2018年7月26日木曜日

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61(Vn:イザベル・ファウスト、クラウディオ・アバド指揮モーツァルト管弦楽団)

ベートーヴェン中期の傑作のひとつがヴァイオリン協奏曲である。ベートーヴェンが書いた唯一のヴァイオリン協奏曲は、数あるヴァイオリン協奏曲の中でも最高の美しさを誇るのではないかと思っている。しかし私が初めてこの曲を聞いた時(それは中学生の頃だったと思うが)、ベートーヴェンにしてはなんて大人しい曲だろうと思ったし、モーツァルトの明るく朗らかなヴァイオリン協奏曲にくらべると、憂鬱だなとさえ思った。もちろん、メンデルスゾーンやチャイコフスキーのように、技巧的でもない。

それが聞き進むにつれて、これほどヴァイオリンの特性を生かしながらその魅力を引き出し、聞くものをほのぼのとした嬉しさに包み込む曲はないのではないか、と思うようになった。当時私の実家にあったLPは、クリスティアン・フェラスによるもので、バックはカラヤン指揮ベルリン・フィル、それからあの有名なモノラル録音のクライスラー盤(ブレッヒ指揮ベルリン・フィル)だった。後者は聞くに堪えないほど古い音質で、まるで蓄音機で聞いているようなおもちゃの音がしていたので、専らフェラス盤を聞いていた。

ムターが10代でデビューしてこの曲を録音し、その後の日本ツアーでも演奏したときには、その美しく艶のある演奏をテレビで見たような記憶がある。また私は自分の小遣いで買った録音が、評判の高いシェリングによるもの(ハイティンクとの新録音)だった。どの演奏で聞いても素晴らしいのは、曲がいいからで、特に秋が来て寒い雨が降る頃になると、私はなぜかこの曲が聞きたくなった。

カンタービレの美しさは、パールマンがデジタル録音した際にリリースされた録音を買った時に思い知ったような気がした。ジュリーニが指揮するフィルハーモニア管弦楽団との演奏は、この曲の持つ今一つの側面にスポットライトを当てた。イタリア的な演奏だと思った。

だが今から思うと、70年代から80年代の演奏は生真面目で面白みに欠ける。総じて音楽は遅く、それがこの曲の標準なのかと思っていたりもしたが、そういった既定概念を覆すような演奏は、クレーメルがアーノンクールと共に録音したCDによってもたらされた。大阪・心斎橋のタワーレコードでこの曲を試聴したときの衝撃は忘れられない。冒頭のティンパニの音からして全く違う。第1楽章のカデンツァではピアノまでが登場し、第2楽章の微音などまるで蜃気楼のようにゆらゆらと立ちのぼるように繊細で、それでいて芯のあるヴァイオリンの表現力に驚いた。私のこの曲に対する印象は、このようにして新たな段階に入った。

すべての演奏を聞いているわけではないし、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲となるとベラボーな数の録音があるので、それらを比較することは不可能だ。だからおよそ10年おきくらいにたまたま聞く新録音が、私の愛聴盤になる。しかし2000年代に入ってムターの新録音(マズア指揮ニューヨーク・フィル)の新しい境地に惹かれながらも、この録音を聞くまでは、決定的に好きな演奏が存在しなかった。今の私の精神状況にもっともフィットする演奏は、イザベル・ファウストが独奏を担い、クラウディオ・アバド指揮モーツァルト管弦楽団との競演による2012年のCDにとどめを刺すと感じている。

ただし、この演奏はクレーメルの録音があってこそ実現したと思う。演奏の傾向が良く似ている。第1楽章のカデンツァは、クレーメル盤と同様にベートーヴェンがピアノ協奏曲用に編曲したメロディーが使われおり、そこにピアノこそ登場しないがティンパニが聞こえている。ファウストはクレーメルの演奏をさらに前へ押し進め、より自由で自信に満ちた即興的な瞬間を楽しんでいる。これを聞くとクレーメルの演奏が神経質なものにさえ思えてくる。

アバドの伴奏がこの傾向を完璧にサポートしているからだろうと思う。そして特筆すべきは第2楽章の最終部で再び奏でられるカデンツァである。この部分はベートーヴェン自身が書き残しているため、大半の演奏は短くさらっと第3楽章につながる。だがファウストの演奏では、クレーメルの演奏と同様に、長いカデンツァが用いられ、そのメロディーはクレーメルのものとも異なる。

ため息の出るような美しい独奏が、そうでなくてはならないように自然に引き継がれ、とうとう第3楽章の主題が聞こえてくると、明るくはじけそうな面持ちでロンドを駆け抜けていく。その爽快感はかつて聞いたどの演奏とも異なって奔放であり、開放的である。だがもしかすると昔はこのような演奏も多かったのではないかと思う。一度ハイフェッツの演奏など聞きなおしてみたい。けれどもファウストの演奏は、昔のそれとはやはり異なっている。指揮者とオーケストラを含む全員が、ひとつの音楽に共感している様が、今日的で新鮮だからである。

新しいベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏は、フレッシュで輝かしい魅力に溢れている。これだけさらに表現上の新境地を示すことができるのは、曲の持つ奥深さを表していると思う。このCDには、ベートーヴェンの前にベルクのヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」も収録されていて、こちらも大変すばらしい演奏である。

2018年7月25日水曜日

映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス」(2017年、イギリス)

都内にある私のマンションの玄関には一枚の白黒写真が飾ってある。花束を持った一組の歌手が盛大な拍手に応えてアンコールを歌っているシーン。この歌手の名はオマーラ・ポルトゥオンドとイブラヒム・フェレール。当時もう70代の老人である。だが彼らこそ90年代になって、キューバの貧しい下町から「発見」され、鮮烈なデビューを果たしたバンド、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのメンバーだ。

確か2000年頃だった。私は妻とともに渋谷の狭い映画館の最前列で、彼らのツアーを追った映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を見た。直前に飲んだ大量のワインの影響で、私は映画の間中、心地よい睡魔に襲われ、ほとんど夢見心地でソンと呼ばれるキューバの「伝統的」ポピュラー音楽と、その知られざるハバナの風景を楽しんだ。荒波が波しぶきを上げて旧市街の道路を洗い、そのそばを大型の古い自動車が走る。子供たちが戯れ、老人たちが葉巻をくゆらせる。夕焼けが空を赤く染めている。心地よい音楽が、丸でカリブ海から吹き付ける風のように、私の体を覆っていた。

あまり良く覚えていないその映像は、後日発売されたDVDで何度も見た。全体を通して流れる黄金時代のキューバ音楽は、サルサやメレンゲとして知られる軽快な今のカリブ音楽の、いわば原型のようなものである。私は彼らがワールドツアーで来日した時も、有楽町の東京国際フォーラムで行われたライヴに出かけたのは言うまでもない。その時に行われた抽選会で、何と一等を得たのである。その時の景品が、いま私の家にあるサイン入りの白黒写真なのである。

「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のメンバーは、みなキューバ革命以前から活躍していた名歌手たちである。その彼らが激動の時代を生き抜き、ギターリスト、ライ・クーダによって知られるところとなる。ドイツ生まれの映画監督ヴィム・ヴェンダースは彼らのアムステルダムでの公演を皮切りに、ニューヨーク・カーネギーホールでのコンサートまでの模様を、キューバの風景を交えながら追いかける。だが彼らに残された時間は少なく、その後の10年間に多くのメンバーが世を去った。もちろん高齢だからである。

その続編とも言える本映画は、ヒット後の彼らの活動を追うとともに、革命前後のキューバにも焦点を当ててドキュメンタリー風に構成していく。 最初の映画ほどの完成度には及ばないが、この映画に魅せられてコンサートまで足を運んだ者としては見逃すわけにはいかない。先週末の日経新聞に紹介され、東京での公開が今週中にも終わると聞いて慌てて出かけた次第である。

この映画を見て思うことのひとつは、革命、すなわち社会主義がこのラテンの国にもたらしたものとは何だったのだろうということだ。 長く資本主義社会から隔絶され、ミュージシャンと言えども生きる意欲を失い、靴磨きや葉巻工場の労働者として辛うじて生計を立てていた、というのはいわば負の側面である。だが革命前のキューバはアメリカ帝国主義により搾取され、それ以前から根強く続く黒人差別と奴隷の歴史から逃れることはできなかった。

ミュージシャンの口から語られる、そういった革命前後のキューバの実情は、見る者の心をより複雑にさせる。だが社会がどう変わろうと、音楽は常にキューバにあり、その精神は絶えず生き続けてきたということは事実だろう。音楽がキューバを救った、などと楽天的なことを言うのではない。オモーラ・ポルトゥオンドによって、失った愛の哀しみが歌われる時、そこには万感の思いが伝わってくる。その歌を彼女は、2003年に亡くなったイブラヒム・フェレールに捧げるのだ(最後のシーン)。

最初の映画から20年近くが経過し、私の住む家も三鷹の賃貸から都心のマンションに変わった。その間、私はずっと白黒写真を見続け、生死を彷徨う闘病の長い日々を過ごした。長い時間がもたらしたもの、その前の時代への憧憬。私の過ごしたこの20年は、人生を変えた20年でもある。その長さを思いながら、この映画を見た。

私はまだキューバに行ったことがない。今後、行けるかどうかはわからいし、行けたとしてももうあの、まるで半世紀以上もタイムスリップしたようなハバナの街に出会えるかどうかはわからない。でも可能なら、1時間でいいからハバナの旧市街を歩いてみたい。そこここから聞こえてくる人々の話し声や車の喧騒に混じって、あの哀愁に満ちたソンのメロディーが、きっと聞こえてくるはずだから。

2018年7月23日月曜日

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」(2018年7月22日、東京文化会館・二期会公演)

