ロジャー・ノリントンがロンドン・クラシカル・プレイヤーズというモダン楽器のオーケストラで、オリジナル楽器風のベートーヴェンを録音したのは80年代の後半だった。特に交響曲第2番と第8番を収録したディスクは有名で、私も2000年代に入ってからはじめてこの演奏に接した際の感動は、忘れることが出来ない。ノリントンがシュトゥットガルトのオーケストラと来日さした際には、喜び勇んで出かけ「田園」のすこぶる写実的な演奏に触れることができた。
一般にもっとも目立たないと思われてきた第2番の交響曲を、こんなに新鮮な曲として演奏されたことがあっただろうか、と思った。その輸入盤CDには速度記号が記されていて、この演奏が楽譜に忠実な、すなわちメトロノームの指示に従った演奏であることがわかった。特に第2楽章の颯爽とした新鮮さは、私が一般に思い描いていた緩徐楽章のイメージを刷新するものだった。以後、アバドもシャイーも、このように演奏している。「ラルゲット」と記された楽章を、流れるように優美に演奏する。この楽章のこの演奏で、私は古楽器奏法というものに初めてまともに接したのである。
アーノンクールやガーディナー、あるいはブリュッヘンといったオリジナル楽器の演奏家が一世を風靡し評判になったのは80年代頃だから、私はもうかなり遅くなってからの開眼だったと言える。その世界を知ると、古くからの演奏がつまらなく思えてくるから不思議である。聞き古したバロックや古典派の音楽が、まるで新作品のように再び息を吹き返し、輝きを持って目の前に現れたのだった。
ところが我が国では、そのノリントンがNHK交響楽団を指揮して積極的に古楽器奏法を披露するのは2000年代後半になってからだった。西洋音楽の伝統が短い日本では、クラシック音楽の演奏スタイルの流行が周回以上遅れてやってくるようだ。いつまでたっても古めかしい、贅肉だらけの演奏が続いていた。だが変化は少しずつ我が国にも及んできた。
アーノンクールもブリュッヘンも亡くなった最近になって、とうとう読売日本交響楽団もこの流れに追いついた。古楽器奏法の中でも急先鋒とも言える程過激なベートーヴェンを録音したイタリア人ジョヴァンニ・アントニーニを迎えて、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と第2交響曲の演奏会が開かれたのである。もっともアントニーニがベートーヴェンの録音を始めたのは2005年ことで、もう13年も前である(だが全集の完結は今月の第9まで時間を要した)。この間にベルリン・フィルにも登場し、第2交響曲の模様はYouYubeでも見ることが出来る。
いろいろな情報を総合すると、この演奏会はゲストコンサート・ミストレスを務めたベルリン在住のヴァイオリニスト、日下紗矢子(はかつて読響のコンサート・ミストレスだった)との縁だとか、ヴァイオリン協奏曲のソリストを務めたヴィクトリア・ムローヴァが望んだ、とかいろいろな説がある。いずれにせよ初めて客演するアントニーニが、いかに才気あふれる音楽家だとしても、短時間の練習の間に、果たしてあの「イル・ジャルディーノ・アルモニコ」や「バーゼル室内管弦楽団」のような演奏スタイルに仕立て上げることが可能なのだろうか。そのような少なからぬ不安もあったし、まあ実際にはそういうことが無理でも、両者のスタイロがぶつかり合って、どういう形の演奏になるのか、非常に興味があった。私は売り切れても大丈夫なように、相当前にこのコンサートのチケットを買った。
ところがそういう不安は、最初の曲、ハイドンの歌劇「無人島」序曲の、ト短調の冒頭の序奏が聞こえて来た途端に吹っ飛んだ。前方右側の2階席から斜め正面に見える指揮者が、指揮棒も持たずに大きな身振りで手を振り始めると、その音楽は丸で何年もこのコンビが演奏してきたかのようにこなれた、流れるようなメロディーとなって会場にこだましたのだ。
ヴィクトリア・ムローヴァを聞くのは2回目である。最初は1990年のスイス・モントルーでのことで、この時はキタエンコ指揮モスクワ・フィルの演奏会。ブラームスを聞いている。だが印象はほとんどなく、綺麗な音のヴァイオリニストだったと思っただけだった。持っていたシベリウスの協奏曲なども、同じ印象だった。だが彼女の演奏は2000年代に入って進化し、今ではもっともエキサイティングはヴァイオリニストの一人でもある。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聞くのも実は初めてである。これは意外なことだが、事実である。そしてそれをムローヴァの演奏で聞けると言うのも贅沢な話で、彼女は高い身を揺らしながら、時に刺激的な音色も出す。第1楽章のカンタービレのところなど、オーケストラ・パートの一部も弾きながら、流れに乗ることを意識してオーケストラと調和しようとしている。オーケストラと独奏の一体となった演奏から、彼女が時に繰り出すカデンツァは、ガイドによればダントーネという人のものだそうだ。
第2楽章の静かなメロディーは、情感の中に精緻さもたたえた名演で、丸で水の雫が垂れるような静謐な部分があったとは、一体いままで何度この曲を聞いてきたと言うのだろうか。オーケストラのややくすんだ音はビブラートなしの演奏が徹底しているからだろう。対向配置された第2ヴァイオリンは真下に見下ろすため、楽器が向こう向きになる。第3楽章がロンド形式で作曲されていることをこれほど意識したのは初めてだった。次々と表情を変えるヴァイオリンに合わせ、伴奏の読響も見事だった。
今回の私の席からは、開いたドアの中に楽屋の様子が見える。ムローヴァが大きなうちわでスタッフに扇がれている様子までよく見える。拍手に応え何度か再登場した彼女は、とうとうバッハの無伴奏からの一曲をアンコールして休憩となった。
後半はベートーヴェンの第2交響曲のみ。演奏時間はヴァイオリン協奏曲よりも短い。オーケストラの編成も小さまま。だが少数精鋭の読響の技術的レヴェルは、今回のベートーヴェンの演奏から大いに満足できるものだ。アントニーニは序奏の細かい表情の隅々に至るまで、実に正確に指示。まるで耳の不自由なベートーヴェンがそうしていたように、大変大きな身振りで、小さくかがんだかと思うと、一気に背を伸ばして手の広げる。長い左手を前に出し、掌をちょっと返しただけで微妙に表情を変えるオーケストラ。その集中力は物凄いが、見ている方も興奮する。
私の大好きな第2楽章も、聞き惚れているうちに通り過ぎ、あっという間に最終楽章となった。見とれているうちに30分余りの演奏が終了し、盛大な拍手に包まれる。予想していたとはいえ、見事な演奏に尽きる今回の演奏会は、私としては大満足のうちに終わった。私はこの気持ちを大事にしたいと思い、もう第2交響曲の演奏会には出かけまいと思っている。実演で接することのできるベストだったと思うからだ。今週は、ずっと頭の中で第2楽章「ラルゲット」のメロディーが鳴り響いている。
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