モーツァルトの音楽人生を2つの時期に大別するとしたら、ザルツブルクでの生活(すなわち幼少期からのイタリアを始めとする欧州各地への旅行と、大司教に仕えることになる青年時代まで)と、単身ウィーンに乗り込んで、音楽史上初のフリーランス作曲家として活躍する後年の時代とになるだろう。
モーツァルトの有名なオペラ作品の大半は、後半のウィーン時代に作られたものだ。ダ・ポンテの台本による3部作は特に有名で、古い風習に囚われたオペラを人間味あふれるドラマとして構成するという前代未聞の試みをやってのけた。これはオペラ史における大転換となるのだが、そのモーツァルトもザルツブルクではまだ、貴族の依頼に基づく古い形式に則ったオペラを作曲し、いろいろ台本に注文をつけながらも、溢れる才能を注ぎ込んだ。
そのような作品の中の最高峰であり、かつ新しい時代へと向かう直前の作品である歌劇「イドメネオ」は、ギリシャ神話に題材を取った伝統的なオペラ・セリアで、まだバロックの名残りも感じられる作品である。モーツァルトの中では影が薄い方だが、今でも上演回数は比較的多いことから、この作品以降がモーツァルトの「聞くべきオペラ」ということになっている。
「イドメネオ」は実際、後年のモーツァルト・オペラの大躍進を窺う才気に満ちた作品だが、その音楽的充実とは逆に、生前わずか1回しか上演されなかったという(実際には後年ウィーンにて、ごく小さな部屋で私的に上演されたらしい。このあたりは「モーツァルト オペラのすべて」(堀内修・著、平凡社新書)に詳しい)。
西洋史がここから始まるとされているトロイア戦争でギリシャが勝ち、トロイアの王女イリアは囚われの身となっている。クレタ王イドメネオの息子であるイダマンテは、そんなイリアを愛してしまう。イリアもイダマンテを敵の王子と知りながら、その愛に応えようとして葛藤に悩む。だが、やがてクレタ王となるであろうイダマンテの妻の座を、アガメムノン王の娘エレットラが狙っている。こちらは味方だから、その地位に相応しいはずだ、というのである。
二人のソプラノ(イリアとエレットラ)、それにイダマンテ(メゾ・ソプラノ)を加えた3人が第1幕から聞きどころの多い歌を披露する。特にエレットラは起伏の激しいアリアを披露して「魔笛」における「夜の女王」を彷彿とさせる。いやその前に、何と充実した序曲が奏でられることだろう。グルックがもたらしたオペラの大規模化は、このようなところにもしっかりと現れている。
ある日、イドメネオは戦場からの帰途、嵐に合い遭難して死亡したとの知らせがもたらされる。だがこれは誤報で、実際には命からがら生きて漂着するのだ。そこに息子のイダマンテが現れる。最初はイドメネオであるともわからない。だが、よくよく話してみると父ではないか。生きていたことがわかるイダマンテは喜びに溢れるが、父のイドメネオを何故か息子を避けようとする。
その理由は第2幕で明確に明かされる。海の守り神ネプチューンが、イドメネオの命と引き換えに、最初に出会った人を生贄に差し出すことを約束させたからだ。父は自分の息子を殺すことになる運命を認めたくはない。イドメネオは考えた挙句、イダマンテをエレットラとともに出国させ、その場を凌ごうとするのだ。だがこれにネプチューンは怒り、嵐が起こる。
冷静に考えると単なる三角関係のオペラも、ネプチューンやら何やらで第2幕は聞きどころの多い音楽だ。アリアはバロックの風習に倣って繰り返しが多く、そのことが少し疲れさせもする。加えて今回Met Lineで上演されたジャン=ピエール・ポネルの古色蒼然とした演出は、動きが少ない上に舞台装置がほとんど変わらない。これは演奏がよほど上手でないと退屈だし、それにMetの舞台はこの時代のものを上演するには広すぎる。
それでも定評あるジェイムズ・レヴァインの指揮は、引き締まったところとメロディーを十分に歌わせる部分とをごく自然に使い分け、この作品の一時代を築いた演出を今なお新鮮に表現する。初めてレヴァインがこの曲を上演した時、イドメネオを歌ったのはパヴァロッティで、その時に今回イリアを歌ったネイディーン・シエラはまだ生まれていなかったというから驚きだ。