長い間、ぜひ実演で見てみたいと思いつつ、なかなか果たせないでいたウェーバーの歌劇「魔弾の射手」は、ドイツ国民的オペラとして重要な位置にある。民謡のように親しみやすい音楽は誰もが口ずさみたくなるほどであり、それゆえにか、おいそれとは上演されない演目でさえある。ドイツ人かよほどドイツに縁のある指揮者でなければ、この曲をレパートリーに加えることはないし、逆にドイツ人であれば、そう簡単に演奏してはならない代物だからである。

モーツァルトが確立したドイツ語圏におけるオペラは、やがてワーグナーによって大成されるが、その間の隔たりは大きい。この中継ぎともいうべき時代に、ウェーバーが位置している。いわゆるジングシュピールとしての歌芝居的要素を持つ点は「魔笛」などから引き継がれ、少しオカルト的で深い森の中に彷徨いこむドラマ的性格は、そのままワーグナーに受け継がれた、と一応音楽史的には説明されている。その間に社会は、自由を得た市民が音楽を楽しむ時代が到来し、これがすなわち大衆化した娯楽としてのオペラの最初(特にドイツ語圏での)という点も添えておく必要があるだろう。

そのような「魔弾の射手」を我が国で見ることは、実はなかなか困難であった。モーツァルトやワーグナーの作品なら、毎年どこかで必ず上演されているのに、「魔弾の射手」となると難しい。録音や録画された媒体としても、ドイツ系の大指揮者でないと、この作品を録音することはない。カイルベルト、クーベリック、それにクライバーくらいしか長年聞くことはできなかったし、ベームやカラヤンさえ正規録音は残っていない。最近ならアーノンクール、ティーレマンといったあたり。そのような中で、私はコリン・デイヴィスのCDを愛聴してきた。骨格のしっかりした、ドイツ人以上にドイツ的な演奏である(2種類あるが、古いドレスデン盤が良い)。

ところが今年、東京と兵庫で同時期に、まるで申し合わせたようにこの作品が上演されると知った時は、ちょっと困惑した。兵庫県に実家のある私は、隣の市である西宮で上演される佐渡裕指揮による上演も見てみたい。一方、東京在住者としては、二期会による4つの公演のどこかに行ければ、まずは「魔弾の射手」の聞き初めとなる。結局私は、実に公演の数日前に、東京文化会館で行われる二期会のプロダクション(演出:ペーター・コンヴィチュニー)を見ることに決めた。何週間も続く猛烈な暑さの中を、上野へと向かう。一連の最終公演のマチネである。

さて、長年数多くのCDで演奏を楽しんできた「魔弾の射手」を、実演で見るのは初めてである。それで、どこまでこの公演について書き記すだけのものを持ち合わせているか、相当あやしいことを覚悟のうえで、いくつかの感想を記しておきたい。私も読み取れなかった演出上の詳細な解釈(読み替え)については、他の人のブログが参考になるだろう。

まず、私が購入した一階席(向かって最も左手)は、今回の上演を見るうえで大きなハンディであったことを指摘しなければならない。これでS席は納得がいかない。なぜなら演出上重要な道具であるエレベータが左袖に配置され、おそらく会場の左側に座った約3割程度の客席からは見えなかったことだ。エレベータは7階まであり、これが魔法の弾丸の数を表す重要な意味を持っていた。さらに、いくつかの出演者のやり取りが、この舞台袖で行われたようで、隠者が終幕で名刺を交換し、ザミエルともども再度姿を現す、などといったこともよくわからなかった。

開き直って言えば、私の席からはコンヴィチュニー流の読み替えの「毒」がわかりづらく、そのことによってかえって、音楽をストレートに味わうことができたとさえ思う。私の席からは、読売日本交響楽団が演奏する、本当に素晴らしい音楽が、安定して聞こえて来たし、アルゼンチン生まれの若い優秀な指揮者アレホ・ペレスの表情もよく見て取れた。いわゆる古典的な舞台ではなく、むしろ簡素にして照明効果の美しい舞台は、ありきたりのドイツの風景を感じさせるような古めかしさがなく、そういう点で私は気に入った。満月の月、空高く飛ぶ鷹、火が燃えたり、灯が会場をも照らしたり、それに客席にいた隠者が時折みせる仕草などは、1階席で見るアドバンテージであった。

ただもっと詳しくわかってしまうと、今回の読み替えは賛否両論が渦巻く側面に直面することになっただろうし、もしかすると実演初心者の私などは、ちょっと抵抗感を持ったかもしれない。そのあたりの解釈の「不完全さ」によって、私は救われた。皮肉なことに、音楽主体でこの演奏を聞くことができた。

