音楽の詳細には素人の私だけがそう感じるのだろうか。第93番から第104番までの12曲の「ロンドン交響曲」の中でも、特にこの曲にだけ「ロンドン」のニックネームが付けられているのは、何か理由があるわけでもないようだが、おそらくは最後を飾るに相応しいという意味で「ザ・ロンドン交響曲」とでも言いたくなるからだろう。
丸でヴェルディの書いた歌劇の前奏曲のように重々しい序奏も、ほのかに明るい主題がとって代わる。大きくて音楽が重なり合うものの、それが誇張されないような控えめなところがある。けれども時々少しだけ、その大規模な存在感を主張する。第2楽章の真ん中で、フォルティッシモの壮大な部分が現れる。あるいは第4楽章では、低音の響きに支えられて、数々の楽器がいろいろと重なる。それは記録できないほどに複雑だが、そう感じさせないほどに音楽は流麗に、そして優雅に進む。大袈裟すぎないコーダも、ハイドンの最終作品を飾るには目立たないが、かといって物足りなくもない。この音楽を聞くと、実にいろいろな音を聞いているような気がする。古典的な形式美の中に、それがいくつも息づいている。そういうところがこの曲の凄いところだと思う。
ヘルベルト・フォン・カラヤンはハイドンの作品にも真面目に取り組み、何回かの録音を残しているのは、大いに評価に値すると同時に嬉しいことである。オリジナル楽器が主流となった現在でも、「ロンドン交響曲」となると昔からの分厚い演奏が健在だが、その中でもカラヤンの存在は輝きを失っていない。シンフォニックでありながら細かい部分にまで艶のある響きと、中庸だが骨格のしっかりしたリズムが高いレベルで融合しており、その様はまさに芸術的である。ここにはある種のハイドン演奏の模範的な完成形があるような気がする。
この曲のこの演奏を聞いていて気付いたことが2つある。1つは重々しい序奏が、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を思い出させること。先日プレイエルの交響曲ニ短調(Ben.147)を聞いたときに、その緊張感に満ちた短いパッセージが、「ドン・ジョヴァンニ」の序曲冒頭を思い起こさせると書いたばかりだが、ハイドンのこの曲もまたしかりである。この3つに共通するのは、ニ短調という調性である。作曲された年代は、「ドン・ジョヴァンニ」(1787)→プレイエル(1791)→「ロンドン」交響曲(1795)となるようだ。
もう1つは終楽章のメロディーが、どことなく民謡風だということ。その民謡も低い唸るような響き(あの「熊」交響曲を思い出す)が鳴り響くその上に、歌謡的なメロディーが鳴る(「太鼓連打」の終楽章もよく似たところがある)。もしかするとこれは、バグパイプを模したものだろうか。だとすればここはスコットランドあたりのメロディーを引用しているのではないか。だが私には何の根拠もない。ただ一人のリスナーとして、ふとそう感じたに過ぎないのだ。
-----------------------------
ハイドンの107曲に及ぶ交響曲(交響曲A・B、協奏交響曲を含む)を振り返るとき、私が思うのは、各時代区分それぞれに素敵な曲があるということだ。好みで言えば、まだ駆け出しの頃の第6番「朝」のすがすがしさに、まず心を奪われる。「疾風怒濤」と言われる時期になると、試行錯誤の中から編み出されてゆく実験結果を、丸で審査員にでもなって判定しているみたいである。必ずしも耳に心地よいとは言えない作品も続くが、その中に素敵な曲があって(マリア・テレジアなど)、ここはブリュッヘン、ホグウッド、アーノンクールを初めとしたオリジナル楽器奏者の面目躍如である。
一方、オペラ創作時代に入るとトンネルを抜けたように華やかな曲が続き、一曲一曲がほれぼれするような素敵な曲だと思っているうちに「パリ交響曲」に至る。パリ交響曲の中で好きなのは「めんどり」。第88番の時代を先取りしたような曲(特に第2楽章)には録音が多く、このあたりからはハイドン音楽の集大成の時期に入るだろう。「パリ交響曲」以降はすべてが名曲だが、とりわけ「ロンドン交響曲」に至っては、すべてが無駄のない完成度と言えそうだ。その中でとりわけ好きな曲が、第1期では第98番、第2期では「軍隊」であることは前にも述べた。
演奏については、もちろんすべての演奏をフォローしているわけではなく、むしろ手当たり次第に聞いてきたのだが、それでも世評の高いものは長い時間をかけて一応聞いてみたりしている。今や音楽も聞き放題のネット配信が主流になって、ひとつやふたつの演奏を有り難がって聞く時代ではなくなりつつある。それでもかつての演奏は輝きを失わないばかりか、今では出会うことのできないスタイルを有していて、録音が悪くても聞かずに過ごすわけにはいかないものが存在する。ワルターの演奏がそのいい例だろう。私が好きなハイドン指揮者を3人選ぶとすれば、古い順にジョージ・セル、コリン・デイヴィス、マルク・ミンコフスキとなるだろうか。
4年以上をかけて記述してきたハイドン交響曲シリーズはこれで終わり。けれどもハイドンはウィーンに帰ってからも作曲をやめたわけではない。六十代後半を迎えてからも創作の意欲は失われず、オラトリオとミサ曲の時代に入る。時代も19世紀に入り、「天地創造」や「四季」といった曲が生み出されていくのだ。だから私のハイドンへの旅は、これからも続く。
ハイドンの284回目の誕生日に。
0 件のコメント:
コメントを投稿