子供が聞く音楽を聞いているうち、いつのまにか自分も好きになるというのはよくあることで、私の場合、小学生の長男が毎日のように聞くSEKAI NO OWARIが今は大変気に入っている。けれどもこのようなことは私にとって極めてまれな、もしかしたら人生で初めてのJ-POP(この言い方がなされ始めた90年代より以前を含めて)経験ではないかと思う。もっぱらクラシック音楽にしか触れないこのブログで、何を突然言い出すのかと奇異に思うのは本人でもそうなのであって、ゆえに音楽と言うのは面白いというか楽しい。
SEKAI NO OWARIは4人組のロックグループで、ボーカルのFukaseやギターのNakajinを中心に幼馴染みの若者たちで構成されたバンドである(ということは最近知った)。実は数年前から大変人気があったのだが、確かに私はANAの機内かどこかでいくつかの曲を聞いたことがあるように思った。そしてこの1月、待望の新アルバム「Tree」が発売され、その限定盤にはDVDも付いているということをたまたま知った私は、息子の誕生日のお祝いにこれを買い求めた。この最新アルバムは、嬉しいことにそれまでの主要な曲をも収録しており、DVDも合わせると「セカオワ・ワールド」がすべて体験できるという内容である。
このバンドの魅力について、とうとうここに書くことに決めたのだが、その理由はこのグループを聞くことが、他の人気グループや歌手たちを聞くときによく感じるような、ある種の軽薄な情緒、それゆえの気恥ずかしさを感じるようなことがあまりない、と思ったからである。日本の流行音楽がこれほど力を持って心の中に響いてくることは、私の場合、ほとんどなかったことだ。いや過去にあったことはあったのかも知れないが、それをはるかに凌駕している、というべきか。それは一体どういうことか。
それについて書く前に断っておく必要があるのは、私はこのような我が国のポップ・ミュージックについて語るにはあまりに何も知らなさすぎる、という事実である。つまり私はベートーヴェンの全交響曲についてはほとんどそのメロディーを口ずさむことができるが、流行歌となると相当な有名曲でも歌えない・・・いや知らないということである。だから以下の文章があまりに的外れであったとしても、批判されることにすら値しないと言っておこうと思う。そして、だからこそ感じたままに書けるということも。
SEKAI NO OWARIが子供にも人気がある理由はおそらく、そのメロディーの親しみやすさではないかと思う。コンピュータを駆使した音楽は、丸でおもちゃ箱をひっくり返したように多彩で、クラシックを聞いてきた私にも新鮮に響く。例えばアップテンポのリズムに合わせ、とても印象的な和声の進行(例えば「スターライト・パレード」を聞くといい)、ハープシコードやオルガンの通奏低音を思わせる印象的な挿入部分(「スノーマジックファンタジー」)、阿波踊りのお囃子(「ムーンライトステーション」)などがあるかと思えば、東洋的や旋律やバンジョーまでもが顔を出し(「Dragon Night」)、鼓笛隊かバンダを思わせる行進曲(「炎と森のカーニバル」など多数)、ユーロビートかミニマル音楽のような鮮烈なメロディー(「Death Disco」)といった具合である。歌声はしばしばボイス・チェンジャーで幻聴の如く装飾され、DJ Love(奇妙なマスクをかぶっている)の効果音が入るかと思いきや、Saoriが弾く鍵盤が天空を行くが如く駆け巡る。だが、それだけではこれほどにまで人気を持ちうるまでに至った現象を十分に説明できない。
おそらくもう一つの大きな理由は、一見不可解な歌詞が醸し出す不思議な雰囲気にあるように思う。ほとんどの曲はFukaseによって作詞されているが、彼の歌う世界には「眠れない」「夢」「魔法(あるいは悪魔や魔女)」「夜空」「星」などといった言葉が散りばめられている。それらの合間に「戦争と平和(愛)」「自由と束縛(不自由)」「正義と悪」あるいは「太陽と月」といった二項対立をめぐる葛藤が鋭く描かれる。主人公はそのはざまで悩み、迷い、考える・・・、自由を得ることによって失われるもの、信じていることの危うさ・・・その先でこれらの対立は、もしかしたら共通の側面を持っていることを発見するのだろうか。世界の終わりのような世界を見た後で彼は、ある時は疲れ果て、ある時は愛情に芽生え、またある時は自信を持って歩きだす・・・終わりはまた始まりでもあるからだ。それ以外の意味はいっそ不可解なままの方がいい・・・そういうやり方があったのか、と思うに違いない。
夜の町を彷徨する「僕たち」が「眠れない夢」の中で出会う「ファンタジー」は、彼自身の過去の経験を体現している。最初は空想的でおとぎ話のような歌だ、などと思いながら聞き続けてきた聞き手は、「銀河街の悪夢」に至ってとうとう、行き場のないような現実に直面する。薬を飲むたびに体が壊れていくような闘病のつらさが切々と歌われる時、それぞれの聞き手が最もつらかった過去の日々を思い出すとしたら、おそらくそれこそがこのバンドの真髄とでもいうべき部分だろう。絶望も消えるが希望も消える、と彼は歌うのだ。寝ようとしても朝が来て眠れず、起きようとしても日が暮れるまで起きられない・・・それと同じようなつらい日々を私も味わった。だからここのファンタジックな空間は、病的でもあり同時にリアルでもある。現実逃避と片づけてしまうにはとてもシリアスであり、「夢」から覚めると結局そこにしか行けないという終末の世界・・・つまり(自意識としての)「世界の終わり」から出発しなければ仕方がないという開き直った意識である。
「RPG」はどこか狂気じみてもいるが、前向きでとても明るい歌だ。何か吹っ切れたような気分にさせてくれる屈託のなさもまた、彼らの音楽の特徴である。奇抜な衣装をまとい、丸で中高生が作るのような歌詞が高い声で歌われていたとしても、パワフルでストレートな音楽が、聞き手の心には虚飾的なバリアを飛び越えて響く。押しつぶされそうな弱さを見逃さない感受性と、隅々に至るまで自己の世界を主張する底力を合わせ持っているという点で、この人たちの歌はちょっと突き抜けたようなところがある、と感じた。
【収録曲】
1. the bell
2. 炎と森のカーニバル
3. スノーマジックファンタジー
4. ムーンライトステーション
5. アースチャイルド
6. マーメイドラプソディー
7. ピエロ
8. 銀河街の悪夢
9. Death Disco
10. broken bone
11. PLAY
12. RPG
13. Dragon Night
(限定盤DVD)
1. スターライトパレード
2. 眠り姫
3. Love the warz
4. 虹色の戦争
5. ファンタジー
6. Never Ending World
7. スノーマジックファンタジー
8. 生物学的幻想曲
9. Death Disco
10. 青い太陽
11. ピエロ
12. 銀河街の悪夢
13. 幻の命
14. yume
15. RPG
16. 深い森
17. 炎と森のカーニバル
18. Fight Music
19. インスタントラジオ
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