私はすべてを日本人が演じるオペラを見たのは初めてである。いつも出掛ける新国立劇場では、たいてい主役はみな外国人だし、かつて見た藤原歌劇団の「椿姫」もヴィオレッタとアルフレードのみがイタリア人だった。だから、今回のように、セリフのみが日本語で、歌はドイツ語(英語、日本語の字幕付き)というスタイルに、多少戸惑った。演技されて発せられる日本語は、わかりやすさのためであるとはいえ、やや大時代がかった演劇スタイルで、どうにも私は好きになれない。歌唱の時は字幕を追うが、会話になると字幕が出ない。急に舞台から聞こえる日本語が、学芸会のように聞こえ、しかもときどき聞き取りにくいのである。このことが上演のスムーズな進行にちょっとブレーキをかけていたのではあるまいか。

今回の二期会の公演は2組のキャストによって演じられ、私が見たのはそのうちの後半の組であった。まず良かったのはアガーテの北村さおり(ソプラノ)とカスパルの加藤宏隆(バス・バリトン)。北村の声は清楚で美しく、結婚式を前に希望と不安の入り混じる女性の役にぴったり。対照的に明るくて屈託のないエンヒェンを歌った熊田アルベルト彩乃(ソプラノ)も、そういう役作りを意識していたようで、なかなか好演だったと思う。

一方、主役のマックスを歌った小貫岩男(テノール)は大変綺麗な声の持ち主だが、ちょっとパワーが足りないところが惜しい。これで声に張りがあれば、ヘルデン・テノールとして及第点だったと思う。舞台最前列に座って花嫁に花束を投げた隠者の小鉄和広(バス)は、カスパルが打たれて幕が閉じかかったところで舞台にあがり、この劇がハッピー・エンドに終わらないといけないという素振りを見せる。台本役が登場し、再び幕が開くという仕掛けに会場は大笑いかと思ったが、静まり返っている。小貫の大変充実した声は、存在感があり上手かったが、興行主としての成金ビジネスマン風のいで立ちで登場する今回の演出では、そういう歌唱の側面の評価をそぎ落としてしまう。やはり演出というのは、大きな要素である。

演出という観点で言えば、今回の目玉は何といっても、元宝塚女優大和悠河をザミエルに起用したことだろう。決して歌わないが、何度も舞台に登場し、男とも女ともつかない美人の悪魔を、タカラヅカ風にやらせようとしたのも、ブックレットによれば演出家の仕業だったようだ。だがこの点に関して言えば、私は今回の演出にフィットしていて面白かったと思う。会場にいつになく大勢の女性ファンが詰めかけ、花束が数多く並んでいる。十着以上も衣装を交換しながら、様々な局面で彼女は登場した(らしい)。私は中でも「狩人の合唱」の前に幕前で歌詞を朗読したとき、その演技に釘付けられた。

阪急沿線で育った私は、小学校1年生のときに見た人生最初で最後のタカラヅカ以来、どういう女優がどういうミュージカルを歌っているのかまったく興味もなかったが、彼女はマリア・カラスが好きでオペラ通になり、本も出版しているらしい。それで白羽の矢が立った彼女は今回の出演を大変嬉しく思い、そしてその期待通りに、存在感がありながら流れに見事にマッチした演技を披露したと思う。その振る舞いは節度と品があった。なお、もう一人の悪魔が舞台に登場し、ヴィオラを奏でながら踊る。その役はハンブルク歌劇場首席ヴィオラ奏者で日系のナオミ・ザイラーという人で、彼女の演技も面白い。

他の役についても記しておこう。オットカル公爵は薮内俊弥(バリトン)、クーノーは伊藤純(バス)、キリアンに杉浦隆大(バリトン)。合唱は二期会合唱団。

CDで聞く「魔弾の射手」は、次から次へと楽しい歌が登場し、それだけで随分この曲を知っていると思っていた。ところが何年か前、映画仕立ての作品を見たときには、狼谷のシーンなどホラー映画のように怖くて、この曲をCDでのみ聞いているだけではわからない面白さがあった。今回、斬新な読み替え演出で観る「魔弾の射手」は、そのどちらとも異なる側面を私に見せてくれたことは確かである。そういう新しさがないと、この作品の上演は評判になるようなものにはならないだろうと思う。だが、そういう冷静な判断ができたのは、一定水準の歌唱と演技、それに十分に貫禄のあるオーケストラの引き締まった演奏があったからだろう、と思う。

2018年7月22日日曜日

東京交響楽団演奏会(2018年7月21日、ミューザ川崎・シンフォニーホール)

新大陸におけるクラシック音楽の新たな展開、すなわちジャズや黒人音楽との融合が、ロシア系ユダヤ人の血を引くアメリカ人によって確立されていったことは興味深い。その中でも先陣を切るジョージ・ガーシュインと、20世紀を代表する指揮者でありミュージカル作曲家でもあったレナード・バーンスタインは、それぞれ生誕120周年、100周年の記念である今年、特にコンサートで取り上げられる機会の多いようだ。

川崎に本拠を置く東京交響楽団もそのひとつで、毎年夏に開催されている「フェスタサマーミューザKAWASAKI」という一連の音楽会のオープニング・コンサートに、音楽監督のジョナサン・ノットとともにジャズとの融合をテーマとした曲を取り上げた。私はこのチラシをもらって、すぐに行くことを決めた。4階席は3000円という安さだが、学生はさらに半額となる。中学生の息子を誘ってみたが興味は示さず、妻も行かないと言う。そういうわけで今回も一人で、猛暑の中を川崎へ。

