そのラヴェルの、もう一つの作品ともいうべきものが、組曲「展覧会の絵」である。もともと「展覧会の絵」はロシアの作曲家、ムソルグスキーによるピアノ曲だが、ラヴェルはこの曲を原曲以上に有名な管弦楽曲に仕立て上げた。俗に「管弦楽の魔術師」と言われ、オーケストレーションの巧みさをまざまざと見せつけられる作品は、もしかしたら「展覧会の絵」以上のものはないのかも知れない。
生前には一度も演奏されることのなかったムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」は、19世紀の後半に作曲されているが、これをまずリムスキー=コルサコフが管弦楽曲に編曲している。レスピーギの師匠でもあったリムスキー=コルサコフは、「シェヘラザード」といった曲が有名であるだけの目立たない作曲家のように思われがちだが、後世に大きな影響を残したロシア5人組のひとりとして、重要な作曲家である。
ラヴェルがリムスキー=コルサコフ編に接したのかどうかはよくわからないが、独自の編曲で「展覧会の絵」を世に送り出したのは1922年のことである。このころ彼はは「ラ・ヴァルス」を始め、オーケストラによる斬新なバレエ曲をすでに作曲しており、名声を確立していた。そこで「展覧会の絵」に接したラヴェルは、インスピレーションを刺激されたのだろう。トランペットのファンファーレで始まるこのオーケストラ版は、編曲という新たな音楽的分野を輝かしいものに変え、以降、ストコフスキーを始めとしてチャレンジする作曲家も少なくない。それだけでなく、原曲(ピアノ曲)を演奏するピアニストが多いのも、オーケストラ版の存在が輝かしいからだ。それなら一度、原曲でも聞いてみようか、と。
ラヴェルが編曲した組曲「展覧会の絵」については、もう限りがないほどの録音が知られており、特に機能美の最先端を行く東西のオーケストラ、すなわちベルリン・フィルとシカゴ響に名演奏のものが多い。古くはアルトゥーロ・トスカニーニのモノラル録音盤が決定的な演奏として知られており、私も買って聞いた記憶がある。一切の残響を排し、ぐいぐいとコーダに向かっていく様は、まさにトスカニーニの真骨頂だが、このようなオーケストラの技巧を前面に立てた演奏は、機械化が進むアメリカ東海岸で活躍した多くの東欧系の指揮者が担うこととなった。
まずこの曲をラヴェルに依頼し初演したのが、その後ボストン響のシェフとなるロシア系ユダヤ人セルゲイ・クーセヴィツキである。さらにシカゴ響の音楽監督となったフリッツ・ライナーによる演奏は今もって決定的とされ、トスカニーニがモノラルであることもあってライナー盤の評価はゆるぎないものがある。シカゴ響の指揮者は、このあとゲオルク・ショルティに引き継がれ、彼もまた80年代にこの曲を録音している。音楽雑誌「レコード芸術」の裏表紙にショルティの「展覧会の絵」が掲載されたとき、私を含め数多くの音楽ファンが、この演奏を聞きたいと思った。あるときFMで放送されると知った時は、いつもより高級なテープを用意してエア・チェックに挑んだのは中学生の頃だったか。
シカゴ響による「展覧会の絵」は、このほかに若き日の小澤征爾やカルロ・マリア・ジュリーニによる演奏が有名である。本日ここで取り上げるジュリーニ盤は、そのなかでもちょっとユニークな存在ではないかと思う。なぜならこの演奏は、かなり遅い部類に入るからだ。しかし純音楽的な意味でこの作品をゆったりと鑑賞できる点で、この演奏以上のものを知らない。
ついでに言えば、イタリア系の指揮者による「展覧会の絵」は、フィラデルフィア管弦楽曲を率いたハンガリー系のユージン・オーマンディの後を受け継いだリッカルド・ムーティによりフィリップスにデジタル録音されているが、彼の来日時にテレビで見た「展覧会の絵」の名演奏は何度もその後放映され、わが国では有名である。私もCDをもっているが、トスカニーニからの流れが受け継がれている。
当時のアメリカ東海岸にはヨーロッパから流れてきたユダヤ人演奏家が数多く在籍する技巧的オーケストラが点在しており、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団、アンタル・ドラティ指揮デトロイト交響楽団、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックなど、百家争鳴の状態であった。
ヨーロッパに目を転じると、ここは何種類も存在するヘルベルト・フォン・カラヤンが牛耳るベルリン・フィルとの録音が燦然と輝くが、フランス系の団体も当然のことながら、この曲を得意としていた。その中の最右翼が、エルネスト・アンセルメが指揮するスイス・ロマンド管弦楽団ということになるだろう。デッカによる曇りのない録音が、この曲の代表的演奏とされていた。アンセルメの演奏は、スイス人のシャルル・デュトワに受け継がれ、彼はモントリオール交響楽団で名録音を残している。アンセルメで「キエフの大門」を聞くときは、安普請の家が揺れるなどと言われたものだ。
この後、近年の演奏として記憶に残るのは、ワレリー・ゲルギエフによる2つの録音(うちひとつは珍しいウィーン・フィル)、ベルリン・フィルをカラヤンから受け継いだクラウディオ・アバド、サイモン・ラトルといったあたりが有名である。
組曲「展覧会の絵」は、展覧会場を歩きながら(プロムナード)、ひとつひとつの作品についてその絵から得られたインスピレーションを音楽にしている。冒頭のトランペット・ソロでプロムナードに圧倒的な印象を与えたのはラヴェルだが、その一声だけでこの曲を後世に残る作品に仕立てて見せた功績は、音楽史に残るものだろう。以降、様々な形での「プロムナード」を挟みながら、以下の順に音楽が進む。
1 小人(グノーム)
プロムナード
2 古城
プロムナード
3 テュイルリーの庭 - 遊びの後の子供たちの口げんか
4 ビドロ(牛車)
プロムナード
5 卵の殻をつけた雛の踊り
6 サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
プロムナード
7 リモージュの市場
8 カタコンベ - ローマ時代の墓 - 死せる言葉による死者への呼びかけ
9 鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤガー
10 キエフの大門
聞けば聞くほど味わいのある曲になっていくが、ラヴェルの他の曲と同様、ただ旋律をなぞるだけのような演奏は面白くない。この曲の聞き方としては、このようなちょっとした味わいを感じさせるものがあるかどうかで、ただ技巧にのみ頼っている演奏はつまらない。また私は特に、「ビドロ」で小太鼓が次第に音量を増しながら、弦楽器が重い行進曲を奏でるシーンが好きだが、このような曲は原曲のピアノで聞いても楽しくはない。
ジュリーニによる演奏の特徴は、この金管楽器ばかりが鳴り響くような印象の曲に、きっちりと中低音の弦楽器が寄り添い、決しておろそかにしていないことだろう。重心を低く抑えていることで、しっとりと旋律が歌われ、ゆったりとした演奏でも聞きごたえがある。もちろん管楽器はシカゴ響のエキスパートが万全のテクニックを披露しているから、惚れ惚れとするほど上手く、その点でも申し分はない。例えば「カタコンベ」の出だしなどは、トロンボーンのアンサンブルが美しい。つまり完成度の点において、これ以上望めないような水準に達している。
なお、このCDには定番の「はげ山の一夜」が余白に収録されている。これも名演。
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