ロシアの若手指揮者トゥガン・ソヒエフは、N響と最も相性の良い指揮者のひとりであり、もう5年も連続で指揮台に立っているらしい。私もあるときテレビで一目見て、これは良い指揮者に違いないと直感してから、もう4年連続で定期公演に通っている。手兵のトゥールーズ・キャピトル管弦楽団との公演を合わせると、もう6回目である。どの公演も、まるで初めてその曲を聞くような新鮮さに溢れ、細かい音符の隅々にまで神経を行き渡らせた音楽は、いっときも飽きることなく引き付けられ、深い感動と音楽を聞く喜びに溢れた好演であった。最近ではベルリン・フィルを始めとするメジャー・オーケストラへの客演もしばしばのようで、その躍進ぶりが納得できる。
今シーズンの客演は10月の2公演で、両公演とも魅力的であり、どちらに行こうかと迷っていたところ、サントリーホールのB公演にもチケットがあることがわかり、結局、両方とも出かけることにした。A公演の井上道義の分を含め、今月は3公演とも聞きに行く予定である。N響を聞き始めて四半世紀以上になるが、こういうことは初めてではないか。
しかもオーケストラはやはり前方で聞くに限る。NHKホールの場合、これがなかなかむつかしく、両翼はやはり音が悪いし、正面になると奥まって来る。唯一、1階正面がいいとは思うが、ここは傾斜が緩く、幅も狭いので少し窮屈である。来年度にはNHKホールの改装が予定されているから、少し改善するならいいのだが(この間の定期公演A,Cプログラムは、東京芸術劇場で行われるようだ)。
さて、台風19号が猛威を振るって東日本を駆け抜け、大きな被害を出してから1週間が経過した。さすがに10月ともなると少し秋めいては来たが、まだどこか天候が不順である。天候が定まらない雨季と乾季の入れ替わる時期に、なぜかチャイコフスキーの音楽がよく取り上げられる。悲愴交響曲などは6月によく聞いたものだった。今回のソヒエフによるロシア・プログラムでは、第4番の交響曲が取り上げられた。この曲は、チャイコフスキーが作曲した7曲の交響曲の中では、比較的良く取り上げられる方だと思う。その内容は、抒情的な第1楽章と第2楽章、ピチカートと管楽器のみによる第3楽章、そして爆発的な第4楽章と言った風に特徴があり、親しみやすい側面がある。だが私は、何かチャイコフスキーの不安定な情緒が反映している感じがして、あまり好きになれない。CDで通して聞くことなどほとんどない。
実演なら、とは思ったが、実はコンサートでもほとんど初めてである(一度、アマチュアのオーケストラで聞いている)。そして、2管編成のオーケストラから出てくる音楽もどことなくくすんでおり、チャイコフスキーの他の色彩的な音楽(例えば「白鳥の湖」は私が最も好きな作品だ)に比べると、どうしても見劣りがしてしまう。そういった面をはねのけ、ソヒエフがどうこの曲を料理してくれるか、そこがポイントである。
ソヒエフによるチャイコフスキーの交響曲第4番の印象は、曲のどうしようもない不安定さを克服し、非常に明快でしかも聞きどころを押さえた演奏だったということだ。演奏の観点では、これ以上の巧さを望むのは難しいと思う反面、そのことが曲の持つ味わいの浅さを露呈したような気がする。そしてNHKホールの音響空間的限界もまた、その結論に貢献してしまっている。もっとも大きなブラボーが沸き起こったのが3階席であることが、もしかしたらこのことを示している。これらの安い席では、最初から音の悪さ覚悟して聞いているからだ。
ソヒエフの指揮するN響のアンサンブルについては、もう何も言うことはないであろう。冒頭の金管楽器のハーモニーも無難にこなし、時折覗かせるオーボエやファゴット、あるいはフルートの印象的なフレーズにもあっけにとられる。指揮にメリハリがあって、特に終楽章のコーダなどは、技ありの圧倒的な迫力だった。
多くの人がより感銘を受けたと語るチャイコフスキーの第4番だが、私はむしろ前半のラフマニノフにより感銘を受けた。ピアノにアメリカ生まれのニコラ・アンゲリッシュを迎えての「パガニーニの主題による狂詩曲」である。この曲をこれほどにまで味わったことはなかった。第18演奏の甘美なカンタービレが突出して印象的なこの曲は、1934年、ストコフスキーが指揮するフィラデルフィア管弦楽団によって初演されている。
アンゲリッシュというピアニストを聞くのは初めてだったが、聞いた最初の印象は、ピアノの音がとても大きくてはっきりと聞こえるということ。もしかしたら聞いた位置によるからではないかとも思うが、まずとても音がよく届き、オーケストラとうまく合わさっている。そしてオーケストラのリズムと溶け合って、ロシア的でありながらしばしば都会的な雰囲気を持つラフマニノフの面白さが味わえたことだ。もしかしたら少し物足りないと感じた人もいるだろうか。70パーセントくらいの力でこの曲を弾いていたのかも知れないし、まあ素人が変な詮索をするのは良くないことだ。ただ私はそういう演奏にも関わらず、私は非常にこの曲を楽しみ、そして感動した。
ソヒエフの指揮するオーケストラの、時に深く立ち止まって目いっぱい静かに奏でるメロディーに、私は深くため息をついた。そこにピアノもうまく合わされていたのかも知れない。どの変奏も味わい深く、このな部分もあったのかなあという発見に満ちていた。もちろん第18演奏も。待ってましたと固唾を飲む聴衆に、しっとりと甘いメロディーが押し寄せてくる。意外にあっさりとした演奏には、よりロマンチックなものを期待する人もいたとは思う。アンゲリッシュはまだ50歳にも達していないとは思われないような老練な足取りで何度も現れ、ショパンのマズルカからの1曲をアンコールした。
ソヒエフの音作りが冴える演奏会。冒頭のバラキレフによる「イスメライ」(リャブノーフ編)という10分足らずの曲については、私は初めて触れる曲だったのでよくわからないのだが、ラフマニノフの音楽に酔い、チャイコフスキーの演奏に納得した今日のコンサートだった。
来週はBプログラムをサントリーホールに聞きに行く。私にとってはこちらが本命で、大好きなビゼーの交響曲ハ長調や、ソヒエフの精緻な音色がこだまするドビュッシー、それに生誕150周年のベルリオーズの作品が取り上げられる。路面の濡れた公園通りを下って渋谷へと向かう。いつもの雑踏の中に緑のシャツを着た外国人が多いのは、ラグビー・ワールドカップの準々決勝(アイルランド対ニュージーランド戦)が行われているからだ。
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