
この映画のテーマは、神によって楽器の才能のみを与えられた男の悲劇である。そのことは終わりの方のシーンで、パガニーニ自らが病床に伏しながら言うセリフに象徴されている。彼はかつてロンドン公演の際に知り合った指揮者ワトソンの娘シャーロットに対し、その恋が遂げられないことをいまだに嘆いている。ヨーロッパ中を席巻した超技巧派も、本物の恋に苦しむ。年老いた彼は自筆譜を送り、自分の音楽を残そうとする。ここにあるのは等身大の、ひとりの哀れな音楽家の姿である。
パガニーニが自分の作品をコピーされることを恐れ、自筆譜を燃やしてしまったというのは有名な逸話である。だが彼は自分の音楽家としての人生を、その終盤になって振り返り、水銀中毒によって蝕まれた体を横たわらせながら手紙を書くのだ。
この映画のタイトルは「The Devil's Violinist」という。悪魔はパガニーニにヴァイオリニストとしての類まれな才能だけを与え、それ以外は与えなかった。悪魔は彼の体を蝕み、破壊する。ギャンブルや酒、それに愛欲に溺れ、あるときは自分の楽器をさえ賭けの担保とした(これも実話である)。そこに現れる一人の男、ウルバーニとの出会いと関係がこの話の中心である。ウルバーニはあるとき突然パガニーニの前に姿を表し、無条件でマネージャになることを契約する。彼こそがパガニーニの才能を見抜くことができるという、悪魔の使いだったというわけである。
ロンドン公演においてウルバーニは、その公演を成功すべくこの狂気のヴァイオリニストを公私にわたってマネージする。新聞記者を利用して記事を書かせ、一方で女性運動家をも誘惑する。音楽産業の隆盛を誇るロンドンは、当時のヨーロッパの「成功すべき都会」であった。彼はコヴェントガーデンでリサイタルを開き、その価格を釣り上げる。席は最初売れ残るが、そこに姿を現したのは英国王であった!彼はその場で即興を披露する。それが「英国国歌による変奏曲」で、この曲もパガニーニの作品であることを初めて知った。
少しできすぎた話であろうし、ここで滞在中に親しくなった指揮者の娘シャーロットが歌う英国的な歌詞のついた歌は、確かにパガニーニのメロディーを使用しているとは言え、この映画のために作られたのではないかと想像する。ついでに言えば、エンディングで流れるシューベルトの「魔王」のパガニーニ風の変奏曲も、彼の作品ではない(ただシューベルトが大金を支払ってまでパガニーニの演奏会に出かけ、その音楽を絶賛したのは有名である)。
全体にパガニーニの作品が流れているのは当たり前と言えばそうだが、やはりあの底抜けに明るく、しかも時にメランコリックな音楽にはいつもうっとりさせられる。リストもラフマニノフも、あのヴァイオリン協奏曲第2番「カンパネッラ」を編曲しているが、ここのメロディーが随所に登場するのは当然であり、極めて印象的である。だが、もっとも心に残ったのは、パガニーニが滞在するアパートを抜けだして酒場へ向かい、そこでギターを交えた即興演奏を披露するシーンである。
パガニーニは素敵なギター曲やギターとヴァイオリンとの二重奏を残しているが、ギターといえばその源はリートであり、リートの本場イギリスの民謡は、南国のパガニーニにうまく融け合って哀愁を帯びる。だから監督バーナード・ローズ(彼は脚本も書いている)は、こういうシーンを入れたかったのだと思った(ついでに彼はベートーヴェンを描いた映画「不滅の恋人」の監督だそうだが、私はプラハへ向かう郵便馬車に合わせて交響曲第8番の第3楽章が使われていたのを大変良く覚えている)。
この映画の最大の見どころは、俳優がヴァイオリニストを演じているのではなく、ヴァイオリニストが俳優を「演じている」という点だろう。ドイツ人のヴァイオリニスト、デヴィット・ギャレットである。彼は超技巧的な作品をもちろん自ら演奏している。パガニーニらしい風貌に化けているのも興味深いが、彼はあるとき理解ある一人の父親として息子の前に現れる。だが弟子を含めこの放蕩音楽家を継ぐものはいなかった。
なぜ彼がこのような天才的ヴァイオリニストになることができたのだろうか。それは映画の最初のシーンで語られるわずか数分の映像に見て取れる。彼は幼少時代に父親から厳しく指導されながら育ったのである。だからウィーンで再会した息子が家庭教師に叩かれたと知って、この家庭教師を即刻追い出す。このようなシーンは、おそらく現代の観客を意識したものだろうと思う。
200年以上も前のヴァイオリニストの、謎につつまれた生活を描いた作品だというのに、会場はほぼ満席という、最近の記憶にはほとんどないような状況であった。
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