2021年3月7日日曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(11)ニコラウス・アーノンクール(2001, 2003)

元日に行われる「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート」はあくまで「ウィーン・フィルの」コンサートであって、「カラヤンのニューイヤーコンサート」とか「クライバーのニューイヤーコンサート」というのではない。つまり主役は指揮者ではなく、あくまでウィーン・フィルということである。ウィーン・フィルは年に一度、少し格下に見られているシュトラウス一家を中心としたウィンナ・ワルツやポルカの演奏会を、豪華なゲスト指揮者とともに開催するというのが、このコンサートの伝統である。

「ウィーンはいつもウィーン」という行進曲があるが、ウィンナ・ワルツもまた誰が指揮したところで、決して変わらない部分があって、それに少しだけ指揮者によるアレンジが施される。音楽だけでなく、プログラムや雰囲気、聴衆も含めて、長い年月を続けてきた慣習があって、極めて自由度の低い中で催されるちょっとした違いを楽しむのが、まあ面白いというか興味深い。そんなものでありながら堅苦しくないのは、音楽が愉悦に満ち、誰がどう演奏しようと浮き立つようなメロディーに、幸福感が満たされてゆくからだろう。

ウィーン・フィルが21世紀最初のニューイヤーコンサートの指揮者に選んだのは、古楽復興の祖とも言うべきニコラウス・アーノンクールだった。当時71歳。アーノンクールはオーストリアの貴族の血を引き、ウィーンで学んだあとウィーン交響楽団のチェロ奏者も務めている。ヨハン・シュトラウスの演奏や録音も多く、ウィーン・フィルの公演にも数多く出演している。そういう意味から、このコンサートへの抜擢は、むしろ遅すぎたくらいであるとも言えなくはない。

しかしアーノンクールがニューイヤーの指揮台に立つことへの期待感の大きさは、あのカラヤンやクライバーに匹敵するほどで、久々に新しい指揮者の登場となることも相まって、年末から待ち遠しいほどであった。あれからもう20年の歳月が流れたが、その時の感覚は今でも忘れ難い。

アーノンクールがオリジナル楽器による復興を目指し、地道に活動を続けていたのは60年代にまでさかのぼるが、当然のことながらその音楽が理解されるまでには、長い時間を要した。80年代に入り、音楽の演奏が行き詰まりが顕著になり始めた頃、長年活動を続けて来た古楽奏者に活路が見いだされた。クラシック音楽の演奏は、伝統を打ち破って新しい時代に入ってゆく。そしてその流れが主流にまで及んだ時、アーノンクールはウィーン・フィルとの刺激的なコンサートを持つようになる。その考えが聴衆にまで支持されるのは、さらに長い歳月が必要だった。

アーノンクールがヨハン・シュトラウスのワルツやポルカを演奏するようになったのは、ウィーンの保守的な観衆にまで彼の音楽が浸透した結果であった。そしてついに、ワルツ演奏の最高峰へと登りつめたと言って良い。そんなことを考えながら、私のような単にエンターテインメントの視点しか持たない者でも、一体どんなコンサートになるのだろうかと期待が膨らんだ。

2001年はヨーゼフ・ランナーの生誕200周年の年だった。ランナーは「ワルツの始祖」と呼ばれており、その活躍はシュトラウス(父)の頃である。従って、くしくもアーノンクールの登場した年は、ワルツの原点に視野が及ぶことになる。原典主義のアーノンクールともなれば、そのプログラムも工夫が凝らされた。演目の最初は、何と「ラデツキー行進曲」の原典版だった。

毎年プログラムの最後に演奏されるヨハン・シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」が、いつもとはいささか違う音符が混じった形で演奏された。もちろん最後にはいつもの「ラデツキー行進曲」が演奏されたから、この年のコンサートは「ラデツキー行進曲」で始まり「ラデツキー行進曲」で終わることになった。そしてランナーの曲は、冒頭の「ラデツキー行進曲」に続く2曲(ワルツ「シェーンブルンの人々」とギャロップ「狩人の喜び」)、及び後半の「シュタイヤーの踊り」の計3曲だった。

