2026年6月30日火曜日

東京交響楽団 第742回定期演奏会(2026年6月27日 サントリーホール、沖澤のどか指揮)

沖澤のどかは我が国を代表する指揮者のひとりで、いまや各地のオーケストラから引っ張りだこである。東京交響楽団とはこれまでにも何度か共演しているようだが、定期演奏会には今回が初登場だという。小柄でありながらツボを押さえた丁寧な指揮ぶりにはかねてより好感を持っていたが、私はまだ実演を聴いたことがなかった。

このたび東響の定期会員になったことで、このコンサートに出かけることとなった。今回のプログラムは、前半にフランス音楽、後半にドイツ音楽の、それぞれ15分程度の小品が並ぶ。言ってみればポピュラー・コンサートのような趣だが、有名である割には実際のコンサートで取り上げられる機会が意外と少ない曲ばかりだ。こういう機会にきっちりと生演奏で聴かせてくれる機会はなかなかないのが実情であり、CDではよく聴いていた名曲を実演で味わえるのが楽しみだった。

全体のテーマは「ゲーテ」。ゲーテの作品を題材とした楽曲はほかにもたくさんあり、思いつくままに挙げても、ベートーヴェンの「エグモント」、ベルリオーズの「ファウストの劫罰」、リストの交響詩「ファウスト」、マスネの歌劇「ウェルテル」など、枚挙に暇がない。それほど膨大な作品群のなかから、今回は上記の小品が選ばれたわけだが、後半のブラームスの2曲には合唱(東響コーラス)が加わり、最後の「アルト・ラプソディ」にはさらに独唱が付く。今回、そのアルトのパートを歌ったのは、カウンターテナーの藤木大地であった。

一見するとポピュラーな名曲が並ぶプログラムだが、定期演奏会とあってはオーケストラも全力投球である。今回の私の座席は前から6列目。ここからは最前列の弦楽器奏者がずらりと見渡せ、幾人かの楽器からは直接音がストレートに伝わってくる。後方の楽器(管楽器や打楽器、それにチェロなど)はまったく見えないため、視覚的にベストとは言い難いが、たまにはこのような前方席で聴くのも悪くない。

たとえばグノーの「ワルツ」などは、あの有名なメロディーが何の雑味もなく、クリアに響く。まるで絹のような弦楽器にシャンシャンと打楽器が心地よく鳴り響き、目の前でバレエが踊られているような気分にさせられた。クラシック音楽を生で聴く喜びには、こういう席でしか体験できない要素も確かにある。

また、「アルト・ラプソディ」で見せた独唱、合唱団、そしてオーケストラの一体感と言ったら、何と表現していいのだろうか。演奏の途中で別の席に移動することはできないから、自分の席で聴いた音がホール全体としてどうだったのかを知る術はない。だが、あの位置で聴く音のブレンド感は、録音メディアでは決して再生できないほどの密度で融合しており、まるで天上の音楽のような美しさであった。

このアルトのパートをカウンターテナーが歌ったことについては、様々な意見があるだろう。私自身、カウンターテナーとしての独自の魅力を確かに再発見できたものの、それがこのブラームスの楽曲に合っていたかどうかと言われると、判断が難しい。カウンターテナーの濁りのない純粋さは宗教音楽などで大きな魅力を放つ気がするが、ロマン派の世俗歌曲にまで合うかというと、なかなかそうとも言い切れない。もっともこれは、クラシック好きにありがちな、保守的な偏見なのかもしれないが。

プログラムの中では「魔法使いの弟子」が比較的演奏頻度が高いだろうか。フランス音楽の軽快さとユーモアを兼ね備えた楽しい曲だが、デュカスはこの1曲のみが突出して有名で、私は他の作品を知らない。ここでの沖澤の指揮は常に安全運転で、音楽が少しこじんまりとまとまっていた印象だ。「ファウスト」のバレエ音楽にしても同様で、曲自体があまり凝った構成でないことも手伝ってか、次第に単調に聴こえてきてしまった。

一方で、後半の最初に演奏されたメンデルスゾーンの「静かな海と楽しい航海」では、ドイツ・ロマン派の香りが心地よく漂い、フランス音楽の鮮烈な色彩感から、淡い水彩画のような音色へと変化した。この音の変化の妙味は実に楽しい。

そして後半のブラームスに至っては、ずっしりとしたロマン派後期の重厚感が迫ってくる。それはまるで、スパークリング・ワインから、シャルドネの芳醇な香りを経て、まろやかなメルロー、さらにはしっかりと渋みの効いたカベルネ・ソーヴィニョンへと進んでいくような、贅沢なグラデーションだった。

今となってはコンサートで滅多に聴けなくなったポピュラー名曲の数々も、こうして前方の席できっちりとした演奏を聴くと、オーケストラの細やかな音色の変化を存分に堪能できる。そんな音楽の醍醐味を改めて実感させてくれた、私にとっては今シーズンを締めくくるにふさわしい見事なコンサートだった。

2026年6月28日日曜日

映画:霧のごとく(台湾、2026)

ある時代を生きた同世代の人は、当然のことながらその時代感覚という共通認識を持っている。だが、そのことが小説や映画で表現されることは、さほど多くない。ましてそれが政治的な弾圧の時代であれば、なおさらだ。血なまぐさい戦争や貧しい時代は、忘れてしまいたいという心理も働くだろう。そのようにして過去は人々の心の中にしまい込まれ、次第に風化してゆく。そして、その人々もやがて亡くなり、時代は歴史の一部となってゆく。

だが、そのような時代を、できれば記録として残しておきたい。過去のものとしてしまう前に、あの時代とは何だったのかを後世の人々が考えるきっかけとなる作品を、その時代を生きた証として、いや義務として残しておきたいと考える優れた表現者がいれば、それは可能となる。私が昨年見た映画『宝島』は、戦後の占領下の沖縄を描いた数少ない映画であり、韓国で大ヒットした『ソウルの春』もまた、軍事政権によるクーデターを描いた作品だった。

であれば、第2次世界大戦後の台湾(中華民国)を描いた作品が、この時代になってなお登場するのも当然と言えば当然である。そうすることの意味を問いかけようと満を持して挑んだ映画監督は、1962年生まれのチェン・ユーシュン(陳玉勳)で、脚本も自ら手がけている。

時代は1950年代に遡る。台湾中部の都市・嘉義で育った幼い少女・阿月は、優しい革命家だった兄が処刑されたことを知る。遺体を引き取るため衝動的に家出して台北へやって来た彼女には、その手続きをするための費用もない。そんな彼女と偶然出会い、やがて助けるようになるのが、福建省から国民党軍に加わり、その後部隊を追われた元将校・趙公道である。

1947年の二・二八事件を契機として始まった弾圧は、後に「白色テロ」と呼ばれ、戒厳令の解除後もしばらく尾を引きながら長く続いた。私はヨーロッパへ向かう途中、飛行機が台北の空港(当時は蒋介石国際空港と呼ばれていた)に立ち寄ったことを覚えている。それは、まさに戒厳令が解除される直前の1987年7月だった。台湾から乗り合わせた中学校の先生は、日本では学生でも自由に海外旅行へ行けることに、大変驚いた様子だった。

日本統治から脱した台湾は、国民党による独裁政治の時代を迎えた。腐敗も進み、ある事件をきっかけに台湾全土へ広がった抗議活動は武力で鎮圧され、やがて反共政策の強化と結びついていく。報奨金目当ての密告も相次ぎ、多くの人々が濡れ衣を着せられたという。資料によれば、約14万人が投獄され4,000人にも及ぶ人が処刑された。その一人が、この映画の主人公の兄である。

1960年前後、日本は高度経済成長のただ中にあり、すべてが輝かしい時代として語られることが多い。一方、東アジアでは中国共産党政権が成立し、朝鮮戦争やベトナム戦争が続くなど、今とは比べものにならないほど不確実で貧しい時代でもあった。その頃の風景を、この映画は丹念に描いている。

だが不思議なことに、この映画に流れる悲しみは、さほど感情的ではない。むしろ乾いている。爽やかと言えば言い過ぎかもしれないが、その湿度の少ない空気感が、かえって今の時代に訴えかけるものを浮かび上がらせているように思えた。

中華文化圏ならではの人間関係のリアリズムによるものなのかもしれない。もっとも、そんな分析はさておくとしても、人間的なぬくもりを過度に演出するわけではない。それでいて、そのぬくもりは確かに存在している。それが自然なのである。

思わず涙がこぼれそうになる場面はいくつかある。主人公が汽車に乗って台北へ向かう場面、生き別れになっていた姉の姿を初めて目にする場面など、そのいずれもが秀逸である。そしてラストシーンは、いつまでもその余韻に浸るしかないような圧倒的な力を持っており、私はエンドロールを最後まで見続けてしまった。

さて、この映画で重要なのは、物語の中心が、わずか数日間にわたる台北での遺体引き取りまでの出来事に費やされている点である。白色テロの長さを思えば、それはあまりにも短い。しかし、そのわずかな時間の中に、この苦しい時代を生きざるを得なかった人々の心情が凝縮されている。

兄妹は将来の夢を腕時計に託して語り始める。「民国何年には、どうしているだろうか」と。その時間の流れに対する思いが、この映画の底流を成している。そのことで、たった数日のエピソードが何十年という歳月を補うだけでなく、その重みをいっそう際立たせている。

もう一つの視点は、『霧のごとく』という題名にもなっている「霧」と「雲」の寓意的表現である。主人公の兄は絵本作家を目指しており、彼の作品では、ともに水蒸気である霧と雲が擬人化され、絵本の物語として語られる。この場面は二度登場するが、そのいずれにも深い意味が込められている。おそらく台湾の人々であれば、その象徴性をより身近なものとして受け止めることができるのだろう。

私はこれまで台湾映画を二作品しか見ていない。一つは昨年公開された『96分』、もう一つは、日本統治下で甲子園を目指す嘉儀農林高校の球児を描いた『KANO』である。そして、この『霧のごとく』の舞台の一つも嘉義である。台湾中部のこの町を、私もいつか訪ねてみたいと思う。

私は2015年になって初めて台北を訪れた。すでに先進国の仲間入りを果たしたかのような近代的な街には台北101がそびえ立ち、年越しの瞬間には無数の花火が夜空を彩った。家族が夜市へ向かう中、私は一人で中正紀念堂を訪れた。正月ということもあって多くの人々が集まっていたが、それはロックコンサートの会場にもなっていたからだった。

あのとき私が目にした近代的な台北の風景の下には、この映画が描いたような長く重い時代が確かに積み重なっている。そのことを知った今、もう一度台湾を訪れ、この映画が描こうとした時代の記憶に思いを巡らせてみたいと思う。


2026年6月24日水曜日

プッチーニ:歌劇「トスカ」(2026年6月20日 横浜みなとみらいホール)

プッチーニの歌劇「トスカ」が、沼尻竜典指揮・神奈川フィルの特別演奏会で取り上げられると知ったとき、「これはぜひ聴いてみたい」と思った。上演は演奏会形式であるとはいえ、彼の指揮する一連のオペラ公演に私が失望したことは一度もなく、また彼が音楽監督を務める神奈川フィルの最近の躍進には目覚ましいものがあると感じているからだ。

オペラの演奏会形式というのは、コスト削減も目的のひとつであると思われるが、考えようによっては他にもメリットがある。大道具やそれにともなう舞台転換といった華やかさには欠けるものの、オーケストラが舞台上で直に演奏することによる音楽的な効果は絶大だ。それに、たとえ演技に制約があるとはいえ、歌手たちはそれなりの衣装をまとって演技をしてくれる。

合唱団を含めた空間の利用はオーケストラ後方の座席にまで及び、さらには照明も工夫されていた。もちろん、字幕がつくのもありがたい。

さて、歌劇「トスカ」は「ボエーム」や「蝶々夫人」などと並ぶプッチーニの代表作だが、その舞台がイタリア、それもローマ市内というのは、彼の作品のなかではむしろ珍しい。最後にトスカが身を投げるサンタンジェロ城は、古代ローマ風の円形をしており、屋上からは目前にバチカンの聖ピエトロ広場が見渡せ、すぐそばをテヴェレ川が流れる。言わば「ローマの中のローマ」ともいうべき場所を、プッチーニは物語の舞台に選んだのだ。

これは、プッチーニが特に好んだ異国趣味を考えると異例のことと言える。「ボエーム」のパリ、「トゥーランドット」の北京、「西部の娘」のアメリカなど、台詞はイタリア語であっても、その舞台は世界中に及ぶからだ。

そのローマの、これもローマ時代の遺跡であるカラカラ浴場跡を舞台にした夏の野外音楽祭で「トスカ」を観たのは、もう40年も前のことである。これが私の最初のオペラ体験だった。ローマと「トスカ」、そして私は、このように不思議な縁で結ばれている。だからこそ「トスカ」は、私の最も好きな演目のひとつなのだ。

その「トスカ」の主な登場人物はわずか3人。3人そろえば舞台が成立するので、コストパフォーマンスが重視される“金食い虫”のオペラ公演にあっては、大人気のプログラムでもある。だが、魅力はそれだけではない。第1幕最後には壮麗な「テ・デウム」のシーンが、第2幕にはトスカのアリア「歌に生き、恋に生き」が、そして第3幕にはカヴァラドッシが歌う「星も光りぬ」といった超有名アリアがちりばめられている。音楽は凝縮され、展開も早く、極めて完成度が高いオペラなのである。

「わずか2時間の上演時間に、拷問、殺人、処刑、自殺という血なまぐさい出来事が詰め込まれ」(プログラム・ノート)、最終的には主人公が全員死亡する。その間にも逃亡、脅迫、セクハラといった切迫した状況が次々と展開するが、レジスタンスや逃亡の幇助といった政治的メッセージは原作から薄められ、むしろ、友情、嫉妬、愛情、祈りといった個人的心情に即したドラマ的要素も盛り込まれているのも、いかにもプッチーニらしいところである。いわばオペラの題材になるものが、ここにはすべて登場する。

さて、梅雨入りした関東の天候はこの日も朝から雨が降り、蒸し暑いなかをみなとみらいホールへ向かった。いつも寄って食べているフィレンツェのジェラートも、今日はいつもより美味しく感じるのは気のせいだろうか。

それにしても、1階席に結構な数の空席が目立っていたのは残念なことだ。私は前から10列目中央という最高の席だったが、にもかかわらず左右の席が空いていたのには驚いた。この公演は、横浜に先立って高崎や名古屋でも開かれており、オーケストラと合唱団は異なるものの、同じ歌手と指揮者による公演で、その前評判も上々だったことを考えると意外である。

しかし、この席で聴くオーケストラの響きと歌手の歌声は、すべてが手に取るように生き生きとしており、音楽と歌声がこれほど一体となるのを体験したことがない。オーケストラ単独で聴いたとしても、それは完璧なものだった。

舞台後方の席には少年合唱団も出入りする。オルガンも加わって壮大な「テ・デウム」が流れ、一瞬にして照明が消されると、客席からは大きなブラボーが乱れ飛んだ。

興奮冷めやらぬ様子で1回目の休憩時間に入る。やはり演奏会は前の方で見るに限る、と改めて感じさせてくれた舞台だった。

続く第2幕はスカルピアの独壇場である。スカルピアを演じたのはバリトンの江上隼人で、彼がこの日もっとも充実した出来栄えだったと私は思う。スカルピアの極悪ぶりが強調されればされるほどこの舞台は効果的なのだが、今回はそういう過度なドラマ性よりも、「聴かせる歌」としての魅力が勝っていた。

舞台上に小道具のようなものがないのはちょっと残念ではあったが、歌手は床に倒れ込んだりしてそこそこの演技を行い、もちろんすべて暗譜で歌いきっていた(プロンプターの指示はあったかもしれないが)。音楽が悪の極致を奏でたあと、舞台に一人残ったトスカが「歌に生き、恋に生き」を歌う。ソプラノは佐藤康子だ。

その歌声は美しく、ドラマチックな声量も見事ながら、やや滑らかさを欠き、ここでは少し息切れ気味に思えたのが残念でならない。一方、第3幕で見せたカヴァラドッシは、本公演唯一の外国人であるテノールのシュテファン・ポップによって歌われたが、さすがにわずか30分間の第3幕にすべてのエネルギーを集中させるような、見事な演技と歌声であった。

見せかけの銃殺刑だと信じていたトスカは、カヴァラドッシの前に駆け寄り、彼が本当に殺されたのだと気づくと、サンタンジェロ城を駆け上って屋上からテヴェレ川に身を投げる。ここが「トスカ」最大のクライマックスだ。みなとみらいホールの舞台から客席へと駆け上がった彼女は、オルガン脇から奥へと身を投げるようにして姿を消し、そこで劇的な幕切れとなった。この鮮やかな幕切れの演出は、もう本公演が繰り返されることはないと思われるので、ここに書いても差し支えないだろう。

