会場で売られていたプログラム(内容の割に1000円と高い。だが価格は昔と変わらない。これは何とかしてもらいたい)には、これまでのすべての招聘アーティストが記載されていた。私は第2回のコーロディ指揮ブダペスト・フィルと、第3回の小林研一郎指揮アムステルダム・フィルの演奏会にも出かけている。当時まだ高校生だった私にもチケットが買える海外からのオーケストラ・コンサートとして、大変貴重な存在だった。
そのコンサートが未だに続いていて、先日も社長が辞任したばかりの東芝が、このコンサートをいつまで続けてくれるのかわからないが、今年のプログラムは大変魅力的に思われた。まずオーケストラがスペイン国立管弦楽団(指揮はダービッド・アフカム)、と来ればプログラムはスペイン物が中心となり、その中に「アランフェス協奏曲」が含まれるのは当然のことである。このギター・ソリストが村治佳織である。一方、もう片方のプログラムには、昨年ショパン・コンクールで見事に第2位に輝いた反田恭平が凱旋公演を行うというもの。私は日程の都合から、日曜日にサントリーホールで行われる村治佳織の方を選んで、妻の分と2枚のチケットを買った。実は私にとって村治は、是非とも一度は聞いてみたい音楽家だったからだ。
東京・台東区生まれの彼女はまだ10代の頃から世界的に活躍し、東京でも数多くのリサイタルを行っているから、これまでに聞く機会がなかったのが不思議である。彼女がナヴィゲータを務めるFM番組は私も良く聞いていたし、CDでも数多く触れてきた。しかし2010年代に入って、彼女は大きな病気を患っていることを告白し、長い闘病生活に入った。これは私のとってもショックだった。丁度私も同じような闘病をしてきたから、他人ごとではないと思ったからだ。
その彼女が見事に復活し、再びCDや演奏会で演奏を披露することができるようになった時、私は大変嬉しく思ったのである。ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」というのも実演で聞いたことはないし、何せギターという楽器のコンサート自体、私にはこれまで縁がなかった。そういうわけで私が選んだプログラムに大いに心待ちにしていたのは、当然のことだった。
ところがアクシデントが発生した。折からのコロナ禍でスペイン国立管弦楽団の来日が中止になったのである。私の家にも郵便が送られてきたのは1月頃だった。他にも数多くのコンサートが中止を余儀なくされるような中にあって、もはやショックというよりは諦めに近い感覚が私を襲った。だが、よく読んでみると主催者がとった行動は大変喜ばしいものだった。何と2つのプログラムが融合し、2人のソリストによるそれぞれの協奏曲が、同じ舞台で聞けるというものだったのだ。もちろん希望すれば払戻しにも応じると書いてある。そして案内のよれば、冒頭にロドリーゴの「アランフェス協奏曲」(独奏:村治佳織)、後半にショパンのピアノ協奏曲第1番(独奏:反田恭平)、さらにはその間にメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」が演奏される、とある。意外にもずべての曲が、私にとっては初めて実演に接する曲である。
オーケストラは反田が主宰する「ジャパン・ナショナル・オーケストラ」なる団体を特別編成したものとなっている。指揮はイタリア人のガエタノ・デスピノーザ。これだけ盛沢山のプログラムとあっては、チケットをそのまま保持し、会場に駆け付けた人は大変多く、私にとってはコロナ禍にあって初めての満員の演奏会になった。会場に女性の姿が多い。東京マラソンが2年ぶりに開催された快晴の東京で、待ち遠しい春を感じるコンサートに、私はウキウキしながら足を運んだ。
村治佳織は赤いドレスに身をまとい、指揮台左手に備えられた椅子に腰かける。その前にはマイクがセットされており、指揮台の前にはスピーカーが。ギターという楽器の性質上、どうしても音量にバランスを欠く本作品において、独奏楽器の音量を補正することは半ば当然の措置であるようには思われた。
ギター独奏で静かに始まる序奏とオーケストラによる主題は、いつもながらこれから遠足に出かけるときのようなウキウキした気持ちにさせられる。村治は慣れた手つきで弾く。木管楽器を始めとしてオーケストラもなかなかうまく、若い演奏家が中心のこの団体の実力を感じさせる。第2楽章のコーダ部分が、染み入るように消えて行くと、おもむろに開始された第3楽章は再び心地よいリズムのロンドとなる。拍手に応えて彼女は、モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」という曲をアンコール演奏して客席に応えた。
メンデルスゾーンの「イタリア交響曲」は演奏の難しい作品ではないだろうか?本来はドイツ音楽ながら、イタリア風の流れるようなメロディーが主流を占める。この両者のバランスがどちらに偏ることなく両立する演奏を、私はアバドのもの以外に知らない。デスピノーザの演奏も悪くは決してないのだが、どことなく全体に力が入っていて、饒舌すぎるのか何なのかわからないまま曲が終わってしまった。先日聞いた井上道義を思い出す。どことなく似ているような気がする。
休憩に入った時点で1時間以上が経過し、後半はショパンのピアノ協奏曲のために舞台上にピアノが運ばれてきた。反田恭平が登場すると客席からひときわ大きな拍手が起こった。私も本来聞けないはずだった彼の登場に喜び、初めて聞くショパンの協奏曲に耳を傾けた。何度聞いてもこの曲は、胸が締め付けられるような青春の音楽で、紅茶とケーキの香りがする「ザ・クラシック音楽」と私はいつも感じている。
かつてよく指摘されたオーケストレーションの平凡さも、最近ではそれをカムフラージュする演奏が多く、感情を込めて弾くこの曲のオーケストラ部分もなかなか素敵な演奏が多い。そして今回の演奏は、そのようなオーケストラの真摯な共感に支えられて、ピアノが全く完璧に鳴り響く圧倒的な演奏だった。
私はこれまで、オーケストラの演奏と共演する数多くのピアニストの演奏を聞いて来たが、前評判に比してさほどでもないと感じた演奏は多い。これは運が悪かったのだと思っているが、今回聞いた反田の演奏は、過去のどの演奏よりも素晴らしく、そのダイナミックな表現がまるでベートーヴェンのように聞こえた。ピアノという楽器の力を十分に発揮しているのである。「ブラボー」が禁止されている会場で、オーケストラの終わるのを待たずして拍手が始まった聴衆の熱狂的な拍手に応えて、「英雄ポロネーズ」をアンコール演奏した。その表現がまたユニークで説得力があり、満場の拍手を再びさらうと、今度はマイクをもって話し始めたのである。
会場に再び村治佳織が登場し、今回偶然にも共演することになった同じコンサートのために、2人でアンコールをやるという知らせに、もう終わるのだと思っていた会場が再び沸いた。しかもそこにマエストロまでが登場、ピアソラの「アヴェ・マリア」を3重奏で演奏するというオマケが付いた。
コンサートが終わったのは5時前で、すでに3時間が経とうとしていた。スペインのオーケストラは聞けななかったが、それを補って余りある充実したコンサートに聴衆は満足した。休憩時間には曇っていた空が、再び明るく青くなった。いつのまにか5時を過ぎても太陽が残っている。春はもうそこまで来ている。ビルの合間に吹く乾いた心地よい風を頬に受けながら、家路についた。
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