アーノンクールの演奏は、彼を批判する人がしばしば口にするものだった。すなわち流れが悪く、意外にあっさりと進む部分があるかと思えば、奇妙に変化するリズムがあり、通常は聞こえない楽器が強調されたりする。音楽はいわば破壊され、幸福感は望めず、下品でさえある・・・云々。だがこれはもう確信犯であって、これを聞き続けているうちに、こういう演奏もまああるのか、という考えに変わり、そしてついには、この緊張と裏切りが快感にさえなってゆく。かくしてシュトラウスのワルツもまた、アーノンクール流に刺激的に料理され、聞く者を渦に巻いてゆく・・・と信じていたものにとっては、やや拍子抜けするものだった。

「オーストリアの村つばめ」で見せるぎこちない小鳥たちも、郊外や都会に引っ越してきたわけではなく、村にいて歌っている。「観光列車」は脱線することなく時刻表通りに運行されている。アーノンクールならもう少し、流れを堰き止めたり、警笛を思いっきり鳴らしてもいいのに、と思うようなところがある。ウィーンの・フィルを相手にして、やはりここはアーノンクール節も影を潜めざるを得なかったのだろうか。

喜歌劇「ヴェニスの一夜」序曲では「ベルリン版」とのことで、どこがどう違うのかまではわからないが、期待通りの演奏だった。また、時にしか演奏されないワルツ「もろびと手を取り」も、あのテレビ中継に挟まれる華麗なバレエが目に浮かぶような名演だった。だが総合的に見れば、指揮者にもオーケストラにもやや硬さが見られ、アーノンクール本来の演奏の面白さが十分に伝わったような気がしない。だから、なのだろうか、彼は2年後の2003年に再び登場する。この2003年の演奏については個人的な思いがあり、私にとっては唯一無二のコンサートであった。

2002年の春に重病患者となった私は、このままでは余命2年などと指摘された。原因不明の難病は私を歩けないまでにさせ、夏には入院。秋からは本格的な治療が始まった。成功確率も低いこの治療を、やっとのことで切り抜け、何とか退院できたのは11月も終わりころ。コロナ禍の今と同様、あらゆる感染症対策を十二分にしたうえで、風邪などを引くことは命取りになるという中、私は毎日ベッドの上でひたすら時間が過ぎるのを待つ日々。これはあと1年続くことになる。

2003年のお正月を、とにもかくにも迎えることができたのはあらゆる人々と神様のおかげだった。このお正月を、私は狭い賃貸住宅の暗い部屋で迎え、寒さの中、辛うじて食べられるお雑煮を楽しんだ。夜の7時になって、「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世危機脱出祝賀行進曲」が聞こえてきたときには、涙があふれた。指揮者はアーノンクール。2001年の時よりも打ち解け、オーケストラにも自信と余裕が感じられた。

続く「宝のワルツ」では「ジプシー男爵」からのメロディーがふんだんに取り入れられ、これはアーノンクールの良さが出た名演。そして楽しいロシア風の「ニコ・ポルカ」へと続く。カラヤン以来久しぶりに「うわごと」が聞けるのも嬉しい。ヨーゼフ・シュトラウスによるこのワルツは、私の最も好きなものの一つである。アーノンクールの演奏では、一部主題が繰り返され、他の演奏とは少し違う。

この夢見るようなコンサートで私を圧倒的に感銘させたのは、「皇帝円舞曲」だった。演奏もさることながらここで挿入されたビデオ映像は、あのシェーンブルン宮殿の庭園を余すところなく撮影したもので、その美しさと言ったら!最後のシーンでは空撮した庭園の画像が空高く舞い上がり、そこからウィーン郊外の森の風景が広がる。私はお酒も飲んでいないのに、そのあまりに美しい映像に見入った。こんなに美しい映像は見たことがない。そして「美しく青きドナウ」ではドナウ川を行く遊覧船の外輪に合わせて、あの有名なメロディーが回転する。そうか、このメロディーは、そうだったのか、と思った。このあと汽船は、紅葉したドナウ川をゆっくりと航行し、沿岸の赤く染まった教会などを映し出す。

