私の通った大阪府下の中学校では、毎年学級別に合奏コンクールをすることになっていて、その年の課題曲はブラームスの「ハンガリー舞曲第6番」だった。たしか二年生の時である。ただ普通の公立中学校、しかも校内暴力などが吹き荒れる時代のことである。生徒は半分以上が不良とは言わないまでも学習意欲などなく、しかも学校行事など真剣になるはずもない。つまり荒れ果ててすべてに醒めた学校は、一部の先生のみが権力を振りかざし、従って私のような気弱で真面目な生徒は、毎日泣いていたものだ。学校へ行きたくないと。
そのような中での合奏コンクールである。私は楽器が何も弾けないから、指揮をすることになった。指揮者と言っても棒を振るだけで、その姿を見て演奏する人はいない。おそらく出だしだけが揃えば、あとは何とかなるのである。そして私の通った新興住宅地にある超マンモス校は、全部で11クラスはあったと思う。それがわずか5分程度の演奏でも2時間近くかかる。生徒は体育館に座らされ、ただでさえ退屈な時間を、さらに苦痛に過ごす。生徒は次第に騒ぎはじめ、そして誰も入賞することなど期待していない。なぜなら優勝したクラスはもう一度アンコールを演奏することになっており、そんなことは御免だと、クラスの皆が思っている。
そんな合奏団のブラームスである。だが私の隣のクラスを指揮した秀才のA君は、連日カラヤンのレコードを聞きこみ、統制の取れた演奏を披露した。ハンガリー風にリズムに緩急をつけ、民族的な情緒をたっぷりと歌った名演だった。これには音楽の先生も随分協力したらしく、そして彼のクラスは当然の如く第1位に輝いた。
さて私は、そんな芸当はできないから指揮はひたすら情熱的に進め、指揮者だけが空回りした演奏となった。何名かの女子生徒(パートはアコーディオンだった)頑張ってついてきてくれたが、全体的にはバラバラの音がしたのだろうと思う。だがそんなことはおかまいなしに、私は一心不乱にタクト(ただの棒である)を振り、そして最後の主題を繰り返す部分に来ると音量を少し押さえてさらに速くし、最後は何とか決まった。私は第2位だった。そしてA君は「君はアバド流だったね!」などと奇妙なことを言ってくれたが、まあこの当時、売られていたハンガリー舞曲のレコードはライナーのものとカラヤンのものくらいでいずれも抜粋盤。そこへアバドのウィーン・フィル盤が全曲録音という触れ込みで登場した頃である。
一方、最も有名な第5番はよく耳にする曲だったが、この曲がポール・モーリア楽団か何かで演奏された音楽をカセットテープに録音して何度も聞かせてくれたのは、同級生のI君だった。かれは中学1年生の時、毎日のように私を自宅に呼び、氷のたっぷり入ったコップに瓶入りコカ・コーラを注いで飲みながら、親に買ってもらった大きなステレオ・ラジカセを自慢した。
ポール・モーリアの演奏するハンガリー舞曲は、ポップス風にアレンジされていて、後半には付け足されたトランペットの独奏部が加わる都会的なものであるのだが、ここの速度が常に一定である。あのジプシー音楽の風味がない。いわば気の抜けた炭酸飲料のような音楽なのだが、彼はそのメロディーに合わせて歌い、そして私に何度も「いい曲だ」と言っていたのを思い出す。また、この第5番で思い出すのは斉藤晴彦が歌詞を付けて歌ったテレビCMと、はるか昔、チャップリンの映画で理髪師に扮したチャップリンが曲のひげを剃るシーンである。いずれもこの曲の大衆性が感じられる。
このように「ハンガリー舞曲」を聞くと、いつもいろいろなことを思い出すのだが、実際のところは第1番と第5番、それに第6番が突出して有名で、アンコールなどに良く演奏される以外は、あまり聞くことがない。全部で21曲あるこれらの曲は、ピアノ連弾曲として書かれた。そして民族風の舞曲集を作曲することをドヴォルジャークに勧めた。ドヴォルジャークの「スラブ舞曲」はこのようにして生まれ、そして「ハンガリー舞曲」と同様、管弦楽曲にアレンジされ有名となった。これらの2つの東欧風民族舞曲集は、似たような起源と経過をたどっており、かつては抜粋されてレコードに併録されていた。ただ「スラヴ舞曲」の方が、全体的なまとまりと音楽性において、優位にあるように感じる。
その「ハンガリー舞曲」は、作曲者自身を含め何人もの作曲家が編曲をしているが、第17番から第21番まではドヴォルジャークによって編曲されている。これらの曲がこの二人の合作となっている点で面白いが、さらには、ドヴォルジャーク風の風味を感じることが出来る点でも興味深い。少しあか抜けたような、カラフルで抒情的である。
第1番から順に編曲者とともに記載しておく。演奏は、なかなか決定的な演奏がない中で、イシュトヴァーン・ボガールという指揮者がブダペストのオーケストラを指揮した演奏が好ましい。オーケストラは、例えばマズアのゲヴァントハウス管弦楽団や、ネーメ・ヤルヴィのロンドン響には劣るが、ちょっとした表情付けが本場風であると言っておこう。抜粋版ではライナーやドラティなどのハンガリー人指揮者によるものがあるし、ピアノ連弾ではラベック姉妹によるものなどが有名である。
【収録曲】
第1番ト短調(ブラームス編)
第2番ニ短調(ハーレン編)
第3番ヘ長調(ブラームス編)
第4番嬰ヘ短調(ジュオン編)
第5番ト短調(シュメリング編)
第6番ニ長調(シュメリング編)
第7番ヘ長調(シュメリング編)
第8番イ短調(ガル編)
第9番ホ短調(ガル編)
第10番ヘ長調(ブラームス編)
第11番ニ短調(パーロウ編)
第12番ニ短調(パーロウ編)
第13番ニ長調(パーロウ編)
第14番ニ短調(パーロウ編)
第15番変ロ長調(パーロウ編)
第16番ヘ短調(パーロウ編)
第17番嬰ヘ短調(ドヴォルジャーク編)
第18番ニ長調(ドヴォルジャーク編)
第19番ロ短調(ドヴォルジャーク編)
第20番ホ短調(ドヴォルジャーク編)
第21番ホ短調(ドヴォルジャーク編)
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