この夏のイベントに私ははじめて足を運んだのだが、そうでなくとも休日の川崎駅前は物凄い人通りで、バンドを組んで通りすがりの人に歌声を聞かせる若いストリート・ミュージシャンもいる中をコンサート会場へ向かう。あちらこちらに旗が掲げられ、楽器をもった若い奏者が、まるで中学生のように斜め上方を向き、朗らかに微笑んでいる。チケットは売り切れいるようだ。この川崎にやってくるファンは、とても熱心のような気がする。友の会などに置かれたチラシに熱心に目を通したりして、開演時間を待っている。

本日のプログラムは、日本を代表するジャズのプレイヤーとの競演で、なかなか見事である。まずガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」を大西順子(ピアノ)、井上陽介(ベース)、高橋信之介(ドラム)とともに競演。次にリーバーマンの「ジャズ・バンドと管弦楽のための協奏曲」を、この3人に加え、さらに13名のジャズ・バンドとともに競演するというもの。後半はオーケストラのみだが、やはりジャズの要素を駆使した前衛音楽家、ナンカロウという作曲家のスタディ(習作)第1番と第7番、そしてバーンスタインの「ウェストサイドストーリー」から「シンフォニックダンス」という豪華なプログラムである。

いつも見慣れたオーケストラ配置の間に、ドラムやピアノ、ベースなどが所狭しと並び、さらに打楽器セクションにもピアノ、チェレスタ、ハープシコード、木琴、マリンバ、ビブラフォンを始め、タムタムや太鼓、ここにもパーカッションなど、あらゆる楽器が配置される。オーケストラもトランペットやトロンボーンがずらりと並び、さらにサクソフォンやマリンバまで登場する。

「ラプソディー・イン・ブルー」は通常15分程度の曲で、プログラムにもそう掲載されていたが、本日はジャズ・バンド・バージョンである。ここで3人のジャズトリオは、驚くようなリズムとテクニックで聞かせる、いわば独奏部分が20分以上はあったと思う。 ピアノの大西順子は、最初すこし硬かったが、そのあとはこなれて満開のテクニックに聴衆を酔わせ、その後ろでボンボンとなっている井上陽介のベースが4階席まで響く。丁度この角度からはピアノのタッチまでが見て取れ、大西は楽譜を取り換えながら、右に左に揺れ動くさまは興奮する。

ドラムの高橋信之介はめちゃめちゃかっこいい。このようなことをどうかけばいいのかいい表現は浮かばないし、浮かべる必要もないだろう。何せジャズなのだから。それぞれ独奏部分では即興的なテクニックがさえ渡り、聴衆からも拍手が漏れる。ニューヨークを舞台に活躍してきた3人による演奏を、円筒形の4階席から見下ろしながら、私は体を左右に揺さぶった。伴奏のオーケストラは逆に緊張した感じで、特にクラリネットは独奏部分が多く、注目の的となるのだが、若手の多いような気がするこのオーケストラには、こういうプログラムは合っていると思う。

全部で35分はあったと思う。超贅沢なガーシュインを堪能し、盛大な拍手に見舞われると、次はさらに13名からなるジャズ・バンドが登場。サクソフォンがずらりと5名(アルト・サックス2名、テナー・サックス2名、バリトン・サックス1名)、その後にトロンボーンとトランペットが4名ずつ(うち一人はバス・トロンボーン)。

リーバーマンの「ジャズ・バンドと管弦楽のための協奏曲」は、全部で8楽章まであるが15分余りの曲で、そのなかにあらゆるジャズの要素がちりばめられている。第4楽章ブルース、第6楽章ブギウギ、第8楽章マンボといた具合。私は初めてきいた曲だが、こんなモダンな曲も70年以上前の、第二次世界大戦中の作品である。

20分の休憩時間の間に、舞台の編成は随分と小さくなった。それでも打楽器には数多くの鍵盤楽器がずらりとならぶ。ノットは続くナンカロウのスタディという極めて難しい(と思われる)曲を、丁寧に指揮した。この小規模な曲を私はやはり初めて聞いたが、細かいところに沢山の聴きどころがある曲で、そのいずれもがプレイヤーの腕が試されているようなところがある。二人が同時に音を出す木琴やハープシコードの混じる不思議な感覚は、15分間続いた。

曲の合間に編成は元の大きさに戻された。それに10分は要したと思う。再び大編成となって最後を飾るのは、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」から「シンフォニック・ダンス」である。20世紀を代表するアメリカ人作曲家レナード・バーンスタインは、指揮者としても有名だが、あのミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」の作曲家でもあった。晩年、ミュージカルをオペラ歌手を起用して録音するなど、その活躍は多彩であった。私もイスラエル・フィルと来日した公演で、作曲者自身が指揮したこの曲を聞いている。80歳にもなろうという老人がおしりを振りながらダイナミックに指揮する姿を今でもよく覚えている。