この2つの感銘深い映像を、再び見てみたいと思った私は、3月頃になって発売されたDVDを買うことになった。そして嬉しいことにその中には、テレビで見たのと同じものが収録されていた。私をくぎ付けにし、まさに生きていることを実感した美しいシェーンブルン宮殿には、20歳の頃に出かけている。夏だったか色とりどりの花が植えられ、宮殿から長い時間をかけて庭園を進み、一番高いところに上ってゆく頃には雨もあがり、遠くの山々がきれいに見渡せた。

一時はもう外にでることさえできないと思われたが、春には徐々に外出をしはじめ、夏には微熱も下がり、秋になると急に元気になった。それから仕事ができるようになるには、さらに1年を要した。ウィンナ・ワルツは、こういう私を慰め、そして気持ちを明るくさせた。そう、再発するまでは。

2003年のアーノンクールによるニューイヤーコンサートには、このほか「うわごと」や「舞踏への勧誘」(ウェーバー作曲、ベルリオーズ編曲)も収録されている。そして何とブラームスのハンガリー舞曲まで。そうかと思うと「中国人のギャロップ」などもあって、全部で20曲は最高記録。まるで「ごちゃまぜ」(前半の最後に演奏されたポルカ)である。

【収録曲(2001年)】
1. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228(原典版)
2. ランナー:ワルツ「シェーンブルンの人々」作品200
3. ランナー:ギャロップ「狩人の喜び」作品82
4. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「朝の新聞」作品279
5. ヨハン・シュトラウス2世:電磁気のポルカ 作品110
6. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「起電盤」作品297
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ヴェニスの一夜」序曲(ベルリン版)
8. ヨーゼフ・シュトラウス:「道化師のポルカ」作品48
9. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164
10. ランナー:レントラー「シュタイヤーの踊り」作品165
11. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「観光列車」作品281
12. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「もろびと手をとり」作品443
13. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「いたずらな妖精」作品226
14. ヨハン・シュトラウス2世:「ルシファー・ポルカ」作品266
15. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「憂いもなく」作品271
16. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
17. ヨハン・シュトラウス1世:ラデツキー行進曲 作品228

【収録曲(2003年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世危機脱出祝典行進曲」作品126
2. ヨハン・シュトラウス2世:「宝のワルツ」作品418
3. ヨハン・シュトラウス2世:「ニコ・ポルカ」作品228
4. ヨハン・シュトラウス2世:「冗談ポルカ」作品72
5. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「うわごと」作品212
6. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「ごちゃまぜ」作品161
7. ウェーバー(ベルリオーズ編):「舞踏への勧誘」作品65
8. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・フランセーズ「セクンデン(2度のポルカ)」作品258
9. ヨハン・シュトラウス2世:「ヘレーネ・ポルカ」作品203
10. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
11. ヨハン・シュトラウス2世:「農夫のポルカ」作品276
12. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「女性賛美」作品315
13. ヨハン・シュトラウス1世:「中国風ギャロップ」作品20
14. ブラームス:「ハンガリー舞曲」第5番ト短調
15. ブラームス:「ハンガリー舞曲」第6番変ロ長調
16. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「戴冠式の歌」作品184
17. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「うわ気心」作品319
18. ヨハン・シュトラウス2世:「狂乱のポルカ」作品260
19. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
20. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

0 件のコメント:

コメントを投稿

ラフマニノフ:交響曲第2番ロ短調作品27(ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団)

昨年のラフマニノフ・イヤーに因んで、交響曲第2番を取り上げようと思っていたのに忘れていた。季節はもう4月。寒かった冬は一気に過ぎ去り、今ではもう初夏の陽気である。チャイコフスキーとはまた別の哀愁を帯びたロシアのメロディーは、やはり秋から冬にかけて聞くのがいい、と昔から思ってきた。...