大きな山場を越えた後の、安堵感とも喪失感ともつかない茫然とした日々を過ごしている。それまで続けてきた習慣をやめるわけにもいかず、毎日寒い夜道を散歩する傍ら、いつものように音楽を聞いている。ここ数日聞いているのは、特に何かのこだわりで選んだわけではないが、たまたまWalkmanに入れて持ち歩いていて、どういうわけかこれまで聞くことのなかった曲などである。そして今日は、その中から武満徹のギター独奏曲集ということになった。
武満の音楽を聞いて思うのは、どうしても日本的なるものの様式、あるいは情景である。例えば、少し積もった雪が風で飛ばされ、残った部分に模様ができる。その動と静の感覚。あるいは木々の梢が風に揺れ、規則的ではない規則とでもいうような動き。そこに出来るリズムやメロディーは、自然に崩れつつも、また別の形を偶然つくり、美的で繊細な平衡を保つ。俳句、草書、枯山水。どれも自然に逆らわず、かといって整合するのでもない。いわば自然の中での調合。そんな感覚を音楽で追及したのではないか、ということだ。
「ギターのための12の歌」をまず聞くと、そこには慣れ親しんだポピュラーな曲が、ギターの静かな音に編曲されて「鳴っている」。「ロンドンデリーの歌」、「オーバー・ザ・レインボー」、「サマータイム」といった欧米の曲に続いて「早春賦」が現れるかと思いきや「ヘイ・ジュード」、「イエスタデー」のようなビートルズ・ナンバーまでが登場する。脈略はないが、どの曲もメロディーが途切れる。メロディーの途切れは、西洋音楽に親しんだ聞き手を裏切る。だが、ここに提示されているのは、音の持つより根源的な感覚である。
形而上的に日本文化を論じるのは学者に任せておこう。このCDには、家族が寝静まった深夜に、ひとり聞く音楽に相応しい何かがある。すべてから解放されて自由になれる時間は、聞き手に無限の楽しみを与えてくれる。だから「時々、むしょうに武満徹の音楽を聴きたくなる。その強い気持ちは、ちょうど都会生活に疲れて、森や海に行きたくなる衝動に似ている」のだ(細川俊夫、CD解説書より)。私がここ数日、武満徹のギター曲を聞いている理由が、まさにそのように解説されているのを読んで、妙に納得してしまった。
収録されている最初の曲「森の中で」は、北米の各地の名前が付けられている。だがここでもやはり、静と動、陽と陰、といったものを感じてしまう。いやそういうのはよそう。都会生まれ、都会育ちの私にとって、すぐに思い浮かぶ「森」の情景は、旅行時のものくらいしかない。例えば、沖縄の国頭村。3月に出かけたとき、もう初夏の陽気の中で飲んだコーヒーが忘れられない。
この「森の中で」は、収録された中では最後の作品で、その最初の曲の初演が何と1996年2月29日となている。この日は武満の死亡した日ではなかっただろうか?そう思ったのは、まさにこの日、私は当時住んでいたニューヨークで小澤征爾の指揮するウィーン・フィルの公演を聞いたからだ。直前に友人の訃報に接した小澤は、聴衆に断ったうえでバッハの「G線上のアリア」を指揮した。プログラムになかったこの演奏は、指揮者の希望で拍手を断り、長い黙とうが捧げられた。直後に演奏されたマーラーの「復活」は、大変な名演奏であった。
解説書によれば、武満はギターをこよなく愛した作曲家で、生涯にわたってギター音楽を作り続けた。このCDに収められた作品を辿ることで、武満の音楽の「深い源泉」に触れることができる。それは、構造化され発展する音楽とは対極にある、不規則で断片的な音の不安定な重なり、その中から紡ぎだされる直感的なかさなりリズムと時間進行を持つ独特のハーモニーである。
【収録曲】
1. 森のなかで
2. ギターのための12の歌
3. フォリオス
4. 不良少年
5. ヒロシマという名の少年
6. エキノクス
7. すべては薄明の中で
8. ラスト・ワルツ
2018年2月15日木曜日
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