この曲を聞いているとバーンスタインは天才的な作曲家だったということがわかるような気がする。ミュージカルの音楽をつなげた作品だが、これだけの曲を聞いてもその音符に無駄なところがなく、むしろ複雑なリズムが浮き立つような迫力と色彩感を持って展開され、静かな部分から賑やかな部分まで見事につながってゆく。ノットの指揮ぶりも見事で、一気果敢に聞かせる。スイング、という感じではなく、アメリカを意識したものというよりは、あくまでスマートで客観的である。スピードは総じて速く、ここでも大活躍する打楽器の数々に見とれているうちに音楽が終わってしまった。圧巻の音楽ではあったが、もう少しいい席で聞いていたら良かったと思った。音が変に分離してしまい、なんとなく散漫な感じがするのが、ちょっと残念である。

今回も大満足の演奏会に、帰路につく足取りも浮き立つ。猛暑の今年は、いつになく音楽三昧の日々を送っている。

2018年7月16日月曜日

ミュージカル:「エビータ」(2018年7月16日、東急シアターオーブ)

FIFAワールドカップ・ロシア大会はフランスの優勝をもって幕を閉じたが、準優勝したクロアチアは今回、アルゼンチンを破って世界を驚かせた。アルゼンチンは1978年の大会を主催し、初優勝している。NHKがたった一人のアナウンサーと解説者を派遣して衛星中継をしたこのときの模様を小学生だった私はテレビで見て、その並外れた熱狂的な模様に驚愕し、サッカーというスポーツが社会現象として一定期間、世界をくぎ付けにするすさまじい様子を目の当たりにしたのだ。

優勝の決まった瞬間、10人以上の死者が出たと報じられた。二階から飛び降りた者、子供を無意識に絞殺してしまった者、など多数の悲劇とともに、軍事政権下で行われた大会にはテレビ・クルーでさえ移動に難渋するといったエピソードなどが、私をアルゼンチンに興味を持たせた最初である。ブエノスアイレスという素敵な名前の都市に行ってみたい、そう思ったのはある紀行文を読んだことがきっかけでもあるのだが、それも中学生時代のことで、私はNHKのスペイン語講座を聞いて会話を覚えようとしたりした。

大学生活が終わろうとしていた1992年3月、私はとうとう貯金をすべてはたいて、南米大陸の旅に出た。といっても卒業後、就職までのわずか数週間。パンナムが倒産し、南米行きの格安航空券はロサンジェルスとフロリダを経由しながら3日は要したルートだったと思う。あまりに疲れ果て、研究発表の疲れも癒されぬうち、私はブエノスアイレスの安宿で丸2日間眠り続けた。3日目の朝になって、秋とは言えまだ30度は超えるような暑さの中を、私は7月9日大通りを歩くうち、ここは子供時代に読んだ写真集「世界文化シリーズ」の中で出て来たモノクロの写真集の光景であることを思い出した。この光景は今でも時々夢に見る印象的なものである。広い通りの向こうに、ヨーロッパを思わせる重厚な建築物が並ぶ。

「南米のパリ」といわれたブエノスアイレスは、1940年代の栄光の時代をそのまま冷凍パックにしたかのような町であった。裏通りには時代遅れのスーツを着た紳士が歩き、夜ともなれば巨大なステーキを出す店などが並び、どこからともなくタンゴのメロディーが聞こえてきそうな、くたびれて古色蒼然とした街並みだった。

サッカーの熱狂は、政治の熱狂でもあった。アルゼンチンの歴史を語るうえで、栄華を使い果たし、混乱した経済にくたびれてさらに広がる格差が生む不満、そのはけ口としての革命のエネルギーが軍政を生み、あるいはまた愛国心がサッカー熱を煽るもとになっているということを忘れることはできない。斜陽と熱狂。このあまりに悲しい時代を、エビータは駆け抜けた。ペロン大統領夫人として30年余りの短い人生を、アルゼンチンの国民は自らの国の辿る運命に重ね合わせる。「アルゼンチンよ、泣かないでおくれ」との響きは、サッカーの試合にも事あるごとに繰り返される。

ミュージカル「エビータ」が上映されていると知ったのは数日前で、人気のある演目だし、我が国のミュージカル熱は結構なものだと思っていたので、まさか当日券があるとは思わなかった。私は1995年にニューヨークに住んでいた頃、上演されていた数々のミュージカルを観たが、その中に「サンセット大通り」という素敵な作品があって、この何とも言えないセピア色に染まった西海岸の悲劇を、その胸を締め付けるほどにノスタルジックな音楽とともに忘れることはできない。

