梅雨に入っている。今年は例年のように、6月初旬に入梅し、そこそこ天気の悪い日が続いたあと、少々の中休みがあるという、まあここまでは普通の陽気で、6月下旬にはすでに猛暑となった昨年とは違う。そして今日、NHKホールでの定期公演へと急ぐ私にも、結構な量の雨が吹き付けて来た。NHKホールは、山手線の原宿から歩くにせよ、渋谷から歩くにせよ、結構な距離だからこういう日はつらい。いつもは原宿から、代々木公園の並木の中を歩く私も、今回は迷わずバスの利用を検討した。「アレグロ号」などと名付けられているがいたって普通の都営バスで、途中の停留所には止まらない。井の頭線の改札を出て1階へと降りたところから出るので、雨に濡れる心配もない。
ところが、このバスにコンサートの観客が殺到したのは、当然と言えば当然である。「みなさまのNHK」のことだ。コンサートに合わせて適宜増便されるのかと思いきや、バスは時刻表通り30分に1本しか出ない。つまりこのバスに乗らなければ、コンサートに間に合わない、という人が大量に取り残された状態で、満員のバスは出てしまった!
バス停に並んでいた皆さんは、N響のコンサートへと向かう老人たちで、運転手に食って掛かるようなことはしない。諦めて歩き出す人もいたが、私は後に並んだおばさんと、タクシーに乗り合って行くことになった。「いつもは歩くのですけど」というおばさんは土曜日の定期会員で、こんな雨は久しぶりだと言う。「あの大雪の日以来ですね」という私に、「そうそう!」などと頷いてくれる。
だが、こういう雨の日にはタクシーも来ない。渋谷駅のタクシー乗り場は、道路を渡って向かい側にあるのだが、それでは逆方向である。しかもJapan Taxiのアプリを初めて使おうとしてみたものの、そこに表示された空車の情報はゼロ。私たちは途方に暮れていたところ、偶然にも1台の客を乗せたタクシーが、私たちの目の前に停まって客を降ろした。私は一目散に駆け寄り、同様の状況にある方々を差し置いて、幸運にも車上の人となったのだ。
公園通りを駆け抜ける車の中で、「ヤルヴィさんになってからは、何か、とても上手くなったわね。」などと話していると、あっという間にNHKに到着した。前方に乗り損ねたバスが停まっている。タクシーはその横を通りすぎて、ホールの前に停まった。料金は600円そこそこ(割り勘で300円)。これは値打ちのあるタクシーだった。着いてみるとまだ30分前。けれども今日は、3階席の奥までぎっしりと埋まっており、その期待の高さがうかがえる。
プログラムの最初はバッハのリチェルカータ(ウェーベルン編)という10分足らずの曲で、「音楽の捧げもの」の中の一曲をアレンジしたものである。透明な中に独特の十二音技法とフーガの混じる静かな曲だった。
もしかしたら今日の聴衆は、続くベルクのヴァイオリン協奏曲の独奏と務めるイスラエルのヴァイオリニスト、ジョシュア・ベルがお目当てだったかも知れない。N響ともしばしば競演しているようだが、実は私の初めてである。たしかデビューCDだったモーツァルトの協奏曲で私は十代のベルを知ったのだが、その彼ももう47歳である。早くから流麗でテクニックも十分だった彼は、世界でも有数のヴィルテュオーゾとなり、もう円熟に域に達しているとも言える。ゆるぎない解釈と、それを体現するテクニックは説得力があり、しかも耳に心地よい。
そのベルクである。ところがこの曲、何とも形容しがたい作品だ。私はムターのCDを持っており、それを今回幾度となく聞いているのだが、どうもよくわからないというのが正直なところ。ベルクの作品は(オペラなどもそうだが)、何度も聞くうちに次第に馴染んでくる、などとどこかの歌手が言っていたのだが、どうやら私はまだその域に達してない。
2つの楽章から成るのだが、どちらの楽章のどの部分を聞いていても、同じ曲を聞いているような感じがしてくる。でもベルはこの曲を、完全に暗譜していた。彼は時折指揮者だけでなくオーケストラの奏者にも目を配りながら、この難解な曲を一定の緊張感を絶やすことなく弾き切った。それは見事と言うほかなかった。
アンコールはバッハのパルティータ第3番ホ長調BWV1006から「ガヴォット」だった!この演奏は胸のすくような名演で、圧倒的にさえ渡るテクニックが満員の聴衆を魅了した。独奏のアンコールにこれほど大きなブラボーも珍しい。
今日のN響のコンサートマスターには、ミュンヘン・フィルなどで活躍したロレンツ・ナステュリカ・ヘルシュコヴィッチという人が招かれていた。プロフィールによればあのチェリビダッケとも共演している。そういうヴァイオリニストがコンサートマスターを務めるブルックナーの交響曲第3番は、聞きものだと思った。私にとっての今日のお目当ては、何といってもブルックナーだった。
