NHK交響楽団の音楽監督に、フランス音楽の名手シャルル・デュトワが就任して「ボレロ」を演奏したとき、その身振りの少なさに驚いた。彼はほとんど何もせず、割りばしのような短い指揮棒を、正三角形の形に振っている。それは曲が進み、編成が大きくなるにしたがって、次第に大きくはなっていったが、それでも冷静で気取った感じが漂っていた。同じ「ボレロ」でも、こうも指揮が違うのかと思った。ただどちらの指揮も、大いに目立ちたがり屋の性質を醸しだし、見栄も感じさせるものだったことは共通している。指揮者はまず、そのような虚栄心を本質的に持っているものだと理解した。
そのバレエ音楽「ボレロ」はラヴェルの最後の作品である。ここで驚くべきことは、同じメロディーが小太鼓の規則的なリズムに合わせて、様々な楽器によって繰り返されては次第に大きくなり、最後には突如崩れて終わる。20分弱の間中、この太鼓は常に一定のリズムを刻まなくてはならない。間違いは許されず、指揮も最新の注意を払ってはいるが、基本的にはプレイヤーが集中力を維持するしかない。
最初は木管のソロで始まる静かなメロディーも同じで、楽器の組み合わせだけが変わり、やがては金管楽器を加え、さらには弦楽器、打楽器へと編成が大きくなっていく。上述のテレビ番組では、趣向をこらして演奏中の楽器のみにスポットライトを上部から当て、その組み合わせの移り変わりをわかりやすく紹介してくれた。こういった手の込んだ番組は、いまではほとんど見ることができない。
「ボレロ」はそういうわけで、演奏家泣かせの曲である。各楽器も良く知られた同じメロディーを弾くので、間違うと目立つ。ところが勝手なもので、聞き手は単調なリズムとメロディーに飽きてくる。つまり、単に楽譜通り演奏されただけでは、特徴ある演奏とはならないのだ。これにバレエが付いていればそちらにも目を奪われるが、演奏会ではなかなかそういうことはない。いやバレエだって、相当な緊張を強いられる作品ではないか。そういう意味で、この作品は短いながらも、弾き手にも聞き手にも結構な覚悟を強いる作品である。井上ミッキーの言う通りだ。それをさも軽々しくやっているように指揮するデュトワは、一枚上手の見栄張りではないかと思う。
過去から現在まで「ボレロ」を録音した指揮者は枚挙に暇がない。しかし私のお気に入りは、たった2種類である。ひとつは速く、もう一つは遅い。どちらの演奏もちょっとマイナーな、今となっては入手困難な演奏。そしてこの曲の表現としては、このような速度の違いによる2種類の演奏に大別されると思っている。
速い方の演奏のお気に入りは、ジャン・マルティノンのものである。マルティノンはフランス音楽の代表的巨匠だから、驚く話ではない。だがここで私が取り上げるのはフランスのオーケストラを指揮したものではなく、彼がわずかの期間音楽監督を務めていたシカゴ交響楽団とによる演奏である。彼のシカゴ響との演奏は、その前のフリッツ・ライナーと後のゲオルク・ショルティに挟まれて、ほとんど忘れ去れている。したがって、当時の演奏は熱烈なファン向けのボックス・セットのような形でリリースされている(Spotifyではうまく検索すると聞くことができる。またわが国では、Tower Recordがいくつかの作品を特別にリマスターしてリリースした。私が所有しているのもそれである)。
マルティノンは、終始緊張感を維持しつつも、決してフランス音楽の優雅さを失うことなく、この曲の魅力を最大限に引き出すことに成功している。聞き始めから引き込まれ、単調なメロディーの繰り返しが決して単調にならない不思議な感覚である。録音も60年代としては大変良く、ステレオのサウンドがこの技巧的オーケストラの黄金の響きを伝えてくれる。
一方の遅い方の覇者は、オランダ人の職人的指揮者、エド・デ・ワールト指揮ロッテルダム・フィルによるものである。この演奏はフィリップスによって録音されているが、ほとんど目立つこともなく、今ではどうやって聞くことができるのか皆目わからない。ただ我が国ではこの演奏が有名で、その理由は80年代にホンダ・プレリュードのテレビCMに使われたからである。おそらくCMのディレクターは、安定して峠道を悠然と走行する高級自動車の宣伝に、このデ・ワールトの演奏による「ボレロ」が最も相応しいという結論に達したに違いない。この演奏からでしか感じない一種のオーラが、わずか数十秒に圧縮されている。そのCMは大いにヒットしたのも当然であった。丁度このころは、クラシック音楽が多くのCMに使われていたが、おそらくそのきっかけを作ったのではないかとさえ思っている。そしてそういう曲ばかりを集めたCDが発売された。私が所有しているのは、フィリップスが発売した日本市場向けのTV-CM集である。長い「ボレロ」の一体どこが、プレリュードにCMに使われたのだろうか。今となっては当時のCMは見ることができないから、推定するしかないのだが、おそらくは最初に弦楽器が登場してくる10分頃のメロディーではないかと思う。あるいはその次か。いずれにせよ、どんな演奏で聞いても最大限の聞き所は、この第1バイオリンがスーッと入ってくる部分だと思う。ディレクターはまた、この部分こそがCMに相応しいと判断した。
デ・ワールトの指揮は、この単純な曲から何かを感じさせてくれる。ゆったりと演奏しているが弛緩せず、フランス以外のオーケストラに見られるようなリズムの機械的惰性にも陥っていない。マリナーが指揮したドイツのオーケストラの演奏など聞くに耐えず、アバドの演奏(ロンドン響)もあまりに直線的で、最後には興奮したオーケストラの自然発生的なうなり声まで聞こえてくる戦慄の演奏だが、ユニークではあるもののウィットが感じられない。
そういうわけで「ボレロ」は難しい。だがこの曲はラヴェルの作品の結晶ともいうべきセンスを感じさせる。体を病んで作曲を進められなくなったラヴェルは1932年、62年の生涯を閉じた。
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