終始緊張感を絶やさずタクトを振っていた沼尻も、最後は何度もカーテンコールに応えて舞台に呼ばれたとき、満足げな表情で観衆の拍手に答えていた。

私は彼が上演するオペラに何度も通っている。「ワルキューレ」(ワーグナー)や「魔弾の射手」(ウェーバー)などだ。そして記憶に新しいのは、コロナ禍の最中に無観客で開催された、びわ湖ホールでの「神々の黄昏」である。この模様は無料でライブ配信され、私もオンラインで視聴した。無観客ゆえの静寂な空間に、滔々と流れる音楽に身を浸した。何ともったいない、次はぜひ観客を入れて再演をしてほしいと思ったが、そんなことをしなくても赤字を垂れ流すオペラは、演奏すればするほど赤字が膨らむとのことで、これっきりだったのが悔やまれる。

演奏会形式のオペラ公演は、チケット代も安く、しかもオーケストラの音を十分に楽しめる。演技が少ない分、歌手も歌にエネルギーを集中できるようだ。だから私は大歓迎である。これまでにも「フィデリオ」(ベートーヴェン)、「ファルスタッフ」(ヴェルディ)、それに「サロメ」(R・シュトラウス)などを観てきた。

そして来月は、スカラ座公演と同じキャストによる、チョン・ミョンフン指揮の「カルメン」(ビゼー)を観に行く予定である。今から期待が膨らんでいる。

サンタンジェロ城から見たサン・ピエトロ寺院


2026年6月15日月曜日

NHK交響楽団第2067回定期公演(2026年6月14日NHKホール、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮)

優れた指揮者のもとでは、一体化したオーケストラの響きが、まるでひとつの楽器になったかのように3階席にまで鮮やかに届く。90年代前半、この席の常連だった私には信じられないことだが、最近のN響は本当に巧くなった。。

今シーズンのN響Aプログラム最終回を指揮したのは、オランダの指揮者ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督を務めるなど、世界各地の名門オーケストラを率いてきた国際的な指揮者だが、日本ではその実績の割に知名度が高いとは言えない。

私はかつて、彼が香港フィルハーモニー管弦楽団を指揮したワーグナーの「ニーベルングの指環」の録音を聴き、その確固たる音楽作りに目を見張ったことがある。しかし実演に接する機会はなかなかなかった。興味深いことに、彼は香港のみならず台湾や韓国などアジア各地のオーケストラのシェフを務めてきたほか、フランスやアメリカにも活動の拠点を置いてきた。熱心なファンが少なくないのも頷ける。

その音作りは、史上最年少でコンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターを務めた経歴からも想像できるように、弦楽器を中心に据えた精緻で明晰なものだと思っていた。しかし実際に接してみると、予想以上に情熱的な指揮者だった。3階席から見ても、その大きな身振りはよく伝わる。音響の天才的なバランス感覚のもと、各楽器は見事に溶け合いながらも埋没せず、大きな振幅を描く。音楽を聴く喜びをこれほど味わわせてくれるコンサートも珍しい。

4段階評価なら迷わず星4つを付けられる演奏会に、私はこれで3日連続で通ったことになる。東京のクラシック音楽界は、それほどまでに充実している。実際、この週にはチケット完売のため行くことがかなわなかった演奏会(エベーヌ四重奏団によるベートーヴェン・チクルス)まであった。

プログラムの冒頭は、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲。この曲は祝祭的な名曲としてたびたび演奏されるが、ヴァン・ズヴェーデンの指揮で聴くと、その充実ぶりがひと味違う。N響の豊かなサウンドが冒頭から満開である。彼がワーグナーを得意としているからこその選曲なのだろう。だが、このような指揮者なら、どんな作品を振っても聴いてみたいと思わせるものがあった。

続いて舞台中央に置かれたピアノの前に、ピアニストのコンラッド・タオが登場する。中国系アメリカ人で、自ら作曲も手がける音楽家だ。

モーツァルトのピアノ協奏曲第17番が始まると、その伴奏からして絹のようにしなやかでエレガントな音色に圧倒される。さらに、広大なNHKホールの3階席にまで十分届くピアノの美しいメロディーが、耳を洗い心を揺さぶった。「この曲はこんなにも魅力的だったのか」と、何度聴いたか知れない作品でありながら発見の連続である。

第1楽章のカデンツァは、まるでベートーヴェンが弾いているかのようだった。これは彼自身によるものだろうか。そして第2楽章のカデンツァには、どこかバッハを思わせる趣があった。久しぶりに実演で聴くモーツァルトだったが、これは私の経験した演奏のなかでも最も完成度の高いものとして長く記憶に残るだろう。

アンコールで演奏されたラヴェル「マ・メール・ロワ」より「妖精の園」も、このピアニストの才能を鮮烈に印象づけた。特に終盤、鍵盤上を左右に行きつ戻りつしながら展開される演奏は、ダイナミックでありながら綿密だった。

私は長年、バルトークの音楽を苦手としてきた。民族音楽を題材にした初期作品くらいしか聴かなかったのである。しかし彼の代表作の多くは、むしろ晩年に書かれている。

今回プログラムを読んでいて知ったのだが、バルトークは私と同じ骨髄性白血病を患っており、「管弦楽のための協奏曲」を作曲した頃にはすでに闘病生活のなかにあったという。これで一気に親近感が湧いたというと語弊があるかもしれないが、「これは聴かなければならない」と思ったのである。

「食わず嫌い」という言葉があるが、私にとって「管弦楽のための協奏曲」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、そしてR.シュトラウスの「ドン・キホーテ」は、いわば「聴かず嫌い」の代表格だった。しかしヴァン・ズヴェーデン指揮のN響によって、その状況を克服する絶好の機会が巡ってきた。そして舞台にずらりと並んだ大編成のN響から聴こえてきたのは、紛れもなく世界最高水準の音楽だった。

今やN響は、欧米の有名オーケストラと比べても遜色のないレベルに達していると思う。聴いていて惚れ惚れするその演奏は、後方の弦楽器奏者でさえ身体を揺らし、ときに管楽器群は号砲のような響きを放つ。全奏で鳴り響いても濁りはなく、その一方でヴィオラや第2ヴァイオリンが独特の風合いを添え、音楽に繊細な彩りを与える。

オーケストラを聴く楽しみとは、まさにこのような音の万華鏡を味わうことに尽きる。優れた指揮者のもとでは縦の線が整い、千変万化するテンポにも迷いがない。ヴァン・ズヴェーデンは職人的な厳密さと情熱を兼ね備え、この大作を見事に引き締めていった。

終楽章のアレグロが感動的なフィナーレを迎えると、満場のブラボーが飛び交った。本人もよほど手応えを感じていたのだろう。何度もカーテンコールに応えるなかで、少し茶目っ気を見せながら客席に手を振っていたという。もっとも、私の席からはその様子を直接見ることはできなかったのだが。

2026年6月14日日曜日

東京交響楽団第741回定期演奏会(2026年6月13日サントリーホール、オスモ・ヴァンスカ指揮)

オーケストラが同じでも、指揮者が変わるだけで見違えるほど巧くなり、聴き慣れた名曲にも新たな発見が生まれる――そんなことを改めて実感した演奏会だった。

フィンランドの名匠オスモ・ヴァンスカが昨年に引き続き東京交響楽団の指揮台に立ち、ベートーヴェンの交響曲第8番とラフマニノフの交響曲第2番を披露した。ヴァンスカのベートーヴェンといえば、私にはBISに録音されたミネソタ管弦楽団との演奏が強く印象に残っている。確か「第九」だったと思うが、オーケストラは極限まで研ぎ澄まされ、古楽器奏法の精神の極致を実現したかのような鮮烈な演奏だった。

あれから20年近くが経った。今回の演奏はモダン楽器によるもので、しかも弦楽器は16型という比較的大きな編成である。私は1階席の端(A席)で聴いたため、音響面では必ずしも理想的とは言えなかったが、プログラムによれば初演時は第1ヴァイオリンが18人もいて、今回より大きな規模だったという。つまり、ベートーヴェン自身が指揮した初演も当時としてはかなり大規模な編成であり、オリジナルの姿に近いと言える。

そのような大編成でありながら、細部への神経の行き届いた精緻な表現には心を奪われた。第8交響曲はベートーヴェンが古典的作風へ回帰した作品であり、その造形美の完成度は全交響曲中でも屈指だろう。無駄をそぎ落とした音楽は苦悩の影を感じさせず、明るく楽天的な気分に満ちている。

第2楽章の小刻みなリズムはメトロノームの発明に触発されたことで有名だが、一音一音に込められた音色の変化が実に魅力的だった。第3楽章トリオではホルンが活躍し、プラハへ向かうベートーヴェンの高揚感まで彷彿とさせる。長大な第4楽章のコーダが終わると間髪を入れず拍手が起こり、この演奏会の成功を予感させた。

30分ほどの前半が終わり、20分の休憩となる。

今シーズン前半の東響は、思わず足を運びたくなる公演が目白押しだった。私は4回券を購入し、4月のパブロ・エラス=カサド、5月の新音楽監督ロレンツォ・ヴィオッティ、そして6月のオスモ・ヴァンスカと沖澤のどかという顔ぶれを選んだ。どの公演もプログラムの魅力が大きかったことは言うまでもない。

実はヴァンスカを聴くのは今回で3度目になる。最初は2008年、読売日本交響楽団とのベートーヴェンで、第4番や第8番を指揮した。当時は全集録音の時期だったが、不思議なことに私の印象はそれほど強く残っていない。同じ作品を聴いているにもかかわらず、今回ははるかに深く心に響いた。座席の違いなのか、オーケストラの違いなのか、それとも聴き手である私自身が変わったのか。

2度目は東京都交響楽団と、十八番のシベリウスだった。交響曲第5番から第7番までを取り上げた公演で、評判も高く、東京文化会館に集まった熱心なファンの熱気をよく覚えている。しかし演奏自体には既視感があり、驚きという点ではやや物足りなかった。また東京文化会館は音が拡散しやすく、個人的には集中しにくいホールでもある。

それに対して今回のラフマニノフは、東響の演奏史のみならず、日本における同曲の演奏史の中でも屈指の名演だったのではないかと思う。前半で示された細部への徹底したこだわりは、後半でさらに大きな成果を生んだ。精緻を極めた結果、オーケストラの表情は千変万化し、それでいて全体のバランスは絶妙である。その響きの統御ぶりは、まさに職人的。ヴァンスカは時折身をかがめ、次の瞬間には舞台上で跳ね上がる。決して大柄な指揮者ではないが、その身体表現がオーケストラの集中力を最後まで維持していた。

日本フィルのカーチュン・ウォンや広上淳一にも独特の身体表現があるが、ヴァンスカの場合は、ときにオーケストラへ主導権を委ねるような瞬間がある。そこで音楽はかえって自由さを増し、一気に飛翔する。

第1楽章は比較的遅いテンポながら、どこかシベリウスを思わせる寂寥感と、ロシアの大地を感じさせる重厚さが絶妙に融合していた。
色彩感あふれる第2楽章のスケルツォも見事だったが、やはり白眉は第3楽章である。抒情的な旋律が次々に現れ、ヴァンスカの音楽に完全に同化したオーケストラからは、うっとりするような歌が延々と紡ぎ出された。

このアダージョでは、ヴァンスカはトランペット奏者を舞台裏で演奏させた。その効果は抜群だった。音が分離して聞こえることなく、舞台上のオーケストラと自然に溶け合い、幻想的な響きを生み出していたからである。

そして大団円となる第4楽章。抒情性に満ちたラフマニノフの音楽は、チャイコフスキーとは異なる洗練された都会的な感覚を備えている。もちろん、この作品が書かれた時点ではまだアメリカ亡命前である。それでも彼はロシア音楽の最も美しい歌を交響曲の中へ注ぎ込み、通俗性に陥る寸前で踏みとどまりながら、壮麗で華やかなコーダへと導いていく。

1時間近くに及ぶ大作を存分に堪能した。終演後には大きなブラボーと拍手喝采が続き、その熱狂は10分以上にわたって鳴りやまなかった。

2026年6月13日土曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団第671回定期演奏会(2026年6月12日サントリーホール、佐渡裕指揮)

コンサート直前のプレトークで佐渡は、このマーラーの交響曲第3番第1楽章冒頭のメロディー(ホルンの重奏)が、ベートーヴェンの交響曲第9番を下敷きにしたブラームスの交響曲第1番第4楽章のメロディー(直前まで全国ツアーで演奏していたそうだ)と、調性こそ異なるもののほぼ同じであると語った。この曲ほど、マーラーの自然への賛美が貫かれた作品もないだろう。それは紛れもなく、彼が自ら建てた作曲小屋で感じた自然への畏敬や神秘がベースになっている。

プログラム・ノートにもあるように、これはマーラーの「田園交響曲」である。おそらく静かに流しているだけでも心地よく聴いていられる作品だ。その長さは約1時間40分に及び、マーラーの交響曲の中でも最長である。もちろん休憩はないから、演奏する側にも聴く側にも相応の覚悟が求められる。

そんな大作も近年ではしばしば取り上げられるようになり、今回は音楽監督の佐渡裕が自ら指揮を執る。新日本フィルは一連のマーラー作品を順次取り上げており、私は昨年、第9番を聴いた。その公演も完売が続き、この不況下にあってなお盛況である。

その新日本フィルは、もしかすると今がかつてないほどの充実期なのではないかと思わせた。私の座席の条件が良かったのかもしれないが、オーケストラの各パートがほどよく溶け合い、それは独唱(メゾ・ソプラノの藤村美穂子)、合唱(晋友会、東京少年少女合唱隊)にも共通していた。

舞台裏から響く打楽器や金管のソロでさえ、舞台上のオーケストラとの重なりがこれほど完璧に聴こえたことはない。弦楽器のまとまり、木管との溶け合い、さらには打楽器の力強さに至るまで、この作品でここまで完全な融合を感じた記憶はなかった。

私はこれまでの演奏を思い返した。そもそもこの長大な作品が演奏会で取り上げられる機会は、かつてそれほど多くなかった。マーラーの交響曲の中でも第3番は、とりわけ大規模な編成を必要とする。私にとって最初の実演体験は、NHK交響楽団とシャルル・デュトワによる演奏会だった。この時のことは意外なほど鮮明に覚えている。ただ、会場が広すぎて音が遠く、感動したとは言い難かった。

それから長い年月が過ぎ、数年前には日本フィルの演奏会でも聴いている。指揮者が誰だったか思い出せずにいたが、記録を確認するとカーチュン・ウォンだった。もっとも私は、本来であれば広上淳一が音楽監督として最後に指揮する京都市交響楽団の特別演奏会でこの曲を聴くはずだった。その時の独唱も藤村美穂子である。彼女はこの公演のためだけに、わざわざドイツから帰国していた。

ところが、折しもコロナ禍だった。少年合唱団が十分な練習を行えないという事情から、プログラムは「巨人」へ変更された。藤村は「リュッケルトの詩による5つの歌曲」を歌った。それはそれで素晴らしかったが、やはり第3番を聴きたかった私は、日本フィル定期でこの作品を見つけ、サントリーホールへ足を運んだのである。

以上、私は過去に2回、第3番を聴いたものと思っていた。ところが記録を検索してみると、実はもう一度聴いていた。それはファビオ・ルイージとN響がヨーロッパ公演で取り上げる予定の曲を事前に定期演奏会で演奏した時のことだった。しかし、この演奏会については、それを聴いた事実さえ忘れているというありさまである。わずか1年前のことにもかかわらず、記憶にほとんど残っていないコンサートとは、一体何だったのだろうかと思う。

それに対して今回の佐渡裕の演奏は、おそらく一生心に残るだろう。この作品の持つ深みをあらためて味わい、新たな発見へ導かれたことは言うまでもない。それは冒頭からコーダまで続き、一瞬たりとも退屈することがなかった。

佐渡は、もしかすると今や巨匠への道を歩み始めているのではないかと思った。ここで聴かせた演奏は、力みの目立つものではない。余計な力を抜きながらも音と音との均衡を重視し、その響き方に細心の工夫を凝らしているように感じられた。自然で、さりげない。しかしだからこそ、そこに職人的な矜持が見える。

そういえば若い頃の佐渡の音楽には、力が入りすぎて時にバランスを欠き、どこか空回りしているような印象があった。しかし今はそうした面影はない。むしろ音楽そのものが一回りも二回りも成熟している。その根底には、音楽を奏でる喜びが確かに感じられる。

