会場に入ると、その舞台に並べられた楽器群に驚いた。弦楽器は向かって左手から第1バイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリン。左手奥にコントラバスが並ぶのは今ではさほどめずらしくない。ところが多くの打楽器群が、本来なら居座る管楽器のセクションにずらりと並んでいるのだ。その楽器の数々は、いろいろあり過ぎて目で確認することはできない。配布されたブックレットから転記すると、次のようなものである。
- ティンパニ
- 打楽器Ⅰ(カスタネット、カウベル、ボンゴ、ギロ、小太鼓、チューブラーベル、ヴィブラフォン、マリンバ)
- 打楽器Ⅱ(トライアングル、クラヴェス、ギロ、ウッドブロック、タンバリン、小太鼓、ヴィブラフォン、マリンバ)
- 打楽器Ⅲ(トライアングル、クロタル、マラカス、ギロ、カバサ、鞭、テンプルブロック、小太鼓、テナードラム、大太鼓、タムタム、グロッケンシュピール)
- 打楽器Ⅳ(トライアングル、ハイハットシンバル、タンバリン、トムトム、大太鼓、シンバル、タムタム)
舞台に登場する打楽器奏者はたった5人で、これだけの楽器を操る。一方、何と管楽器が不在なのである。この楽器編成で演奏されるのは、ビゼーの「カルメン」をシチェドリンがバレエ音楽に仕立て上げたものである。まだ実在の作曲家は今年生誕90年を迎えるそうだ。バレリーナだった妻の依頼によるこの作品は、ソビエト時代の1967年にボリショイ劇場で初演されている。これは私が生まれた翌年である。「カルメン」は有名曲のオンパレードだが、それが上記のような楽器編成でどうアレンジされているか、興味が尽きない。
静かに始まった序奏では、ベルが「ハバネラ」のメロディーを厳かに奏でるシーンから始まった。以降、音楽はビゼーの様々な音楽から採用されているし、順序は必ずしも原曲の歌劇とは異なっているが、ストーリー性とモチーフは維持されていて、この曲が持つ本来のテーマはむしろわかりやすく強調されているのは、やはりバレエ音楽という性格からか。
例えば第2曲は第4幕への前奏曲から採用されているが、これは第1幕への前奏曲と同じメロディーだから、違和感はない。しかしそこに悲劇性が早くも暗示される、といった具合。そして「運命のテーマ」、衛兵の交代、ハバネラといった一連の音楽が続き、第7曲であの美しい第3幕への間奏曲が聞こえてくる。フルート独奏が際立つこの曲を、弦楽器でのみ演奏する。そして第8曲では「アルルの女」の「ファランドール」までもが演奏された。
全体で約45分の曲を、プレトニョフはいつものようにほとんど休止させることなく繰り出して行く。集中力を絶やさないようにと、楽章間の休止を設けず演奏を再開する指揮者は近年多いが、プレトニョフもその一人である。しかし時に私は、もう少しゆくりと物語を楽しみたいと感じることも多い。闘牛士とカルメンが舞台上でどのように踊られるのか、私はバレエというものをほとんど見ないし、その面白さもあまりわかっていないのだが、このシチェドリンによる意欲的な作品は、ビゼーの音楽の巧みさを別の視点で浮かび上がらせることに成功していると同時に、斬新で才気に溢れるその作曲技法によって、シチェドリン自身の面目躍如ともなっているようだ。
カルメンが公衆の前で遂に刺し殺され(それはコントラバスによって表現された)、終曲では序奏で奏でられたベルによる「ハバネラ」が、まるで夜のセヴィリャの街にこだまするように厳かに響いて物語が締めくくられた。打楽器を担当した5人の奏者に惜しみない拍手が送られ、プログラムの前半が終了した。
後半は、チャイコフスキーの名曲「白鳥の湖」である。バレエ音楽だけを取り上げるこのコンサートが、私にとて大変魅力的だったのは、何より「白鳥の湖」の大ファンだからである。
ロビーに出て、久しぶりにバーカウンターで「プレミアム・モルツ」などを飲みながら、ブックレットに目を通す。チャイコフスキーの名曲にもはや解説は不要だろう。有名な「情景」などに混じって繰り出される世界各国の興に乗った踊り。その音楽は楽しいの一言に尽きる…と思っていた。ところが、今回のプレトニョフによる特別編集版には、そういった数々の名曲が見当たらないのである!
解説書によれば今回の版は、チャイコフスキーの音楽を研究し尽くしたプレトニョフにこそ可能なもので、舞台の縮小版のような編集になっているとのことである。つまり有名旋律を並べ、ストーリー性が無視された組曲版に抗い、舞台音楽の縮小版が出来上がったのだ。何とそこでは、有名な「4羽の白鳥」や「チャルダーシュ」などの名旋律までもが姿を消し、変わって6つの楽章に見立てて音楽的な連関を重視している。私が実際に聞いた印象では、これはもはや「交響詩」のような音楽であった。
それもこれもチャイコフスキーの音楽が優れているからだろうと思う。「白鳥の湖」は、いくつかの場面を割愛してもなお、バレエなしの音楽だけで聴かせるだけのものを持っているのだ。プログラムの前半のシチェドリンの「カルメン」だって、それだけで聞いて実に楽しいバレエ音楽だったこととも共通する。ロシアにおけるバレエ音楽の底力こそ、今回のプログラムでプレトニョフが意識した構成ではないだろうか。
前半に舞台中央に陣取った打楽器は、後半ではいつもの規模に縮小され、代わって並んだ管楽器が活躍することとなった。オーボエが、クラリネットが、物憂いロシアのメロディーを奏でる時、私は名状しがたい気持ちにさせられる。そしてハープの特筆すべき上手さ!ロシアはまだ見たことのない土地だが、いつかゆっくり旅行してみたいと思っていた。それがこの度の戦争で、またもや遠のいてしまった。だが、私のロシア音楽に対する愛着は、今回の演奏会を通してむしろ高まったと言っていい。
本来ならブラボーが吹き荒れるはずの聴衆も、マスクをして行儀よく拍手をする。だがその大きさと長さから、今回の演奏がとても満足の行くものだったことがわかる。4月にまたもや腰を痛めて以来、少し遠ざかっていたコンサートへも、私は出かけて行きたい気持ちになった。音楽を聞く喜びを忘れかけていた、私の暗澹たる日常に、かすかな光明が差し込んできた。健康を取り戻すことができれば、一気にまたコンサートや旅行に出かけてみたい。ロシアの大地に鮮烈な「春の祭典」がやって来るように。
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