2018年3月19日月曜日

トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団演奏会(2018年3月15日、サントリーホール)

2年前に聞いたトゥガン・ソヒエフ指揮NHK交響楽団の「白鳥の湖」が忘れられない。この時の演奏の記憶は今でも時々蘇り、ワルツが頭の中でいつも鳴っている。この時放映されたテレビ番組は、そのまま録画してブルーレイ・ディスクに採ってある。そして先日そのディスクを再生してみたのだが・・・わずか2年前だというのに、圧縮をかけ過ぎたせいか映像は乱れ、音が飛び、開始して10分も経たないうちに停止してしまったから、残念でならない。

もう一度、この時の演奏を聞いてみたい。そう思っていたらソヒエフは、10年もシェフを務めるトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団を率いて来日公演を行い、何とそのプログラムはこの時とほとんど同じで、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲で始まり、後半はチャイコフスキーの「白鳥の湖」となっているではないか!プログラム真ん中の協奏曲は今回、エマニュエル・パユとの競演でハチャトリアンのフルート協奏曲(ランパル編)となっているが、「白鳥の湖」はソヒエフ独自のオリジナル編集という点も前回と同じである。

ソヒエフは「白鳥の湖」に自信を持っており、この曲を多くの人に聞かせたいと思っている。私はそう感じているが、どういうわけかサントリーホールでのツアー最初の公演は、当日まで多くの席が売れ残っており、私はこの日、丁度いい具合に仕事がなく、3月末で期限の切れる年次有給休暇を取ることに何ら問題はない。もうこれは行くしかないわけである。しかもこのオーケストラを聞くのは、今回が初めてである。

一般にフランスのオーケストラは、来日公演においてロクに練習もせず、ほとんどぶっつけ本番の期待外れな演奏をすることで有名である。成田空港からサントリーホールに直行し、ラヴェルやらビゼーやらを演奏する。私も一度ひどい目に会っている。だから今回、どんな演奏になるか、唯一の不確定要素はそこである。けれども時代は変わり、演奏家はみな国際的なキャリアを持っているし、オーケストラの響きは世界共通のものになってきている。それは同時にローカル色を失うことでもあるのだが、いずれにせよフランス人が怠惰であるというのは一昔前のことで、今ではそんな時代じゃない、とそう思ってチケットを買った。

その考えはまさしく杞憂に終わり、トゥールーズのオーケストラも実に新鮮でのびのびと、しかもよくこなれた演奏をする。そしてそっけないくらいに力を抜いて指揮をするソヒエフの棒(ではなく両手)から出てくる音楽は、聴きどころを押さえ、オーケストラの自立性を発揮させつつも、時に見事に表情を変化させる職人的な音楽であった。これはN響との一連の演奏でも明らかで、一種の天才的なものさえ私は感じるのだが、そこで思い出されるのは(実演を聞いていないので偉そうなことは言えないが)あのカラヤンの指揮である。

ビデオで見るとカラヤンは、決して器用な指揮をしてるようには思えない。だが一挙手ごとにオーケストラが反応すると、どうしてこの指揮からこんな豊穣な音楽が流るのかと思うほどに雄弁に、そして一瞬のうちに変化するのが不思議である。カラヤンの音楽とは趣が異なるが、それと同じような経験である。初めてテレビで見たときから、一瞬にして私はソヒエフのファンとなり、かれこれ数年が経つ。

前回N響で聞いた時は1階席後方のA席で、それはそれで音響が良かったはずだが、みなとみらいホールというフランチャイズ性に乏しい会場であったことからか、どうも私の印象はいささか不自然なものでもあった。そしてオーケストラがもう少し見える場所で聞きたいと思った。それがたまたま、B席という安い席であることもあって、オーケストラを真横から見る機会を得た。ソヒエフの指揮と各楽器のやりとりが手を取るようにわかる、テレビで良く見るお馴染みの角度は、今回の私にとって理想的な位置である。

この位置では、右から弦楽器、左から管楽器と打楽器が聞こえてくる。手前は高く、奥は低い。ソヒエフは前半は指揮棒を持っていたが、「白鳥の湖」では両手を駆使し、時にオーケストラの奏でる音楽に体を揺らせながら、聞き手を唖然とさせるような表情を音につけて、バレエの各曲をこなしてゆく。その堂々とした、手慣れた至芸に酔いしれる聴衆は私だけではなかった。前にいたカップルなどはずっと体が揺れに揺れている。