長大な第1楽章で見せる圧倒的な推進力、第2楽章の諧謔味あふれる自然な表情、第3楽章での見事なソロとの融合。そして突如として降臨するメゾ・ソプラノの豊かな歌声によって、会場は一気に神秘的な空気に包まれる。続く合唱が始まると、聴衆は固唾をのんで耳を傾けた。終楽章の冒頭は、まるでバーンスタインを思わせるような愛情深さに満ちている。そこから徐々に高まり、深く波打つように昂揚していく様は、まさに感動的だった。

タクトが下ろされると、誰かがブラボーと叫び、それに呼応するように大きな拍手が沸き起こった。それは10分以上続いただろうか。長い旅から帰ってきた時のような充足感は、言葉では表現できない。各パートと熱く握手を交わし、独唱者も合唱団も一体となって、この日の成功を祝っていた。

月末にはフィリピンでのコンサートを控えているらしい。先日発生した地震災害への寄付を呼びかけるため、自ら募金箱を手に会場出口に立ったマエストロのもとにも、多くの人々が集まっていた。

2026年6月11日木曜日

NHK交響楽団第2066回定期公演(2026年6月4日サントリーホール、ステファヌ・ドゥネーヴ指揮)

オール・フレンチ・プログラム。指揮者も独唱もコンサートマスターもフランス人。テーマは夏、そして海。NHK交響楽団の今シーズンBプログラム最後のコンサートを聴くため、仕事を終えてサントリーホールに駆け付けた。翌日から出雲への旅行を控えていたため、本来金曜日の2日目を1日目に振り替えることに成功したものの、早朝の出発を控え、どことなく落ち着かない。

こういう時は、バーカウンターで少しアルコールを飲むに限る。ザ・プレミアム・モルツの小瓶を飲み干し、振り替えられた席へ。だがそこは、いつもより少しだけ前方の、より良い席だった。ほどなくしてオーケストラが登場し、最初の曲、オネゲルの交響詩「夏の牧歌」が演奏された。

私は初めて聴いた曲だが、初夏のすがすがしさを感じる作品である。指揮はステファヌ・ドゥネーヴで、私は過去に一度聴いている。その時の印象はさほど残っていない。ただ、NHKホールいっぱいに鳴らした「ローマの松」のエンディングで、パイプオルガンも加わった迫力に圧倒された記憶はある。

「夏の牧歌」はスイスの田舎の風景を音楽にしたものだ。冒頭のホルンの響きが、アルプスを望む朝の静かな情景を表現していることは明白で、私もかの国で夏の2か月を過ごした者として、忘れ難い思い出である。もう40年も前のことになるが、その時撮影した写真から、この曲の光景に合うものを選んで貼っておきたい。

続くベルリオーズの歌曲「夏の夜」は、恋人を失った孤独と寂寥感を表した狂おしい曲。私は面白いことに、実演をこれまでに何と3度も聴いている。ムーティ指揮フィラデルフィア管の演奏(独唱:バーバラ・ヘンドリックス)も見事だった(彼女はコリン・デイヴィスとこの曲を録音し、私も購入して愛聴していた)が、最も感動したのは小澤征爾指揮ボストン響の来日公演で、独唱はスーザン・グラハムだった。日本人によるものとしては、若杉弘指揮都響(独唱:緑川まり)を覚えている。

さて、今回はフランス人のガエル・アルケーズというメゾ・ソプラノであった。彼女の歌声はどちらかというとリリカルなもので、この曲の行き場のない苦悩の表現が十分だったかは評価の分かれるところだろう。また、曲としてのまとまりや集中力はやや乏しく、今はやりの美しい声が前面に出た印象である。

後半はイベールの「寄港地」で始まった。この曲は地中海の寄港地をめぐる旅の音楽で、ローマから始まり北アフリカを経てスペインのアンダルシア地方に戻る。いわば音の旅行記のような作品で人気も高い。情緒にあふれ、色彩感豊かな曲なのだが、どういうわけか今回の演奏からそのような旅情が伝わってこない。フランス音楽に必要なちょっとしたアクセント、あるいはその隙間に漂う間合いが感じられない。これは指揮者の意図がオーケストラに伝わるまでの十分な時間が確保されなかったからではないか、と思うことにした。

最後の曲、ドビュッシーの交響詩「海」でも、その傾向は変わらなかった。大編成のオーケストラに打楽器群も活躍する規模の大きな曲が表現するのは、「海」のさまざまな情景である。この想像力豊かな曲を聴くとき、私はやはり葛飾北斎の「富嶽三十六景」を思い浮かべてしまうのだが、それは出版された楽譜の表紙に印刷されていたからで、当時日本画はちょっとしたブームだったのだろう。けれども決して駿河湾をモチーフに描いたわけではなく、アジア的な作品でもない。いや、ドビュッシー自身、この曲を書いたのは内陸部においてだった。

暗譜で指揮するドゥネーヴは日本びいきの指揮者で、とても愛想がいい。演奏が終わって各奏者と握手を交わし、長いカーテンコールに応えていた姿は好感の持てるものだった。どことなくフランス人にありがちな自意識過剰気味のムードに彩られてはいたが、もう少し緻密な演奏になるまでこなれた落ち着いた音楽になれば、もっと感銘を受けたであろう。

音楽の感じ方は人それぞれである。聴く位置によっても、聴く側の体調によっても、演奏の印象は随分異なる。N響のサントリー定期は今シーズンはこれで終わり。来シーズンは改装のため3回しか開かれない会員権を更新する気はなく、早々にキャンセルしてしまった。創立100周年を迎えるN響の次期プログラムは、ベートーヴェンの交響曲・ピアノ協奏曲の全曲演奏会を目玉に、有名指揮者が次々と登場する。だが、それらから何を聴くかはまだ迷っている。

2026年5月25日月曜日

第2064回NHK交響楽団定期公演(2026年5月24日NHKホール、ミヒャエル・ザンデルリンク指揮)


広大なNHKホールの3階席にも、十分な音量と最適なバランスでオーケストラの豊穣な響きが届いたのには驚かされた。昔から幾度となくこの席に通ってきたが、いつもそうとは限らない。これは指揮者次第ということになるのだろう。このたび11年ぶりにN響定期に登場したミヒャエル・ザンデルリンクは、このホールの難しい音響空間の特性を即座に把握し、わずか1回の定期公演でその真価を発揮したように思える。彼は、主に東独で活躍したあのクルト・ザンデルリンクの息子であり、私とは1歳違いである。クルトはブラームスを得意とし、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮した交響曲全集はいまなお名盤とされている。

そのミヒャエルが、2つのブラームス作品を取り上げた。前半はヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲(独奏:クリスティアン・テツラフ、ターニャ・テツラフ)、後半はシェーンベルクがオーケストラ用に編曲したピアノ四重奏曲第1番である。交響曲は含まれず、何とも渋い選曲と言わねばならない。特に後半のピアノ四重奏曲第1番は、私も実演で聴いたことがなく、いつかぜひ一度と思っていた作品だ。最近は演奏される機会も増えているが、なかなか足を運ぶことができなかった。

N響の定期は2日間、同じプログラムで行われる。A定期は土曜日の夕方と日曜日の午後。私は今回、日曜日の午後に渋谷へ向かい、長い時間をカフェで過ごしたあと、屋台でごった返す代々木公園の並木道を抜けて会場入りした。当日券は多く余っており、意外に思ったのだが、安い席を確保できたのは有難かった。そして懐かしい3階へ。前方正面に近い席は悪くないのだが、唯一の難点は奏者がよく見えないことで、こればかりはどうしようもない。

二重協奏曲の冒頭でオーケストラが鳴り響いた途端、十分に良い音が3階席にまで迫ってくることに驚いた。間髪を入れずチェロとヴァイオリンが決然と音を会場に轟かせる。その自信に満ちた表情は、この曲がいまや十分に名曲として定着し、数々の名演奏を重ねてきた歴史を思わせる。1983年3月、イスラエル・フィルが日本公演を行った際、大阪で聴いた同曲が、私にとって4度目の海外オーケストラ体験だった。指揮はズービン・メータである。

私はこの聴き慣れない曲を、オイストラフとロストロポーヴィチによる演奏(ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団)で予習し、当日に臨んだ。この日の演奏会のソリストは、同楽団の首席奏者だった2人である。しかし、ラジオからエアチェックしたその演奏は、テープの質も手伝って冴えないばかりか、籠もった音が遠くで鳴っているような、か細いものだった。私のラジカセでは、到底この曲の真価はわからない。そして大阪フェスティバルホールの2階席最後列という学生割引の席もまた、この曲を味わうには不十分だった。

二重協奏曲という作品は、ブラームス作品の中でも地味な存在であり、しかもソリストを二人必要とすることから、演奏される機会はめったになかった。私が今回実演で聴いたのも、実に43年ぶりということになる。だが、いまでは数多くのソリストがこの曲を取り上げ、次々と新鮮で見通しの良い演奏がリリースされている。

ターニャとクリスティアンという兄妹が奏でるチェロとヴァイオリンは、まさにこの曲にうってつけである。それぞれのテクニックも相当な切れ味を持ち、ソリストとして活躍していることは言うまでもないが、数々の室内楽で証明済みの、息の合った見事なアンサンブルは、この難曲の見通しを明るく照らし、すでに自分たちのレパートリーとして完全に血肉化しているという自信を感じさせるものだった。

このようにして、3階席の奥まで届くオーケストラと二人のソリストの丁々発止のやり取りに耳を傾けた。演奏が終わるとブラボーが沸き起こったのも当然である。N響の奏でるブラームスの懐かしい響きは、しばし私を往年の記憶へと引き戻してくれた。

2人はそのままアンコールとしてコダーイの二重奏を演奏したが、これがまた相当な名演で、しかも長大だった。ブラームス以上に技巧的な要素を要求される曲であり、もしかすると本領はこちらでこそ発揮されたのかもしれない。とにかく盛況のうちに前半は終了した。

後半ではオーケストラがさらに増員された。その多くは打楽器である。ブラームスのピアノ四重奏曲を、アルノルト・シェーンベルクがオーケストラ用に編曲したこの作品は、実に風変わりで面白い。なにせ、あの「十二音技法」を生み出したシェーンベルクが、よりによって古典性へ回帰する作風のブラームスに手を加えるのである。ところが意外なことに、シェーンベルクはブラームスを深く敬愛しており、この作品でも音符をほとんど変えることなく、その様式を尊重したのだった。

その結果、冒頭に現れる音楽はまさにブラームス節そのものである。しかしシェーンベルクの色彩豊かなオーケストレーションによって、数々の楽器が加わり、表現力は大きく増している。時に華麗ですらあり、音楽が進むにつれてその傾向はさらに強まる。最終楽章では、まるで「ハンガリー舞曲」を聴いているかのような感覚にさえなった。

長身のザンデルリンクは、実に見通しの良い演奏でこの曲を完全に手中に収めていた。それを短い練習時間でN響に演奏させる力量は、素人の私から見ても並大抵のものではないだろう。すでにライプツィヒのオーケストラとともにこの曲を録音しているようだが、そうした経験もあってか、まさに面目躍如たる演奏だった。最終楽章ではN響も奮い立ち、このオーケストラの力が遺憾なく発揮されたと言える。やはり個々のソリストの力量において、N響は他のオーケストラより一頭地を抜いている。

コーダもぴたりと決まり、どよめきにも似たブラボーと拍手が会場を覆った。幾度も舞台に呼び戻された指揮者は、各奏者と握手を交わした。このザンデルリンクといい、東響を振ったエラス=カサドやヴィオッティ、さらには我らが山田和樹といい、優れた若手指揮者の登場が相次いでいる。彼らがここ東京にしばしば登場することは嬉しい。実に朗らかな気分にさせてくれたコンサートだった。


2026年5月23日土曜日

東京都交響楽団第1044回定期演奏会(2026年5月21日サントリーホール、ジョン・アダムズ指揮)


米国で最も著名な作曲家のひとりで、ミニマリズムの正統的な後継者のひとりであるジョン・アダムズが、一昨年に引き続いて都響の指揮台に立った。2年前に行われたアダムズの公演は、彼自身が日本のオーケストラを指揮して自作を演奏するという歴史的なものだった。記録によれば私もこの日、「アイ・スティル・ダンス」「アブソリュート・ジェスト」、それに有名な「ハルモニーレーレ」を聴いている。この日は日本の作曲家の姿も多く見かけ、いつもとは違った雰囲気に圧倒されたのを覚えている(https://diaryofjerry.blogspot.com/2024/01/9922024118.html)。

今回の演奏会には、再び彼自身の作品を中心に3つの曲のプログラムが組まれた。このうち最初の演目は、日本初演となる「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」という作品で、日本語に訳せば「内気で感傷的な音楽」などとなるのだろうが、近年の傾向に倣って、原題のままカタカナ表記とするのが流行りのようである。だが、どちらの言語で表現しようと、そのタイトルの意味には解説が必要だろう。

幸いブックレットは、彼自身が自作を解説した部分を中心に、大変読み応えのあるものだった。それによれば、おおよそ表現者たる芸術家は、「ナイーヴな人格を持つ人」と「センティメンタルな人格を持つ人」に分かれるのだという。これはドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラーの論で、シラーと言えば、あのベートーヴェンの「第九」の歌詞で有名な、あのシラーである。

シラーによれば、自分と周囲の環境、そして自分の内面が一致している芸術家(ナイーヴ)と、それが芸術の発展に伴って失われ、今や理想としてのみ存在するものとして追い求める芸術家(センティメンタル)に分かれるのだという。大雑把に言えば、自然に自己矛盾なく作品が創作できた時代の人と、芸術的なものを意識せざるを得なくなった、自意識過剰の時代を生きざるを得なかった人。

この2つの立場の違いを意識して本作品は作られた、云々のような解説が掲載されているのだが、では実際どんな音楽なのかとなると、多くの現代音楽作品の解説同様、音楽以上に難解である。特に本作品は日本初演。事前に聴くこともできない(実演でなければ、そういうわけでもないのだが)。

45分の曲は3つの楽章から成っている。舞台上に並んだ大規模なオーケストラには、見たこともないような打楽器が所狭しと並べられていたようだが、私の座席の位置(1階席10列目)からはよく見えない。この大規模な演目は、後半に設定されてもよさそうなものだったが、前半になっていた。これは指揮者(作曲家)の意向を反映していると考えるのが妥当だろう。

第1楽章が「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」。20分にも及ぶ楽章は、例の小刻みなリズムが絶え間なく続き、その合間に様々な楽器が入り乱れながら、次第に規模を増していく。よく指揮者のタクトを見ると、拍子がくるくると変わっていく。8拍子だったと思ったら3拍子になる、という具合。漂う音楽。

第2楽章は「人間の母」という。「母の死と、男あるいは女が汚れなき幼年期の状態に願うこと」を呼び起こす人間の潜在意識を表現している。これが「ナイーヴ」と「センティメンタル」の葛藤である、というのである。

ここで印象的だったのは、増幅器を用いたギター(エレキ・ギターみたいなもの)が、間隔を置いて舞台左袖奥から聞こえてきたことだ。このギターの音は、とても鮮烈に聞こえるのだが、音楽とうまく調和しているようでもなく、かといってバラバラでもない。その微妙なハーモニーは、そういう音楽だからなのか、それとも演奏がおかしいのか、よくわからない。

第3楽章「リズムへの連鎖」。オーケストラがさらに規模を増し、圧倒的なエネルギーで聴衆を興奮に巻き込む。ストラヴィンスキーの「春の祭典」第1部の終わりを聴いているような感覚、とでも形容するくらいしか思い浮かばない。音楽が終わると同時に沸き起こったブラボーと拍手は、終演時を上回るほどだった。

指揮者としてのアダムズは、きっちりと指揮するので精いっぱい、という感じで、指揮者のプロが振ればもっと刺激に満ちた演奏になったようにも思われた。しかしこの表現には注意が必要だろう。彼自身が書いている。「作曲家であると同時に指揮者でもある者は、公と私、外向性と内面性、内面生活と外面生活の間の過酷な分断という厳しい衝突を日々経験する」(プログラム・ノート)。作曲家として自作を指揮することには、聴く者には簡単にはわからない葛藤があるのだろう、と思った。だからこの曲は、その境遇を理解している、指揮者であり、かつ作曲家でもあるエサ=ペッカ・サロネンに捧げられたそうだ。

休憩時間を挟み演奏されたのは、アイヴズの「答えのない質問」であった。この曲は短い作品だが、演出がとても凝っている(改訂版)。まずP席に4つの譜面台が設置され、そこに登場したのは3人のフルートと1人のクラリネット奏者。そして驚くべきことに、彼らを指揮するために副指揮者が指揮者の前に着席。さらに音楽が始まると、2階席の奥からトランペットが響いてくるという仕掛け。

このトランペットが、まるで勘違いしたかのように唐突に、周囲の調和を無視するような(つまりは下手を装ったような)感じで吹き出すのである。それに対して、しどろもどろな応答をする4人の木管奏者。この対話が舞台空間を利用してやり取りされる間、小編成のオーケストラは静かな音を終始奏でていた。

今回のプログラムで、なぜアイヴズの音楽が挿入されたのかは、解説に様々書かれているが、同じニュー・イングランドをルーツに持つ作曲家の先駆者として、敬意を表したということだろうか。いや、もっと深い意味があるのかもしれない。後年の作品と若い頃の作品の間に挟まれた、わずか6分の小曲は、前衛的な音楽の「答えのない質問」を続けてきた彼自身の創作の経歴を表しているのかもしれない。アイヴズがそうであったように。

さて最後の「ハルモニウム」もまた大きな曲で、これだけ次々と凝った曲が聴けるのは、何とも贅沢極まりないことである。演奏する方は大変なことだろうと思う。だが都響は今回も素晴らしい仕事をこなしたと思う。そして合唱団!

