それでも大きな活字の見出しと、新刊本や雑誌の広告、さらには特定のコラム、文化欄などには目を通している。今月(2022年12月)の日経朝刊「私の履歴書」は、リッカルド・ムーティである。こういう記事は毎日楽しみにしている。
先月足を運んだ北ドイツ放送フィルのコンサートについては、新聞の広告欄で知った。ネットが情報伝達の主流となった今でも、講演会場前で配られる大量のチラシやダイレクトメール、それに新聞広告は、クラシック通にとっては重要なメディアである。特に売れ残った公演が間近に迫っている場合などは、この広告によって最後の販売促進を狙うのだろう、諦めていたコンサートに目が留まることがたまにある。このようにしてたまたま知った北ドイツ放送フィルの演奏会に関するブログ記事を書き終えて、さて今日は土曜日だから、また何か売れ残っている公演の広告でもでているのではなどと思ってみてみたら、シュターツカペレ・ベルリンのものが出ているではないか!
鉄のカーテンの向こう側、かつて東ドイツの歌劇場専属オーケストラとして、伝統あるいぶし銀の響きを維持してきたこの楽団も、もう30年もの間シェフの地位に君臨するダニエル・バレンボイムによって、さらに磨きのかかったオーケストラへと成長を遂げている、ということになっている。私はかつて10年以上前の来日公演で、ベートーヴェンの交響曲のいくつかを聞いたが、重厚感あるくすんだ音色に、とても懐かしい感じを覚えた(ただ演奏の方は新鮮味に欠けるものだったが)。
この時と大きく異なっていたのは、チケット代が倍ほどにまで高騰していることだった。昨今の円安とインフレにより、クラシック音楽の招聘費用にも影響が出始めているのだろう。このまま行けば聴衆の高齢化も手伝って観客数が激減し、来日公演自体が消滅してしまうのではないか、とさえ恐れてしまう。少しの希望は、ここに来て日本を旅したい外国人の数ははうなぎ上りであり、しかも東京の聴衆の造詣はかなり深いため、あまり心配しなくてもいいという気もする。それでも高騰するチケットが買える一部高齢日本人とアジア諸国の金持ちたちで埋め尽くされることになるような気もする。
バレンボイムはブラームスの交響曲チクルスをプログラムに組んでいた。私も第4交響曲のCD(シカゴ交響楽団)を持っており、なかなか難しいこの曲にあっては、かなりの名演奏。あのカルロス・クライバー盤の右に出るような存在だと思っている。ただ、バレンボイムのコンサートは、結構わが国でも開催されているから、ベルリンのオーケストラと演奏するブラームスのチケットが売れ残っていたとしても、さほど不思議なことではない。かつてのベートーヴェン・チクルスの時だって、確か当日券を買って駆け付けた記憶がある。
ところが広告によると、バレンボイムは健康上の理由により来日できなくなり、急遽、クリスティアン・ティーレマンに交代となったようなのである!この告示には私も驚くと同時に、偶然目にしたのは何かの縁ではないかとさえ思った。S席は35000円という信じられない値段が付けられている。それでも「ぴあ」などにアクセスすると、私が行ける唯一の公演、12月7日のプログラム(交響曲第2番、第1番)はもっとも売れ行きが良いらしく、わずか数席しか残っていない。これは大変なことになってしまった。今後ティーレマンの演奏を生で聞ける機会が、どれほどあるだろうか?思えば40年以上前に初めて自腹で演奏会の切符を買って以来、時間と金銭的余裕のある限り、多くのオーケストラ、指揮者の演奏を聞いてきた。そういう私にとって現代最高の巨匠ともいうべきティーレマンは、「いつかは聞いておかなくてはならない」指揮者となっていた。それも最後の!