一方、エレットラを歌ったのはエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァーで、このヒステリックで表現の幅の広さが要求される役を十分にこなしていたと思う。いやそれどころか最終幕で怒り狂うシーンは圧巻で、満場の喝采をさらっていたのが印象的である。また初演の際、カストラートによって歌われたイダマンテは、テノールではなくメゾ・ソプラノが歌う。つまりはズボン役だが、これがどうも見ていてしっくりこない。かといってテノールが歌うと、音域がイドメネオとバッティングしてしまう。このオペラの欠点のような気がしてならない(作曲は初演時の歌手を想定して進められたのが、その理由である)。
標題役のイドメネオはマシュー・ポレンザーニで、リリカルな歌声はこの高貴な役に今もっともふさわしいと感じさせるに十分である。聞きどころは重唱を含め数多いが、私たちはCDなどでパヴァロッティとどうしても比較してしまう。そのくらいこの役はパヴァロッティの当たり役だったのではないか。 そのパヴァロッティの歌うイドメネオは、今ではCDならプリッチャード指揮のウィーン・フィルで、DVDならレヴァインの指揮で味わうことが出来る。私もプリッチャード盤を持っているが、しかしながら、「イドメネオ」の他の演奏を知らないのも事実であり、この演奏が最高であるのかどうかはわからない。
第3幕でイドメネオはとうとうイダマンテを生贄として差し出す決心をしたとき、ネプチューンの声がこだまする。これは本日のMet Liveの進行役エリック・オーウェンズが歌ったようだが、舞台には登場しない。ネプチューンはイドメネオの退位とイダマンテの即位、それにイリアとの結婚を宣言し、舞台は一転ハッピー・エンドとなる。愛の勝利にひとり怒り狂うエレットラ。
このオペラのテーマは一見上記のように単純なように見える。だがそれですまされない要素がある。それはこのオペラが「父と息子」の関係を描いた数少ないオペラであるからだ。思えば、「父と娘」のオペラなら星の数ほどある。ヴェルディのオペラやワーグナーのタンホイザーなどがそうで、自ら二人の娘を失ったヴェルディは、すべての作品にこのテーマを追い続けたと言ってよい。その最高峰は「シモン・ボッカネグラ」ではないか。あの「椿姫」だって、ヴィオレッタをジェルモンの娘にするかどうかの駆け引きに重点が置かれ、アルフレードの存在感は薄い。
「母と娘」もある。ポンキエルリの「ジョコンダ」がそうである。また「母と息子」も探せばあって、「イル・トロヴァトーレ」がそうではないかと思いつく。もっとも実の親子ではないが。それに比べると「父と息子」はドラマになりにくい。いや「イドメネオ」におけるイドメネオとイダマンテの葛藤は、心理劇と言うには少し形式が古いのは事実だ。だがここに描かれる二人の関係は、そのままモーツァルト自身の親子関係が反映されているように思えてならない。
実際にモーツァルトは「イドメネオ」の上演が成功に終わると、そのままザルツブルクへは戻らずウィーンに出かけてしまう。とうとう親の反対を押し切って独立したのである。「イドメネオ」はもともとその1世紀前にパリで初演された劇の台本を元にしている。だがこの台本に音楽を付け、自らも何かと口を出して成功させたオペラの制作過程で、いよいよモーツァルトの独立心は決定的な親子の決裂(そしてザルツブルクとのそれ)を招くのである。その父と和解するのは、ウィーンに出てしばらくしてからのことである。神が古い立場の人を退け、新しい生活を始める息子を祝福するこのオペラは、そのままモーツァルト自身の成長物語となっている。
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