「リュッケルトの詩による5つの歌曲」には曲順の指定がない。従ってどのような順に演奏するかは、様々である。だが、もっとも長く深遠な「私はこの世に捨てられて」が後半、特に最後に置かれることが多いようだ。最近私が実演で聞いた藤村美穂子によるものもそうだった。しかし、ルートヴィヒのCDでは同曲が先頭に置かれている。実演と録音という違いがあるにせよ、このことによる曲の印象の違いは明確だ。一気にマーラーの世界に入り込んでしまうのだ。従って曲全体に対する輪郭がはっきりと浮かび上がり、集中力が増す。おそらくカラヤンのことだから、こういうことを計算に入れたに違いない。まだLPレコードが主流だった時代なので、CDのように曲順は自由に組み替えて再生することはできなかった。
ルートヴィヒとカラヤンによる「リュッケルトの詩による5つの歌曲」の曲順は、以下の通りである。
- 私はこの世に捨てられて Ich bin der Welt abhanden gekommen
- 美しさゆえに愛するのなら Liebst du um Schönheit
- 私の歌を覗き見しないで Blicke mir nicht in die Lieder!
- 私は仄かな香りを吸い込んだ Ich atmet' einen linden Duft
- 真夜中に Um Mitternacht
歌詞を読むと、これはやはりマーラーの心情(テーマ)をそのまま反映したようなものである。救いようがないくらいに暗く絶望的。そこまで悲観的にならなくても良いのにとさえ思う。というのは、彼は精力的に作曲や指揮をこなし、多忙を極めた音楽活動がそれほど救いようもないようなものではないからだ。私はマーラーの死因が、ニューヨークとウィーンを頻繁に往来し多数の演奏会をこなしたことによる過労死ではないかとさえ思っている。同じユダヤ人だったメンデルスゾーンと同様である。
丁度交響曲第4番と第5番辺りの、音楽家としてもっとも脂の乗り切っていた時期、ウィーン宮廷歌劇場のシェフも務めるマーラーの妻となるのはアルマだった。長女も生まれる。言ってみれば人生の絶頂期に、かくも悲観的な曲を書いた。リュッケルトの詩による「亡き子を偲ぶ歌」がそれである。「子どもがいない人が、子どもを失った人が、こんな恐ろしい歌詞に作曲するのするのであれば、まだ分かる」(アルマの回想録、1904年)。詩を書いたフリードリヒ・リュッケルトでさえ、そうだった。アルマは書いている。「あなたは壁に悪魔を描いて、悪魔を呼んでいるようなものよ!」(村井翔・著、音楽の友社「マーラー」より)。そしてそのことが現実的になる。
「芸術が人生を模倣する」のか「人生が芸術を模倣する」のか、それは定かではないが、このあと交響曲第6番で掲げたように「3回の打撃」がマーラーを現実に襲うのは周知の事実である(宮廷歌劇場の解任、長女、次女の死)。おそらく彼のように悲観的な人間は、予め悲劇が自身を襲った時に備え、あえて最初から悲劇的であろうとした。そのことによって、彼は来るべき試練を予見的に慰め、困難を乗り越えようとしたのかも知れない。これが計算された予定行動だったとしたら、彼ほど独善的な人間はいないだろう。だが私はそう感じる。しかし、だからといって現実に彼を襲った悲劇は偶然だったことも確かだ。偶然の悲劇を、彼は前もって予想することで、精神的平静を保ったのではないか。
「リュッケルトの詩による5つの歌曲」の歌詞を読むと、その孤独な心情がマーラーのものであるかの如くに思われてくる。「私の歌を覗き見しないで」というのもまた、自尊心が持てないでいる芸術家の吐露であり、「真夜中に、どの星も私に微笑まなかった」と歌うのは、彼自身である。そのマーラーが「この世から姿を消した」と言い放っている。強いて言えば絶望感がもたらす余裕さえ感じるのだから、屈折と皮肉と言うしかない。だがそう片付けてしまうには、あまりに人生は過酷である。悲劇の予感は、しばしば的中するのだ。
なお、本曲にはピアノ伴奏版とオーケストラ伴奏版が存在する。私は後者を好むが、それはやはりマーラーは、交響曲作曲家(シンフォニスト)だったからで、管弦楽こそマーラーの真価が発揮されていると思うからだ。また、この曲はバリトンやソプラノで歌われることも多い。しかし、私はこのルートヴィヒのように、メゾ・ソプラノによる歌唱が好きである。歌詞が女性を第1人称にしていることと、翳りを伴った声で聴きたいということが理由である。これは「大地の歌」でも同様だ。
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