力強い前奏曲に次いで大勢の人物が舞台に登場し、「マノン・レスコー」の幕が開いた。ここの音楽はどこかフランス風?と言いたくなるようなものを感じたが、それもそのはずでここはフランスの街アミアンの広場。けれどもその音楽は、やはりどこか違う。プッチーニの出世作と知ったのは、このオペラを初めて聞いた時である。「ボエーム」の第2幕、カフェのシーンを思わせるような群衆のシーンと、そこに流れる複雑な楽器の重なり。やはり次作「ボエーム」へと受け継がれていくプッチーニの作風が、ここで確立されたとみるべきなのだろうか。
妖女マノンと言えば、まずはマスネの「マノン」である。この作品はフランス・オペラの代表的なもので、私も一度見ているが、ここで描かれるマノンは、貧乏生活を送る田舎の純朴な女性が、その美貌ゆえにか金持ちのパトロンを得てパリの社交界に登りつめるも、これまた純情な青年デ・グリューを修道院にまで追いかけて駆け落ちし、流刑となってしまうという悲劇のヒロインである。マノンの魔性とそれに翻弄され転落してゆく男の人生。だがマノンにはさほど悪気もなく、それはそれで痛ましい。ここでのマノンは、奔放で魅惑的な女性として描かれている。
プッチーニはこの作品を、自分流に仕上げることに苦心した。同じ原作のオペラを作るというのだから比較の対象になるのは最初から分かっていただろうし、その相手がマスネの作品となると、これはもうプッチーニの野心というしかない。まだ30代前半の若き作曲家は、しなしながらこの作品で成功を掴み、ヴェルディの後を継ぐイタリア・オペラ界の音楽史に残る後継者となった。しかもこの作品にはすでに、ミュージカルへの橋渡しともいうべき要素をすでに備えていると、歌手はインタビューに答えている。
プッチーニの描くマノン像は、より内面的でシリアスである。そのことで女性の一生の物語として、現代人にもわかりやすい要素を備えている。ストーリーは非凡でもテーマは現実的であるということだ。これはヴェルディの「椿姫」にも通じる要素がある。しかもパリの社交界と純朴な青年の転落、ヒロインの死といった共通点も多い。第4幕で流刑地ルイジアナへと向かう船に乗り込む囚人たちの中に、ヴィオレッタという娼婦がいるのは面白い。
第3幕の前奏曲を頂点にプッチーニ書いた音楽は斬新で迫力に満ち、そしてあのルバートを多用した綺麗なメロディーと抒情的な歌が全編を覆う。迫真の演技と見事な歌によってメトの広い空間を圧倒したのは、美人のソプラノ歌手で、丸でマリリン・モンローのような衣装をまとったクリスティーヌ・オポライス(マノン)、ヨナス・カウフマンの代役を急きょ引き受けた世界一のテノール、ロベルト・アラーニャ(デ・グリュー)である。この二人の歌うプッチーニは、おそらく最高の素晴らしさだたと思う。特にアラーニャはさすがと言うべきか、第2幕の途中でマノンの住むジェロントの館に忍び込んで現れるシーンで、舞台の様子が一変する。その存在感!それまでの平凡な舞台(はマドリガルだの踊りだのと、少しフランス・オペラを意識したかのようなシーン)は、台本の平凡さが飽き飽きしたマノンの生活という筋書きにマッチしていたが、ここを境にしてマノンの心理とともに大転換を起こす。
第3幕での聞かせどころはデ・グリューが、マノンとの同行を泣いて船長に懇願するシーンだが、このようなものはマスネのマノンにはない(代わりに修道院に忍び込むマノンのシーンなどがある)。また第4幕の荒れ果てた野原は、この演出では廃墟の中となる。熱病に侵され自らの死を悟ったマノンは、かつての面影もなく人生を振り返って「死にたくない」と嘆く(「一人寂しく捨てられて」)。舞台を二人だけで30分近くも演じるプレッシャーは相当なものだと思うが、この少し受け狙いの要素も濃いシーンで、プッチーニの音楽がこれでもかと続く。
本公演を成功に導いた立役者はもう一人、指揮者のファビオ・ルイージである。引き締まった音楽と流され過ぎないリズムは集中力を絶やさない。彼はルバートの仕組みについて、より感情に対して自由な表現だと答えている。だが単に流されるのではだめで、そこに出演者間の相互作用と呼吸が必要だと言うのはとても興味深い。
一方、リチャード・エアの演出はどうだったか。舞台はナチス占領下のフランスに移されている。その狙いを聞かれ彼は、もっともらしい理由をインタビューで述べているがあまりよくわからない。もともとの台本が持っているシーンの繋がりの悪さのせいなのか、それとも演出のせいなのかはわからないが、どことなく中途半端な感を否めない。大胆な音楽を十分に表現する指揮と歌がこの公演を素晴らしい「マノン・レスコー」にしているのは確かである。その他の配役は、バスのブンドリー・シェラット(銀行家ジェロント)、バリトンのマッシモ・カヴァレッティ(マノンの兄で警察官のレコー)。
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