P席に陣取った新国立劇場合唱団は、ミニマル音楽における合唱という新しい地平を行く曲を、見事に表現し尽くしたと思う。その難しさは、これもまたプログラム・ノートによるのだが、実際にはいくつものパートに分かれているそうだ。それがばらばらにならず、一定のリズム感覚を生理的に高めながら、時にグレゴリオ聖歌のような静謐な部分も交えて(実際、歌詞の英語がラテン語のように聞こえるときがあった)、見事にオーケストラと溶け込んでいるのである。

この曲はアダムズがまだ若い頃の作品で、いわば野心作であろうと思う。作品は3つの楽章から成り、それぞれ3つの詩を用いている。第1楽章「否定でしか表せない愛」、第2楽章「私が死のために立ち止まることができなかったから」、第3楽章「大荒れの夜」。会場に字幕の用意はなされなかったが、歌詞がプログラムに掲載されているのは親切なことである。

いつもとは違う音楽体験。おそらく現代音楽の難解さを理解できない多くの聴衆も、それを求めて来ているのだろう。そしてアダムズの音楽は、身を任せて聴いていれば、まるで麻薬のように身体に陶酔感をもたらすようなところがある。

来年80歳になる作曲家は、世界中で多くの記念コンサートを控えているのだそうだ。何度もカーテンコールに応え、会場を立ち去りがたい多くの聴衆からは、いつまでも熱い拍手が送られていた。

2026年5月17日日曜日

東京交響楽団第740回定期演奏会(2026年5月16日サントリーホール、ロレンツォ・ヴィオッティ指揮)


良く知っている曲ばかりのプログラムは、気持ちが楽である。フレーズを歌えるほどに馴染んで聞き所を心得ているし、演奏による違いもすぐに実感できる。今回のコンサートは、前半にベートーヴェンの交響曲第1番、後半にマーラーの交響曲第1番「巨人」という、ふたつの「第1交響曲」を並べたもの。あまりにも有名過ぎて普段なら敬遠するのだが、今回は違った。

東京交響楽団が新しい音楽監督に就任する、まさにその就任披露の演奏会。これまでに音楽監督だったのは、秋山和慶、ユベール・スダーン、そしてジョナサン・ノット。ヴィオッティは4代目ということになる。そのヴィオッティ、私はイタリア人だと思っていたのだが、実はローザンヌ出身のスイス国籍であることが判明した。1990年生まれの若干36歳ながら、ウィーン・フィルの定期にも登場する世界的な指揮者である。

そのローザンヌにかつて2か月ほど滞在したことがあるので、あの世界一綺麗な(と思っている)町で育った指揮者に特別な興味を覚えた。私がローザンヌに滞在していたのは、学生だった頃の1990年夏だったので、彼の生まれた年である。急な斜面に建ち並ぶ中世の街並みと古い教会、その合間を縫う石畳の向こうにはレマン湖が見え、さらにはフランス・アルプスの高峰がそびえている。

よくこれほどの指揮者を、東京交響楽団は次の音楽監督に迎えることができたのだと思う。プロフィールを読むと、2014年、東響とは彼の指揮者人生において初めてオーケストラとなる演奏会を指揮をしたそうである。しかも代役。以来、このオーケストラとは何度か共演を続けてきているようだが、私は彼を聞く初めてのコンサートだった。就任披露となっていることもあり、会場は特別な雰囲気に満ちていた。チケットは完売し、あとから妻を誘おうとしたが、それは果たせなかった。

ベートーヴェンの交響曲第1番は1800年に初演され、マーラーの交響曲第1番はその約100年後に初演された。いずれも音楽史の転換点となる節目の年であり、その象徴的作品に他ならない。まさにベートーヴェンの交響曲第1番によって「芸術」としてのクラシック音楽の「始まりの始まり」となり、そしてマーラーの交響曲第1番によって、その「終わりの始まり」が示されたと言える。19世紀の最初と最後の作品を並べたのが、今宵のプログラムというわけである。

さて、拍手に迎えられてオーケストラが席に着くと、やがて指揮者が現れた。ヴィオッティは深々とお辞儀をしたのが印象的だった。タクトを下した瞬間に響いたのは、まぎれもなくベートーヴェーンの和音。序奏に引き続き、勢いよく第1楽章のメロディーが流れた。音は少し硬いという印象。やはり緊張のせいかもしれない。最近には珍しく、右手最前列がチェロである。

私はコロナ禍の始まった2020年、ベートーヴェン生誕250年の年に企画されていた数多くのコンサートに出かける予定だったが、ほぼすべてが中止を余儀なくされてしまった。そのことが残念で、以来、ベートーヴェンの交響曲が演奏されるたびに、各曲1回は聞くことにしてきたが、それも今回の第1番、そして来月の第8番(オスモ・ヴァンスカ指揮東響)でめでたく終わる予定である。

第3楽章から第4楽章にかけては、そのまま続けて演奏されたのは印象的だったが、その演奏が終わるころにはオーケストラも少しずつゆとりが生まれてきたように感じられた。無難に演奏を終えたのだろうが、これはこの曲としては高水準の名演だったと思う。ハ長調の曲は難しい。ヴィオッティは特に古楽器風の音作りではないようにも思えたが、やや残響が少ないようにも思った。集中力が並々ならぬ思いを伝えていた。若い、エネルギッシュな指揮だったが、それだけではなく、聞き所を押さえて十分に音楽的であった。

いつものようにトイレには長い行列ができ、後半のプログラムを待つ。私は今回、2階の後方ブロックの最前列であった。しかしここからはオーケストラの全体が見渡せ、悪くない。NHKホールならS席の距離である。しばらくして4管編成に増強されたオーケストラが登場、最上段にまで弦楽器奏者がいるのは、さすがに壮観である。

第1楽章のかすかな響きで音楽が開始すると、やがてクラリネットが、トランペットが、徐々に音楽は大きくなってやがて太陽がパッと姿を現す。そのクレッシェンドの印象的なシーン。この曲は聞きどころが満載である。ヴィオッティの指揮はここでも少し硬く感じられたが、それも第2楽章の鋭く刻むスケルツォで、彼は自信を深めていったように見える。この第2楽章のリズムは私のこだわる部分だが、これまでに聞いてきたどの演奏よりもエキサイティングだった。そして中間部の繊細さも!

第3楽章は「巨人」の白眉ともいえる楽章だ。まず冒頭のコントラバス。通常はソロであるフレーズを、何と彼は奏者全員で弾かせた。さらに中間部では、ハープの独特な響きに伴われて、マーラーの心の奥底を垣間見るようなシーンとなるが、彼はそのことを十分心得ており、その表情付けには圧倒された。しかもこれまで聞いたことのないような、新しい音楽に聞こえてきたのはちょっと意外だった。

楽章の間だというのに、静まり返った会場は、第4楽章のシンバルの一撃を指示するタクトに全体の視線が注がれていた。咳をしたり、座りなおしたりすることもできないくらいに体が硬直し、その霊感に圧倒されていたのだ。そのようにして始まった長い第4楽章は、まるで魔法にかけられたような圧倒的なものだった。展開部の弦楽器のアンサンブルは、それはもう感涙にむせぶような気持ちにさえなったのだ。

圧巻のコーダに至っては、ホルン奏者が総立ちとなり、会場が震えるような音量の中を突き進んだ。演奏が終わると爆発的な拍手とブラボーが送られたのは当然のことだった。各奏者を順に讃え、指揮者も長々とお辞儀を繰り返す。オーケストラが去っても会場を去る人は少なく、拍手と歓声が続く。そして再び姿を登場した長身のマエストロは、舞台を歩き回って手を振り、この就任披露が大満足の結果となったことを観客とともに祝っていた。

2026年5月16日土曜日

NHK交響楽団第2063回定期公演(2026年5月15日サントリーホール、山田和樹指揮)

いつの間にか山田和樹は、わが国を代表するスター指揮者になってしまった。昨年はついに、日本人としておそらく(近衛秀麿、朝比奈隆、小澤征爾、佐渡裕に次いで)5人目となるベルリン・フィルの指揮台に立った。それ以前にもモンテカルロやバーミンガムのオーケストラを指揮しており、ドイツを拠点とした生活は相当に多忙を極めていると想像される。

それにもかかわらず、日本での活動も実に活発だ。ついこの前までは読売日本交響楽団の首席客演指揮者を務めていたことが記憶に新しいし、東京混声合唱団での活動も続けている。さらに来シーズンからはベルリン・ドイツ交響楽団の芸術監督に就任するというから驚くほかない。エラス=カサドやソヒエフらと並び、若手指揮者のトップランナーとして走り続けている。

そんな山田の指揮を、私はかつてN響の定期で触れている。記録によれば2016年1月、ビゼーやストラヴィンスキーの作品をNHKホール3階席で聴いたときの記憶が鮮明に残っている。10年前なので、彼はまだ36歳という若さだ。だが当時すでに、自ら主宰する横浜シンフォニエッタの録音で知られ、私も瑞々しく躍動感に満ちたビゼーの交響曲に感動した覚えがある。N響の定期公演は記憶に残らない回も多いが、この演奏会は今でもよく覚えている。

今回の演奏会でも、山田の指揮は見事というほかなかった。まるで長年ともに演奏してきたオーケストラのように自在に操る手腕は、やはり才能としか言いようがない。日本人同士で気心が知れ、日本語でコミュニケーションできるという利点はあるにせよ、同じ条件で誰もがこうなるわけではない。しかも今回のプログラムは、日本人の作曲家を含む、滅多に演奏されない作品ばかりでだった(N響100年特別企画「邦人作曲家シリーズ」)。

  • 山田一雄:交響詩「若者のうたえる歌」
  • カール・アマデウス・ハルトマン:葬送協奏曲(ヴァイオリン独奏:キム・スーヤン)
  • 須賀田磯太郎:交響的序曲 作品6
  • パウル・ヒンデミット:交響曲「画家マティス」

こうした珍しい作品は、素人目には練習も大変だろうと思うのだが、山田はまるで何十回も取り上げてきたかのように軽やかで、余裕を感じさせる指揮ぶりだった。作品全体をしっかり把握し、指示も的確。オーケストラは安心してついていきアンサンブルに乱れがない。バランスも絶妙で、特定の楽器が強すぎたり弱すぎたりすることもなかった。

山田一雄は元祖「ヤマカズ」で、1985年までN響を指揮していた我が国の音楽家だが、この「若者のうたえる歌」は1937年の戦前の作品である。初めて聴いた印象としては、非常に現代的な感性に彩られているということだ。武満徹の作品のように、日本的な音階が新古典的衣装をまとっている。マーラーは、幼少期に親しんだ民謡を作品に取り入れたように、若き山田一雄もまた、民謡のメロディーをそっと織り込んだのだろうか。そんな想像が頭をよぎった(もちろん素人の感想で、事実は不明だ)。

今回取り上げられた作品は、いずれも1930年代の日本とドイツの作品である。つまり二つの世界大戦の狭間に位置し、マーラーのすぐ後の世代にあたる。マーラーの弟子でナチスに追われたユダヤ人スプリングハイムという人物が日本に逃れたことで、2人の邦人作曲家に大きな影響を与えたらしい(プログラム・ノートによる)。

とはいえ、それぞれの立場は少しずつ異なる。ヒンデミットはユダヤ人ではなかったが、ナチスによって退廃的と批判され、とうとうアメリカへの亡命を決意した。一方ハルトマンは、左翼としての批判を受けながらもナチの時代を生き延び、1963年に亡くなるまで8つの交響曲を含む作品を残した。そのハルトマンの「葬送協奏曲」は4楽章から成るヴァイオリン協奏曲である。韓国系ヴァイオリニスト、キム・スーヤンはオーケストラと見事な共演を見せ、前半のゆったりした曲にやや飽きかけた頃、一転して激しく速い楽章に突入すると、山田の若々しい指揮に伴って、ぐっと聴きごたえのある音楽へと進化していった。これは「ファシズムを打倒するロシアの革命歌」だという。

アンコールでは、彼女はバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調より第3楽章をたっぷりと演奏した。隣り合う2本の弦を同時に弾く奏法は、まるで二人のヴァイオリニストが演奏しているように聞こえる。その響きが、近代に蘇った新鮮な音として耳に届いた。アンコールにバッハを選んだのには、このようなポリフォニックなものを強調して見せるとう意図があるのではないかと感じた。

休憩を挟んで演奏された須賀田磯太郎の「交響的序曲」は、当時の時代背景にあって明るく、祝祭的な雰囲気を持つ。横浜の資産家として不自由ない生活を送ったことが、その楽天性に影響しているのかとも思ったが、実はこの作品は皇紀2600(1940)年を記念して作曲され、山田耕筰の指揮で初演された、いわば体制賛美の曲である。

プログラム最後はヒンデミットの「画家マティス」。すでに古典的作品の風格すら漂うが、私は今回が初めての実演だった。ヒンデミットには先にオペラ版「画家マティス」があり、それを交響曲に仕立てたのが1934年。その経緯は片山杜秀氏の解説に詳しい。日本初演は1936年、斎藤秀雄の指揮による(世界初演はフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル)。

ヒンデミットは1963年まで生き、多くの作品を残したが、この「画家マティス」が最も有名だ。ただしモデルとなった「マティス」とは、16世紀ドイツの画家マティアス・グリューネヴァルトのことで、フランスの画家アンリ・マティスとは別人である。私はそのことすら知らなかった。作品はフーガやポリフォニーなど古い形式を多用し(これがヒンデミットの特徴とされる)、コラールも用いられる宗教的色彩も濃い。

しかし、現代音楽でもあるこの曲は大規模で壮麗な響きが続く曲である。ここで少し下世話な話になるのだが、平日夜のコンサートは職場のストレスを引きずりがちで、気持ちの切り替えが難しい。だがこの日の音楽は、開演前にサントリーのワインで少し酔いを回らせていたにもかかわらず硬直していた脳に、心地よい混乱を与えてくれた。雑念を追い払うように、あるいは雑念に寄り添うように、音楽が響いてくる。

無味乾燥な音がひたすら鳴っているような錯覚にとらわれる瞬間もあったが、N響は今日も一糸乱れぬ、気合の入ったアンサンブルで、この若き日本人指揮者に全幅の信頼を寄せているように見えた。終演後、各パートを回って握手を交わす山田の姿からは、暖かい人柄がひしひしと伝わり、熱狂的な拍手は長く続いた。会場では山田の最新アルバム、ドイツ・グラモフォンからリリースされたウォルトンの交響曲集(バーミンガム市交響楽団)が販売されていた。なるほど、今日聴いた作品の性質とどこか通じるものがある、と感じた。

2026年5月6日水曜日

シューマン:ヴァイオリン協奏曲ニ短調(Vn: アンティエ・ヴァイトハース、アンドルー・マンぜ指揮北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団)

ゴールデンウィークの真っ只中、今日も東海道新幹線に乗って京都へ向かっている。朝から全席満席で、外は雨。車窓に当たる雨粒は真横に流れ、山々は霞んで見える。田植えを控えた田んぼには水が張られ、いつもの初夏の風景が広がっていた。

連休の始まりにふさわしい明るい曲を、と最初は思った。しかし、どこか進んで陰鬱な気分に寄り添ってくれる音楽はないだろうか、と考えたとき、ふとシューマンのヴァイオリン協奏曲を思い出した。そういえば、この曲についてはまだ書いていなかった。

「のぞみ」が小田原を通り過ぎるころ、Spotifyでこの曲を再生した。ヴァイオリン独奏はアンティエ・ヴァイトハース。調べてみると、私と同い年の1966年生まれのドイツ人女性だという。指揮はアンドルー・マンゼ、オーケストラは北ドイツ放送フィル。2020年の録音。彼女は室内楽的な活動を中心にしているようだ。日本での知名度は高くないが、誠実で温かい演奏をする人だと感じた。

