思い立ってマルク・ミンコフスキの指揮する都響定期に出かけた。月曜日上野でのコンサート。しかも1回限りである。梅雨明けを思わせるような猛暑が続く東京で、果たしてそんなに客が入るものかと心配したが、意に反して満席に近く、結構玄人受けするプログラムでも評判はいいのだなあ、と思った。前半はハイドンの交響曲第102番変ロ長調で、後半はブルックナーの交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」(ノヴァークによる1873年初稿版)。なおミンコフスキを聞くのは2回目である。最初の経験は同じ東京文化会館で聞いたルーブル宮音楽隊による「グレイト」シンフォニー。それは愉悦に満ちた時間であった。
今回はさらに大名演となったこの日のコンサートに関し、私はなかなか感想を書くことができなかったのは、まったく個人的な事情による。それはすなわち、音楽を楽しむだけの心の余裕、ゆとりを持ち合わせることができなかったからである。でも前もって買ってしまったチケットを無駄にするのは惜しい。結局会社を早々に切り上げて上野に向かったのだが、まだコンサートが始まるまでの小一時間を、私はきつい西日の差す公園をあてもなく歩き、春は花見でごった返す広い歩道の片隅に腰掛け、缶ジュースを飲みながらしばし物思いにふけった。
寛永寺の境内でもあった広大な公園の光景は、私が上京してからも、いや初めてそこを訪れた小学生の時(それはあのパンダを見るためだった)、高校生のサークル活動で来た時と、幾度となく親しんだものだが、その時の光景もまた何年も記憶に残るだろう。東京文化会館の昭和の香りが漂う、いまとなっては少し狭い座席は、私の心をさらに重くさせた。3階席正面とは言え、私はそこで見るハイドンの音楽に、何かとても苦しいものを感じ、そして周りの聴衆が重苦しい拍手としたときも、いっそ逃げ出してしまいたい衝動にかられさえもした。
それは演奏が良くなかったからではない。この文章は客観的な評価をするルポではないから、私は自分の心に生じていた個人的な事情の故に、そこの音楽を楽しむことができなかったことを正直に記録しなければならない。あの名演で名高いミンコフスキのハイドンであっても。
都響の定期にでかけるのは何年振りかのことで、最近はN響ばかりに出かけていたから、オーケストラの上手さではN響にかなわないな、などということも考えた。しかし休憩をはさんでのブルックナーは驚きの連続であった。そして私にとって第3番は、これまで実演に接したことのある第6番(フムラー指揮N響)、第8番(バレンボイム指揮シカゴ響)、第4番(ブロムシュテット指揮N響)、第7番(スクロヴァチェフスキ指揮読響)、第9番(大植英次指揮大フィル)、第5番(ヤルヴィ指揮N響)に続く初めての実演であった。一度は実演で聞いておきたいと考えていたこの曲が、珍しい初稿版であったこともあり、何か初めて聞くような感じがした。
第2楽章では完全にヨーロッパの音がしていた。そしてミンコフスキは(ハイドンでもそうなのだが)、楽天的な響きがする。かといって空虚ではない。表情が明るくリズムがいい。そういうわけで第3楽章になると都響が最高の音楽を奏で始めるのだ。固唾を飲んで聞き入った聴衆は、長い第4楽章の、音が大きくなったり静かになったり、千変万化を繰り返す間も酔いしれ、音が鳴り止んだ時に訪れるしばしの静寂の後、大歓声に包まれた。拍手は何度指揮者が登場しても鳴り止まず、それはオーケストラが引き上げても続いた。
だが何度も繰り返すように、この日の私の個人的心理状態は最悪であった。その内容をここに書くことはできない。 後悔と焦燥感にさいなまれたこの状況は、その2日前のできことに始めり、そして以降1か月近く続くことになる。ここで聞いた3回のコンサートは、まるで私が別人であるかのような錯覚の中で体験したコンサートだった。できればこの素晴らしかったブルックナーをもう一度聞いてみたい。だが音楽は二度と同じ音を奏でてはくれない。私の心の風景も、もう二度と同じようにはならないだろう。だから、これはふたつの要素が「その時」を記録したものとして心に残るだけである。人生において同じ時間を再び過ごすことができない、という当たり前のことを、コンサートという非日常の空間が強調した。それは旅の記憶とよく似ている。そして今この文章を書くことができるようになって、やっとその時の心理を少し分析してみたりもする。少し感傷的だけれど。
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