交響曲第3番ニ短調は、ブルックナーが作曲家として名声を博するようになってからの(それは結構な年齢に達してからのことだが) 最初の交響曲である。私はこの交響曲のCDを、ブルックナーの作品の中では最初に買った(ハイティンク指揮ウィーン・フィル)。つまりは最初にきっちり聞いた作品ということになるのだが、当時第3番の録音は多くはなく、それは何といっても第4番「ロマンチック」だけが突出して有名だったことからも当然で、そんな中での第3番は、私のとっても冒険的支出であった。
ところが今回、演奏会のチラシを見ていると、指揮者のヤルヴィがまたこの曲を最初に聞いたブルックナーとして挙げていることがわかった。私は急にコンサートに行きたくなった。かつて第5番の演奏会にも出かけたが、聞いた席が悪かったのか、ちょっと失望に終わったのを覚えている。確かに第5番は難しい曲のような気がする。それに比べれば、第3番はもう少しわかりやすい。
私の第3番のコンサートにおける経験は2年前の、ミンコフスキ指揮都響によるものである。だがこの時の演奏は(大変な名演であることはこのブログにも書いた)、原典版という珍しいものだった。晩年、自作の改定を重ねていくことで有名なブルックナーの初期の作品である第3番は、その初稿(1846年)と第3稿(1877年)とでは聞いた時の印象が随分異なる。そのことも今回の演奏の聞きどころだったのだが、結論から言うと、より完成度の高い第3稿のほうが、聞きどころがわかりやすいものの、よくまとまり過ぎているような気がして(第1楽章などは初稿版は非常に長い)、初稿版の魅力というのもまああるのかな、というものだ。どちらもそれなりに面白いということか。
さてヤルヴィのブルックナーは、その弾むようなアクセントで、ブルックナーの新たな魅力を開拓しようとししている。丁度ベートーヴェンやシューマンがそうであったように。例えば第3楽章のトリオの部分などにそのことが顕著に表れていた。主題が終わって一息つくと、さあいよいよ聞かせどころですよ、という感じである。コンサートマスターがちょっと大げさに体を揺すってみたりして、ヴィオラのセクションなどもいつもより大きな身振り。チェロは左右に揺れる。
私の聞いていた位置は今回、1階席右横のA席で、ここはホルンを除く金管楽器が直接響き、音のバランスが良くないようだ。できれば向かって左側を押さえたかったのだが、土曜日の公演は既に満席であった。ヤルヴィはチェロやコントラバスなど、低音の弦楽器を左奥に配置する。第5番の時にも書いたのだが、そのことがもしかすると音色を濁らせる結果になっているような気がする。ソヒエフで聞くN響は、きれいな音がする(通常の配置)のだが。でもこれは、聞く位置によって異なるのかも知れない。
演奏は第2楽章の後半から徐々に良くなっていった。第1楽章では細かいミスもあった金管楽器も次第に溶け合い、特に第4楽章では金管と弦の見事なハーモニーが会場を満たした。一気に進む最後のコーダ部分に至っては、まさにブックナー節が満開で、この音を死ぬまで聞いていたいとさえ思った。
かつての老指揮者なら、テンポをぐっと抑えて大時代がかった演奏をするところも、若々しく現代的に颯爽と駆け抜けてゆく。ブルックナーにおける邪道だと思っている人もいるけれど、いつまでも古いスタイルがいいとも思わないし、世界の最先端を行く指揮者となると、そういう昔のコピーではいけないわけで、聴衆と演奏家の思いに乖離があるのがいつも心苦しいのだが、次第に世代交代も進み、演奏者も聴衆も若い人が増えてくれば、そのあたりの部分もゆっくりと変わってゆく。そのゆっくりさがまた、クラシック音楽の古風なところではあるが。
そんなことを考えながら、Spotifyでいくつかの第3番の演奏を立て続けに聞いてみた。新しいネルソンズやゲルギエフの演奏や、古くはヨッフム、チェリビダッケの演奏も簡単に再生できる。そんな中で、今回のヤルヴィの演奏に似て今なおモダンな演奏は、何といってもカラヤンだった。もしかしたらこの演奏をモデルにしているかも知れない。そこにもう少し現代風のメリハリとテンポ感をくっつけている。まあ私の力では、そのようなことしか分からないし、書けないというのもまた事実なのだけれども。
今シーズンのN響はこれで終わり。来シーズンのプログラムも発表されて、行きたい演目が並んでいる。9月には早くもヤルヴィの再登場で、マーラーの第5番となっている。それからエッシェンバッハの第2番「復活」、来年6月にはナガノの第9番とマーラーが盛沢山。ヨーロッパ公演にも挙げられるブルックナーの第7番(ヤルヴィ)やシュトラウスの「英雄の生涯」(ルイージ) 、勿論ソヒエフ(10月)やスラットキン(4月)も登場し、早くも目が離せない。
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