1稿の場合)。

全体に賑やかで、宗教的というよりはやや世俗的、さぞイギリス人などが好みそうな曲である。大野和士は2019年、ロンドン交響楽団でこの作品を演奏したそうである。

ハープやチェレスタが聞こえてくると「サンクトゥス」。高音主体の歌唱とオーケストラは次第に熱を帯び、いい演奏で聞いていると散漫さがなく集中力を保ちつつ一気に進む。なかなか出番がないと思っていたアルトが「アニュス・デイ」で活躍し、今回の独唱陣は例えようもなく見事であった。それぞれの音域が明確に示されているので、それぞれの声の質がよくわかる。

さて終盤にさしかかったところで、会場の最上部にいたオルガンの独奏となる。なんとも盛沢山の曲に満足する。そのオルガンの、また素晴らしかったこと。私はあまりオルガンの曲を聞かないが、今回サントリーホールで聞いた「グラゴル・ミサ」の第8曲は、約3分間でしかなかったが、とても贅沢な時間に感じられた。

終曲は、冒頭でも演奏された「イントラーダ」が再演された。再びティンパニが活躍する手慣れた響きに再びあっけにとられているうちに曲が終わった。満場の拍手にこたえて、何度も呼びもどされる出演者は、オーケストラが去った後も続き、充実した2時間の定期演奏会が熱狂のうちに終了した。

2022年9月1日木曜日

ラロ:スペイン交響曲(Vn: チー・ユン、ヘスス・ロペス=コボス指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)

ラロの「スペイン交響曲」は、中間に「間奏曲」が挿入され、ヴァイオリン独奏との競演を主体としている。いわばヴァイオリン協奏曲と言ってもいい。調性はニ短調。あまり名の知られていない作曲家だが、この曲だけは有名で録音も多い。私も冒頭の野性的なメロディーから印象に残り、何度もいい演奏に触れてみたいと思っていた。ところが、なかなか心に響くのがないのである。

最初に接したのは、アイザック・スターンによる演奏だった(ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)。スターンのヴァイオリンは低音気味でやや粗削りなところがある。好みの問題かも知れないが、ユダヤ系に多いこの傾向を、私は好まない。次に接したのもユダヤ系のイツァーク・パールマンであった。パールマンはスターンとは異なり、テクニックも素晴らしく、楽天的である。明るい音色がスペインに合っているとは思う。だがこの演奏もまた、ダニエル・バレンボイムが指揮するパリ管弦楽団との相性もあるのだろうか、何とも大味で締まりがないと思った。それにやはり、このメロディーを聞いているとユダヤ民謡を聞いている感じがしてくるのは偏見か。

往年の名演に思いを馳せると、グリュミオーが残した演奏に目が留まる。ここでモノラル録音の旧盤は、ジャン・フルネ、ステレオ録音の新盤はマヌエル・ロザンタールが指揮を務める。オーケストラはいずれも独特の音色を放つコンセール・ラムルー。これらの演奏は、リズムをしっかりと刻み、音色もレトロな雰囲気が残る。イメージしているスペイン情緒が満点なのである。だが、いかにも古色蒼然としている。テンポもやや遅く、ちょっと単調だと思う時も。やはり古さは否めない。

このようにしているうちに、私は「スペイン交響曲」から遠ざかってしまった。もっと現代的ですっきりした演奏はないものか。録音も大切で、しかもそこそこ長いこの曲に変化をつけ、ある程度一気に聞かせるような演奏。他の曲のように、90年代以降に登場した演奏が新しい曲の魅力を開拓するようなところがあってもいいのでは、と思った。ところがなかなか出会わないのである。そうこうしているうちに、この曲は目立たない曲になっていった。コンサートのプログラムに登ることも少なく、録音もおりからのCD不況でめっきり新譜は減っていく。

そのような中で目にしたのが、韓国の女流ヴァイオリニスト、チー・ユンが演奏した一枚。DENONがデジタル録音しているので悪くない。伴奏はヘスス・ロペス=コボス指揮ロンドン・フィルハーモニ管弦楽曲。サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番とのカップリングは定番である。1996年の録音。

冒頭。引き締まったオーケストラは不要な残響が少ない。明るく、そしてアクセントが効いている。その音色の新鮮さに一気に引き込まれた。待ち望んでいたのは、こういう演奏である!そして間断なく始まるヴァイオリンの音色の美しいこと!やはりヴァイオリンは、声で言うとソプラノ。澄んだ音色が南ヨーロッパの青い空を思い出させる。時間が止まったような夏の午後。だからこそ、何か淋しい。聞きほれてるうちに第1楽章が終わってしまった。

リズムの変化が面白い第2楽章も、オーケストラと独奏が不思議にかみ合っている。チー・ユンは韓国人なので、ヴァイオリンがうなると何かアリランを聞いているような気がしてくるが、べたべたしとらずスッキリ系。ちょっと陳腐なたとえをしてしまったが、つまりは知と情のバランスがいいということ。それが一定の緊張感を持ちながら進行する。

第3楽章は間奏曲となっているが、6分以上もある。この楽章も演歌である。しかし途中から白熱を帯びた演奏になってゆく。テンポはあくまで少し早く、そしてスタイリッシュ。伴奏が非常に好意的で、いいアンサンブルである。夏の午後にこの曲をきいていると、懐かしさが無性にこみ上げてくる。

第4楽章は緩徐楽章。どちらかというと賑やかな他の部分に交じって、この楽章がちょっとしたアクセントになっている。そして終楽章は、長い旅を終えて故郷が近づいてくるようなわくわくする曲である。スペイン紀行も終わりに近づいた。そしてこの楽章は、結構テクニック満開の曲である。ピチカートが混じる部分もある。この曲がサラサーテに献呈されたことからもわかるように、どこか似ている。

私は長年、ラロがスペインの作曲家だと思っていた。情熱、踊り、マッチョ。このスペインを語るうえで欠かせない3つの定番要素が、この曲に凝縮されている。しかし彼はれっきとしたフランス人である。けれどもフランス人がスペインを舞台としたオペラを作曲したり、スペイン風の曲を数多く作曲しているのは面白いことだ。丁度19世紀の終わりころは、交通の発達もあって異国情緒を兼ね備えた曲が数多く作曲されたのだろう。そしてその対象に選ばれた筆頭格がスペインだった。そしてこの曲「スペイン交響曲」は何とチャイコフスキーにも影響を与え、あの不朽の名作(ヴァイオリン協奏曲)につながっている。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...