そう思った私は、おもむろに「ぴあ」の空席を検索し、1階最後列というS席にしてはちょっと疑問の残る席をクリックしてしまった。舞台正面の席ではある。そして、熊本や大阪での公演、さらには前日の初台でのブルックナーなどは結構な盛況であると見えた。チケットを手に入れてから、私の頭はブラームスの旋律で溢れた。第2番第1楽章の主題。これほど心が安らぐ音楽があるだろうか。あるいは第1交響曲冒頭のティンパニの連打。思えばこの2曲はベルリン・フィルをはじめ、様々な組み合わせで接してきた。私のブラームスの演奏会史にティーレマンの演奏が加わることへの期待が、まるで修学旅行を前にした高校生のように高まっていった。こういう経験は、久しぶりである。
会場はいつもとは若干異なる、ネクタイを締めた身なりのいい人たちで溢れている。彼らは引退した高齢者(ももちろん大勢いたが)ではなく、現役の、それもそこそこ身分の高い給与所得者、ないしは経営者なのだろう。女性の装いが、高級ブランドの服や装飾品で埋め尽くされている。プログラムも有料で2000円もする。それでもこれは、若い頃からの私のコレクションになっているから、今回も清水の舞台から飛び降りる覚悟で買い求め、大切に鞄にしまった。最近では会場でプログラムが読めないのだ。チケットにはまだバレンボイムの名が記されていたが、プログラムは表紙が少々安っぽいものの、ティーレマンと楽団の写真がふんだんに掲載されていて嬉しい。早々にトイレを済ませ、期待に胸を膨らませながら待っていると、オーケストラに引き続き長身のティーレマンが登場した。
プログラムによればティーレマンは1959年西ベルリン生まれ。私より7歳年上である。私はまだベルリンが東西に分かれていた頃、ここを旅行している(1987年)から、町全体が落書きだらけの壁に囲まれた当時の雰囲気を思い出すことができる。シュターツカペレ・ベルリンは当時東側のオーケストラで、わが国にも有名な名指揮者、オトマール・スイトナーがたびたび指揮者を務めており、来日も多かったしベートーヴェン交響曲全集などの録音も有名だった。
そのシュターツカペレ・ベルリンを、何とティーレマンは今年になって初めて指揮したそうだ。東西ドイツが統合してからも、西側の雄ベルリン・フィルにはしばしば登場しているし、もう一つの東側の歴史あるオーケストラであるシュターツカペレ・ドレスデンでは何年もの間、首席指揮者を務めているから、意外と言えば意外であった。
交響曲第2番の明るく伸びやかなホルンのメロディーが聞こえてきたとき、もうこのコンビがすでに長年の関係を続けているようなものに思えた。ティーレマンという指揮者は、長年私にとってなかなかとらえにくい指揮者だったのだが、実は非常に繊細で、しかもフレーズが静かに入ってゆくところなどを、まるで幼児を撫でるような感覚でものすごく丁寧に指揮することがわかった。それがあまりに丁寧なので、音楽の流れが独特の間を持つこととなる。ここが彼の音楽の特徴で、ちょっと違和感を覚えるときがあったものだ。しかし実演に接していると、その有様は、音楽に自然の集中力を与えはするものの、決して壊すことはない。音量はむしろ小さいくらいだし、テンポはゆっくりしている。必要な時には意味深く遅く、かと思えば次第に速くなるなど、あのウィルヘルム・フルトヴェングラーを思い起こさせる。
風貌の点では、フルトヴェングラーというよりもあの大柄な長身、ハンス・クナッパツブッシュに似ている気もするが、いずれにせよこれらの巨匠の演奏は、アーカイブにしか存在しない一時代前のスタイルである。かといってティーレマンの演奏が、これらと同じかと言えばそうではない。陳腐な言い方をすれば、古くて新しいのだ。ティーレマンがなぜこんなに人気があるのかが、わかったような気がした。
だが、ティーレマンが古楽奏法全盛の時代に、まるで遺跡から生き返ったツタンカーメンのように登場してからすでに20年以上が経つ。私はティーレマンがバイロイトで録音した「指輪」のCDをすべて図書館で借りて聞いたのが、この指揮者との出会いだった。この時の上演は、奇抜な演出で物議を醸したものがDVDで先行発売されていたが、DVD会社は音だけのCDのリリースを敢行した。音楽だけを切り取って聞くと、そこは紛れもなく古色蒼然とした、しかし新鮮味のあるワーグナーだった!
今回のブラームスにも同様なことが言える。第2楽章、第3楽章ともどちらかというと静かで精緻な音がバランスよく聞こえてきて、それはあのベルリン・フィルで聞くような大音量でもなければ、ウィーン・フィルの艶のあるものでもないのだが、まるで北ドイツの空を眺めているような、薄日と冷気を帯びた夏の空気が感じられた。ここで聞くブラームスは、ハンブルクのブラームスであった。
第4楽章になるとそれでも音楽は高揚した。次第にテンポを上げていく。アッチェレランドという指定が楽譜にあるのかどうかは知らないが、彼の演奏は懐かしいその響きだった。感情が解き放たれ、輝かしい陽気のうちに演奏が終了したとき、大きな拍手が沸き起こった。こういう演奏が聞きたかったのだ、と皆が納得しているようだった。後半の第1番に期待が大いに膨らんだ。
