2015年1月28日水曜日

ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」(2015年1月25日、新国立劇場)

ワーグナーがドラマ性を歌劇に持ち込むという独自性の端緒を持ち始めた最初の作品、歌劇「さまよえるオランダ人」は、伝統的なオペラの雰囲気とワーグナーらしいスペクタクルを持ち合わせた、やや荒削りな作品である。同年代のもう一方の巨匠、ヴェルディに例えれば、シェークスピアに触れ初めてオペラ化を思いついた「マクベス」(は晩年改訂されているが)にも相当するのだろうか。

ワーグナー・ファンはおそらく「さまよえるオランダ人」以降の作品を主に聞く。バイロイトで上演されるのも、この作品以降である。録音の数を見ても群を抜いているし、聞きどころも多い。にもかかわらず我が国において上演されることは、さほど多くないようである。その様子は新国立劇場で購入したプログラムに詳しい。それによれば我が国での初演は何と1966年、ベルリン・ドイツ・オペラ公演とのことである(指揮はマゼール)。この年は私の生まれた年である。

初演以降はたびたび上演され、特にオペラが一般化した90年代以降にはしましば目にする作品が多い中で、「さまよえるオランダ人」は日本人から遠くに存在し続けた。新国立劇場への登場は2007まで待たねばならず、しかもそのプロダクションの再演が今回のものである。この間に他のオペラ・カンパニーで上演されることはなかったようだ。

そういうことだから、私にとっても「オランダ人」は遠くに存在し続けた。「指輪」の全作こそ見てはいないが、ビデオでの視聴を合わせても「オランダ人」の全体に触れるのはこれが初めて・・・ということを正直に告白しておこう。いやこの機会を逃すと、いつになったらこの作品に触れる機会があるのだろうかと思った。そういうわけだから飯森泰次郎新音楽監督体制になって、極めつけの「パルジファル」に瞠目した私は、その次に彼によって演奏される「さまよえるオランダ人」のチケットを買うことにさほど時間はかからなかった。

日曜日のマチネーではあったが当日券も残っていたので、やはり再演というのは人々を劇場から遠ざけるのであろう。けれども後で知ったことだが、今回の上演に際して演出家のマティアス・フォン・シュテークマンは東京に駆けつけ、稽古に立ち会ったという。このことは飯森によれば「大変珍しい」ことだったということである。そのことによって過去の演出にはない新しい部分が付け加えられた・・・かどうかは私は見ていないのでわからない。経験の浅い私の感想で言えばこの演出は、それほど悪いものでもなければ、飛びぬけて斬新なわけでもないものに感じられた。

大きくとらえて見どころは2か所と思う。ひとつは第2幕の冒頭から始まる「糸紡ぎの合唱」(女声)と、それに続く「ゼンタのバラード」、もうひとつは第3幕の冒頭から始まる「水夫の合唱」(男声)とそのあとの幕切れまで。これに比べると第1幕はやや影が薄く、ストーリーも中途半端である。登場するのが男だけ(というのはワーグナーではよくあることだが)で、最初の人物は舵手。続いて登場するオランダ人船長、そしてノルウェー船の船長ダーラントである。この3人のやりとりは重く低く、序曲のドラマチックな出だしを聞いた後ではやや平凡である。しかも第1幕第3部にあっては中年男性同士が娘の結婚に関して本人抜きの同意を取り付けるという滑稽なもので、そこにワーグナーは明るく喜劇的とも思えるような音楽・・・はまたウェーバー風の二重唱である・・・を付けている。

一般的に全三幕は続けて演奏されるが、今回の公演では第1幕と第2幕の間にのみ休憩時間があった(ついでに言えば、序曲の最後は原典版に従うものの、幕切れの「救済の動機」ではハープを含めた改訂版が用いられていた)。 初めて見るものとしては休憩時間があったことで気分転換が得られ良かったのだが、さてこの日の公演をどう評価したらいいのだろうか。 私はそれに十分な経験を持ち合わせていないため、以下の感想は極めて素人的である。

まず良かった歌手は順に、ダーラントのラファウ・シヴェク(バス)、ゼンタのリカルダ・メルベート(ソプラノ)、それにエリックのダニエル・キルヒ(テノール)、「オランダ人」のトーマス・ヨハネス・マイヤー(バリトン)である。特にシヴェクは存在感が一等際立っていたし、メルベートはバイロイト歌手としての底力が感じられた。新国立劇場の合唱団はいつもながら非常に正確で、合唱の多いこの作品にあって大変素晴らしかったということには違いがない。けれども、やや荒削りなこの作品にあってはまた、一皮むけたような力強さ、向う見ずな荒々しさがあっても良かったのではないかと思う。

荒れ狂う北海を舞台にした作品だから、もっと音楽が圧倒的に迫ってくるものを期待していたとすれば今回の演奏はやや失望だったかも知れない。その原因は東京交響楽団にあるのかも知れない。やや大人しいのである。それに技術的な水準がこの作品を迫力あるものにするにはやや低いように感じられた。2階席前方から見ていても、注意をこらしておかないと音楽に乗っていけないのである。少し安全運転だったかもしれず、かといってこれ以上力を出すと、音楽が崩れる可能性があった。指揮者の飯森泰次郎はそのあたりをうまくコントロールしていたように思う。けれどもパルジファルで聞いたような精緻な音楽(このときは東フィルだったが)とはややかい離があった。

このように感じるひとつの理由としては、過去の名演奏に親しんでしまっているという事実がある。特にサヴァリッシュが指揮したバイロイトの録音(1961年)は、今もって素晴らしい演奏である。私はここ数日この演奏ばかりを聞き、この曲の魅力に触れている。若いサヴァリッシュが熱演している様は、記録された古い演奏ながら今もって新鮮である。とにかくこの公演をきっかけに、やっと「さまよえるオランダ人」に触れることができた。これからは様々な録音でこの曲を聞く楽しみができた。

東京に雪を降らせた冬の嵐が過ぎ去った翌朝、快晴の中を散歩した。もちろん「さまよえるオランダ人」の第3幕を聞いた。陽光降り注ぐ水面に北風が吹き抜け、さざ波が立つとキラキラと反射する。暗い舞台だが、この作品は20代のワーグナーが残した若々しいエネルギーに溢れた作品である。この曲の魅力はそのことにつきると思った。

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