2018年11月12日月曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第705回定期演奏会(2018年11月9日、サントリーホール)

行こうかどうか迷っていたコンサートほど、感動的な演奏に出会うことが多いような気がする。今回の日フィル定期もまさにその例外ではなかった。いやむしろ大変な熱演に接することができたほどだ。そのことを書いておこうと思う。ただ私はこの度の公演で取り上げられた曲について、ほとんど知らない。だからうまく表現できるか、甚だ難しい問題だと言わざる得ない。

取り上げられた曲目はずべてロシアの曲で、前半がグラズノフの交響曲第8番変ホ長調作品83、後半がショスタコーヴィチの交響曲第12番ニ短調作品112「1917年」。いずれもロシア革命に縁の深い作品である。ただ作曲された年代は一世代違い、グラズノフの交響曲第8番は1905年の作品であるのに対し、1906年生まれのショスタコーヴィチが交響曲第12番を作曲するのは1961年のことである。ただその副題が示す通り、この作品はロシア革命を描いた標題音楽である。

ショスタコーヴィチがペテルブルク(レニングラード)の音楽院で学生の頃、グラズノフはすでに名声を博した音楽家で、ここの院長であった。二人は師弟関係にあったと言える。だが二人の音楽の間に、何らかの影響があるのかは私の知識ではわからない。いやそれよりもこの間の社会の変化こそより大きな重しとなってのしかかっているように思う。すなわちロシア革命と社会主義である。

グラズノフの交響曲は一貫して重々しく、悲劇的である。有名なバレエ音楽「四季」くらいしか知らない私にとってほとんど初めての経験とも言えるグラズノフの作品は、どこが聞きどころかさえもわからない曲だった。最終楽章でのコーダに向かう演奏で、私は舞台に向かって右横から指揮者や木管奏者を眺めていたが、それは冷静に見ていられないほどに熱くなっていく様が手に取るようにわかった。バレエ音楽でのグラズノフのように、3拍子の時に華やかなリズムなどは皆無で、ここにあるのはひたすら暗く、そして熱い音楽だった。

指揮者のアレクサンドル・ラザレフは、2008年以来日フィルの首席指揮者を務めており、その後は桂冠指揮者として毎年のように登場、特にロシア物には定常のある指揮者であることは知っていた。私はそのように有名になる前の90年代、ボリショイ劇場のオーケストラを指揮して録音されたCDを聞いたことがあって、ソビエト崩壊後の混乱期にあってなかなか洗練された指揮者だと思った記憶があるが、実演で聞くのは初めてであった。一度、生で聞いてみたいとも思っていた。

そのラザレフはここ数年来、日フィルとともに「ラザレフが刻むロシアの魂」というシリーズを続けており、なかなか好評であるという。最初のシーズンにラフマニノフ、2番目のシーズンにスクリャービン、その次のシーズンにショスタコーヴィチを取り上げて来たようだ。今回はグラズノフ、しかもその第4回目ということである。

「凄い」という形容詞は最近、特に乱用される傾向がある。老いも若きも形容詞に困ったときに発するのが「すごい」というもので、程度がはなはだしいことはわかるが、何がどう凄いのか、そのあたりの具体性を欠いているいい加減な表現である。だが今回のコンサートを一言で言うと、「スゴイ」の一言につきる。私の表現力の問題を脇に置いて、今回の演奏会、特にショスタコーヴィチの演奏に関する限り、どこがどう素晴らしいのかよくわからないくらいに麻痺してしまうほどに、演奏が凄かった。

ティンパニやパーカッションを始めとする打楽器を思い切り叩き、そのわきで重厚な金管楽器が号砲を吹き鳴らす。それを聞いただけでも鳥肌が立つほどだが、特に終楽章のそれはすさまじく、聞いている方が打ち負かされてしまうのではないかと身構えること数十分。一糸乱れぬアンサンブルも見事で、日フィルの演奏会の中でも屈指の熱演ではないかと思われた。

玄人好みの演目に平日とあって、6割程度の入りだった今日の演奏会も、終わるや否や轟いたブラボーの嵐は、これだけ珍しい曲であるにも関わらず多くの聴衆を驚かせるだけのパワーに満ちていたことを明確に証明した。何度も登場する指揮者は、オーケストラの間中を回って、最上段に並んだ打楽器奏者や、右わき後方のコントラバス奏者とも熱い抱擁を交わし、舞台の袖に出ては、観客の拍手を煽る仕草を見せるなど、とても変わった指揮者だと思うほどだった。だがそんなラザレフと、オーケストラのメンバーの表情を見れば、本日の演奏が会心に出来だったことは容易に窺うことができた。

興奮冷めやらぬうちに帰宅して、そう言えばショスタコーヴィチの交響曲第12番は、ヤンソンスの録音を所有していたことを思い出した。もしかするとまだきっちりと聞いていない。そこで翌日、この音楽をポータブル・プレイヤーに入れて聞いてみた。ヤンソンスの演奏は定評のあるバイエルン放送交響楽団との録音で、実演ではないという点において客観的なアプローチだと思う。ここの演奏で聞く、それでも十分に熱のこもったショスタコーヴィチは、もしかするとこの曲の決定的な完成度を持つものかも知れない。

この演奏を聞いて、ショスタコーヴィチの音楽がグラズノフの音楽と決定的に異なる要素、それはロシアの民族性の有無ではないかと思った。いや二人の音楽の間には半世紀近い隔たりがあるので、いい加減なことは言えまい。だが共産党革命によって変化させられた芸術的要素、それはそういった冷徹までの近代性を最高のものとする無機的で、非人間的な(と勝手に言ってしまえるほど単純ではないのだが)客観性である。

だがここまで書いてみて、この表現は若干修正が必要ではないかと思う時があることも事実である。ショスタコーヴィチの音楽には、時に極めて抒情的で、民族性を機能主義で濾過したような音楽が、それは純粋だと言ってしまうほどに表現されていることがあるからだ。私は結局のことろ、ショスタコーヴィチの音楽がまだわからない。ソビエトという今はなき国家の、その存在証明がどうなされるのか、そういった歴史による試練を経て評価されるのと同様に、またグレゴリオ聖歌から始まる西洋音楽史の中に明確な位置づけを与えられるのを待つ必要があるのかも知れない。

ラザレフは、グラズノフの音楽の、ロシア的情緒(それはノスタルジーと異教性にあると誰かが言っていた)と社会主義的合理性が奇妙に合わさった曲と、時に強烈な二面性を持って語られるショスタコーヴィチの、その中でもとりわけ社会迎合的な作品を続けて演奏することで、20世紀前半のロシアが変遷を余儀なくされた芸術的傾向を際立たせたかったのかもしれない。21世紀なって聞くこの時代の音楽は、しかしながらもはや歴史の中に埋もれつつある。私がかつて鉄のカーテンの向こうのラジオ放送で聞いていた「赤い」芸術の持つ(当時の)同時代的な迫力と恐ろしさ、あるいは荒唐無稽さなど、今では知る人も少なくなってしまったからだ。

勝手な想像を膨らませながら、迫力に満ちたラザレフのコンサートを聞き終えた。機会があれば、また行ってみたいと思うに十分な演奏会だった。嬉しいことに、この組み合わせの演奏会は来年にも多数用意されている。

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