「天使創造」は全3部から成り、第1部と第2部は「創世記」の第1章そのものに音楽を加えた、非常に描写的な音楽で親しみやすい。これはまるで標題音楽のようでもあるが、旧約聖書という、いわば西洋社会の精神的支柱でもある書物の冒頭に音楽を付けるということは、極めて野心に満ちたものであったに違いない。後年の作曲家にこの「天地創造」を音楽化するという試みを、私は知らない。
【第1部】
第1日:導入部・混沌の描写…「天と地」「光あれ!」
- ①初めにオーケストラが静かにカオスの世界を描写する。日本書紀における「天地開闢」と似たような世界でもあるのは興味深い。「神はまず天と地を創られた」とラファエル(Bs)が始めるその語りは荘厳である。合唱が「光あれ!」と叫ぶ時、音楽がフォルテとなって、この長い物語が始まるとき、私は身震いのような感激に見舞われる。
第1日の後半はウリエル(T)のアリアで、そこに合唱が加わる。ハイドンの作曲した音楽は、以降、とても美しいメロディーが気高く続くが、常に節度を保っており劇的な要素は抑えられている。後に「四季」で示したようなあからさまな情景描写は、ここではまだ遠慮気味である、と思う。
第2日:空、海、大地
- ②前半のラファエル(Bs)によるレチタティーボにオーケストラが入り、嵐、雷、川、雨、それに雪といったものが示される。そのままガブリエル(S)の歌唱となるところで初めて女声が加わって、音楽に膨らみと温かみを与える。合唱がそれに掛け合い、いよいよ「天地創造」の物語が始まる、というわけである。
- ③後半はラファエル(Bs)のレチタティーボとアリア「海は激しく荒れ狂い」、やがて大地は広がる。音楽は前半が激しく、後半はのびやかである。
- ④ガブリエル(S)によるレチタティーボとアリア「今や新たなる緑、野に萌え」。
- ⑤ウリエル(T)の短いレチタティーボに続き合唱が力強くフーガを歌う。「弦を合わせよ、竪琴を取れ」
- ⑥ウリエル(T)によるレチタティーボの間に挿入されるオーケストラ曲は、太陽の輝きを表している。「今や輝きに満ちて」。そして合唱と全ソリストが高らかに神を讃え、第1部が終わる。
第5日:様々な生き物(鳥、魚、動物たち)
- ⑦第2部はガブリエル(S)によるレチタティーボとアリア「力強い翼を広げて」で始まる。ここの歌は素晴らしい。古典的な様式に乗っ取りながら、鷹、雲雀、鳩、ナイチンゲールなどの鳥たちが現れる。美しく明るいメロディーは純粋で屈託がない。鳥たちはまだこの頃、悲しさも嘆きも知らないのである。
- ⑧ラファエル(Bs)による重々しいレチタティーボ(鯨の描写である)に続き、またもや比類なき美しい調べが続く。まずガブリエル(S)が「若々しき緑に飾られて」と歌う。これは丸でシューベルトのような音楽だ。続いてウリエル(T)、さらにはラファエル(Bs)までもが同じメロディーに乗って様々な生命の誕生を歌う。天使たちの三重唱に合唱が加わる。音楽は徐々に速度を速めて行く。
- ⑨ラファエル(Bs)によるレチタティーボでライオン、虎、鹿、馬、羊、虫、毛虫までもが登場する。ハイドン音楽の真骨頂である。そしてアリア「今や天は光にあふれて輝き」と歌うが、その内容はやや物足りなげである。まだ創造されるべきものが欠けているからである。人間である。
- ⑩ウリエル(T)のレチタティーボとアリア。またもやシューベルを思わせるメロディーにうっとりさせられる。時折挟まれるフルートの音色が印象的である。愛と幸福を祝う音楽の、何という美しさだろうか。
- ⑪「大いなる御業は成りぬ」と文語調に訳すか「偉大なる仕事が完了し」と現代語に訳すか、その合唱に続いて天使たちの三重唱が続き、再び高らかに神を讃えながら(ハレルヤのフーガ)、第2部が終わる。
【第3部】
後半の約30分間は3つの部分から成り立っている。アダムとエヴァによる神への賛歌、愛の語らい、そしてエピローグである。
- ⑫ラルゴの前奏に続いてウリエル(T)のレチタティーボ「バラ色の雲を破り」で始まる後半は、いよいよ最初の人間、アダム(Bs)とエヴァ(S)の登場である。その冒頭の二重唱「おお主なる神よ」は私が最も好む部分であり、この曲全体の最大の聴きどころでもあると思う。音楽はリズムを刻みながら合唱を加えて、しみじみと感動的である。ここの約10分のうちの後半は、再び合唱と絡みながら、最後にはフーガとなる。風が吹いて泉が沸き、草木は香る。鳥や魚が動き回る。奇跡のような美しさは例えようもない。
- ⑬アダム(Bs)とエヴァ(S)のレチタティーボは語りに近い。だが二重唱に入るとその音楽は次第に速くなる。ホルンの音色が印象的。「優しい妻よ!」「大切な夫よ!」と対になった歌詞は、あらゆる二つのカップルの象徴である。
- ⑭最終合唱「すべての声よ、主に向かって歌え!」と神に感謝を捧げながら、高らかに曲を閉じる。「アーメン、アーメン」。
この文章を書きながら、「天地創造」は人類が聞くことの出来るもっとも素晴らしい音楽ではないかとさえ思った。耳元に流れていた演奏は、ショルティがシカゴ響と録音した1981年の旧盤である。ここで独唱はガブリエル:ノーマ・バロウズ(S)、ウリエル:リュディガー/・ヴォラーズ(T)、ラファエル:ジェイムズ・モリス(Bs)、エヴァ:シルヴィア・グリーンバーグ(S)、アダム:ジークムント・ニムスゲルン(Bs)である。見事なシカゴ交響合唱団の歌が、また素晴らしい。
だが私はこの演奏だけを聞き続けたわけではない。手元にあった6種類の演奏を最低3回ずつは聞いたと思う。何回かは箱根の山道を歩きながら、繰り返し繰り返し、聞き続けた。そして最終的にはショルティの骨格のしっかりとした演奏がひときわ気に入った。録音も素晴らしいが、何といってもこの演奏の素晴らしさは、オラトリオとしての壮大さを持ちながら、派手になっていない点である。ショルティとしては大人しいと感じる人がいるだろう。でもカラヤンだって、そのほかの演奏だって、実は控えめであると思う。この偉大な作品の前には、演奏の違いなど、さほど意味がないのだ。
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