交響曲第1番は第2番と違い、けた違いの長さと苦悩の上に生み出されたブラームスの野心作だ。ベートーヴェンの影を追い、その記念碑である9曲の交響曲を発展させる作品を書くことが彼のライフワークとなっていた。作曲開始から21年の歳月をかけて第1番は演奏された。その曲は、推敲に推敲を重ねただけのものが感じられ、大成功だっただけでなく、まさにベートーヴェンの延長線上にある曲とみなされることとなった経緯は、随所に詳しい。
一般には、第4楽章にかけて次第に白熱を帯び、最後は圧倒的な興奮が地底から湧き上がるような演奏への期待が高いのだが、よく聞くと非常に抒情的で美しい部分も多く、まるで室内楽を聞いているようなところがある。この点、威勢のいいアレグロとロマンチックな緩徐楽章にはっきり色分けされる古典派のベートーヴェンとは異なる。ブラームスは、ピアノ協奏曲第2番と同様、静かに心を落ち着かせて聞き入ると、その魅力が開いた扉の向こうから静かに溢れてくることに気付く。例えば第2楽章。ここのヴァイオリンのソロと溶け合う瞬間の、息を飲むような美しさなどは、ベートーヴェンの頃にはなかった後期ロマン派のものだ。
ソロが活躍する場面は、冒頭のティンパニに始まり、第3楽章のホルン、それを受け継ぐフルートなど書ききれないほどだが、感動的なのはそれらが一つの大きな宇宙を形成していることだ。絶対音楽としての完全性が、ここに感じられる。数々のソロを含め全体で表現したかったものが、第4楽章になって爆発する。といってもブラームスの爆発は、火山に例えれば溶岩が流れ出すようなものではなく、マグマが地底に溜まって次第に地面を隆起させるようなものだ。
ティーレマンの演奏に話を戻そう。ティーレマンは第2番同様に、ここでも音楽を爆発的な音量にしない。むしろ室内オーケストラのような精緻さで、細かいフレーズのひとつひとつにまで気を配る。楽器が溶け合うこと、複数の楽器がまるで一つの楽器に聞こえるように演奏すること、そして無駄な音が聞こえないようにすること、これらをとりわけ心掛けているように思えた。CDや映像で見るとやや不自然さも醸し出すこのような演奏も、実際に聞いてみると大変新鮮で、もしかすると昔の巨匠指揮者の演奏もこんな感じだったのではないかと思わせるようなところがあった。
私がかつて聞いた同曲の演奏と比較しても、その個性は明らかであった。レナード・バーンスタインがイスラエル・フィルと来日して聞かせたときは、全身全霊を傾けて一心不乱に指揮をしていた姿に目を奪われたが、実際音楽もそのように重厚で大胆であり、興奮を湧き起こすのもだった。一方、クラウディオ・アバドがベルリン・フィルと共演したときには、この理性的なイタリア人による実に整った演奏で、角の取れたスリムなブラームスだった。それに対しティーレマンは、伝統との調和、個々の奏者との絶妙な融合、その延長にある総合的エネルギーが、豊饒な音楽となって導かれる有様である。ベームとカラヤンの音楽を足したような表現というと、おそらく反論も多いかもしれないが、私としてはそんな印象を持った。
もっとも印象に残った部分を記しておこう。それは第4楽章、あの第九を思わせるメロディーが満を持して出てくるところ。その手前でティーレマンが相当長い休止を取ったことだ。この休止の間中、客席はもちろん物音などひとつも立てず、固唾を飲んで聞き入っている。永遠に続くかと思われたその休止が終わると、静かに、そして確実な足取りで、あのアンダンテのモチーフが滔々と流れてきた。古色蒼然とした中に冴えわたる響き。そこからコーダにかけての時間は、まさに至福の時間だった。
オーケストラが退散しても幾度となく舞台に呼び戻されることとなったのは、当然の展開であった。私はこのコンビが、すでに何年もかけて音楽を作ってきたような完成度に達していると思った。彼は、もしかしたら遅かれ早かれ次期音楽監督にでも就任するのではないだろうか。私はそれを期待する。そしてブラームス、ブルックナー、ワーグナーだけでいい。これらの作曲家の音楽を、繰り返し聞いていたい。このコンサートを聞き終えて家路を急ぎながら、私はこれほどの大金を支払ってまで聞くクラシック音楽のコンサートは、おそらくもう二度とないだろうと思った。まだ聞いていない指揮者、オーケストラはあるにはあるが、「巨匠」という雰囲気の指揮者は今やどこにもいない。オーケストラはベルリン・フィルを別格として世界中に存在するが、どこも似たような水準で似たような音を出す団体になってしまった。であれば、それほど無理をして聞くこともないわけで、地元のオーケストラや滅多に来日しないようなローカルなオーケストラの方が、発見も楽しみも多いような気がする。ただ残念なのは、これらのオーケストラに足を運ぶ熱心なファンが少なく、プログラムが陳腐なものになりがちなこと。重量級の超一流演奏会は、ニューヨーク、ロンドン、バリ、ベルリン、そしてウィーンなどの世界の数都市(東京は今のところそのひとつだが)における数回の演奏会に限られるが、それを追いかけて行くのは(これまでもしては来なかったが)やめておこうと思う。
過去40年あまりの間に出かけた演奏会は延べ300回程度。全く自慢できる数字ではないが、この中には数々の有名指揮者、そして感動的な演奏会があった。一度それらを順に思い出しながら記録していきたいと考えてきたが、どうやらその時が到来したようである。
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