2025年5月26日月曜日

チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36(エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団)

まだ土曜日が休日でなかったころ、私は中学校から帰ってきて昼食を済ませたあとのほんのひととき、NHK-FM放送で我が国のオーケストラの定期演奏会を録音したものを放送する1時間の番組を聞くことが多かった。他に聞きたい放送があるわけでもなく、私は習い事に出かけなければいかねい憂鬱な気分と、週末を迎えた幸福感が入り混じる複雑な心境の中で、この番組に耳を傾けていた。

すると決まって睡魔が襲ってくるので、その日も少し眠っていたような気がする。そしてしばらく気持ちよい睡眠を謳歌している最中、急に耳をつんざくようなトゥッティが爆発音のように聞こえてきた。これが私のチャイコフスキーとの出会いだった。迫力のある音楽は10分足らずの間中ずっと鳴り響き、瀑布のように雪崩落ちるアレグロが何度も押し寄せ、コーダはこれでもか、これでもかと狂気のように幕を閉じた。アナウンスによれば、その曲はチャイコフスキーの交響曲第4番ということだった。私は嬉しくなり、チャイコフスキーの音楽が一気に好みとなった。

チャイコフスキーには、初めて聞くものを虜にさせるようなメロディーを思いつく天才のようなところがある。すべての曲がそうではないのだが、一度聞いたら忘れられない音楽に、しばしば出会う。ピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲、弦楽セレナーデ、バレエ音楽と数えたらきりがない。そして交響曲の分野では、この第4番から第6番「悲愴」まで名旋律の宝庫と言っていいのではないだろうか。

交響曲第4番は、力強い金管楽器が大活躍する。「運命のファンファーレ」と呼ばれる冒頭は、憂鬱だがそれを越えて激しく痛々しい。私はこの部分があまりに激しいので、時に不快なくらいに苦痛でさえある。そしてそのファンファーレは終楽章でも回帰されるのだから、たまったものではない。私はこの作品をさほど楽しい作品だとは思えない。

だが、そうかと思うと美しい抒情的なメロディーが顔を出し、哀愁を帯びたチャイコフスキー特有の感傷が琴線に触れる瞬間もないわけではない。長い第1楽章においてでさえ、それは現れる。そして第2楽章は木管の寂しげなメロディーが切なく、何と言おうか、痛さをこらえていると時に訪れる安らぎの時間のような、不安をかかえながらも痛みは緩和し、辛うじて凌いでいるような安心を覚える。ちょっと分裂気味な気分にさせられるこの曲は、あまりに実際的な気分をのようでもあり、そういうわけでちょっと生々しいのである。

変わっているのは第3楽章。このスケルツォは、管楽器とピチカートによる弦楽器のみで演奏される短い曲である。集中力を伴って高速で演奏される。苦痛が取り払われて安寧の時間が過ぎ、戸惑いの中で短い時間が過ぎてゆく。音楽が一瞬止まったかと思うと、一気に大迫力の全奏が会場に鳴り響く。このお祭り騒ぎのような音楽もどこか神経症的である。演奏によっては扇動的で、落ち着きがなく、かといって楽しい感じもしない。

「運命を乗り越えて歓喜に至る」というのはベートーヴェン以来続く交響曲の伝統的モチーフだが、チャイコフスキーの音楽はもはやそれが観念的なものではなく、病気の苦痛のようにあまりにリアルに響く。であれば、そんな単純に運命が克服できるわでもなく、葛藤はしばしばぶり返し、何かわけがわからないまま、気が付いたら少しはましになっていた、というのが実際の闘病ではないだろうか。ただその現実を見せつけられるような気がして、スッキリと楽しめなくても良いとするのは、芸術性が勝っているからだと思うことにしよう。

というわけで、私はこの曲を定番のエフゲニー・ムラヴィンスキーが指揮するレニングラード・フィルの演奏で聞いている。この演奏はスゴイ。最近何でも「凄い」といって感想を述べるのが流行っているが、この形容詞はこのような演奏にこそ使ってみたい。冒頭からコーダに至るまで、全くを隙を見せず一直線に突き進む。それは圧巻で、ソビエトの演奏家がまるで西側にミサイルでも打ち込むように、冷徹な完璧さで聴く者を圧倒する。

1960年にウィーンを訪れたソビエト屈指の演奏家が、西側のレコード会社にスタジオ録音を敢行したことが、雪解け時代の奇跡のひとつだったのかも知れない。この時、まだ共産主義は後年ほど廃れておらず、西側と拮抗する力を持っていた。演奏自体もそういうパワーを見せつけられているようなところがあり、それがいっそ曲のモチーフを強調しているようなところがある。第5番、第6番「悲愴」とともにすべてが記念碑的名演であることは言うまでもないが、決して自意識過剰なところはなく、ロシア音楽の神髄を音楽的に表現している。

私は大学受験が終わって、入試会場からの帰り道、当時まだ発売されたばかりのコンパクト・ディスクを記念に買おうと思って大阪ミナミの繁華街を歩いていた。心斎橋筋商店街に小さなレコード屋を発見して入ってみたが、ただでさえ少ないクラシックのコーナーに、わずか数枚のCDが売られているのみであった。1986年のこの当時、1枚の値段は3500円した。しかも輸入品ばかり。私は当時発売されたばかりにカラヤンの「英雄の生涯」を買うと決めていたが、このCDは残念ながら発見できなかった。代わりに見つけたのが、同じカラヤンがウィーン・フィルを指揮したチャイコフスキーの交響曲第4番だった。

私はそのCDを買って持ち帰り、買ったばかりのCDプレイヤーに乗せてかけてみた。晩年のカラヤンは、往年のオーラを放つ統制力が低下し、ややヒステリックな演奏に聞こえた。試験の出来はあまり芳しくなかった。合格発表までの数日間は、放心した気分であった。そして長い受験勉強の苦痛と、それが過ぎても気持ちが直ちには変わらない不思議な感覚でこの曲を聞いていた。妙にしっくりくるものがあった。もしかすると憔悴しきったチャイコフスキーが、ヴェニスでこの曲の作曲に取り組んだ時も、これとよく似た心境だったのかも知れない。

第2039回NHK交響楽団定期公演(2025年6月8日NHKホール、フアンホ・メナ指揮)

背筋がゾクゾクとする演奏だった。2010年の第16回ショパン国際ピアノコンクールの覇者、ユリアンナ・アヴデーエワがラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の有名な第18変奏を弾き始めた時、それはさりげなく、さらりと、しかしスーパーなテクニックを持ってこのメロディーが流れてき...