2回以上見た「サンセット大通り」は、その音楽がイギリスの作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーによるものである。彼は有名な「キャッツ」や「オペラ座の怪人」などでも知られ、一度聴いたら忘れられないようなメロディーを生み出す天才である。その彼の「ジーザス・クライスト・スーパースター」に次ぐ作品として制作され、初めてアメリカでトニー賞に輝いたのが、「エビータ」である。もう1970年代のことだから、40年以上が経過していることになる。

「エビータ」はその後、多くの歌手によって歌い継がれ、1996年にはマドンナを主演とする映画も制作された。私は帰国してからこの映画を見て感動し、オリジナル盤(1978年)を購入していたが、このCDはどことなく静かで、ロック調の迫力と臨場感を上手く伝えているとは言い難い。ミュージカルでもやはり実演に接するのがいい。何といってもあの動きの多いダンスを見ることはできないのだから。

今回渋谷ヒカリエ11階にある大きなホールで見た舞台は、嬉しいことに日本語字幕付きであった。舞台には大型のスクリーンが設置され、ここに1950年代の実際のモノクロ写真が次から次へと投影されてゆく。私が子供時代に見たブエノスアイレスの風景も、実際に訪れた大統領府などの建物も、この中に何度も出てくるのであった。この映像を見ていると、動きの多いダンスを見落とすことになり、またダンスに気を取られていると字幕が追えない。オペラと違って情報量は多く、オーケストラや歌声もマイクロフォンで強調されるから、二階席の端っこであっても十分に楽しいし、それに何といっても哀愁に満ちた音楽が次々と溢れ出す。

誰がどの役を歌っているのかは、ブックレットも何も配布されないという不親切な興行方針のせいで、何もわからない。これは糾弾すべきことだろうと思う。仕方がないから、出演者をWebページで検索して、以下にコピーしておく必要がある。

  作詞:ティム・ライス
  作曲:アンドリュー・ロイド=ウェバー
  演出:ハロルド・プリンス

  エヴァ・ペロン:エマ・キングストン
  チェ:ラミン・カリムルー
  ホワン・ペロン:ロバート・フィンレイソン
  マガルディ:アントン・レイティン
  ミストレス:イザベラ・ジェーン

5人の主役の中で、際立って拍手の大きかったのはチェを歌ったラミン・カリムルーで、次が標題役のエマ・キングストン。歌声が大きな意味を持つオペラとは違い、ダンスや演技も大きなパートを持つミュージカルについて、私はあまり詳しく語ることはできない。ただ久しぶりに見るミュージカルに、オペラとは違った新鮮さを感じたのと同時に、よく組織された舞台は、オペラのような予測不可能な要素が少なく、むしろ演出の巧みさこそが最大の見どころである。黒を基調とし、舞台が二階建てになっている。時折男女がタンゴを踊る。音楽は様々な要素が不自然なく取り入れられており、一種独特のムードが漂うのがロイド=ウェバー音楽の真骨頂である。

1992年に撮影した写真があるので、その中から2枚を貼っておこうと思う。アルゼンチンの歴史は、エヴァの死後も苦難の連続であり続けている。このミュージカルが上映された頃は丁度フォークランド紛争の頃であった。イギリスは第二次世界大戦前から世界的な資本を投下して、アルゼンチンを従属させてきた。「エビータ」の物語は、それに対する反抗と挫折の歴史でもある。そして、英国人側の視点で描かれる時、どことなく冷笑的である。そのことが好きかどうかは別として、Don't Cry for Me Argentinaのメロディーは世界中で愛されている。

東京都交響楽団演奏会(2018年7月15日、サントリーホール)

マーラーの「巨人」は、一言で言えば都会風の演奏だった。それもそうで、指揮者のアラン・ギルバートはニューヨーク生まれの日系アメリカ人。ニューヨークフィルハーモニックの音楽監督を8年間勤め、今年から都響の首席客演指揮者に就任する他、来年からはNDRエルプフィル(北ドイツ放送響)の首席指揮者となることが決定しているそうだ。今日は都響との就任披露公演で、演目はシューベルトの交響曲第2番とマーラーの交響曲第1番「巨人」である。

私がこのコンサートに出かけることにした理由は、3つある。一つは、過去に何度も来日しながら一度も耳に触れたことのないギルバートの演奏を聞いてみたかったこと、第2には、これも一度も実演で接したことのないシューベルの交響曲第2番を聞きたかったこと、そして3番目には、マーラーの「巨人」が「花の章」付きで演奏されることである。

マーラーが「巨人」を作曲した時、彼はブダペスト王立歌劇場の音楽監督の座にあって、当初「交響詩」として位置づけ、後に削除されてしまう第2楽章「花の章」を含む全2部、5楽章構成であったことは良く知られている。ブックレットによれば、第1楽章での狩の音型は、決定稿ではクラリネットだが、今回は舞台裏のホルンが務めるようだ。そして削除された「花の章」が復活する。初期の稿とも最終稿とも違う折衷型の楽譜を、どうして取り上げるのか、興味があった。

