2024年9月30日月曜日

第2018回NHK交響楽団定期公演(2024年9月28日NHKホール、尾高忠明指揮)

この曲が演目に上れば演奏が誰であれ聞きに行こう、と思う曲がいくつかある。私にとってチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」はそのような曲のひとつである。このたび新シーズンの幕開きとなるNHK交響楽団のC定期公演に、この曲が掲載されていたのを発見したのは、つい先日のことだった。しかもプログラム前半には、同じチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」が演奏される。ここでソリストを務める首席チェロ奏者の辻本玲の、私はファンである。そういうことからこのコンサートに行くことに決めた。

今年の夏は例年にない猛暑で、しかもそれが9月に入っても続くという異例のものだった。クラシック音楽というのを、私は暑い日に聞こうとはあまり思わない。特にこれはヨーロッパの文化であって、その気候風土は地中海性のそれである。空気は乾燥し、冬は寒い。寒い日にゆっくりと耳を傾けることで、例えばブラームスの響きが堪能できる。少なくとも私はそう感じている。

だから今年の9月は、なかなか音楽会に行く気にはなれず、しかも体調を壊したこともあって咳がひどく、これでは公演の時間を静かに座っていることも困難な状況だった。唯一、前もって買っていた東京フィルの定期(ヴェルディの歌劇「マクベス」)も、東京に住む甥に譲る羽目になった。このまま猛暑が続けば体調は回復せず、音楽を聞く気もしないままではないか。そうするともう9月末だというのに、N響定期も危ないな、などと考え始めていた。

しかし何とか猛暑も落ち着いて体調も少しは良くなり、2日目の公演に間に合うこととなった。もっともこの日のチケットは相当数が売れ残っていたから、私は迷わず1階席を買い求めた。指揮は正指揮者の尾高忠明である。1階席とは言っても端っこの方だから、オーケストラを後から見る感じ。ただ前から3列目というのはとても迫力がある。頭上にはパイプオルガンがそびえている。

NHKホールの舞台は、いつからか前面に拡張されて広くなっているにもかかわらず、オーケストラは奥に配置されて舞台の前が大きく開いている。どうしてこういうことになっているのかよくわからない。しかも「ロココ」のような小規模な作品では、さらにオーケストラがこじんまりとしており、大きすぎるホールにやはりそぐわない。辻本玲はチェロを携えて指揮者とともに登場、ゆっくりと、そしてたっぷりとした演奏が始まる。

8つの変奏から成るこの曲は、チェロと管弦楽のために書かれた数少ない作品のひとつだが、演奏時間は20分足らずと短く、有名である割には実際に演奏される機会は多くない。主題が次々と変奏されてゆくのを真横から見るのは悪くないが、辻本のチェロは、その体格のように恰幅のいい演奏で、健康的で若々しく鳴りっぷりがいい。だからかもしれないが、とても充実した印象を残す。彼はいつもチェロ・セクションの最前列で大きく体を揺らしているが、これはテレビで見ても印象的で、その演奏を間近で楽しむことができた。アンコールはカタロニア民謡「鳥の歌」。この曲もチェロの代表的小作品だが、それをオーケストラの弦楽メンバとともに演奏した。定期公演とはいえ、ソリストが身内ということもあるのか、あるいは指揮者が長年に亘って関係を築いてきた日本人からか、どことなくリラックスした雰囲気を感じる。しみじみといい時間が流れた。久しぶりに聞く実演、そして音楽好きだけが会場にいるという安心した雰囲気に嬉しくなった。

N響は何年か前、ソヒエフの指揮により「白鳥の湖」を演奏している。私はこの時も勇んで出かけ、大いに感動したのだが、今回はその時とは異なり、演奏される曲はオリジナルの順である。ソヒエフは独自に曲順を変えて、それはそれで面白かったが、今回はむしろストーリー性を重視したということか。ただ主要な音楽、特に後半に続くダンスの数々は、この曲の最大の聞き所で、管弦楽曲を聞く魅力を伝えて止まない。尾高が指揮棒を持たずに演奏を始めると、舞台の並んだオーケストラからとてつもないボリュームの音楽が流れ出した。

