2021年10月3日日曜日

エネスク:「2つのルーマニア狂詩曲」作品10(アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団)

中学生の頃、ルーマニアに行ってみたいと思っていた。何故かはわからない。もしかすると「ラジオの製作」という今は無くなってしまった雑誌の表紙か何かに、東欧のどこかの国の広場の風景が載っていて、その石畳の広場では民族衣装をまとったグループがダンスを踊っている。そんな風景に憧れたのだろうと思う。なぜラジオに興味を持つ中高生向け技術雑誌の表紙に、そんな写真が掲載されていたのかはよくわからない。だが当時、短波放送を聞くといった趣味が流行していて、私もその影響を受けたのだが、異国の放送を聞くことはその国の文化に触れることにもなるわけで、ここに技術的な追及が諸外国への関心とが結びつく。

ある日の早朝だったか。ルーマニア国営放送の海外向け放送を聞いたのはそんな頃で、当時はチャウシェスクによる独裁国家だったのだが、なかなか受信が困難なその放送を聞いた時の喜びは計り知れないものだった。雑音にまみれた不明な言語で放送されていたその放送が、確かにルーマニアの放送であることを確信したのは、その放送開始の音楽にエネスクの「ルーマニア狂詩曲第1番」のフレーズが使われていたからである。このルーマニアを代表する作曲家の作品の中で、ひときわ有名な曲だったが、今のようにオンライン配信サイトで気軽に聞くことなどできなかった時代、これがどんな音楽かを知るには多くの困難が伴った。けれどもこの音楽は、確かに「ルーマニア狂詩曲」であることを確信した。

もっとも「ルーマニア狂詩曲」の全曲を聞いたのは最近になってからのことである。「ルーマニア狂詩曲」は第1番と第2番の2曲からなる作品だが、第2番は地味であまり演奏されないことに比べ第1番の録音は多い。それは曲の親しみやすさにあると思う。兎に角全曲舞曲風のリズムが弾け、聞いていて楽しいことこの上ないのである。しかし弦楽器のメロディーが印象的な第2番も味わい深い作品であるように思う。この2つの曲は対照的で、エネスクは2つで1つの作品としていることからも、ルーマニアの2つの側面を様々に表現したからだろうか。想像するに民族舞踊に代表される文化的側面と伸びやかで美しい自然、といった感じだろうか。あくまで勝手な想像に過ぎないのだが。

「ドナウ河紀行」(加藤雅彦著、岩波新書)は、ドナウ川が起源を発する南ドイツから黒海に至るまでの東欧各国について、その歴史や文化を美しい文章で綴った名著である。この本を読みながら、ウィーン以外は行ったことのないドナウ川の河流に思いを馳せた。この中に当然、ルーマニアの章もある。それによれば、ルーマニアはローマが支配した間にラテン化されたダキア人の国だったとのことである。だが、ルーマニアを巡る諸民族の興亡は、この国に多彩なものをもたらす。例えば、ドナウ川に面していないトランシルヴァニア地方は、ハプスブルク家の領土だったこともあり、ドイツ風の街並みが見られるとのことだ。そしてその役割を果たしたのがハンガリー帝国だったと聞くに及び、この地域の入り乱れた文化的背景は、隣国のユーゴスラヴィアなどどともにまさに民族のモザイクとも言うべき歴史を持っている。

私が有名な第1番を聞いた時の演奏は、ハンガリー人アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団だった。Mercuryの古いにも関わらずヴィヴィッドな録音は、音符の隅々にまで各楽器がきっちりと音色を響かせるさまと沸き立つようなリズムを明確に捉えており、今聞いても興奮する。けでどもこのディスクは、どういうわけか第1番と第2番が別々に収録され発売されている。第1番の方はリストの「ハンガリー狂詩曲」などと一緒に収録されていた。一方、第2番の方はブラームスの「ハンガリー舞曲」。この「ハンガリー狂詩曲」と「ハンガリー舞曲」の演奏は大変有名で素晴らしく、今もってこの曲の代表的な録音なのだが、エネスクの方は何か付け足し、レコードの余白を埋めるための小ピースという扱いを受けていた。

Spotifyの時代になって、うまく検索すればこの2つの曲を別々に聞くことができる。さらにはストコフスキーやロジェストヴェンスキーといった指揮者による名演奏にも触れることができる。Enescuと検索すれば、もっと珍しい他の作品や、彼自身が指揮した古い録音などもあって興味が尽きない。

長く続いた緊急事態宣言が解除され、大雨をもたらした台風一過の晴天が本格的な秋の訪れを感じさせる朝になった。私はひさしぶりに音楽が聞きたくなり、「ルーマニア狂詩曲」を聞いてみたくなった。第1番の冒頭は、クラリネットとオーボエなどが掛け合ってメロディーの一節を歌う。これらが噛み合ってやがてひとつの流れになると舞踊風の曲が弦楽器で流れてくる。スメタナの「モルダウ」などを思い出させるが、こちらはもっと明るい。そういえばルーマニアはローマの流れを組むラテン人の国だと思いだす。音楽は常に早く、ジプシー風の舞踊曲が次から次へと流れて行くので聞いている方はウキウキする。このような曲を集めたポピュラー・コンサートもかつては結構開かれていたように思うが、最近ではほとんど見かけなくなった。一度実演で聞いてみたいと思う。

第2番は打って変わって、弦楽器のアンサンブルが懐かしいメロディーを奏でる序奏部にまず憑かれる。ただ底流を流れる明るさは第1番と共通した傾向だ。オーボエのソロが終始印象的で、これは夜のシーンで多用されるような感じだが、やがて大きく、明るくなると、どこか大自然を感じるような気分になるのは私だけだろうか。終結部でもまた、妖精が出てくるような静かなシーンが心地よい余韻を残す。

このブログでは最初、有名な第1番のみを取り上げようと思っていた。第2番は聞いたことがなかったからだ。だが検索の仕業により第2番を間違って聞いたことから、この曲との出会いが始まった。そしてこの第2番は第1番とは異なったムードでありながら、やはり明るく高らかにルーマニアの魅力を伝えているように思われた。目立たないが、それなりに演奏されているエネスクの代表作は、また音楽以外の面でもあまり知る事のできないかの国への関心を掻き立ててくれる。丁度中学生の私がラジオ雑誌の表紙でイメージを膨らませたように。

あれから40年以上が経過したが、今ではEUの一員にもなったルーマニアにも、やはり一度は出かけてみたいと思っている。

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