それはおそらく、ギルバートがハンブルクのNDR響の首席指揮者となることを意識してのことではないかと思う。「クービク新校訂全集版」という今回の稿は、この作品を交響曲として初演したハンブルクで、2014年に初演されている。ハンブルクは「巨人」に関する限り、本家本流の「我が作品」というわけである。

だが演奏は、どうも出だしからパッとしないものだった。特に金管が良く音を外す。もしかしたら連日の猛暑となった真昼の東京には、炙り出された亡霊がいたのかもしれない。極めつけは「花の章」でのトランペットだが、これは2度目には決まった。けれどもホルンの「外れ」は第3楽章あたりまで続いたと思う。第1楽章が雑然とした雰囲気となるのはよくあることだが(CDでも)、朝の静かな靄の中に立ちのぼる若者の目覚めを、私はもっと大切にしてほしいと思う。何か気持ちだけが焦るような演奏が多いのは、緊張した実演であることを考えると仕方がないのかもしれないが。

「花の章」はムード音楽のような緩徐楽章だが、これが聞けるのが実際楽しみであった。けれどもソロのトランペットが残念なことに音を外すと、動揺が広がったのだろうか。第3楽章(通常の第2楽章)は、第1主題の繰り返しを省略し、あっというまに終わってしまったのもつまらない。このスケルツォの、ダイナミックな弦合奏が良く決まっていただけに、もう少し聞きたかった。

コントラバスの独奏で始まる次の楽章も、どことなく落ち着かない。深遠な静かさの中で厳かに始まる「さすらう若人の歌」は、何かとりとめのない繋がりの音楽でしかないようだ。ニューヨークで聞く演奏にも似たようなものが多い。あのトリオ部分の、おそらくこの曲最大の見せ場に至って指揮者は、弦楽器を良く歌わせたと思う。ところが今度は客席がもたない。咳払いが多いのだ。本当のマーラー好きは、今日はいないのかしら。

結局第4楽章に至るまで、真価は発揮されないままであったと思う。この先どうなるのだろうかと、正直心配であった。だが、マーラーの曲の長さは、ある意味で演奏家に挽回のチャンスを与える。特に終楽章は、どの交響曲の場合も最大の力点が置かれ、しかも長い。第1番でも同様で、ここで広がるマーラーの宇宙の広がりは、やはり感動的である。弦楽器の起伏に富んだ中間部では、もっと弦楽器が重厚に響けばと思ったものの、これはもしかしたら真横から聞いているからかも知れないと思いあきらめ、音楽に集中した。

コーダにかけてのたたみかけるようなクライマックスは、この指揮者が常に音楽のエンターテイメント性を重視していることを表していたように思う。あるいはバーンスタインの演奏などがこのようだったのか、覚えていないが、とにかく圧巻の終結部であった。割れんばかりのブラボーが2階席奥から聞こえたとき、この会場にもコアなマーラー・ファンが詰めかけていたことを知った。

満足気に何度も舞台に登場し、オーケストラを四方八方に振り向かせるパフォーマンスを演じながら、この組み合わせで聞くこれからの演奏会も悪くはないと思った。首席奏者の少なさが目立ったが、明日の2日目はミスが減ることが期待できるだろうし、それに来シーズンから始まるプログラムも魅力的である。名曲を力強く指揮すると面白いだろうし、それに良く歌う部分が印象的なのは、オペラの演奏にも威力を発揮するだろう。真横から見る指揮姿はなかなか面白く、指揮のわずかな素振りで音のニュアンスが変化する様は、もうこの関係が良好のものになっていると思わせるに十分であった。

このことを感じたのは、最初のプログラム、シューベルトの交響曲第2番変ロ長調で、私はこちらの演奏の方が全体的な完成度の点でははるかに良かったと思う。どのような細かい表情の変化も表現され、木管楽器が活躍するすべての楽章において躍動的で、しかもミスがない。満足の出来栄えを近くで見ることができた。

若干17歳だったシューベルトのコンヴィクト時代に書かれた輝かしい作品には、もう後年の大規模で、豊かなメロディーが横溢する作風が確立している。「未完成」のような晩年(といっても30歳前後だが)の作品のような、底のない影がないのが、逆説的な意味で魅力でもある。シューベルトも若い頃は、希望に満ちた作品を書いていたのだということがわかるし、そのことが対照的に後年の、孤独にさいなまれる悲しい日々を強調するような気がする。そういう意味で、私なこの作品を聞いただけでも涙が浮かんでくる。

私はシューベルトが好きである。交響曲でいえば、あの宇宙的に長い「グレイト」も、できればずっと聞いていたいとさえ思う。ピアノ・ソナタを優秀な演奏家で聞くと、これらとは打って変わって、深遠でありながらどこか浮世離れしたような内面を覗くような思いがする。同行した妻は「シューベルトの良さがどうもよくわからない」などと言っていたが、私も初めて「ロザムンデ」を聞いた時に同じように思ったものだ。ところが今では、シューベルトの曲がプログラムに上ると、すべて行ってみたいという気持ちに駆られるようになっている。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...