今でこそ録音は増えたが、この曲は大作曲家の作品にしては演奏される機会が少ない。もしかすると、演奏家を選ぶ曲なのかもしれない。澄んだ音で、アクセントをきっちり刻み、六度跳躍のような難所をしっかり決められれば、シューマンらしい印象的な音楽になる。ブラームスにも言えることだが、シューマンはより繊細な注意が必要なのだろう。しかし、このヴァイトハースの演奏は、マンゼの献身的なサポートもあって、メリハリがあり、とても美しく仕上がっている。

この協奏曲はシューマンの遺作であり、死後長い間、日の目を見なかった。だが、紛れもなくシューマンの音楽であり、第1楽章の広がる感覚は、まるで平野の空をグライダーで滑空するようだ。ワーグナー的とでも言うか。

列車が天竜川を越えるころ、雨は上がったが、空はまだどんよりしている。今日の新幹線の車窓から眺める新緑の景色は、この曲によく似合っている――そんなことを思っているうちに、長い第1楽章が終わった。列車は浜名湖の湖面をかすめるように走り抜けていく。

第2楽章は第1楽章に比べると短く、ゆったりとした夢を誘うような美しい音楽だ。ヴァイオリン協奏曲における長大な第1楽章、短い緩徐楽章、そしてロンド風の第3楽章という構成は、ベートーヴェンが確立し、ブラームスやチャイコフスキーも踏襲した形式である。シューマンもまた、その伝統の中にいる。第2楽章から第3楽章へと切れ目なく続く構成は、全体に明るく健康的な印象を与える。

しかし、クララ・シューマンはこの曲を「決して演奏しないように」と忠告したという。理由は、シューマンがライン川に身を投じる直前に書いた「天使の主題による変奏曲」と酷似しているからだとされる。結局、この協奏曲が初演されたのはナチス政権下の1937年。依頼を受けたヨアヒムではなく、ゲオルク・クーレンカンプがカール・ベーム指揮ベルリン・フィルとともに演奏し、その模様は短波放送で全世界に流されたという

2026年4月29日水曜日

東京交響楽団第739回定期演奏会(2026年4月26日サントリーホール、パブロ・エラス=カサド指揮)

前回出かけたコンサート(N響定期)に関する記事で、最近あまり演奏会で感動することがなく、これは年齢によるものだろうか、などと書いた。しかし、これは間違っていた。このたび聴いた東京交響楽団の演奏会の素晴らしさと言ったら! 前半のシューベルトといい、後半のブルックナーといい、何も言うことができないくらいに完成度が高く、これは本当に東響の演奏会なのだろうか、とさえ思ったほどだ。指揮者が良ければ、オーケストラの良し悪しなどたいした問題ではない。逆に、指揮者がつまらないと、いかにオーケストラが取り繕おうとしても限界があるということだ。

私はこの四半期、6月までの東響の演奏会に「4回券」という仕組みで会員となった。これは好きな4回のコンサートを自由に組み合わせて、割引のチケットを購入することができるというものだ。東響の今年の演奏会は、私が注目するものが前半に集中している。このため、この仕組みは大変ありがたい。そしてその最初のコンサートがサントリーホールで開かれた。久しぶりの東響である。

その指揮は、何とパブロ・エラス=カサド。前回の来日で指揮したN響定期を私は聴き逃しているから、これは思いがけないことだった。その演奏の素晴らしさはラジオでも明らかだった。たしかファリャの「三角帽子」だったと思う。そして、彼は今やウィーンにもベルリンにも登場する売れっ子指揮者となっている。私は昨年末、久しぶりにバイロイト音楽祭のライブ収録をNHK-FMで聴いたが、その中で「パルジファル」を指揮したのがエラス=カサドだった。彼は毎年のようにバイロイトに出演しているらしい。

その彼が、よく東響の指揮台に立ってくれたと思う。そしてプログラムがいい。前半はシューベルトの「未完成交響曲」、後半がブルックナーの交響曲第6番である。いずれも渋い選曲。そして指揮者の力量がストレートに出る曲ではないかと思う。サントリーホールの1階席は久しぶり。A席なので後方の端である。だがそんなことは、まあどうでもいい。新橋で昼食を済ませ、銀座線に乗って溜池へ。会場前の広場には骨董市のような催しが開かれていて、気候もいいからだろう、大勢の人が集まっている。その合間を縫うようにしてエントランスに向かう。

大作曲家が未完に終わった曲を、弟子や後世の作曲家が補筆する例は多い。モーツァルトの「レクイエム」はもっとも有名だが、他にもマーラーの交響曲第10番、ブルックナーの交響曲第9番、あるいはプッチーニの歌劇「トゥーランドット」なども完成版としてよく演奏される。しかしシューベルトの、今では第7番と呼ばれる交響曲は、そのようなことにならない。理由は簡単で、この曲を補筆してしまうと「未完成」ではなくなるからだ。シューベルトの「未完成」は「未完成」であることに意味がある。だが、本当はこの曲をシューベルトの意思を継いで作曲することなど、誰もできないからではないかと思う。

「未完成交響曲」のユニークさは、当時としても画期的だったのだろう。ベートーヴェンが「暗い」と言って敬遠したロ短調(プログラム・ノート)という調性もさることながら、それまでシューベルトが作曲したどの交響曲よりも長く、そして深いのだ。

「未完成交響曲」はベートーヴェンの「運命交響曲」と並んでクラシック音楽の定番のカップリングであり、大変よく演奏されたのだが、私が初めて「未完成交響曲」を聴いたとき、これは何とも静かな曲だと思った。音楽はゆったりとして速くなることがない。最初は少しためらったが、その魅力に惹かれるのに時間はかからなかった。にもかかわらず、実演で「未完成交響曲」を聴くことは少ない。私もこれが確か4回目に過ぎない。けれども「未完成交響曲」は、第1楽章も第2楽章も大変ダイナミックであり、時に深く沈むかと思えば、懐かしいメロディーが心の底をえぐり、大音量の切実な波が押し寄せてくる。変化に富んだ曲は、迫力もあって聴き所満載である。

その「未完成交響曲」の最初の静かな出だしは、どこか落ち着かないムードの曲なのだが、エラス=カサドはそれからわずか数分後には演奏家を完璧に掌握し、聴衆の心を鷲掴みにした。音のバランス、ハーモニーの職人的妙味は、あのN響の常連であるソヒエフでも感じる天才的な音楽感覚ではないかと思う。我が国にも山田和樹がいるが、この3人はヨーロッパでも引く手あまたのスター指揮者へと昇っている。

シューベルトで心の底から感動した私を含む聴衆は、音楽が終わっても拍手をすることが数十秒ほどできなかった。長い静寂に会場が浸った。そして暖かい拍手。前半でエラス=カサドは東響の会員を驚かせたに違いない。となれば、自然に後半のブルックナーへの期待が高まる。いつもと違って顔を紅潮したような人が多かったような気がしたのは気のせいかもしれないが、私はその気持ちを落ち着かせるべくドリンクのカウンターに並んだ。

ブルックナーの交響曲第6番は地味な曲だが、私が最初に感動したブルックナーの交響曲で、思い入れが強い。しかし、この曲は作曲家の存命中にはほとんど演奏される機会がなく、したがってあのブルックナーの交響曲につきものの「版」の問題は存在しないに等しい。皮肉なことにこの曲は「大きな反響を呼ぶことも、厳しい批判を集めることも」なく、「改訂を決意するような機会すらなかった」(プログラム・ノート)のである。しかし、ブルックナーの死後2年がたって、ようやく全曲通しての初演がなされた。その時の指揮は、何とグスタフ・マーラー(ウィーン・フィル)だったようだ。

エラス=カサドがブルックナーを得意としているのかどうかわからないが、第4番をすでに録音している。それを聴いたことはないのだが、今回の演奏も終始力強く自信に満ちており、と同時にブルックナーに必要な独特の間合いは、この曲も完全に掌握しているからこそ達成されたものと言ってよい。よくブルックナーは自然に任せて表現することが重要、などと言われるが、それとは対極の、いわゆる「統制型・攻撃型」のブルックナーとしては、これは最高峰の出来栄えであった。

それを可能ならしめたのは、何といってもこの日の東響のアンサンブルの素晴らしさで、まるで神がかったように一糸乱れぬ姿は、1時間にも及ぶ演奏時間中、途切れることがなかった。この手腕はオーケストラの各プレイヤーによることは明白だが、指揮者がそうさせていたと思う。魔法のように、その指揮はオーケストラを乗せていった。特に第2楽章の美しさといったら!

演奏が終わって、長い静寂のあと大歓声が沸き起こったことは言うまでもない。カーテンコールを繰り返すたびにそのボリュームは大きくなった。コロナ禍以降、オーケストラが退席してもしつこく拍手が続き、再び指揮者が舞台に現れる「一般参賀」の光景は最近では珍しくないが、どことなくわざとらしい感じがしてきている。だがこの日は違った。明らかに再登場を求めるスタンディング・オベーションに加わった聴衆は、全体の半数近くいたのではないだろうか。それほど感激し、満足度が高かったということである。そういうわけで、コンサートに通うのが楽しくなった。次回はいよいよ第4代音楽監督に就任するロレンツォ・ヴィオッティのお披露目演奏会である。

2026年4月25日土曜日

NHK交響楽団第2061回定期公演(2026年4月16日サントリーホール、ファビオ・ルイージ指揮)

最近、音楽を聴いても、以前のように心が震える瞬間が少なくなったように感じている。年齢を重ね、感性が鈍ってしまったのかと思うこともある。若い頃は時間もお金も限られていたからこそ、わずかな機会を逃すまいと満を持して会場に向かい、胸を高鳴らせながら音楽を待ち受けたものだ。あの頃の自分は、演奏が進むにつれて「もう終わってしまうのか」と切なく思った。欧米から来日する音楽家ともなれば、次に聴ける機会はないかもしれない。その思いが、音楽への渇望をいっそう強くしていた。

どんなに悪い席でも構わなかった。多少演奏が荒くても、目の前で音が鳴っているという事実だけで胸がいっぱいになった。しかし今は違う。耳が肥えたと言えば聞こえはいいが、むしろ感受性が摩耗してしまったのかもしれない。

今回、サントリーホールで聴いたファビオ・ルイージ指揮によるマーラーの交響曲第5番は、なぜ自分が感動しなかったのか、正直よく分からない。オーケストラは過去にも増して集中し、アンサンブルは見事で、日本でも屈指の水準にあると感じた。音色は磨かれ、細部まで神経が行き届き、欠点を探す方が難しいほどだ。それでも、どこか物足りなさが残る。

演奏側に原因があるのか、聴き手の問題なのか。第4楽章のアダージェットはロマンチックで、呼吸も十分に感じられたのに、心が動かない。理知的に偏っているわけでもなく、叙情美が欠けているわけでもない。ただ、音楽に「ゆとり」がないように思える。型にはまり、そこから自由に身をひるがえす余白がない。客観性はあるのに、音楽の揺らぎや遊びが抑え込まれているようで、優等生的な印象が拭えない。

人工的な完成度で魅了するマゼールのような個性があるわけでもなく、素朴な情熱で感性を揺さぶるタイプでもない。すべての教科で80点を取る秀才のような音楽で、そつがないが、どこか決定的な一撃に欠ける。こうしたタイプの指揮者は少なくないが、音楽は本来もっと多様で、多面的であるべきだと思う。その結果が、マーラー特有の曖昧な方向感や、遠い世界へ誘われるような感覚を薄めてしまっている。音楽が漂わず、その場にとどまってしまう。聴衆は常に目の前の音に向き合わされ、次第に疲れてしまう。まるで新入社員が上司に囲まれた酒席で酔えないような息苦しさがあり、どんな料理も味わえないのと似ている。

一方、前半のモーツァルトのクラリネット協奏曲は実に素晴らしかった。ルイージの音作りは、モーツァルトに不可欠な浮遊感と音の美しさを見事に引き出していた。N響のアンサンブルも精緻で、クラリネット独奏(N響主席の松本健司)は安心して身を委ねられる出来だった。30分ほどの間中、懐かしい気持ちが胸に広がった。かつて、秋の夕暮れにこの曲の第2楽章を繰り返し聴きながら、最晩年のモーツァルトの心に思いを馳せた日々があった。少年時代の音楽の記憶がよみがえり、懐かしさと嬉しさが入り混じった。

2026年4月20日月曜日

ブラームス:セレナード第2番イ長調作品16(ベルナルト・ハイティンク指揮コンセルトヘボウ管弦楽団)

雨の日豊本線を、特急「きりしま」が走る。4月だというのに、沿線の木々はすでに新緑の季節を迎え、瑞々しい青さが目にしみる。宮崎から鹿児島へ向かう2時間の旅は、車内を歩くこともままならないほど揺れが強く、この文章を書く手も震えるほど。日本でも屈指の人口の少ない地域を走る列車の、月曜朝の車内は比較的すいている。だが台湾からの旅行客が多く乗っている。みな観光客だからか、静かながらもどこか華やいだ空気が漂っている。

耳には、Spotifyで流れるブラームスのセレナード第2番。ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏だ。牧歌的な第1楽章を聴きながら都城に近づくと、雲の切れ間から青空がのぞき始めた。3日間降り続いた菜種梅雨も、ようやく終わりを迎えつつある。南九州は本当に雨が多い土地だと、改めて思う。

舞曲風の第2楽章はスケルツォ。ブラームスは秋に聴きたくなる作曲家だと思い込んでいたが、それは晩年の作品に限った話で、若い頃の作品には春や夏の空気がよく似合う。このセレナードも、彼が20歳の時の作品だ。ただ、こうした「若さ」についての感想を文章にするのは、どこか陳腐で恥ずかしくもある。

都城を過ぎると、車窓は次第にシラス台地らしい風景へと変わっていく。平屋の立派な家が多いのも、この地域ならではだ。列車は森の中を快走し、いくつかの峠を越えて大隅の国へ向かう。霧島周辺は九州でも屈指の風光明媚な土地である。今や鉄道旅は決して安くはないが、車窓をのんびり眺める楽しさは、他の交通手段には代えがたい。私はやはり鉄道の旅が好きなのだ。

このあたりには10代の頃に何度か訪れたことがあるが、それ以来の再訪だ。驚くほど、40年前と風景が変わっていない。

音楽は第3楽章、第4楽章へと進む。実際にコンサートで聴けば少し退屈に感じるかもしれないが、旅のBGMとしてはこれ以上ないほど心地よい。第5楽章はやや速めで陽気な曲。ハイティンクのブラームス全集は細部まで丁寧に描かれ、フィリップスの録音も秀逸でとてもバランスが良い。流行りのイタリア風流麗さではなく、適度なアクセントと明晰さを備えた演奏で、ブラームスの中庸の魅力がよく出ている。

第1番に比べて地味な印象のある「セレナード第2番」を聴く機会はほとんどない。いや、皆無と言っていい。だが今回はSpotifyのおかげで、旅の良き相棒となってくれた。曲が終わり、AIが自動で選んだ「ハンガリー舞曲」が流れ始めたころ、列車はちょうど霧島神宮駅に到着した。

2026年4月16日木曜日

ハイドン:オラトリオ「四季」(2026年4月12日東京文化会館、イアン・ペイジ指揮)

春というよりは、もう初夏の陽気である。まだ桜も散りきっていないからか、上野公園には大勢の人が訪れている。この季節、すっかり恒例となった「東京・春・音楽祭」は、今年も数多くの意欲的なコンサートを企画し、どの公演に出かけようかと東京のクラシック音楽ファンを悩ませている。西洋では復活祭の期間にあたり、来日する団体やソリストの融通がつきやすいのだろう。欧米に比べ、日本はすでに春本番を迎え、暖かく過ごしやすいということもあろう。

そういうわけで今年も「グレの歌」やいくつかのオペラなど、大型公演が目白押しである。その中でも私がもっとも注目し、発売日を待ってチケットを買ったのは、ハイドンのオラトリオ「四季」の演奏会だった。この音楽祭は合唱作品を取り上げるのが好例だが、今回はその「合唱の芸術シリーズ」の第14回目とのことである。とうとう大好きな「四季」が実演で聴ける。私は長年、この曲の実演に出会えることを心待ちにしていた。

