2023年7月9日日曜日

東京交響楽団第189回名曲全集(2023年7月8日ミューザ川崎シンフォニーホール、下野竜也指揮)

様々なブログを検索していると、東京中で開催される数多のクラシック音楽コンサートを、実に頻繁に出かけては感想を記しているものに出会う。夏休みに読書感想文を書くような思いで、聞いた音楽を逐一文章化するという努力を、自分も時々やっていて思うのだが、相当な労力がいる。そういうことを趣味にして居る人が他にもいるというのも驚きだが、それ以上に驚くのは、それだけ多くのコンサートに出かけるだけの経済的、時間的なゆとりと、そして関心の継続である。

普通にサラリーマンをやっていると、これらを維持するのは非常に難しい。だから行けるコンサートは週末のものに絞るとか、来日オーケストラやオペラのような高価なものは、行きたいと思っていても断念する決断が必要だ。そのようにしてやりくりした演奏会を、月に1度か2度のペースで行こうと思ってきたし、実際行っている。だがここへきて、音楽への興味・関心が、かつてほど高次元で維持できなくなってきているのは、歳のせいかも知れない。特に数年前に腰を痛め、しばらくは座席に座っていることさえも困難だった。また同じ時期に白内障にかかり、目がかすんで見えなくなった。プログラム・ノートも読めず、字幕を追うのも困難になった。

だが、クラシック音楽の会場には今日も多くの人が詰めかけ、中には杖がないと歩行が困難な老人が大勢いる。彼らは音楽を生で聞くことの喜びのためには、不自由な体に鞭打ってでも出かけたい意欲をお持ちなのだろうと思う。自分には音楽に対する情熱が不足しているのではないか、とさえ思う。特に休憩のない長い曲(マーラーやブルックナー)、あるいはオペラの公演において、そう感じることが多い。こんなにも沢山の人が、お金や時間を惜しまないだけでなく、体調までも必死に維持しながら来場している!

クラシック音楽のコンサートにも、珍しい曲や難解な曲にチャレンジする定期演奏会のようなコンサート(は、質の高い真剣勝負となることが多い)とは別に、いわゆる名曲プログラムもあって、親しみやすいポピュラーな曲をプログラムに乗せるものもある。各オーケストラもそのような構成になっていて、東京交響楽団も「名曲全集」というシリーズがある。私は滅多に行かないのだが、今回のプログラムはちょっと変わっていた。夏休みということもあるのだろう。我が国を代表するアニメ・特撮の類である「ウルトラマン」と「宇宙戦艦ヤマト」の音楽を、それぞれ交響曲に仕立てた作品を並べたのだ。これらの曲は、滅多に演奏されているわけではないのだから、「名曲」と言って良いのかどうかわからないが、それでもたまにはこんなコンサートも面白いかな、と思って席を予約した。会場はミューザ川崎シンフォニーホール。

プログラムの前半は、特撮テレビ番組「ウルトラマン」の作品で音楽を担当した冬木透が、シリーズの音楽を用いて4楽章構成の交響曲にした2009年の作品である。この作品を初演したのも東京交響楽団なので、今回が2回目ということになる。初演は作曲者自身の指揮だったとのことだが、今日の指揮は下野竜也である。

さて、私はその年齢から「ウルトラマン世代」ということができる。特に小学校に上がるか上がらないかの頃、毎日家に帰ってきてはテレビにくぎ付けになっていたのは「帰って来たウルトラマン」だった。この時のことは以前にも書いたが、この「帰って来たウルトラマン」の主題歌は、すぎやまこういちの作曲である。一方、「ウルトラセブン」のような他の多くの作品は、その劇中で用いられる音楽を含め、冬木のものがほとんどである。それらの音楽が次から次へと登場し、フル・オーケストラによって演奏されるのか、と思っていたらそれは第1楽章のみで、緩徐楽章になるとトランペットのソロが美しいメロディーを吹くムード音楽のようなものになったのは驚いた。この音楽はハープやオルガンの伴奏にも乗ってうっとりするほど綺麗なメロディーで、第2楽章が終わった時点で拍手が沸き起こりそうになったほどである。

第3楽章のスケルツォ風の音楽と、第4楽章でのコーダ(フルートで「帰ってきた」のメロディーが聞こえた)の音楽は、できればもう一度聞いてみたいと思っているが、そのような機会はないし手段もない。全体に、ちゃんとしたシンフォニー・オーケストラによって演奏される耳に心地よい音楽の美しさもさることななら、この作品は単に有名なメロディーをつなぎ合わせただけの陳腐なものではないということである。確かに冬木透という作曲家は、蒔田尚晃という名で数々の純音楽作品を作曲しているそうだ。

休憩をはさんで演奏されたのは、交響曲「宇宙戦艦ヤマト」である。松本零士のよるこのアニメ作品のテーマ音楽は、大阪生まれの作曲家、宮川奏が作曲したことで知られている。テレビで放映され、日本中のファンをくぎ付けにした世代は、私よりは少し後になるのだが、丁度3つ歳下の弟がテレビで見ていた影響で、音楽も含め私も良く覚えている。この音楽を交響組曲にしたものをラジオで聞いたことがあって、それは有名なメロディーが次々と出てくるものだったが、30分もなかったように思った。今回演奏されたのは、それとは異なるものだった。

作曲したのは羽田健太郎で、1984年にN響によって初演されているというから、もう40年近く前の作品ということになる。第1楽章「誕生」、第2楽章「闘い(スケルツォ)」、第3楽章「祈り(アダージョ)」、第4楽章「明日への希望(二重協奏曲)」という構成。交響曲という体裁を取りながら、何やらてんこ盛りのような作品で、最終楽章にはソロ・ヴァイオリン、ピアノ、それにヴォーカルまでもが登場する。

今回の演奏に参加するこのソリスト人は、なかなか豪華である。まずヴァイオリニストには三浦文彰、ピアノは高木竜馬という若い2人。オルガン横の客席最上段にはソプラノの隠岐彩夏があの有名なヴォカリースを突如歌いだす。このシーンを初演時にテレビで見ていたという指揮者の下野は、震えるほど感動したと述べているが、やはり幼少の頃の経験は例えようもなく新鮮なのだろう。

下野の指揮は大変充実したもので迫力があり、オーケストラもそれに応えてなかなかの力演だった。特に終楽章のコンチェルトになってからは、ショパンまでも弾きこなした羽田健太郎ならではの難しい旋律も数多く、まるでラフマニノフでも聞いているかのような部分もあったが、そこにヴァイオリンも絡んで聞きごたえ十分であった。だが音楽は区切られており、やはり交響組曲とでもした方がしっくりいくような気がした。また第2楽章と第3楽章は、まるでミュージカルのような音楽だった。

ミューザ川崎シンフォニーホールでは暑い夏になると、サマー・フェスティヴァルが開催される。今年も東京中のオーケストラが登場し、魅力的なプログラムが組まれている。そのいくつかには来てみたいと思いつつ、何となく気が滅入るのも事実である。それはあの川崎駅の雑踏を避けることができないことと、螺旋状になった会場が好きになれないことだ。縦に長い分、サントリーホールなどよりは音が拡散する。従って近くで聞くのと、少し離れるのとでは随分印象が異なると感じた。

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