2015年3月30日月曜日

読売日本交響楽団第546回定期演奏会(2015年3月27日、サントリーホール)

大阪から遊びに来た甥の進学祝いとして何かコンサートにでも誘おうかと思い、探してみたところこの演奏会が丁度手ごろであるということがわかり、日程も好都合だったので出かけたのが何とも素晴らしい演奏会で、私がこれまでに聞いた読響定期の中でも最高峰のひとつ、過去のあらゆるコンサートの中でも上位の一割に入るだろうと思うくらい印象的なコンサートだった。期待に胸を膨らませて出かけたにもかかわらず失望に終わるコンサートも多いが、何も期待せずに行くとこれがめっぽう素敵なものとなるコンサートも同じくらいある。そして今宵は後者のそれであった。

私は甥に音楽を実演で聞く良さについて3つのことを挙げた。まず自由に視線を動かして見たい楽器を見られるということ。CDでは奏者の表情は想像するしかなく、ビデオで見るオーケストラもサッカーの試合でボールばかりを追いかけるようなもので、 全体を見渡すことが難しい。主旋律が必ずしも明確でないクラシックの場合、これは結構重要なポイントだろう。

次にかなりの技術的水準にある人たちが何十人も集まって一生懸命練習した後一斉に音を鳴らすという限りない贅沢な瞬間。落語家の独演会でも何千円もする中、これほどコストパフォーマンスのいい興行はちょっと考えられない。もしかするとオーケストラはもっとも「安い」芸術なのかも知れない。

そして第3に、音楽と言うものの特性である一期一会という宿命・・・空気の振動は時とともに減衰する物理的法則に逆らうことはできない。どれほど素敵な音楽も、消えていく花火のように再現することはできないはかなさ。その場に居合わせた人にしかその体験を持つことはできないのだ。どんな音楽でも。

私はこの3つのことを今回ほど実感することはなかった。もしかすると私も興奮していたのかも知れない。だがこの日の指揮者、南アフリカ出身のジェラール・コルステンもオーケストラのメンバーも、満面の笑みをうかべて充実した演奏に満足した様子であった。そのことが手に取るようにわかった。もしかしたら客席が少し(いつも思うのだが読響の客は、N響の客よりも保守的で醒めている)乗りが悪い。いやそもそも満開の桜が咲く春休みの週末の東京で、7割程度の入りというのがショッキングである。こんなにポピュラーな演目なのに、である。

最初の歌劇「劇場支配人」序曲の生き生きとした出だしを聞いた瞬間から、私は今日のコンサートが「行ける」と思った。若い頃の小澤征爾を思い出すような軽やかで瑞々しい響き。それに少しビブラート控え目な解釈は、交響曲第41番ハ長調「ジュピター」で真価を発揮した。すべての繰り返しを行い、人数を厳選したオーケストラからは、本場のオーケストラにも迫るような集中力とアンサンブルが実現された。第2楽章の小休止のたびにため息の出るような感覚にとらわれる。残響が空中に消えていくような感覚にしばし気を取られたかと思うと、第4楽章は一気にフーガで駆け抜ける。そう思えば中学生の頃何度この曲をレコードで聞いただろうかと思った。

十分に音楽を楽しんだと思った後で、シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」が始まる。舞台に勢ぞろいしたオーケストラは百人を優に超えているのだろうと思う。シュトラウスとマーラーはどんな時でも出かけてみたくなるが、今回の「英雄の生涯」は何とも気合いの入った演奏に思えた。プログラムによればこの演目は、東日本大震災の時にキャンセルを余儀なくされた時のものだそうだ。だから指揮者にも相当な思い入れがあったのだろうと想像すると胸が熱くなる。

管楽器やソロ・バイオリンの困難なメロディーが横溢するこの曲を演奏する我が国のオーケストラで、これほどにまで磨き抜かれ目立ったミスのない演奏もそう出会えるものではないだろう。 それどころが微に入り際に亘って音楽は精彩に溢れた表情を見せた。力強さと精密さを兼ね備えたその演奏は、できることならもう一度見てみたいと思ったが、それはできないというのが生のコンサートの宿命である。最後の管楽器のアンサンブルも見事に決まって、指揮者のタクトが下されるまでの数十秒を、誰一人として音を立てない静謐な時間が覆った。それはどこまでも続いていくように感じられた。

凡そ百年の時を隔てて音楽史に名を残す二人の偉大な作曲家の、さらにはその最も充実した才能を感じさせるふたつの偉大な名曲・・・「ジュピター」と「英雄の生涯」は、続けて演奏されたことでその時間的な隔たりを感じさせることとなった。おそらくそのことがこのコンサートのプログラムに込められたひとつの視点なんだろう、などということを話した。流行音楽とは違いどちらかと言えば頭で聞くクラシック音楽も、音楽である以上は感覚的なものに支配される。その理性と感情のはざまで、音楽を見ながら考える・・・その時間こそが生の演奏会の魅力である。そして「英雄の生涯」をはじめとするシュトラウスの限りなく豊穣で耽美的な時間は、現在聞くことのできるあらゆる音楽の中でも最高の美的感覚を持っている。モーツァルトの時代とはまた違った形の完璧な美というものとの対比、それはやはりこういうクラシック音楽の演奏会でしか聞けないレベルのものでもある。

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