そもそもこのブログを書くきっかけとなったのは、あの膨大な数に上るハイドンの交響曲をすべて聴き、その感想などをメモしておきたいという衝動にかられたからだ。書き進むにつれて、他の作品や演奏会の記録も残しておきたくなり、それは主要な作曲家の主要な管弦楽作品とオペラを次第に網羅するだけの量になっていった。10年以上が経過して、書いた記事は1000件を超えるまでになった。ハイドンの管弦楽を含む作品についていえば、2つのオラトリオ、すなわち「天地創造」と「四季」が避けて通れない作品である。この2曲は、実際ハイドンの数あるオラトリオの中でも双璧を成すとされ、片や旧約聖書の創成期を題材とした宗教的色彩の濃い作品、片や農民の労働生活を生き生きと描く世俗的色彩を持つ作品である。どちらがいいというものではなく、この両曲はハイドンのオラトリオの最高峰と言っていいだろう。

共通しているのは神への賛歌である。まるで情景が目に浮かぶような歌詞に合わせて、具体的な動物の鳴き声や気象の様子が音楽によって巧みに描写される。古典派の骨格を維持しながら、まるで標題音楽のようにそれらが出没する様子は、対訳を追いながら聴くとより鮮明に想像力が掻き立てられ、アリアや合唱との融合を繰り返しながら、壮大な絵巻物を見るような錯覚にとらわれてゆく。演奏を超えて、曲の素晴らしさにこそ感銘を受ける。おそらく若きベートーヴェンもこの曲を聴き、あの「田園交響曲」を着想したのではないか。

特に「四季」は、我が国でなじみやすい作品であるといえる。なぜなら中緯度に位置する日本は、春夏秋冬の区別がはっきりしており、季節感に対する感覚は世界のどの国よりも繊細であると思う。ひとこと「雨」といっても何十種類もの表現を使い分ける俳句の季語を持ち出すまでもなく、今でも天気予報はまず季節の話題から始まり、手紙の冒頭には季節表現を用いることになっている。四季に対する鋭敏な感覚を持ち合わせている日本人には、この作品ほどなじみ深く、また共感を覚える作品はない、とさえ思う。

にもかかわらず、「四季」が公演のプログラムに上ることはほとんどなかった。私はここ10年以上、この作品の実演を探してきたが、取り上げる団体は皆無に等しい状況だった。「天地創造」なら数年に1回は上演されていることを思うと、ちょっと理解しにくい。CDなどのメディアには「四季」の録音は数多くある。だから、今回の機会を逃すと、もう一生この音楽を実演で聴くことはできないのではないか、と思った次第である。

指揮者は当初予定されていたアイヴァー・ボルトンから、本邦初登場のイギリス人イアン・ペイジに変更された。そのことが関係していたのか定かではないが、チケットの発売日も延期され、私はその都度、カレンダーの印を変更する必要があった。だが、チケットは最後まで売れ残り、当日券も沢山用意された。会場に来た実感では、4割程度の入場者数だろうか。このような状況は見たことがない。しかも日曜日のマチネである。出演者に気の毒なくらいに、この作品の知名度は低いのだろうか。けれども、3人のソリストに加え、定評ある東京オペラシンガーズの合唱、東京都交響楽団による演奏とくれば、そこそこの演奏が期待できる。

そのソリストでひときわ安定した響きを会場に轟かせたのは、やはりバスのタレク・ナズミだった。冒頭から威厳があって、しかも明るく光彩を放つような低音は、聴いていてほれぼれとするほどだ。だが、テノールのマウロ・ペーターも悪くない。彼は真摯に歌詞に向かい、高音であってもであっても決して軽薄になることはなく、高貴で力強い神への賛歌を歌う。

その2人の男声に挟まれたのが、唯一の女声パートを歌うクリスティーナ・ランツハーマーだった。彼女は次第に調子を取り戻し、最終的には及第点の出来栄えだったと思う。合唱団はやや硬いという印象を持ったが、それも後半には解消し、特にクライマックスを築く「秋」の後半は、オーケストラの迫力と相まって深い感銘を残した。

オーケストラ中央には通奏低音を担うチェンバロとチェロの奏者が陣取り、ここはバロックの風合いを残す。合唱も時にフーガを奏でる。ペイジという指揮者は、ピリオド奏法の音楽団体を主宰し、主にモーツァルトの音楽で定評があるようだが、ここで聴いた演奏は特にビブラートを押さえたという感じはしなかった。むしろオーソドックスなモダン楽器の演奏スタイルだったことが意外だったというべきか。

そのようにオーケストラと合唱の硬さは、いささか精彩を欠いた感は否めない。しかし都響の、特に管楽器からは朗々と歌うメロディーが聞こえてくるし、「秋」における4台のホルンの重奏などは見事に決まった。イギリス人による「四季」の名演奏は、何といってもBBC響を指揮したコリン・デイヴィスだと思っているが、この録音は英語による歌唱である。デイヴィスの骨格ある質実剛健とも言うべき指揮は、この曲の魅力を伝えてやまないが、今回の演奏はそれに比べると、やや輪郭がぼけていた。それも初登場、かつ1度限りの演奏会の宿命だったのかもしれない。

2026年4月11日土曜日

ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98(カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

ブラームス最後の交響曲である第4番ホ短調は、彼の最高傑作であることに、おそらく疑う余地はないだろう。音楽的な知識をさほど持ち合わせていなくても、あるいはブラームスの本質を知らない人が聴いても、そう感じさせるだけの力を持っている。無駄のない骨格、ロマンティックで豊穣な響き、緻密にして多彩に変化するリズムやハーモニー。どの側面から見ても完成度は申し分なく、演奏を変えて聴いても常に味わい深い。後半の楽章に至っては、興奮を禁じ得ないほどである。

そのような曲だけに人気も高く、古今東西の名演奏・名録音は枚挙に暇がない。私がクラシック音楽を聴き始めた頃、我が家には何枚かのレコードがあった。思い出すままに記すと、フルトヴェングラー、トスカニーニ、セル、クレンペラーなどなど。そこに当時の新盤、バーンスタインのウィーン・フィル盤も加わった。知人の家に行けば、さらにS=イッセルシュテット、カラヤン、ワルター、あるいはケルテスの名盤もあり、私はそれらを広い居間で聴かせてもらったのを覚えている。

同じ曲を、演奏を変えて何度でも聞く。クラシック音楽の楽しみのひとつは、この「聴き比べ」にあると言える。それには一定数のディスクが必要であり、過去の名演奏を一通り網羅していることが望ましい。でないと、より詳しい人からは軽く見られるのが落ちである。「もっといい演奏があるのに、この人は知らないのだな」という、軽蔑をもにおわせる無言の視線が注がれる。クラシック音楽とは、このように恐ろしい趣味でもある。

さて、そのような我が家の「ブラ四」(通はこう呼ぶ)コレクションに、また一枚のLPが加わった夜のことを、私は忘れることができない。ちょうどデジタル録音が始まった頃、ドイツ・グラモフォンの黄色いジャケットに、どこかニヒルな表情の顔写真。誰だ?この人は。私の父は、まだ中学生だった私がすでに床に就いているにもかかわらず、自宅のステレオ装置を鳴らした。

一家7人が暮らす昭和の木造住宅である。ふすま一枚を隔てただけの隣室にも、その音はダイレクトに届いた。しかも大音量で。そこで聴こえてきたのは、ブラームスの交響曲第4番。だが、私はこの曲をまだあまり知らなかった。多くの人がそうであるように、私は第1楽章冒頭の、前奏なしで始まる主題だけを知っていた。よく聞いていたのはワルター晩年の演奏で、それはとてもゆったりとしていて、ロマンに満ちた、まるで映画音楽のような演奏(と私には思えていた)だった。

だが、父が再生した演奏は、そのようなものではなかった。音楽が始まるや否や、ぐいぐいと引き込まれていく。テンポはかなり速く感じられた(実際にはそれほどでもないのだが)。第1楽章の途中で私は興奮状態に置かれ、目は冴え、それどころか布団の中で汗ばむほどに高揚していった。

第2楽章の静かなメロディーでさえ、集中力を失わない緊張感と生き生きとしたバランスに圧倒されたが、第3楽章の冒頭が鳴り響いた瞬間、まるで最終コーナーを回った競走馬のような疾走ぶりに、私は完全に放心状態となってしまった。

この演奏こそが、当時の最新盤であったカルロス・クライバーのものだった。カルロス・クライバーはまだ若手の部類に入っていたが、すでに「伝説の指揮者」と呼ばれていた。何しろレパートリーは極めて少なく、実演も録音も滅多にお目にかかれない。しかし、ごくたまに現れては歴史的名演を残す。それまでにリリースされていたのは、ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」(デビュー録音)と、ベートーヴェンの交響曲第5番、第7番くらいであった。

しなやかでありながら圧倒的な集中力。類まれな興奮と、まるで鍛え抜かれたアスリートが放つような生物的な美しさ。それは独特の指揮姿にも表れていたが、当時のファンにはそれを知る術がなかった。知られていたのは、あの巨匠エーリッヒ・クライバーの息子であるということくらいである。後に知ったことだが、ヨハン・シュトラウスの喜歌劇「こうもり」、ヴェルディの歌劇「椿姫」、あるいはシューベルトの「未完成交響曲」といった、完成度の高い名曲ばかりを取り上げていた。そのクライバーが選んだブラームス作品が、この第4交響曲だったのである。

ウィーン・フィルが顔を紅潮させ、身を乗り出すようにして熱演を繰り広げている様子が、スタジオ録音からも手に取るように伝わってくる。そのようなことは滅多にない。彼は100%の完成度でなければ音楽を世に出さないのである。その職人気質にウィーン・フィルのメンバーは心底惚れ込み、以後、さまざまな問題があってもなお、この指揮者に熱い思いを寄せ続けた。それが後のR・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」やニューイヤー・コンサートの名演につながっていく。

第1楽章はソナタ形式で書かれている。この曲は19世紀の終わり頃に作曲されたにもかかわらず、どこか古風な印象を残す。その最大の理由は、この冒頭のメロディーにあるのではないだろうか。ヴァイオリンが休符を挟んで上下の音を行き来する。専門的には3度の下降、6度の上昇。このモティーフは楽器を変えながら幾度となく現れる。分離と融合が自然に流れる心地よさ。ロマンティックでありながら、どこか理性を失わない確固たる構造を持つ。そこにブラームスの精神性が感じられる。

第2楽章では「フリギア旋法」という用語が登場する。私の知識では十分に理解できているとは言えないが、ピチカートが印象的である。ホ長調に転じて明るさを感じさせつつ、ゆったりとしたアンダンテが続く。単純でありながら複雑な世界である。

さて第3楽章は、トライアングルが鳴る非常に印象的な楽章である。ブラームスの交響曲における第3楽章は、いずれも個性的である。第1番の切れ目のない構成からすでにそうであり、第3番には単独で取り出したくなるような美しい旋律がある一方、この第4番では絢爛で豪快な性格を持つ。興奮に満ちていくこの楽章を、クライバーは一気呵成に畳みかける。

そして終楽章である。構造は極めて複雑とされるが、理屈を考えながら聴く必要はないだろう。シャコンヌ(パッサカリア)という、バロック時代に由来する技法が用いられているというが、決して古風なだけの音楽ではない。むしろ斬新で劇的である。古典的な骨格を保ちながら、その内実は極めてロマン的であり、しかも革新的である――それこそが最終到達点としてのブラームスの魅力である。

最後に一言。この曲を「人生の秋」を感じさせる、憂愁を帯びた作品とする見方がある。しかし本当にそうだろうか。ブラームスがまだ53歳の頃の作品であり、自ら「最高傑作」と認めていたものが、達観に基づく音楽であるとは私には思えない。この作品において彼は一つの頂点に到達し、その先へ進む必要がなくなったのではないか。これは最も完成度の高い、そして野心に満ちたブラームスの作品であると私は考える。カルロス・クライバーによる演奏は、その若々しさと情熱が、年を重ねてもなお漲っていることを示す、極めて斬新なものである。

2026年4月1日水曜日

ブラームス:セレナード第1番ニ長調作品11(リッカルド・シャイー指揮ゲヴァントハウス管弦楽団)

今年は例年より早く桜の開花が宣言され、春の気配が静かに、しかし確かな足取りで近づいている。10年前に歩き始めた東海道五十三次の旅も、まもなく草津に到達する。京都までは、あと少し。日本橋を出てからの歳月を思えば、コロナや腰痛といった幾つもの困難を越え、よくここまで辿り着いたものだと、早朝の東海道新幹線の車内でひとり感慨にふける。

今、ブラームスの「セレナード第1番」を聴き始めた。

若々しさと穏やかさが同居するこの音楽は、今日のような少し肌寒い曇り空に、しっとりと寄り添う。いわばブラームスの「田園シンフォニー」とでも呼びたくなる風情で、交響曲第2番に付されることのある副題を思い起こすが、こちらの方が若々しい分、むしろ伸びやかで自由に息づいている。交響曲という形式の枠から解き放たれているからだとも思う。

三島を過ぎ、静岡県に入ってもなお空は重く曇り、富士の姿も望めそうにない。それでも、よくここまで歩いてきたものだと、ふと胸の奥で思い返す。

第2楽章に入る。引き続き牧歌的で、3拍子の穏やかな舞曲が、春の朝の空気にぴたりと溶け込む。ホルンが柔らかく響き、中間部へと移る。聴き入っているうちに、いつの間にか第3楽章へ。さらにゆったりとした牧歌的な旋律が流れ、私を乗せた「のぞみ」は静岡市内に入り、雲間から淡い陽光が差し込んできた。

それにしても、なんと平和的な音楽だろう。世界では戦禍が絶えず、暗い報せが日々流れ続けている。エネルギーの逼迫が生活を揺るがす未来も、もはや遠い話ではない。先行きの見えない不安に心が沈みがちな中で、こうした平穏と幸福に満ちた音楽に触れると、忘れていた大切な何かがふと胸に戻り、思わず息を呑む。

第3楽章も静かに幕を閉じる。弦と木管を主体とした音楽は、ほのかなロマンを湛えながら、ひたすらに平和的である。こうした曲を聴いていると、ブラームスはシューベルトやシューマンよりも、ずっと健康的で、まっすぐな精神の持ち主だったのではないかと思えてくる。だからこそ、彼はベートーヴェンを深く敬愛したのだろう。15分に及ぶこの楽章は、実に見事だ。

新横浜を出た頃に聴き始めた「セレナード第1番」は、長大な前半の3楽章を終え、木管が軽やかに導く第4楽章へと進む。第4楽章と続く第5楽章は短いながら、全体に小気味よいアクセントを添える存在だ。音楽は決して急いだり沈んだりせず、自然な呼吸のまま流れていく。

列車は早くも浜松付近を走っている。金管で始まるわずか2分あまりの第5楽章はスケルツォであり、最終楽章への前奏のように聴こえ、気分をそっと切り替えてくれる。ホルンとオーボエの掛け合いが愛らしく、3拍子の音楽は行進曲風に変わり、気持ち浮き立つ桜のシーズンを迎えた日本の空気とどこか響き合う。

第1楽章の冒頭と、この第6楽章の旋律はとりわけ印象深い。幸福感を増しながら、音楽は確かな足取りで終結へ向かう。豊橋を過ぎる頃、「セレナード第1番」は力強く幕を閉じた。空はわずかに明るさを増したようだが、まだ曇りがちだ。雨の心配はなさそうである。こういう日は歩くのにちょうどよい。京都まで、あと30分余り。

シャッフルされたSpotifyのAIは、ブラームス「大学祝典序曲」を選んだ。なるほど、今日は新入学の季節にふさわしい、陽気で快活な響きだ。「セレナード」のあとに聴くには、なんとも相応しい小品である。

若きブラームスの瑞々しい感性があふれる2つの「セレナード」の録音はいくつかあるが、わが国では長らく、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルのレコード一択だった。1980年頃の録音である。

それから40年以上が過ぎ、今日私が耳を傾けているのは、リッカルド・シャイー指揮ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏である。テンポはやや速めで、ビブラートを抑え、イタリア風の軽やかさと旋律の輪郭を際立たせた名演。耳を洗うような清新な録音でもある。

2026年3月17日火曜日

ショスタコーヴィチ:ジャズ組曲第1番、第2番(リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)

ショスタコーヴィチの音楽を聴き始めたころ、こんな曲があったのかと思った。それはちょうど、リッカルド・シャイーがコンセルトヘボウ管弦楽団とジャズに関する曲を集めたCDを新発売し、それが目に留まったのである。「なぜソビエトの作曲家がジャズを?」と思ったものだ。

一般にジャズとは、米国南部を源流に持つアフリカ系アメリカ人(黒人)の音楽として発展した。その軽妙さと即興性、独特のリズムを持つ音楽をソビエトに紹介した人物がいたのだろう。しかし、そのままの形でソビエトに持ち込まれたわけではなくロシア流にアレンジされ、原型から大きく変化したものだと言ってよい。

シャイーの指揮で聴くショスタコーヴィチのジャズ作品集は、とてもリラックスして軽妙だが、どこか洗練されておりモダンである。もっとも作曲されたのはいまから100年ほど前でもあるので、古きレトロな香りが充満している。いってみれば、サロン音楽、あるいはダンス音楽といったムードである。

