昨年は「ホフマン物語」や「ファルスタッフ」など、なかなか見応えのある作品で見る者を魅了したパリ国立歌劇場のライブ・ビューイング(とは言っても「ライブ」ではなく実況録画されたビデオ上演)の今シーズンのプログラムとして「清教徒」が掲載されてたことを知った私は、川崎のTOHOシネマズに赴いてこれを見ることにした。舞台は17世紀のイングランド、王党派と清教徒の戦いが繰り広げられる中で結婚を誓い合う男女は、それぞれ別の派閥の出身で、いやが上にもこの政争に巻き込まれる。「一見ロメオとジュリエットのような話だが、父親はその結婚を許すのです。ただそれだけ!」と解説のおじさんが冒頭で述べると、ピットにミケーレ・マリオッティが登場し、美しいメロディーが流れだした・・・。
舞台にこしらえられていたのは、骨組みだけでできた建造物で、その様子は「丸で鳥かごのようだ」。その中の一室にベッドが置かれており、女性が寝ているところからこのオペラは始まった。彼女はソプラノのマリア・アグレスタで、エルヴィーラ役としてほとんどずっと出ずっぱりの3時間となる。清教徒のエルヴィーラは、王党派の騎士アルトゥーロ(テノールのドミトル・コルチャク)と恋仲で、伯父のジョルジョ(バスのミケーレ・ペルトゥージ)の計らいでめでたく結婚できることになった。
回転する鉄の骨組みの下で多くの合唱団が歌い、そこに歌が絡む。独唱というのはほとんどなく、すべてが二重唱、三重唱の類である。ひたすら歌は明るくで伸びやかである。演出はロラン・ペリという人で、幕間のインタビューに登場したようだが、私は休憩時間にポップコーンを買いに行ったので見逃してしまった。
長い第1幕では、あまりに歌が楽天的に続くので少々食傷気味にもなったが、面白いことに私を驚かせたのは、第2幕後半で歌われたバスとバリトンの二重唱「ラッパを鳴らせ」の、トランペットも登場してのゾクゾクするようなシーンであった。ここの感銘はちょっとしたものだったが、その理由はこの映像を見ていく内に次第に明確となった。歌手の出来栄えに、集中力と感銘の度合いが比例していたからである(と思う)。すなわち、この上演の最高の出来栄えは、バスのペルトゥージだったと思う。彼の登場する場面はいずれも、一層引き締まって聞こえたし、そのことは客席も気がついていたようだ。
主役のアグレスタもペルトゥージと同じくらいの素晴らしさで、「リボンが首筋を撫でるような」美声は適度に力強くもあり、第1幕第2場の最後のアリアではふらつくことなく最高音を広い会場に高々と震わせていた。この二人が今回の成功の要因であったことに比べると、アルトゥーロの恋仇リッカルドを歌ったバリトンのマウリシュ・クヴィエチェンは、やや声の質がベル・カント向きではない。一方、アルトゥーロを歌ったコルチャクは、最高にスリリングな歌を披露することができるというただそれだけで十分に見応えがあったとは思うが、欲を言えばどうも一本調子というか、メリハリに乏しいというか、なんとなく物足りないと感じたのも事実である(贅沢な話である)。このことに拍車をかけたのは、もしかすると指揮者のマリオッティの、いささか平凡な指揮だったかも知れない。もし指揮がもう少し陰影に富んでいれば、歌はもっと引き立ったかも知れない・・・。
総じて上演水準が高いとは言うものの、緊張感を維持することが難しいのはベルカント・オペラの宿命だと思われた。考えてみれば「清教徒」は、最低でも4人の強力な歌手が揃わないと名演にはなりえない。上述のリチャード・ボニングの指揮するCDは、サザランド、パヴァロッティ、カップチッリ、ギャウロフという夢の様なキャストが、それぞれ最高地点の出来栄えを残しているが、これを上回るというのもちょっと想像しにくい。だから今回の上演は、現在望みうる最高のレベルにチャレンジした記録として好意的に評価すべきなのだろうと思う。
アルトゥーロは結婚式の直前に、処刑されたチャールズ一世の王妃ヘンリケッタの逃亡を助け、そのことがもとで捉えられる。恋に敗れたと思ったエルヴィーラは発狂し、鉄骨の「鳥かご」の中を行ったり来たり。有名な「狂乱の場」は、おそらくこのオペラの見どころである。だが、それ以外の第1幕、最終幕にも綺麗な歌は山ほどあるので、BGMのようにずっと鳴らしながら日がな一日を過ごすのも悪くはない。ロッシーニのようなコロラトゥーラや早口言葉の連続でもなければ、ヴェルディが目指した心理描写にも欠くという作品も、それはそれでないと寂しくなる。ヴェルディの初期作品が好きな私には、それなりに楽しめる作品だと思った。
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