しかしCDのジャケットには、「弦楽セレナーデ」の方はWiener Philharmonikerと書かれているが、「管楽セレナーデ」の方には楽団員の名前がずらりと書き記されている。ウィーン・フィルのホームページなどを手掛かりに、これらのメンバーの楽器を調べて行くと、若干二人の弦楽器奏者が混じっていることがわかった。チェロとコントラバスである。だからこれは「管楽器主体のセレナーデ」ということになる。
指揮者、チョン・ミュンフンはこのような小さい編成でも指揮していることになってはいるが、実際にウィーン・フィルの奏者ともなると指揮者などいなくても、素晴らしいアンサンブルを聞かせることは明々白々である。しかもウィーン・フィルが用いる管楽器は、少し古いものが多く、独特の色合いを醸し出す。私はカール・ベームの指揮するウィーン・フィルの、モーツァルトの協奏交響曲などを聞いた時、何とこれらの音楽が微妙な色合いを見せ、雲の合間に見え隠れする11月の空のように、明るくなったり陰ったりするのを目の当たりにして、その音色の虜になった。ここでのウィーン・フィルの演奏は、まさにその管楽器の独断場である。
【演奏者】オーボエ:Martin Gabriel, Alexander Öhlbergerクラリネット:Peter Schmidl, Andreas Wieserファゴット: Štěpán Turnovský, Wolfgang Koblitz, Fritz Faltlホルン:Ronald Janezic, Thomas Jöbstl, Wolfgang Vladarチェロ:Wolfgang Herzerコントラバス:Herbert Mayr
4楽章から成る20分余りの曲には、無駄が感じられない。おそらくこれだけの小編成で奏でられる音楽としては、ほとんど完璧なものだと思う。第1楽章の葬送行進曲は、「弦楽セレナーデ」と同様に終楽章で回帰するが、このやや暗い音楽は一度聞いたら忘れられない不思議なものである。
第2楽章はメヌエットで、民族的な曲調である。そのスラブ的雰囲気は第3楽章にも引き継がれる。この全体の白眉とも言うべき楽章は、各楽器の絶妙なテクニックとバランス、その重なり合いが堪能できる。自由な時間はたっぷりあるのに、いつも心は哀しく不安だった青春時代を思い出すようなメロディーであり、しみじみと心に響いてくる。コントラバスのピチカートが見え隠れ、チェロが静かに裏で管楽器を支えている。やはりドヴォルジャークは秋が似合う。
終楽章になると快活なリズムが曲を華やかに盛り上げるが、中間部で見せる哀愁に満ちたメロディーがアクセントとなって冒頭の主題が回想される。全体にまろやかな演奏も、最後のフィナーレでは快速に飛ばしてフレッシュな演奏が終わる。それもどこか青春の一面を覗くようである。
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