N響「夏」というコンサートは昔からあったが、私は今回が初めてである。若い指揮者がポピュラーな曲を演奏することで知られているが、今年は南米の若手ラファエル・パヤーレ。その風貌はアフロな髪形ながらも細身で、どちらかと言えばジャズか何かのミュージシャン風である。プログラムはブラームスの「悲劇的序曲」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(独奏:ワディム・レーピン)、それにチャイコフスキーの交響曲第4番である。ホームページによれば、このコンビでこのあと大阪、松山、米子とツアーを組むようである。
だがここでも私は繰り返そう。私の7月の心理状態は、とても音楽を楽しめる状態ではなかったのだ。心理状態が音楽の体験と重なって思い出になるには、一定の時間の経過が必要だと思う。私はまだその時間が過ぎていない。少しづつ心が落ち着きを取り戻すようになって、やっとこの文章を書いている。音楽の記憶が薄れないように、この日に聞いた演奏のことを書こうと思う。だがどうしてもうまく思い出せないのは、やはり音楽に身が入らなかったからだろうと思う。
むしろ思い出すのは、NHKホールに向かって原宿より歩きながら、夏風にあおられてきらめく代々木公園の木々のきらめきに安らぎを覚え、脇のベンチに座って同行する予定の妻を待ちながら、じっとたたずんで思いにふけっていたことなどである。
今回の公演のチケットは、2階席の後方であった。NHKホールの難しい音響では、ここでの音の響きも共鳴の音が混じり、さらには狭い座席の中で聞くブラームスの悲劇的序曲などという渋いプログラムを、無理にやらなくてもいいのに、などと余計なことを考えながら、前半のプログラムは上の空であった。レーピンが大きな体をゆすりながらも余裕綽綽の体でブルッフを弾くと、それはそれで豊かな気持ちであった。時に聴衆はこの技巧派ヴァイオリニストに、アンコールが期待できることを知っていた。何度かの登場のあと、パガニーニの「ヴェニスの謝肉祭」をオーケストラ付きで演奏したのは驚きだった。
チャイコフスキーの交響曲第4番は、わたしにとっても思い出の曲である。それはどちらかというと苦しい思い出で、失意のうちに聞いた記憶と重なる。この重苦しい、ちょっと分裂気味の曲は、チャイコフスキーを誤解させる曲でもある。私は19歳の頃、受験が終わったその帰り道に、この曲のCDを聞きながら、完全に失敗したと思ったのだ。実際はだがそうではなかった。けれどその日のチャイコフスキーは私を重く落ち込ませた。まさにそれにうってつけの曲、そしてこともあろうに同じ曲を、同じような心境で聞いている!
パヤーレという若手のベネズエラ人指揮者は、あのデュダメルを生んだ「エル・システマ」の出身である。この第3世界(という表現はもはや死語になったが)の社会主義国で誕生した実験的音楽家育成プログラムは、お金も地位もない子供にも豊かな音楽教育を行うことで有名である。そこには一貫した思想があり、その模様は広くドキュメンタリー映画などでも知られるところとなった。今年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのテレビ中継に、このシステムの生みの親であるホセ・アントニオ・アブレウ博士の姿もあった。
だからパヤーレという指揮者がどういう生い立ちかは知らないが、もはや堂々とした素振りで生き生きと演奏する姿にもはや違和感がない。若い指揮者はいいなと思う。チャイコフスキーは特に何も細工をしていないような、ストレートな表現で、先日のフェドセーエフなどとはまた違う演奏である。 ところどころ木管のフレーズの、とても憂いに満ちた印象的なメロディーもオーケストラは楽しんで演奏している。そしてこの演奏のあとにも、アンコールが用意されていた。歌劇「エフゲニー・オネーギン」からのポロネーズである。
ベネズエラ人の指揮するロシア音楽を日本で聞くことが、何も不思議ではなくなった。そういえば私は、ユジャ・ワンのラフマニノフをデュダメルの指揮する演奏が好きだ。そしてその熱狂的な拍手は、この演奏会場がカラカスのホールであることを思い出させるのだが、それとは対照的にN響「夏」の観客は、定期公演ほどではないにせよ大人しい。私はしばし音楽を聴くことで、心が安らいだ気がした。肩の凝らないポピュラー・コンサートであることを、私はむしろ嬉しく思った。
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