2021年3月14日日曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(12)小澤征爾(2002)

2002年のニューイヤーコンサートをどう評価したらいいのだろうか?我が国のクラシック界を代表する指揮者「セカイのオザワ」が、とうとうウィーンの晴れ舞台に登場するというので、日本人としてはこれほど誇らしく、またハラハラするイベントはなかった。小澤征爾が誉れ高い新年のコンサート指揮者に選ばれたのは、その年からウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することが決まっていたからだ。これはご祝儀のコンサートということになる。

しかし国立歌劇場の音楽監督になったからと言って、ウィンナ・ワルツを主体とするニューイヤーコンサートの指揮に相応しいかと言えば、そう簡単な話ではなく、例えば2020年から音楽監督の座にあるフィリップ・ジョルダンは、まだ一度もこのコンサートを指揮していない。小澤自身もウィーン・フィルにたびたび登場しているとはいえ、ウィーンに留学していたわけでもなく、特にワルツに長けた指揮者ではないし、有名なレコード録音があるわけでもない。

ニューイヤーコンサートの会場に日本人の姿が目立つのはテレビ放送を見ているとよくわかるし、ウィーン・フィルの楽団員には日本人と結婚した奏者も多いことは良く知られている。ウィーンの街を歩けば日本人観光客がたむろしている光景を見かけないことはない。そういうわけで、これは日本とオーストリアの友好を記念して特別な関係により実現したのか、あるいは少し穿った見方をすれば、日本の経済力を期待した、したたかな戦略なのかも知れない。事実、このコンサートを記録したCDやDVDは売れに売れたようだ。

小澤の音楽の特徴は、一旦音楽を解体して彼流の枠の中で組み立てなおし、集中力を持って表現することである。楽譜に書かれていることと、それ以外のことを分類する必要も出てくる。その時に問題になるのは、慣例にとらわれない表現が、西洋の文化の新たな一面に光を当てるという側面と、伝統や常識をないがしろにした無謀な表現に帰着するという側面である。この相反する評価は表裏一体である。

ウィンナ・ワルツという、いわば伝統の上にも伝統を塗り重ねたような演奏会に、小澤は相当な覚悟で挑んだに違いない。音楽は国境を超える言語であるとはいえ、地域性と保守性の権化とも言えるようなウィーンの音楽文化の中心に、微妙に抵触する可能性があった。たとえそれが打ち解けた音楽であろうとも。そういうわけで、同じ日本人として、この日は相当気を揉んだ。本当に大丈夫だろうか、と。

テレビ映像に映し出された元旦の学友協会大ホールは、いつものように色とりどりの花が溢れんばかりに飾られ、輝くシャンデリアもいつになく眩しかった。この日から流通する通貨、ユーロのマークが舞台の上部にに据えられていた。普段通りに笑顔で登場する我がセイジ・オザワは、とてもリラックスした表情で冒頭の行進曲「乾杯!」を、しかし慎重に指揮した。若い頃は肩に力が入り過ぎていると言われた指揮姿も、「パントマイムのようだ」と評されるくらいに自然なものだった。

ビデオで見る小澤の指揮とウィーン・フィルの演奏は、大変好ましいものに見える。会場に詰め掛けた家族も映し出す。クラシック・コンサートのビデオを長年手掛けてきたブライアン・ラージというディレクターの秀逸なスイッチング効果もあり、大変見ごたえがある。ワルツ「水彩画」、そして意外なことに「ウィーン気質」が名演である。

小澤の功績は、なぜか近年徐々に遅くなっていたワルツやポルカの音楽を従来の速さに戻したことだろうと言えば、批判されるだろうか?たとえばポルカ「とんぼ」の適切なテンポは見事である。またポルカ・シュネルで見せるスポーティーな速さは、彼自らが運転する自動車に乗っているような感覚である。これは映像で見ることによってより伝わる。つまり小澤の音楽は、いつもそうであるように、一定の集中力を持って見た場合には、なかなか考えられた表現だと得心する。

このコンサートを見ていて、やはり小澤には小澤流の演奏と言うのがあって、ちゃんとウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの流れの上に、確かな魅力を付け加えているように思った。そして最も成功しているのが、ヘルメスベルガーの「悪魔の踊り」であることは言うまでもない。このような、まるでバレエ音楽の戦闘シーンのような何の変哲もない曲を選んでプログラムに含めるのは、指揮者の特性を熟知した憎らしい演出である。小澤の指揮の良さが最大値となるような曲である。

ところが、CDで聞くこのコンサートは何故かあまり印象が良くない。特に、初期に発売された1枚の抜粋盤では、何と「こうもり」序曲から始まり、そして「芸術家の生涯」になる。ポルカの何曲かと「常動曲」までもが省略されているのに、あの長い新年の挨拶が収録されていたりする。小澤の音楽も何かとても矮小なものになってしまい、ちょっと楽しめないのだ。これは翌年のアーノンクールや後年のプレートルにも言えたような気がする。思えば、2000年代に入ってからのニューイヤーコンサートは、いっそう映像中心のコンサートになっていったような気がするのは、私だけだろうか。

映像と言えば、毎年テレビ中継で流れるオーストリア放送協会が制作するビデオ映像も実に楽しめる。凝ったバレエ演出は、場所を変えて見ごたえ十分である分、その時の演奏が映らないという不満もある。しかしこのコンサートを収録したDVDには、この別映像は特典メニューにまとめられている。従って購入者は、テレビで見た別テイクの映像と演奏だけでなく、コンサートで演奏された実際のものも見ることができる。これは大変良心的で嬉しいことだ。特典映像に含まれた「常動曲」の際の映像は、何とユーロ貨幣の造幣シーンだった。この様子が音楽に実に合っていて、私はまだ幼かった子供と何度も見て楽しんだ。

日本人には特別なものとなった2002年のニューイヤーコンサートは、これはこれでユニークな成功を収めたと言えるだろう。国立歌劇場の音楽監督に就任した小澤征爾は、その後健康を害してウィーンを去らなくてはならなくなる。コンサートには何度か復帰したものの、その後さらなる闘病で演奏会はしばしば中止された。同じ時期をやはり闘病で過ごした私の、最初の苦悩の年となったのは、奇しくも2002年だった。だから私はこのコンサートのDVDを手元に置いて、再び健康の戻る日が来ることを祈る日々だった。小澤ももし健康を害していなければ、再度、ニューイヤーコンサートの指揮台に登場する姿を見ることができたかも知れない。

 

【収録曲】
1. ヨハン・シュトラウス2世:行進曲「乾杯!」作品456
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「カーニバルの使者」作品270
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「おしゃべり女」作品144
4. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「芸術家の生活」作品316
5. ヨハン・シュトラウス1世:ポルカ「アンネン・ポルカ」作品137
6. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「前進」作品127
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
8. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「手に手をとって」作品215
9. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「水彩画」作品258
10. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「とんぼ」作品204
11. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「おしゃべりな可愛いお口」作品245
12. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257
13. ヘルメスベルガー:「悪魔の踊り」
14. ヨハン・シュトラウス2世:「エリーゼ・ポルカ」作品151
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーン気質」作品354
16. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「チク・タク・ポルカ」作品365
17. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「大急ぎで」作品230
18. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
19. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団[ハース版])

ブルックナーの交響曲第7番は、第4番「ロマンチック」の次に親しみやすい曲だと言われる。これはたしかにそう思うところがあって、私も第4番の次に親しんだのが第7番だった。その理由には2つあるように思う。ひとつはブルックナー自身が「ワーグナーへの葬送音楽」と語った第2楽章の素晴らしさで...