パガニーニの一連のヴァイオリン協奏曲を聞いて思うことは、これらが歌声をヴァイオリンに変えたオペラではないか、ということだ。特にこの第2番は、出だしからまるでアリアの挿入部分のようである。ただすぐには独奏が入らない。少しの間は、いわば導入のための伴奏が続く。良く聞いていると、それはまるで「セヴィリャの理髪師」の序曲を思わせる節である。パガニーニが活躍した頃のイタリアは、すなわちロッシーニやベッリーニが活躍したベルカントの時代である。
ベルカント唱法が人声の技巧を凝らした歌唱を特徴とするのと同様に、パガニーニのヴァイオリンも超技巧的である。第1楽章の最初から第3楽章の最後まで、そのテクニックは物凄い水準を要求される。音楽とは技術であり、技術こそが芸術である、と言わんばかりである。
第2楽章のしみじみとした風情は、ここがまるでソプラノ歌う伸びやかなアリアと重なる。健康的で歌謡的なメロディーは、聞いているものをひととき幸せな気分にさせるが、少々飽きる。驚くほどの練習を積んで、満を持して演奏するヴァイオリニストには恐縮だが、聞き手は勝手に音楽以外のことを想像したりする。集中力を途切れないようにすることもまた、巧みな演奏家に要求される。ベルカント・オペラが、そういった名人的歌手がそろわないと、なかなか聞きごたえのあるものにならないのと同様に、パガニーニの音楽もまた大変難物だと思う。
ジャン=ジャック・カントロフはパガニーニ国際コンクール出身のフランス人ヴァイオリニストである。だからパガニーニの協奏曲第1番と第2番をカップリングしたCDが発売された。このCDに収められている第1番の演奏も大変見事である。その素晴らしさは、この曲の演奏の第1位を争うレベルであると思う。けれども第1番の演奏はすこぶる多いので、ここでは第2番を一生懸命聞いてみた。日本コロンビアのデジタルな録音が、演奏の隅々にまで光を当てる。オーヴェルニュ室内管弦楽団という、フランスの片田舎にあるオーケストラの響きも、透明ですがすがしい。
第3楽章の有名なメロディーは、「ラ・カンパネルラ」すなわち鐘の意味である。このメロディーはリストがピアノ曲に編曲しているので、その点でも有名である。リストはピアノのパガニーニのような存在で技巧を凝らした作品が多い。彼はパガニーニの存在を意識していただろうし、このメロディーを聞いて、ピアノならもっと魅力的な作品が書けると思ったのかも知れない。実際、鐘の印象はピアノのほうがしっくりくる(と私は思う)。
その第3楽章の後半部分は、この曲最大の聞かせどころだろうと思う。ヴァイオリンの技術上の極限を行くその様は、録音された媒体で何度聞いても鳥肌が立つようだ。パガニーニの底抜けに明るいイタリアの陽射しが、どんなに細く小さな音の隅にまでもしっかりと到達している。
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