尾高の指揮で聞くシベリウスやエルガーを、私はこれまでに何度か聞いているが、その醒めた、ややシニカルな演奏とは対照的である。最近大フィルで聞いたブルックナーなどもそうだったが、最近の尾高の音楽は、どこか吹っ切れたようにとても迫力に満ちている。そして今日のチャイコフスキーも、まさにそうだった。広いNHKホールの奥にまで音楽を届けようとすると、あのような音量になるのかも知れないが、その結果、ややバランスを欠いていたような気がする。少なくとも前から3列目の私には、ちょっと音圧が大きすぎた。ソヒエフなら、このあたりのバランスは天才的で絶妙である。

しかしそのようなことは、いわゆる「贅沢な苦言」であって、演奏そのものの素晴らしさは、ソリストとして時に会場の視線をくぎ付けにするコンサートマスターの郷古廉を始め、トランペット(彼はソロ部分で起立して演奏したので、私の位置からも良く見えた)、そして大活躍のハープと、絶好調のN響の音を堪能することができたのは言うまでもない。それにしても「白鳥の湖」は、チャイコフスキーが作曲した作品の中でもメロディーの素敵な曲のオンパレードである。チャイコフスキーには時に大変平凡な作品も多いのだが、チャイコフスキーにしか表現できないようなものが沢山ある。そして「白鳥の湖」の音楽は、充実した大音量のワルツや踊りの音楽が目白押しで、飽きることはない。次から次へと繰り出される音楽に興奮し、酔っていく。技量の高いプロのオーケストラが、バレエ音楽を真面目に演奏するという贅沢さ!管弦楽を聞く醍醐味を感じる。

ため息が出るような、あるいはあまりのメロディーの美しさに涙さえ禁じ得ない瞬間を何度も経て、1時間余りにわたる演奏が終わった時、3割程度しか埋まっていない客席からは、大きなブラボーが飛び、さらにそれがオーケストラの退場後も続くこととなった。ソロ・カーテンコールに登場した指揮者とコンサートマスターは、舞台のそでで遠慮がちに挨拶をした。前日のコンサート(第1日目)にはテレビ収録があったはずである。おそらくもう少しバランスのいい音量で、この演奏が聴けるのではないかと今から待ち遠しい。

2024年9月8日日曜日

過去のコンサートの記録から:オッコ・カム指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団(1982年2月8日、大阪フェスティバルホール)

コンサート・プログラム
記憶が正しければ、1981年末に朝比奈隆指揮大阪フィルの「第九」を聞いたその翌年、すなわち1982年は高校入試の年だった。大阪府の高校入試は私立・公立とも3月に行われていたから、2月とも言えばもう直前の追い込みの時期である。ところがどういうわけか私は、この頃に生まれて初めてとなる来日オーケストラの公演に出かけている。それも同じクラスの友人を誘って。

北欧からヘルシンキ・フィルが来日し、我が国でシベリウスの作品を取り上げる全国ツアーが開催されたのだった。これは第10回TDKオリジナル・コンサートという、実に1971年から続く来日オーケストラ公演シリーズの10周年で、当時は民放FM局に同名の番組があって、NHKとは一線を画したクラシック番組としてなかなか楽しい番組だった。この番組は、来日した演奏家や当時の日本人演奏家によるコンサートの収録が主な内容で、調べたところによると1987年に終了しているようだが、コンサートはその後も「TDKオーケストラコンサート」として続けられている。

