新幹線に乗って日本各地へと向かいながら、このブログの下書きをすることが多い。今日も、朝6時12分発山形新幹線つばさ121号の車内で、この文章を書いている。小雨の降る梅雨空の向こうに、安達太良山が見える。丁度福島県内を通過中である。今日は月山の麓を通って鶴岡まで行く。
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緊張感を持って一気に演奏される、まるで一筆書きのような曲である。演奏時間は長くもなく短くもない。3楽章構成。第1楽章はもともとの初稿での第1楽章と第2楽章を合わせた構成となっているらしく、前半と後半で趣がやや異なる。だが続けて聞いても違和感はなく、これはこういう曲なのだと思っていた。もともとシベリウスの交響曲は、形式が自由である。長い序奏が続き、何かとりとめのない音楽がもやもやと続く中で、やがて輪郭が見え、はっきりとしたモチーフが形成されてゆく。季節が次第に移り変わり、長かった冬がようやく終わると、そこからは陽気な音楽だ。陽気と言ってもそこは北欧である。陽光まぶしい南欧のそれとは違い、清涼感ただよう乾いた青空の冷たい空気。
コリン・デイヴィスのような骨格のはっきりとした、重厚感のある演奏が好みである。しかしこのほかの演奏をあまり聞いたことはない。第2楽章は緩徐楽章となっているが、ここでは独特のリズムが全体を支配している。この主題は何度も変奏されてゆくが、最終部ではとても幸せな気分になる。この曲は前作の交響曲第4番とは対照的に、シベリウスの生誕50周年を記念して演奏されるために作曲されたことを思い出す。第1次世界大戦中に作曲された交響曲としては、異例の陽気な曲である。
交響曲では、終楽章への間を置かずに演奏される例が最近は目立つ。シベリウスの交響曲第5番などはそのように演奏すると効果的である。まるで一筆書きのような、と私は書いたが、そのスタイルはこの第3楽章にこそ当てはまる。直線的で、シベリウス独特のメロディーが緊張感を保ってコーダへと走る。トレモロ、低弦の響き、そして金管楽器のぞくぞくするようなアンサンブル。良く考えてみると、第2楽章と第3楽章はいずれも3拍子の曲である。このことが曲に躍動感と緊張感の持続を与えているのかも知れない。終楽章の次第に高揚しながらコーダに向かう様子は、短いながらも鮮やかである。
コリン・デイヴィスのシベリウスは何種類かあるが、ここでは珍しくボストン交響楽団を指揮している。記憶が正しければ、デイヴィスのシベリウス録音の最初のものがこれで、このあとRCAに録音したロンドン響との演奏、さらにはLSO Liveのレーベルから出ている晩年の全集もある。円熟の演奏にも捨てがたいい魅力があるが、若い頃の演奏が好きである。
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