ここで話は少し脱線するが、米国で活躍し、時にジャズの要素を取り入れた作曲家にロシア系アメリカ人が多いことは興味深い。ジョージ・ガーシュイン、アーロン・コープランド、それにレナード・バーンスタインといった誰もが知るアメリカ人作曲家は、みなロシア系、しかもユダヤ人の血を引いている。そのユダヤの音楽をショスタコーヴィチもしばしば引用し、交響曲をはじめとする作品に取り入れているのは、さらに興味深いと言える。

さて、ソビエトにおけるジャズは、本家アメリカのものとは異なり、体制的なバックアップもあって流行した側面がある。ショスタコーヴィチは数々の映画やアニメーションの音楽を作曲しているが、これらの作品もいわば彼の本業を少し離れたユーモラスで打ち解けた作品である。その面白さは一度聴くとよくわかる。シャイーの軽やかで明るいリズムが、その傾向に拍車をかけている。

ジャズ組曲第1番(1934)は8分程度の曲ながら印象的である。ワルツ、ポルカ、フォックスロットの3つの部分からなる。一方、第2番(1938)は、1999年に発見され2000年になるまで初演されなかった作品とは異なり、ここでは「舞台管弦楽のための組曲第1番」が収録されている。約25分の曲で、これがかねてより「ジャズ組曲第2番」とされていた。シャイーの演奏は1991年のものだから、「ジャズ組曲第2番」と表記されている。

8つの部分から成り、さまざまな他の作品からの転用も多くなされているようだ。まあそんなことはともかく、ムード音楽のような気軽さでソビエトのジャズに耳を傾けてみたい。1922年に誕生したソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)は、ゴルバチョフによる改革に失敗し、1990年代初頭に崩壊してしまった。ショスタコーヴィチの人生(1906–1975)は、そのほとんどをソ連時代に過ごさざるを得なかった稀有な芸術家である。彼が残した数多くの交響曲については、また別の機会にゆっくり聴いてみたい。とかく難解なショスタコーヴィチの音楽にも、こんな気さくに聴けるものだってあるのだということが、私などはとても人間的で嬉しいことのように思えてくる。

なお、本CDにはピアノ協奏曲第1番、および「タヒチ・トロット」としても知られる「二人でお茶を」が添えられていて、サービス満点である。

2026年3月16日月曜日

ジョルダーノ:歌劇「アンドレア・シェニエ」(The MET Live in HD Series 2025-26)

ジョルダーノの歌劇「アンドレア・シェニエ」は、ヴェリズモ・オペラの中でも屈指の名作でありながら、これまで Met Live で取り上げられることがなかった。理由はおそらく明快で、主役を担える理想のテノールがなかなか見つからなかったのだろう。私自身、この作品を実際に観るのは今回が初めてである。とはいえ、オペラ好きとしては、いつまでも避けて通れない作品でもあった。

ディスコグラフィを眺めれば、往年の名テノールたちがこの作品に挑んできた歴史が見える。ディ・ステーファノ、ゴッビ、デル・モナコといった大御所たち。さらにドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラスと続く黄金時代。しかし、その後は途切れてしまう。そんな中、今回の MET が選んだのは、近年ほとんど専属歌手のように活躍しているポーランドのピョートル・ベチャワ(アンドレア・シェニエ)。相手役にはブルガリアのソニア・ヨンチェヴァ(マッダレーナ)、そしてもう一人の主役とも言えるジェラール役にはロシアのイゴール・ゴロヴァテンコが名を連ねた。

東欧の三人がニューヨークに集い、フランス革命時の実話をもとにしたイタリア・オペラを歌い上げる。指揮者は MET Live には初登場ながら、すでにここの首席客演指揮者を務める若き俊英ダニエーレ・ルスティオーニ。しかも今年から都響の首席客演指揮者にも就任するというから、日本の音楽ファンとしては期待が膨らむばかりだ。

舞台はニコラ・ジョエルの演出で、第1幕冒頭には巨大なソファが運び込まれるという大胆な幕開け。音楽はイタリアらしい情熱を湛えつつも、プッチーニほど甘美に傾かず、どこか古い伝統の香りを残している。その古風さが批評家には物足りなく映ることもあるようだが、聴き手にとってはむしろ魅力の一つだ。何しろ、このオペラには聴きどころが実に多い。

第1幕のハイライトは、詩人シェニエのアリア「ある日青空を眺めて」。最高音 B♭ が2度も現れる難所で、幕間のインタビューでベチャワ自身がそのプレッシャーを語っていた。さらに第4幕冒頭には「5月のある美しい日のように」というアリアが控え、気品と信念を兼ね備えた歌唱が求められる。まさにテノールが主役のオペラであり、ソプラノでさえ脇に回るほどだ。

そのソプラノの見せ場は第3幕、マッダレーナがジェラールに懇願する名アリア「母は死んで」。一方、ジェラールにはその前に「祖国の敵」という力強いアリアが用意されている。どちらもガラ・コンサートで頻繁に取り上げられる名曲で、単独でも十分に舞台を支える力を持つ。

そして終幕には、断頭台へ向かう二人が歌う壮絶な二重唱「君のそばにいると、僕の乱れた心も」が待っている。かつて MET の資料室長だった P・クラーク氏は、この場面について「ここで身震いしない人は脈拍を確かめた方がいい」と語っている。けだし誇張ではない。

表題役のシェニエは、若い詩人である。しかし幕が開いてまず登場するのは、革命前の貴族生活を楽しむコアニー家の下僕ジェラールで、彼は冒頭からアリアを歌う。一方、同じサロンに令嬢のマッダレーナが登場。詩人シェニエの歌う即興詩にジェラールともども魅せられる(第1幕)。

5年後。ここからがややこしい。恐怖政治が吹き荒れる中で今や革命政府の要人となったジェラールと落ちぶれたマッダレーナが再会。ジェラールはマッダレーナに告白し、シェニエも登場して決闘を交えるが、ジェラールは2人を逃がす(第2幕)。

今回のMET Liveでは、第1幕と第2幕、第2幕と第3幕の間にそれぞれ休憩があり、そのあと第3幕と第4幕は続けて上演された。この後半は集中力が欠かせない見どころの連続である。反革命分子として捕らえられたシェニエを、マッダレーナは体と引き換えに助けてほしいとジェラールに懇願。その姿勢に心を打たれたジェラールは、2人を許す決意をするのだが、時すでに遅し(第3幕)。2人は高潔な死を歌い断頭台へと向かう(第4幕)。

アリアを含め、記憶に残るキャッチーなメロディーがないあたりが、プッチーニには及ばないところ。名舞台の映像を見慣れた人には物足りなさもあるかもしれないが、私のように初めて全編を観る者にとっては、新鮮な驚きの連続だった。指揮者ルスティオーニの自然でダイナミックな音楽づくりも心地よく、アリアが終わるたびに客席からブラボーが飛び交う。イタリア・オペラならではの熱気を、休日の朝にたっぷり味わうことができた。

2026年3月7日土曜日

読売日本交響楽団第656回定期演奏会(2026年3月5日サントリーホール、鈴木優人指揮)

 J・S・バッハの大曲「マタイ受難曲」を聴くのは、これで四度目になる。我が国を代表する世界的バロック演奏団体「バッハ・コレギウム・ジャパン」を率いる鈴木雅明氏の長男、鈴木優人氏は、いまやバロックにとどまらず幅広いレパートリーを自在に振る指揮者だ。2020年から読売日響の「クリエイティヴ・パートナー」として活躍してきたが、その任期もそろそろ終わりを迎えるらしく、この3月には三つのプログラムが並んだ。

その最初を飾ったのが「マタイ受難曲」である。ただし、今日よく耳にする古楽器による原典志向の演奏ではなく、1829年にメンデルスゾーンが蘇演した版を用いたものだ。かつては通常のオーケストラがビブラートも控えず、やや厚みのある響きで演奏することも珍しくなかったが、いまではすっかり時代の流れが変わった。それでもメンデルスゾーン版、しかも読響のモダン楽器となれば、古楽とはまた違う風合いが立ち上がる。その違いを確かめたくなり、急遽チケットを手に入れた。過去の「マタイ」にも必ず同行してくれた妻も、平日の夜だというのに職場から駆けつけてくれるという。

サントリーホール2階席右側は、舞台に並ぶ二つのオーケストラのうち左側の音がよく届く場所だ。一方でソリストは正面を向いて歌うため、こちらはその横顔を眺める形になる。丁寧な対訳リーフが挟まれたプログラム・ノートが配られ、会場四か所には字幕も設置されている。定期演奏会とあって客席は満員で、読売日響らしい独特の空気が漂っていた。

「マタイ」は登場人物がとにかく多い。このため主要人物以外は、合唱団(バッハ・コレギウム・ジャパン)の数名が巧みに兼ねていた。これがまた見事で、この曲を十八番としてきた彼らの実力を改めて感じさせる。東京少年少女合唱隊も加わり、第1部後半で清らかな歌声を響かせたのも印象的だった。通奏低音はチェンバロではなく、指揮者正面のチェロとコントラバスが担い、オルガンは舞台右袖に控えている。

福音史家はアメリカ人テノールのザッカリー・ワイルダー、イエスはバスのドミニク・ヴェルナー。イエスが歌う場面では、通奏低音が深みのある伴奏を添え、その存在感を際立たせる。一方、この演奏には唯一の女声として森麻季(ソプラノ)が登場し、いくつかのアリアを歌い分ける。カウンター・テナーのクリント・ファン・デア・リンデも加わった。

四人の独唱のうち、福音史家とイエスはまずまずの出来といったところだが、他の二人──森麻季とカウンター・テナー──は前半こそやや落ち着かず、むしろ合唱団の中からユダやペテロを歌う声の方がよく通った。それでも後半には調子を取り戻し、森麻季が「哀れみたまえ」を満を持して歌い上げたとき、会場にはしみじみとした空気が広がった。

全体として後半は、前半とは比べものにならないほど充実していた。音楽的な聴きどころが多いこともあるが、特にヴァイオリン・ソロやフルート独奏は、奏者が立って演奏したこともあって、聴衆の集中を一気に引き寄せ、クライマックスの輝きを放った。

約2時間の演奏会で、一般的な「マタイ」からは省かれた部分もあった(配布された対訳リーフはバッハ・コレギウム・ジャパンによるものだが、どの箇所が省かれているかまでが詳細に表記されており、保存しておく価値がある)。しかし、2時間という長さはむしろ心地よい。モダン楽器の演奏家が滅多にレパートリーとしない「マタイ」も、こうして聴くとまた新たな魅力を見せる。一度このブログでも真剣にこの曲を取り上げたいと思いながら、いまだ果たせずにいる。バロック時代の最高峰ともいえる「マタイ受難曲」は、これから復活祭に向けて欧米で演奏ラッシュを迎える。3月に来日公演が多いのは、この期間、彼らが本国での活動を優先するためだと、以前どこかで聞いた。今年4月には、サントリーホールでバッハ・コレギウム・ジャパンによる「マタイ」の公演も予定されている。


2026年3月6日金曜日

ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番ヘ長調作品102(P: レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)

若きバーンスタインがニューヨーク・フィルと共演したショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番を、私はアンドレ・プレヴィンがピアノ独奏を担当していると思っていた。だが、プレヴィンが弾いたのは第1番の方で、第2番はバーンスタインの弾き振りである。録音は1958年というから、ステレオ初期のかなり前の演奏。そしてこの年は、作曲の翌年ということになる。そしてそれはまた、バーンスタインとニューヨーク・フィルが雪解けのモスクワで凱旋公演を果たした頃でもある。

バーンスタインのピアノがどれほどの巧さなのかはよくわからないが、アルゲリッチやユジャ・ワンのように、このような曲を技巧的に弾き倒すのも面白いが、このような簡単に見える曲はゆっくりと噛みしめるような演奏も素敵である。この曲は息子のマクシムのために作曲された。当時マクシムは、レニングラード音楽院の学生だった。その後指揮者として父の曲の初演を行うなど活躍したが、よく知られているように、彼は父親が亡くなったあとアメリカに亡命した。

子犬の競走のような明るい第1楽章を経て、驚くのは第2楽章の、丸でショパンのようなロマンあふれる第2楽章である。一転して静かな曲調になると、しばらくしてピアノがゆっくりと甘美なメロディーを奏で始めるのである。私は初めてこの曲を聞いたとき、これは本当にショスタコーヴィチの曲なのかと思ったほどである。

開発を入れず始まる第3楽章は、再び軽快な曲である。どこかジャズ風でもあるこの曲を、バーンスタインは明暗の表情をつけつつリズミカルに演奏している。大作曲家が若いころに書きそうに思えるような曲ながら、これはそこそこ技巧が要るのかもしれない

2026年3月3日火曜日

ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35(P:マルタ・アルゲリッチ、アレクサンドル・ヴェデルニコフ指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団)

「冬来たりなば春遠からじ」というが、今年の冬はあっという間に過ぎ去り、早くも桜の開花の季節が始まろうとしている。にもかかわらず、今日は朝から冷たい雨。おまけにイランで戦争が始まるというニュースが流れ、世の中はどこか暗いムードに包まれている。

ショスタコーヴィチについて調べていて、彼が第1回ショパン・コンクール(1927年)に出場し、優勝こそ逃したものの名誉賞を受けていたことを初めて知った。つまり彼は、作曲家としてだけでなくピアニストとしても相当な腕前だったということになる。ショスタコーヴィチの残した作品は、オペラから交響曲、室内楽まで膨大な数に上るが、ピアノ協奏曲は2曲しかない。その2曲は、第1番が1933年、第2番が1957年の作曲。この間にはヒトラーと戦った第2次世界大戦があり、さらに戦後には恐ろしいスターリン独裁期が続いたことを思わずにはいられない。

先日、N響定期で第2番の方を聴き、その美しい第2楽章に深く心を打たれた。では第1番はどのような曲だったか、改めてきちんと聴いてみようと思った。かつてどこかで耳にしたような気もするが、私の所有する『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂)には赤鉛筆で聞いたことを示すチェックが入っているものの、ほとんど記憶にない。調べてみると録音はそこそこあり、人気作品であることがわかる。

その中で私の心をとらえたのが、マルタ・アルゲリッチによるルガーノ音楽祭2006のライブ録音だった。指揮はアレクサンドル・ヴェデルニコフ、オーケストラはスイス・イタリア語放送管弦楽団。ヴェデルニコフはロシアの指揮者だが、新型コロナウイルスにより亡くなったという。なお、この作品は単なるピアノ協奏曲ではなく、トランペットが大きな役割を果たす。正式なタイトルは「ピアノ、トランペット、弦楽合奏のための協奏曲」である。この演奏でソロ・トランペットを務めているのは、日本でもおなじみのセルゲイ・ナカリャコフだ。

第1楽章の冒頭から、何とも印象的である。短いフレーズがアイロニカルで、どこかヘンテコリンな味わいを持つ。そして突然、高速のピアノが駆け込んでくる。さらにトランペットが追い打ちをかける。さまざまな要素が交錯して面白いが、音楽が破綻しているわけではない。どこかパロディー的な趣がある。

第2楽章は一転して真面目な緩徐楽章で、意外にロマンチックだ。しかしそこはソビエトの音楽。どこか醒めていて、心の奥に冷徹な心情が表現されているように感じる。最近よくドラマを見るのだが、その挿入音楽のようにシーンの裏側に潜む心理を照らし出す。特に後半には不安なムードが漂い、どこか寂しく孤独な感情を呼び起こす。

この曲は4楽章構成だが、第3楽章は非常に短く、一気に演奏されるため気がつくと終わっている。続く第4楽章へのパッセージのような位置づけで、次第にエネルギーが蓄積していく。そして第4楽章。疾走する超絶技巧が一気に駆け抜けるさまは圧巻である。もちろんトランペットも存在感を示す。途中、ゆっくりとしたトランペットのソロが登場し、可笑しみのあるアクセントとなるが、すぐに行進曲風のショスタコーヴィチ節が炸裂し、興奮が高まる。どこか掛け合い漫才を見ているような面白さがある。このような音楽がアルゲリッチに合わないはずがない。ライブ収録された演奏は、瞬く間に拍手喝采となる。

このCDにはピアノ協奏曲第1番のほか、「2台のピアノのためのコンチェルティーノ」、さらにピアノ五重奏曲ト短調が収められている。夢うつつの中でピアノ五重奏曲を聴いていると、どこか「古くてモダン」な世界に連れていかれたような気がした。「懐かしい」とか「ロマンチック」というのでもなく、「悲しい」とか「気が滅入る」というのでもない。ただそこに音楽が存在し、心が静かに整っていくような感覚。もしかするとショスタコーヴィチの不思議な魔法は、こうしたところにあるのではないかと思った。¥

