少し迷ったが、ここにもう一間、K466のCDについて書くことにしようと思う。オーストリアのピアニスト、アルフレート・ブレンデルによる新しい演奏である。伴奏はチャールズ・マッケラス指揮スコットランド室内管弦楽団。2005年の発売だから録音は2004年頃だろうか。1931年生まれのブレンデルは2008年に引退しているので、その数年前の演奏ということになる。
先に取り上げたグルダも1930年頃の生まれで、いわば同年代のピアニストだが、生粋のオーストリア人であるグルダとは違い、ブレンデルはチェコの出身である。チェコとウィーンはほど近いので、いわば郊外のような感覚だが、そこで思い出されるのはシューベルトのことである。シューベルトもウィーンで育った作曲家ではあるが郊外の出身で、そのせいかシューベルトを弾くブレンデルは相性がいいように思う、というのは考えすぎだろうか。いやモーツァルトがシューベルトに聞こえると言うか。
沢山の音楽家を飲み込む大都会ウィーンに単身出てきたのは、モーツァルトも同じであった。しかも彼はザルツブルクの大司教と決裂し、父親の反対を押し切ってのことである。音楽家は貴族の庇護の下にあるというのが当たり前の時代、不安と焦燥にかられながら、実力だけを信じて作曲に、演奏にまい進する若き日々。モーツァルトのピアノ協奏曲のうち、最高峰の作品群はこのような時期に書かれている。
自ら作曲し、自ら演奏して新作を披露する予約演奏会に、野心的なモーツァルトは短調の曲を初めて書いた。それがニ短調のピアノ協奏曲K466で、華やかさとはかけ離れた、苦悩に満ちたような表情で始まる。それが常識破りであることに加え、おもむろにさりげなく入って来る独奏もまた特徴的である。これでもか、これでもかと不安定な主題を繰り返しながら、音楽は深い森の中に入ってゆく。この中に入ると、それはまた抜け出せないような孤独の世界。時に長いカデンツァが置かれるが、モーツァルトは自身のものを残していない。
ベートーヴェンやブラームスがこの曲に感銘を受け、有名なカデンツァを残していることは前に述べた。グルダの演奏も当然のようにベートーヴェンのカデンツァを用いている。だがブレンデルは自作のカデンツァを演奏しているのだ。これは最初の録音である70年代の時から変わらない。この時の伴奏はマリナーである。
マリナーと組んだブレンデルのモーツァルト全集は大変に優れたもので、おそらく80年代に入り、ペライアや内田光子のものが登場する以前としては、最高のものだったと思う。我が家にも第20番と第24番の、すなわち二つの短調の曲をカップリングしたLPレコードがあった。当時はあまり印象に残らなかったのだが、今から思うととても模範的で、しっかりした演奏だったと思う。
それから四半世紀が立ち、多くのピアニストがそうしたように、ブレンデルもまたモーツァルトの協奏曲を再録した。一部の曲のみであったが、その中にK466も入っていた。私はまだ銀座にHMVがあった頃、この2枚組CDを見つけ迷わずカートに入れた。ハイドンのピアノ・ソナタを1枚目に収め、2枚目はモーツァルトの曲が収録されていた(K466の他にピアノ・ソナタK332とコンサート・ロンドK382など)。
ブレンデルは25年前と変わらない、完成された格調高さで音楽を始める。だが演奏には流行りというのがあるもので、生真面目でひたすら模範的な80年前後の演奏とは異なり、少し肩の力が抜け、吹っ切れたように感じる。オーケストラが古楽器風の奏法の影響を受け、フレッシュに響くのもその理由かも知れない。そして何より素晴らしいのは第2楽章である。ブレンデルは聞きなれたメロディーに、心地よい装飾を施してゆく。さらっとやや早めのテンポ感は、春の野を行くが如きで、この曲が短調で書かれた暗い曲というイメージとは対照的である。その自由な遊び心が心地良く、この曲のまた一つの表現であるのかと思う。
なお、カップリングされたコンサート・ロンドニ長調K382は、完璧な演奏である。茶目っ気のある子供の遊びのような曲だが、きっちりと、機転を利かせながら変奏されてゆく様子は、巨匠のピアニストが奏でる卓越した妙味である。録音も素晴らしい。
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