半年に及ぶサントリー・ホールの改修が終わり、その直後にあたる9月11日、都響の定期演奏会に出かけた。ハイドンのオラトリオ「天地創造」を聞くためである。月曜日だというのに、しかも前日には別の会場で同じプログラムを演奏していると言うのに、客席は満席に近く、この演奏会の前評判の良さがうかがえる。音楽監督大野和士が満を持して挑むハイドンの最高傑作に、何とスウェーデン放送合唱団が登場するではないか。しかも字幕付きである。
こんなコンサートに出かけないわけには行かない。ただでさえ「天地創造」を生で聞く機会などそうあるわけではない。7月には早々と1階のS席を確保し、体調を万全に整えた。仕事の疲れも残ってはいたが、今年の9月は早くも涼しい風が吹き、新シーズンの幕開けに相応しい華やいだ雰囲気を感じるのは期待値のせいか。
大野和士を聞くのは初めてである。そしてもちろんスウェーデン放送合唱団も。アバドのCDなどによく登場するこの北欧の洗練されたプロ合唱団は、今ではペーター・ダイクストラによって率いられている。彼はバイエルン放送の合唱団で名を馳せた実力派である。ハイドン一美しい、いや世界の音楽の中でもっとも美しいこの曲を、最高峰の合唱で聞けるというのがこのコンサートに注目する最も大きな理由である。
ところが演奏が始まると、どの一音たりともおろそかにせず、集中力と気合の入った演奏に一気に釘付けとなった。まだ「混沌の描写」である。その何かを感じさせるような重々しい雰囲気は、やがてラファエルの「はじめに神は天と地をつくられた」と歌う荘重さに引き継がれ、会場が固唾を飲んで聞き入るような緊張感に包まれる。ようやく合唱が静かに歌い始めると、丸で会場全体がひとつのバランスの取れた気球に乗っているように感じられた。まったくもって必要十分と言える絶妙のバランスは、少人数の合唱団だけに限ったことではない。3人の独唱とオーケストラまでもが、こんなにも上手くブレンドされた演奏は初めてである。完璧にミキシングされたCDでしか、こういう音は聞けないと思っていた。だがいままさに、ここで、このような瞬間の連続に接している、そう考えると体が硬直し、涙が出るような感動に何度も見舞われるのだった。
「光あれ!」と叫ぶ冒頭の頂点に達する以前に、私はこの演奏が類まれな名演であることを確信した。十分に練習が重ねられ、何度もの調整を経て、この演奏が可能となったのだろう。それは慎重に節度を保っていることに加え、音色はビブラートが抑えられ気味であることによって、新鮮でピュアであった。木管楽器の奏者は、自分のパートを完璧にこなし、独唱や合唱と重なっても大きすぎず小さくもない。指揮者の正面でチェンバロがレチタティーボの伴奏に始めるたびに、私は深く息を吸い込んで我を取り戻すことを繰り返した。
これまで何十回となく聞いてきたどの演奏よりも素晴らしいと思ったのは、それが実演であるからだけではないことは明らかだった。これは現在経験し得るもっとも完成された演奏のひとつであると言ってよいだろう。次々と進められてゆくハイドンの音楽に深いため息をつきながら、あっという間に前半が終わった。ただ前半が終了したのは第2部の中間地点で、その時点でまだ神は人間を創ってはいない。第3部から後半とすると前半が長くなりすぎるのを避けたのだろうと思う。けれども私は前半に第2部を最後まで一気に演奏してほしかった。
後半はその人間創造のシーンから始まり、第3部のアダムとエヴァによる人間賛歌へと移っていった。ハイドンの音楽はますます磨きがかかり、私がいつもクライマックスだと思うアダムとエヴァによる二重唱を始めとする約10分間は、至福のひとときであった。「アーメン」と深くコーダの余韻を残しながら音楽が消え行く時、会場にはしばし静寂が訪れ、そして静かに、だが確信に満ちた拍手が始まった。以降、何度もソリストや指揮者が舞台に読み戻されるに連れ、それは次第に大きくなり、やがて最高潮に達した。見ると1階席の真ん中を足早に通り過ぎる長身の外国人がいた。カーテンコールに呼ばれた彼は、合唱団を率いるダイクストラ氏であった。
3人の独唱は、ソプラノが林正子(ガブリエルとエヴァ)、テノール(ウリエル)が吉田浩之、そしてバリトン(ウリエルとアダム)がディートリヒ・ヘンシェルであった。ヘンシェルは安定した見事な歌でまったくもって素晴らしかったが、吉田の声も特筆に値する。彼は透明で良く通るキレイな声を、大変上手く表情をつけながら、最後まで歌い切った。ドイツ語の歌としても及第点だと思う。それに比べると林の歌は、声量こそ確かなものの、表情にやや雑な部分があり、ドイツ語の発音にも違和感があった。フランス・オペラの歌手ならこういう歌い方だろうか。だが彼女も声の通り方に不満はなく、後半では気にならない程であった。
大野和士という指揮者を初めて聞いたが、指揮はわかりやすくて安定しており、演奏のコンセプトが合唱やソリストにもよくいきわたっていたと思う。完成度の高さにおいて、今回触れた「天地創造」の実演はなかなかのものだったと思う。合唱の美しさ、それが管弦楽やソリストと合わさって和音を形成する時、左右から広がりのある歌声と楽器が次から次へと重なっては絡み合い、時には静かさの中に余韻を残した。
もし可能なら次は「四季」を聞いてみたい。私はよりハイドンらしい茶目っ気の感じられる「四季」の方が好きである。だがこちらもほとんど実演で聞いたことがない。規模も大きく華やかなのに、実演に接する機会はずっと少ないだろう。ハイドンの合唱作品など、予算がかかるうえ宣伝効果に乏しいのだろうか。だが今回の「天地創造」で見せた実力をもってすれば、それも可能ではと思わせる。それから字幕が用意されていたこと、詳しい解説書が配布されたことなどは、当たり前のように思っている人もいるが、大いに評価しておくべきだ。でないとあの音楽による擬態表現がまるでわからないからだ。
指揮者とソリストは、とうとうオーケストラが引き上げても続く拍手に、再度呼び戻された。いつまでも続くブラボーと拍手は、会場に詰め掛けた聴衆の多くが今回の演奏の高さを評価していたことの証明に他ならない。Twitterで「明日ももう一度聞いてみたい」と書いていた人がいたが、この方は前日の東京芸術劇場の公演を聞いているようだ。今日、私も同じように思う。けれども同時に、こんな嬉しい演奏には、もう少し余韻に浸っていたいとも思う。もう十分に音楽を楽しんだという充実感が、私を覆っていた。気が付くともう9時半で、そうかこの拍手は30分近くも続いたのか、などと思いながら、溜池山王への足取りを速めた。
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