2016年6月11日土曜日

R・シュトラウス:楽劇「エレクトラ」(The MET Live in HD 2015-2016)

ホフマンスタールが台本を務めた最初のリヒャルト・シュトラウスのオペラ「エレクトラ」は、古代ギリシャを舞台にしたソフォクレスの悲劇に基づいている。音楽は最大級の編成でありながら1幕しかなく、登場人物は多いが、ほとんど出ずっぱりの主題役エレクトラが、陰惨で壮絶な歌唱を一貫して繰り広げる。音楽はこれ以上にないほどにまで凝縮され、集中力を必要とするので、聞く方の覚悟も必要となる。いや眠気など吹っ飛んで舞台に釘付けになる、というべきか。もっそもそれは歌手とオーケストラがそろっているという条件の下でだが。

METライブシリーズも10年が経ち、その最新の演目である「エレクトラ」は、故パトリス・シェローの演出、エサ=ペッカ・サロネンの指揮により上演された。主題役エレクトラはワーグナーを歌うニーナ・ステンメ(ソプラノ)、エレクトラの母クリソテミスに何と往年の名歌手ヴァルトラウト・マイヤー(メゾ・ソプラノ)、エレクトラの妹クリソテミスにエイドリアン・ピエチョンカ(ソプラノ)、エレクトラの弟オレストにエリック・オーウェンズ(バス・バリトン)などの配役である。

トロイア戦争から帰国した王アガメムノンは、妻であるクリソテミスに殺されてしまう。入浴中に斧で頭をかち割られたというのだ。その光景を目にしていた長女エレクトラは、母親を憎んでいる。いやそれどころか彼女は母親から虐待を受けながら育つ。エレクトラは復讐に燃え、母親を殺そうと計画しているのだ。そのために弟のオレストを遠くに逃がし、彼をして母を暗殺しようというのである。

エレクトラの妹クリソテミスはそんな姉に同情しつつも、女性としての幸福を追求したい。ここでの姉妹の生き方に対する対比は興味深い。だが私は復讐に燃える姉に同情的でもある。

そんなある日、弟のオレストが死んだとの知らせが入る。音楽が大きくうねり、動揺するエレクトラを表現するあたりから話は一直線である。シュトラウスの音楽は、どんな作品でもそうだが、すべての動作や物事を饒舌に表現する。天才的で魔法のような音楽である。この作品は前作「サロメ」をさらに一歩進め、後年の「ばらの騎士」などとも異なる前衛的な作品だが、シュトラウスにしか表現できないであろう世界が全面に展開し、緊張と興奮が途切れることはない。

オレストの訃報に戸惑ったエレクトラは、いよいよ妹と共謀して母を殺そうと、父の殺人で使われた斧を探し出すが(何と恐ろしいことか!)、妹は同意しない。とうとう彼女は自ら計画を実行することを決意する。そこへオレストが現れ、彼は生きていたことが判明する。実はオレストの死は、オレスト自身が仕組んだものだったのだ。姉の決意を確証したオレストはいよいよ暗殺計画を実行し、まず母のクリソテミスを殺す。舞台裏から叫び声が聞こえ、歓喜するエレクトラ。そこへ情夫のエギストも現れ、彼もまたオレストに刺殺される。感極まるエレクトラが踊り狂いながら、1時間余りの壮絶な舞台は幕となる。

短時間ながら無駄のない音楽には、ものすごい集中力を必要とするのだろう。それは見ている側も同じである。だからこのような作品を見るには覚悟がいる。舞台はまず、ひたすら階段を掃き掃除する下女たちのシーンから始まる。階段を下段まで掃き終るまで音楽はなかなか始まらない。客席はその間に、一気に噴き出す音楽への集中力を高めていくという趣向である。

ニーナ・ステンメの気迫に満ちた舞台は、見るものを終始舞台に釘付けにしたが、それにしても高音と低音を行ったり来たりしながら大声を張り上げる歌と演技は相当なもので、彼女は秋にイゾルデを歌うそうだが、声をつぶさないかと心配になる。舞台が終わるまでの迫真の演技に、会場からどっと沸きあがるブラボーの嵐は、この公演の水準の歴史的とも言える高さを示している。METでもなかなかこれほどの熱狂的な拍手は見たことがない。そしてそれを支える歌手たちとの息の合った見事な呼吸も素晴らしいの一言につきる。

妹のクリソテミスを歌ったピエチョンカは、また一つのソプラノの大役だが、心理的な対比を表現する歌唱力は見事だと思ったし、それに暗殺を実行するオレスト役のオーウェンも、長年METで歌い続けている貫禄を感じさせながら、このピッタリな役を嬉しそうにこなしていたように思える。個人的にはまた、母クリソテミスを歌ったマイヤーがまだ、これだけの大声を張り上げるだけの力量を持ち続けていることに驚いたが、彼女はまた実に気品があって、この悪役を歌うには少々上品すぎるという贅沢な悩みもまた感じたのは事実である。

この公演の成功の理由は、サロネンの指揮するオーケストラにも求めなければならない。彼がMETの舞台にどれほど登場しているのかは知らないが、第1級のオーケストラ指揮者がピットに登場するというのは、それだけで期待が高まるし、それにこの作品を指揮するだけの体力と瞬発力のようなものを求めるには、サロネンのような指揮者こそ相応しいと感じたからだ。その期待を彼は裏切らなかったばかりか、オペラ指揮の世界でもまた彼はまた存在感を示す結果となったのではないだろうか。すべての歌手とオーケストラは圧倒的で、興奮に満ち満ちた1時間40分はあっというまに終わった。

虐待された娘による母親の暗殺は、最近のニュースでも耳にした。このような話は古代ギリシャ、すなわち人類が小説を書き残し始めた頃から存在したのである。

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