そういうわけで、ここはかねてから書く気でいたチャイコフスキーの交響曲第5番を、家族のいない静かな夜に聞いている。演奏はロシアの偉大な巨匠、エフゲニ・スヴェトラーノフが指揮するソビエト国立交響楽団である。スヴェトラーノフの指揮したこの曲の演奏には何種類かあるが、私がいま聞いているのは1990年に東京で行われた全曲演奏会のライブ録音。その3年後にスタジオ録音された盤もあるが、この録音には終演後の盛大な拍手も収録されている。
チャイコフスキーの作曲した交響曲の中で、私はこの第5番がもっとも親しみやすく、かつ完成度が高い作品だと思う。世界中の多くの指揮者とオーケストラが競うようにして演奏し、それは今でもそうであることから、この曲の人気の底堅さがわかる。実際、誰が演奏してもいい作品だと感じることができる。いわば「名曲の条件」を兼ね備えた曲である。だが、その中でもひときわ高くそびえているのが、スヴェトラーノフの演奏であると思っている。
第1楽章は、その後全編にわたって響く主題「運命の動機」が、クラリネットによって厳かに奏でられるところから始まる。序奏であるこの部分は、これから始まる長い曲に相応しく、たっぶりと抒情的であることが好ましい。一気にロシア世界に入り込むような主題は、その序奏に続き提示されるが、たちまち快活なアレグロに移行してゆく。弦楽器が広い平原を飛行するかのように、歌うような3拍子を奏するのが魅力的である。
ロマンチックな第2楽章は、チャイコフスキーが作曲した最も美しい音楽のひとつであろう。陽気な部分と陰鬱な部分が交錯するチャイコフスキーの魅力を湛えているのは、各楽章に共通している。それをいかにバランスよく聞かせるかが鍵である。ノスタルジックでロマンチックなアンダンテ・カンタービレに酔いしれていると、やはりここでも「運命の動機」が顔を出す。
第3楽章はスケルツォではなく、陰影に富んだワルツ。それがこの曲の新鮮なところで、チャイコフスキーの舞踊曲はすべて楽しいが、ここでも同様に、まるでバレエを踊るかのようなメロディーである。
「運命の動機」が再現されると、一気にリズムが加速され、凱旋する軍隊のように前に進んでいく。第4楽章は勝利の祭典ある。特にコーダ部分に至っては、行進曲風の力強さで締めくくられると、気分も高揚しスッキリとさせてくれる。音楽を聞く楽しみを、通俗的に味わわせてくれる。
数ある演奏の中から、この曲にスヴェトラーノフを選んだのには理由がある。それは私がNHK交響楽団でスヴェトラーノフによるこの曲の実演を聞いているからだ。記録によれば、それは1997年9月のことだった。ピアニストの中村紘子を迎えたオール・チャイコフスキー・プログラムで、そのシーズンの幕開きを飾る定期公演だった。丸で戦車のように突き進む演奏からは、普段N響で聞くことのできない野性味が感じられ、それはあの広いNHKホールの隅々にまで浸透していった。
楽団の書いた文章によれば、スヴェトラーノフの練習はロシア語でなされるそうである。いったいどれほどの団員がその言語を解釈するのかわからないが、音楽家には音楽を通して可能なコミュニケーションが、別に存在するのかも知れない。とにかくこの演奏会は、歴史に残る名演だった。私はこの演奏会を含め、都合3回の定期公演を聞いている。ほとんどがロシアものである。
ライブ収録された1990年の演奏では、スケールの壮大さ、ロシアを彷彿とさせる深い抒情性、そして畳みかける凄まじいまでの大迫力が収録されており、この曲の魅力が詰まっていると言える。
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