演奏が終わって徐々に大きくなる拍手に、終始満足げだったソヒエフは、メンバーを何度も楽器ごとに立たせ、満面の笑みを浮かべた。この表情はN響にはない。ロビーへ出て会場を後にするとき、後を歩いていた若い女性が「やっぱりチャイコフスキーはいいわね」としみじみ語ったのが忘れられない。ソヒエフの「白鳥の湖」の演奏には、おそらくオーケストラというものを聞くときに体験できる最上のものがあったと思う。

チャイコフスキーの陰影に富んだ音色、華やかでメランコリックなメロディーが、大規模な管弦楽で鳴るときの極めて美しい瞬間の連続。冒頭から各地のリズムが響くそれぞれの踊りのシーンを経て終曲に至るまで、まるでアンコール曲を立て続きに聞くような満足を味わうことができた。もっとも本当のアンコールは「カルメン」の前奏曲で、これはフランス音楽で締めくくるための演出である。今回はプログラムがロシア物で占められたが、会場には主催したエアバスの関係者や外国人も多く、来日オーケストラならではのゴージャスな雰囲気が、春になったサントリーホールを一層華やいだものにしていた。

ベルリン・フィルの首席として今や世界一のフルーティスト、エマニュエル・パユは、フランス語圏のスイス人である。ハチャトリアンにフルート協奏曲などという曲があったか知らなかったが、実はこの曲はヴァイオリン協奏曲のフルート編曲版であった。30分以上もある長い曲で、終始フルートが猛烈に難しいソロを弾き続けており、目を見張ると言うか耳を疑うと言うか、その緊張もこれほど長いとおかしくなりそうである。第1楽章の主題再現部が聞こえてくると、まだ途中なのにこんなに長い曲を弾いていて大丈夫かと思うほどだった。

第2楽章はゆっくりとしたメロディーで、フルートというのはどこか日本的なムードがする。横笛と尺八を足して二で割ったような音色に、幽玄なムードを感じてしまう。このような長く、珍しい曲を、緊張を感じさせずに引き切る奏者と、礼儀正しく聞く聴衆。今日の客は実に品がいい。

そして第3楽章になると、ロシアというかアルメニアというか、ユーラシア大陸の各民族が入り混じったリズムが、聞くものを圧倒する。当然オーケストラの中にもフルート奏者がいて、クラリネットも含めて木管楽器とまさに競演するシーンが数多くある。もともとはヴァイオリン協奏曲なので、これは編曲による効果ということだろう。だがこれが実に面白く、パユは時折オーケストラの方を向いて、彼らとコンタクトを取るような仕草をするあたりは余裕を感じてしまう。

絶大なアンコールに応えドビュッシーの曲を演奏した時、演奏が終わっても10秒近く誰一人拍手も咳もしない静寂の時間が流れた。花粉症の時期、2000人もの人々が物音ひとつ立てない時間は、それだけで奇蹟である。このことも含めての音楽、演奏会というものを楽しむことが出来たのは、実演ならではのことである。やはり音楽は実演で聞くのがいい、と今回も思った。

それでも「白鳥の湖」の演奏を収めたCDかビデオが発売されたら、ぜひ買い求めてもう一度その演奏を楽しみたいと思った。しかし会場に設けられたCD発売ブースの店員に聞く限り、ソヒエフの「白鳥の湖」はまだリリースされていないようだ。ボリショイ劇場の音楽監督でもあるソヒエフだから、今後期待できるとは思う。でもこの曲はバレエ付きで見るのではなく、純音楽として楽しむこともできるほどに高水準な音楽である、とソヒエフ自身が語っている。

ソヒエフの指揮はN響でもおなじみで、もしかしたらトゥールーズのオーケストラよりも上手いかも知れない。けれども十年ものあいだ良好な関係を保っているオーケストラとの方が、慣れ親しんだ阿吽の呼吸は健在で、指揮者の意図が十二分に伝わっていると思われる。だから今回の演奏も力み過ぎず、余計な緊張感もないだけに、実にリラックスした状態で楽しめたいい演奏会だった。

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