2019年6月16日日曜日

ニコラス・ナモラーゼ(p)・リサイタル(2019年6月9日、東京文化会館小ホール)

思いがけず妻がニコラス・ナモラーゼなるピアニストのリサイタルに行きたいと言うので、小雨模様の中、東京文化会館へ出かけた。会場に着いてみると数多くの人がロビーにいる。その理由は、大ホールで二期会公演「サロメ」(リヒャルト・シュトラウス)が開かれていたからだ。「サロメ」は私も注目していたけれど、ここのところ体調がすぐれない中、たとえ1幕物とは言え、物凄い集中力を必要とするオペラを見るだけの気持ちになれないでいた。だがピアノのリサイタルであれば、もう少し気軽に足を運ぶことができる。

ナモラーゼという若いピアニストの名前など聞いたことがない。それもそのはずで本公演が日本でのデビューとなる。もっとも世界的に見ても、まだデビューして間もない新星である。プロフィールによれば1992年ジョージア生まれとある。若干27歳ということか。CUNY(ニューヨーク市立大)に在籍しており、昨年カナダのホーネンス国際コンクールに優勝、今年2月にカーネギーホールでリサイタルを開いたらしい。「桁外れの芸術家」などと各種の批評が掲載されているが、日本でのコンサートは名古屋と東京のみだ。

東京文化会館の小ホールは、正方形を45度傾けたような形をしていて、その建築は若干古めかしいもののモダンで、なかなかいい音質だと私は思った。ロビーは広く、広い窓から見える上野駅前の雑踏からはかけ離れた空間である。やがて舞台を照らす照明の中に現れた青年は、まずスクリャービンのソナタ 第9番作品68「黒ミサ」という曲を弾き始めた。タッチの確かさと、揺らぎのない音感は、とても好感が持てる。あっという間の曲だった。

続くバッハのシンフォニア第9番へ短調BWV795を、続けて弾き始めたとき、私ははっと息を飲んで、椅子に座りなおした。少し眠くなっていたからかも知れない。ところが前半の最後の曲、バッハのパルティータ 第6番ホ短調BWV830を聞いている間中、それはそれは心地よい睡魔に襲われ続けた。演奏がつまらないからではない。何とも心地よい睡眠を誘うのは、その音楽か醸し出す音の波が、絶え間なく私の脳に一種の陶酔の状態をもたらしたからだ。安定した集中力と、その中に調和する繊細で確固たる音波のゆるぎない繰り返しは、バッハの構造的で夢幻的な面を十分に表現していた。

休憩時間にコーヒーを飲むと、頭がさえ渡り、後半のプログラムへ。まずシューマンの「アラベスケ」が聞こえてくる。私はここで、ロマン派はいいな、などと思っていたのだが、この曲が私の今日のお気に入りだったと思う。続く「晩の歌」もシューマンである。バッハとシューマン、それにスクリャービンに混じって、後半のプログラムは彼自身が作曲した「アラベスク」と練習曲第1番、第2番、第3番と立て続けに演奏した。自身の作品は、どこで切れ目があるのか(ないのか)もわからないので、拍手を挟む余地もなく一気に弾き終えた。

まだ始まって1時間半しか経過していない。そこでここからはアンコールということになる。何度か出てきてはお辞儀をすると、やおらピアノの前に座り、まずは「荒城の月」をアレンジした静かな曲でスタート。その後はオール・スクリャービンであった。それらは以下の通り。練習曲嬰ハ短調(作品42-5)、同嬰ニ短調(作品8-12)、同変ホ長調(作品48-8)、同嬰ハ短調(作品2-1)、同嬰へ長調(作品42-4)。アンコールは計6曲もあった。終わって会場を出ると、サイン会に並ぶご婦人方に混じって掲示されたアンコール曲を控えた。どこか間の抜けたロビーに向かうと、大ホールの「サロメ」はすでに終了していたことに気が付いた。

ナモラーゼというこのピアニストは、音の歯切れの良さが私の相性に合っているように思った。日曜午後のひと時を過ごすには、たまにはリサイタルもいい、と思った。

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