この曲の初演は大成功を収め、ショスタコーヴィチの出世作となった。作曲者自身の録音も残されているが、モノラルで音は古い。一方、最新のユジャ・ワンによる演奏(アンドリス・ネルソンズ指揮ボストン交響楽団)は録音も良く、非常に素晴らしい。

2026年2月28日土曜日

NHK交響楽団第2059回定期公演(2026年2月20日サントリーホール、ヤクブ・フルシャ指揮)

何と渋いプログラムだろうか。後期ロマン派を代表する大作曲家の、しかし滅多に演奏されない曲が2つ。まず前半にドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲(独奏:ヨゼフ・シュパチェク)、後半がブラームスのセレナーデ第1番。私はいずれも実演では初めて聴く。指揮のヤクブ・フルシャは、これまで都響に時々客演していたらしいが、その演奏も私は初めて。初めて尽くしのN響定期公演に、しかしながら私は大いに期待を寄せ、事実、その通りの名演奏になった。

シュパチェクもフルシャもチェコ人で、郷里も近いらしい。シュパチェクはチェコ・フィルのコンサートマスターを務めていたが、フルシャはそのチェコ・フィルの音楽監督に就任することが決まっており、いわば同じ国の心が知れた音楽家同士、おそらく息の合った演奏を繰り広げてくれるであろう、と判で押したように書かれているのは当然のことである。いつものサントリーホールの2階席で、私は二人の登場を待った。

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲は、かつてはほとんど知られていなかったが、最近ではよく聞く作品でもある。冒頭から憂愁を帯びた、あのドヴォルザーク節である。一度も聞いたことがなくても、日本人にとってはどこか懐かしく感じられる。これだから我が国にはドヴォルザークのファンが多いのか、などと考えながら耳を傾ける。

私は毎回、金曜日に行われるN響B定期2日目の会員だから、当然のことながら仕事が終わってサントリーホールへ駆けつけるわけだが、開演が19時だから通常、夕食には間に合わない。欧米では20時開演のところが多く、この場合はゆっくり食事が可能だが、日本では夕食の時間が取れない(かと言って終演後は食事の時間としても遅すぎる)。ところがこの日は仕事が早く片付き、私は18時には会場に到着してしまった。付近のレストランを徘徊していると、安くて美味しそうな店が見つかった。そこで初めて、コンサート前に食事をすることにした。しかも誘惑に負けてビールを一杯。これがいけなかった。

当然の帰結として睡魔が襲ってきたのだ。耳には心地よい音楽。必死にこらえてはいたが、とうとう耐えかねてうとうとする私の苦痛をよそに名演が続く。それにしても、2階席向かって右寄りのS席で聴くN響の響きは悪くない。この席で定期的に聴くことによって、私はオーケストラの音というものが、聴く位置によって随分変わることを今さらながら発見した。もちろん曲によってオーケストラの編成が違うし、指揮者の腕次第でもある。おそらく200年以上も歴史のあるオーケストラの音に正解はないのだろう、とも思う。

しかし私たちはまた、バランスよく録音された媒体で音楽を聴くことに馴染んでおり、レコーディング・エンジニアが作った音というものが理想的な音であると信じていたりする。実際は、それ自体いわば「調整された」サウンドであって、そんな音に聞こえるはずはない、ということも多いのだが、実演ではその音にならない。いや、実演で聴く音波の密度は録音された媒体とは本来一味も二味も違い、より新鮮でヴィヴィッドなのだが。

さてヴァイオリン協奏曲のような場合、ソリストとオーケストラのバランスという要素や、そもそも目で見ている演奏家の息遣いなどといった要素も加わるのだから、これはもうほぼ偶然の産物といえる。もとより聴き手のコンディションが最大の波乱要因であることは間違いない。

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲は、珍しいことに第1楽章と第2楽章が続けて演奏される。私はその切れ目も感じないまま気持ちよく過ごした。そしてしばしの休止のあと、第3楽章に入った。演奏は次第に熱を帯びて集中度が高まり、とてもいい名演になっていった。息の合ったヴァイオリンとオーケストラが見事に絡み合った様は、今後テレビで放映されたら見てみたい(放映されるのは初日の公演だが)。

アンコールにはドヴォルザークの「ユモレスク」を弦楽三重奏に編曲したものがあった。よく知っている曲が聞こえてくると、会場は静まり返り、そのあと盛大な拍手が沸き起こった。休み時間にロビーに出てみると、早くもアンコール曲のタイトルを知らせる張り紙が掲示されていた。この掲示の写真を撮る人が多いのだが、会場のホームページに後日掲載されるから、何もわざわざ争うように写真に収める必要はないと思っていた。ただこの日は、そういう人も少なかったので、写真に撮ってみた。

後半のブラームスは、眠りも醒めて音楽を心から楽しむことができた。このセレナーデ第1番ニ長調は、ブラームスがまだ20代のころの作品で、あまり演奏機会に恵まれないのだが、実に素敵な曲である。全体が春のような明るさに満ちており、立春を迎えた2月に聴くのには大いに相応しい。

第1楽章の親しみやすいメロディーは一度聴いたら忘れられないが、N響の中音域の素晴らしい音が、弦楽器といい管楽器といい実に素晴らしく、前半のドヴォルザークもそうだが、こういう中欧の音楽がまた真価を発揮するオーケストラのような気がする。とにかく夢見心地(本当に寝てしまった前半とは違うが)で時間が経つのも忘れるような気持ちであった。特に第2楽章から第3楽章にかけては、ディスクで聴くと退屈に思えてくることもしばしばだったが、さすが実演で集中して聴くと、これは紛れもなくブラームスの音楽である。以降、交響曲の緩徐楽章などで耳にする音楽である。言ってみれば、ブラームスの「田園交響曲」と呼ばれる第2番をずっと聴いているような感じ。

終楽章になって舞曲風のリズムになり、明るさを増した音楽は心地よい風を吹かせながら、45分に及ぶ曲が終わる。静かに聴き入った客席は、終始うっとりするような気持ちになっていたのではないだろうか。暖かい拍手に包まれながら、この日のコンサートは終わった。盛大な迫力に満ちた曲で終わるコンサートも良いが、このようなきっちり演奏された玄人好みの選曲も悪くない。ブラームスにはもう1曲、同時期に書かれたセレナーデ第2番というのもあって、これらを1枚に収めたディスクは数多い。今度ゆっくり聴いてみようと思いながら会場を後にした。


2026年2月20日金曜日

R・シュトラウス:歌劇「アラベラ」(The MET Live in HD Series 2025~26)

 かつて NHK-BS 放送がまだ生き生きとしていた頃、クラシック音楽の番組は今よりもはるかに多かった。日本の演奏会の映像だけでなく、海外のオペラ公演を記録したものや映像作品なども放映されていたから、私はそれらを VHS テープに録画してラベルを貼り、大切に保管していた。

その中に、ゲオルク・ショルティがウィーン・フィルを指揮した R. シュトラウスの歌劇「アラベラ」(グンドゥラ・ヤノヴィッツほか)があった。これは Unitel が制作した映像作品で、今でも同曲の代表的なものである。ショルティは 1959 年に「アラベラ」をウィーン・フィルと録音しており(ルチア・ポップほか)、その評価はいまもって色褪せることがない。ショルティ/ウィーン・フィルの《アラベラ》は、録音盤も映像盤も決定盤のひとつといってよい。

NHK が「アラベラ」を放送したのは深夜だったので、私はその冒頭だけを見ただけで眠ってしまった。続きは録画したものを見るつもりだった。大学生の頃である。ところが、手元にあると、いつでも良いなどと考えて、なかなか見ることがない。とうとう私は、その録画してあったショルティの「アラベラ」を一度も見ることがなかった。その後 DVD 化されるなどしたようだが、未だに見ていないのは恥ずかしい限りだが事実である。

あれから 40 年が経過し、ついに Met LIVE で「アラベラ」の上演が取り上げられた。そして何ということか、2025 年秋にニューヨークで上演されたこの公演が、かつてショルティのビデオにもなったものと同じ、伝説的なオットー・シェンクによる演出なのである。METではなんと半世紀もの間、同じ演出が延々と続いていることになる。それはあのフランコ・ゼッフィレッリの「ラ・ボエーム」と並んで、いや、もしかするとそれ以上に長い間上演され続けているプロダクションではないかと思う。

今回、東劇で見た 2025 年上演の「アラベラ」は、今となってはちょっと考えられないくらい古めかしいが、3つの幕に合わせて少しずつ異なる、古風で典雅な時代のウィーンの香りをきちんと再現している。指揮はニコラス・カーターで、まだ 40 代と若いが、その切れ味は鋭く、ショルティを思い起こさせるメリハリのある音楽づくりで全体を引っ張ってゆく。音楽は、他愛のない会話にゴージャスなメロディーをふんだんに盛り込んだ、全編これシュトラウス節である。「ばらの騎士」ほどの華やかさはなく、「影のない女」ほどの衝撃もないが、ホフマンスタールの台本による計6つの共同制作のうち「アラベラ」が最後で、ヒトラー政権が誕生した1933年に初演された。二人の仲たがいなど数々の逸話が残されているが、ホフマンスタールは、息子の自殺に打ちひしがれ、とうとうこの作品の完成を見ることなく没した。

落ちぶれた貴族で貧窮生活を余儀なくされながらもホテル住まいをしているヴァルトナー伯爵(バスのブリンドリー・シュラット)とその夫人(メゾ・ソプラノのカレン・カーギル)は、美貌の長女アラベラ(ソプラノのレイチェル・ウィリス=ソレンセン)を富豪に嫁がせようとし、逆に次女ズテンカ(ソプラノのルイーズ・アルダー)は生活費節約のため男として育てられる。ここで、表題役アラベラを歌うには相当なドイツ語能力が要求されるが、ウィリス=ソレンセンは米国人ながらドイツ語が堪能である。もちろんソプラノ歌手として一級の歌声を有しており、その気品に満ち、かつ十分に芯のある声量は、言い寄る多くの男性の中でも、わざわざ遠くから訪ねてきた真摯な大金持ちマンドリカ(バス・バリトンのトマス・コニエチュニ)を選ぶ。ひそかにアラベラを好いていたマッテオ(テノールのルイーズ・アルダー)は、男友達だと思っていたズテンカが、実は何と女性であり、しかも自分を好いていたことを知って、こちらもめでたく結ばれる。

このようにストーリーは紆余曲折が多く、しかも荒唐無稽。間違えばオペレッタになりかねない台本に、シュトラウスは大真面目な音楽をこれでもかとばかりに注ぎ込む。作曲を楽しんでいるような光景が目に浮かぶのは私だけだろうか。聴きどころはいくつもあり、第1幕の姉妹による二重唱と迫力のある幕切れ、第2幕のマンドリカとアラベラの二重唱、そして何と言っても第3幕の最後のシーンである。そしてもう一人、重要な役がある。舞台でたびたび登場し、見事なコロラトゥーラを披露するフィアッカーミリ(ソプラノのジュリー・ロゼ)である。各幕には時折ワルツが自然に挿入され、音楽に華を添える。特に第2幕は舞踏会のシーンである。

正直に告白すると、私はこの上映のうち第1幕を、睡魔に襲われてほとんど覚えていない。しかしこれは映画館だからこそできる贅沢である。ワイン片手に豊穣で美しい音楽を身を沈めながら、しばしうたた寝気分を味わうのは極上である。そのためだけに映画館に足を運んでもよい。ちゃんと見たくなったらもう一度見ればいいのだし、いや、そうでなくても第2幕、第3幕と、ずっと絢爛な音楽が続くので、十分に作品を味わい尽くすことができる。

2026年2月10日火曜日

NHK交響楽団第2057回定期公演(2026年2月8日/NHKホール、フィリップ・ジョルダン指揮)

今回のN響定期は、少し変わったプログラムだった。前半がシューマンの交響曲第3番「ライン」、後半がワーグナーの楽劇「神々の黄昏」から「ジークフリートのラインへの旅」「ジークフリートの葬送行進曲」「ブリュンヒルデの自己犠牲」の3曲(ソプラノ独唱:タマラ・ウィルソン)。同時代のドイツ人作曲家とはいえ、シューマンとワーグナーの音楽は似ても似つかない。「ライン川」という共通点で並べたのだろうが、どこか取ってつけた印象が拭えない。それでも後半のワーグナーが目当てだったので、久しぶりにAプロのS席を購入して出かけた。

前日から降り続いた雪が代々木公園の木々に積もり、まるでクリスマスツリーのように光っている。どんよりした空と刺すような寒さの中、空気だけは澄み切っていて気持ちが良い。人も少なく、こういう日は原宿から歩くのも悪くない。衆議院議員選挙の投票を済ませ、開園20分前にNHKホールへ到着した。

悪天候のせいか客席はやや空いており、当日券も出ていたのには驚いた。何しろ今日の指揮者はフィリップ・ジョルダンである。N響初登場、しかも1回限りのプログラム。ウィーン国立歌劇場の音楽監督を辞任したばかりという話題性もある。辞任の理由は「意見の相違」という毎度のパターンだが、このポストが難しいのは周知の通りだ。

それでも劇場育ちの指揮者として、特にワーグナーの評価は高い。しかも今回は「神々の黄昏」終幕の3曲を続けて演奏するという。これを逃す手はないと、シーズン初めからチラシに丸をつけて待っていた。幸い予定も空き、数日前に行けることが決まった。

前半の「ライン」は、シューマンが入水自殺を図った頃の作品ではあるが、私は精神医学の専門家ではないので、そこに病的な影を感じることはない。むしろ健康的で明るい作品だと思う。予想通り、演奏は悪くなかったが特筆すべきものもなく、どちらかといえば退屈だった。こうなると、前半からワーグナーをやってくれればよかったのに、と勝手なことを考えてしまう。「ニーベルングの指環」は名曲の宝庫だし、ワーグナーの交響曲なども一度実演で聴いてみたい。

しかし、20分の休憩を挟んで始まった後半は、同じオーケストラとは思えないほど音色が変わり、ドラマ性を踏まえた音作りが見事だった。

「ジークフリートのラインへの旅」が始まると、一気にワーグナーの世界へ引き込まれる。これが同じライン川を描いた音楽とは到底思えない。ワーグナーのそれは、悠久の流れの中に滔々と広がる独自の世界だ。6台のハープが並ぶ壮観な舞台で、ひとりの奏者が舞台裏へ移動する。楽器のバランスは完璧で、2階席にも十分に響く。

NHKホールは広すぎるほどだが、だからといって大音量で押し切るとバランスが崩れる。ジョルダンは初登場とは思えないほど音量のセンスが良く、さすがカペルマイスター出身のマエストロだ。「ラインへの旅」が終わると間髪入れずに「葬送行進曲」へ。舞台は一気に重々しく深刻な展開へ移る。

まるで早回しの映像や映画の予告編を見ているようで、このスピード感についていくのは少し大変だ。だが、これはいつものことでもある。四夜にわたる「指環」を通しで観たことのある人なら、あの長大な物語の最後に「葬送行進曲」が始まる瞬間の震えるような感動を知っているだろう。しかし、抜粋として聴くと、あの“麻薬のような陶酔感”にはどうしても届かない。もちろん承知の上で聴いているのだが、そう思うとどうしても、前半には「ラインの黄金」や「ジークフリート」の場面を入れてほしかった、などと考えてしまう。シューマンではなく。

それでも、この日の「葬送行進曲」は圧巻だった。そして続く「ブリュンヒルデの自己犠牲」。舞台には焼け落ちるヴァルハラも、燃えさかる炎も、ラインの水底も見えない。それでも想像力が勝手に補い、舞台の記憶と重なって没頭してしまう。

いつの間にか登場したアメリカ人ソプラノ、タマラ・ウィルソンの熱唱は、オーケストラの盤石なサポートに支えられ、ホール奥まで響き渡った。わずか40分ほどに凝縮されたワーグナーが見事に目の前に蘇り、演奏が終わると万雷のブラボーと拍手。歌手と指揮者は何度もカーテンコールに応え、難しいソロを見事にこなしたオーケストラの奏者たちにも、いつまでも熱い拍手が送られていた。

東京交響楽団 第742回定期演奏会(2026年6月27日 サントリーホール、沖澤のどか指揮)

沖澤のどかは我が国を代表する指揮者のひとりで、いまや各地のオーケストラから引っ張りだこである。東京交響楽団とはこれまでにも何度か共演しているようだが、定期演奏会には今回が初登場だという。小柄でありながらツボを押さえた丁寧な指揮ぶりにはかねてより好感を持っていたが、私はまだ実演を聴...