来日公演のライブ録音盤
1882年にロベルト・カヤススにより設立された北欧で最も古いオーケストラは、この年創立100周年、そして数々の初演を行ったシベリウスの没後25周年という節目だったようだ。この時の来日では当時の首席指揮者オッコ・カムと、我が国のシベリウスの第一人者渡辺暁雄が担当した。プログラムによれば公演は東京厚生年金会館、大阪フェスティバルホール、それに福岡サンパレスの3か所で、3日間で交響曲全曲演奏となる(これはTDKの主催公演の話で、これ以外にも全国各地で公演を行っているようだ)。これらはすべてPCM収録され、番組で放送された。私がでかけた公演は、このうちの大阪のもの(2月4日)で、交響詩「フィンランディア」、交響曲第5番、それに交響曲第2番という、もっとも有名な曲の組み合わせだった。とはいえクラシック音楽を聞き始めた中学生にとってシベリウスの音楽は未知なもので、特に第5番などは一度も聞いたことがなかった。それよりも初めて聞く外国のオーケストラがどのような音を出すのか、興味津々だった記憶がある。

カム指揮BPOのCD
オッコ・カムは当時まだ30代の気鋭の指揮者で、しばしば日本も訪れていたようだが、何と言っても第1回カラヤン・コンクールの覇者として知られていた。このシベリウス・チクルスはいまでも語り草となり、この時の録音はCDにして発売されている。しかしまだコンサート2回目の私には、実演でオーケストラを聞くこと自体に興奮し、演奏自体はほとんど記憶が残っていない。私は受験を控えていたというのに、このコンサートで演奏される曲を何度か聞き通した。我が家にあったカラヤン指揮フィルハーモニア管による疑似ステレオ盤が、交響曲第2番を収録していた。この演奏は再生装置が貧弱だったせいか、ひらべったくてまったくつまらない印象でしかなかった。カムがベルリン・フィルを指揮したレコードも発売されていた。私はそれを聞くことはできなかったが、おそらく彼がベルリン・フィルにの残した録音はこれ1曲だけである。それは今では簡単に聞くことができる。若々しい演奏である。

TDK音楽テープの広告
当時のプログラムが今でも手元にある。曲目や指揮者の解説だけでなく、北欧の音楽、しかもフィンランドのそれについて小さい字で詳しく書かれ読みごたえがある。ピアニストの館野泉が文章を寄せ、10年間のこの番組の全放送記録も掲載されている(小澤征爾が日フィルを指揮していたり、若い内田光子がソリストとして登場していたりと興味は尽きない)。そして広告にはTDKの音楽用カセットテープのラインナップが出ているのは大変懐かしく、そういった広告も含めて過去のプログラムというのは味わい深いものだと思う(買う時は高く閉口するのだが)。

実際のコンサートでは、初めて聞く外国のオーケストラに興奮したが、その技術的な水準はそれほど高いとは思わなかった。ただご当地の音楽というだけあって、その表現は堂々としたものがあり、私を一定の感動に導いたのは確かであった。私は、このコンサートが放送された際に、もちろんエアチェックしてカセットテープに保存した。そして初めて聞いたシベリウスの音楽に親しみを持つことになったのだから、このコンサートの企画は成功したと言える。極東の若き学生に、初めて実演で母国シベリウスの音楽を届け、彼をその音楽好きにさせたのだから。

私にとっての第2回目のコンサートは、このようなものだった。ただ私はそれから40年以上が経過した今でも、フィンランドという国を知らない。シベリウス以外の音楽もほとんど知らない。カムという指揮者は、今でも存命で時に演奏会に登場しているようだが、私はあれ以来、一度も彼の指揮する音楽に接してはいない。フィンランドという国は、私にとっていまだに遠い存在である続けているということかも知れない。

ブラームス:「悲劇的序曲」ニ短調作品81(レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

ブラームスの2つある演奏会用序曲はほぼ同時期に作曲された。片方が「悲劇的序曲」なら、もう片方の「大学祝典序曲」は喜劇的作品(ブラームス自身「スッペ風」と言った)である。ブラームスは丸で喜劇的傾向を埋め合わせるかのように「悲劇的」を書いた。「喜劇的」(笑う序曲)の方は必要に迫られて...