ピアソラはバンドネオンの奏者でもあった。バンドネオンはタンゴに欠かせないアコーディオンで、鍵盤ではなくボタンで音階を表現するが、蛇腹をクネクネと伸ばしたり縮めたりしながら、その時に出入りする空気によって音を鳴らす点では同じである。
バンドネオン協奏曲は「アコンガグア」というニックネームが付けられているそうだが、アコンガグアというのはアンデス山脈にそびえる南米最高峰である。そして私はまた、四半世紀前の1993年、アルゼンチンを旅した時の、ふもとの都市メンドーサからチリへと国境を超えるバスから見たアンデスの風景を思い出さずにはいられない。
メンドーサはブエノスアイレスから夜行列車で1日かかる距離にあり、平野が尽きて山地になる手前の、温和で美しい町であった。そこはぶどうの産地、すなわちワインで知られた都市で、3月というと南半球では秋になるが、私はまだ半袖、半ズボンのいでたちで、ワイナリー巡りを楽しんだり、あの豪快なステーキに舌鼓を打ったりして過ごしたのを覚えている。その時にたまたま通りがかったパスカル・デ・トーソというワイナリーに飛び込んで、日本から来たので見せて欲しい、などと片言のスペイン語で話したら、有難いことにとても親切に見学させてもらい、最後にお土産までもらったのだが、何とそのワインを輸入して飲ませてくれる店に最近出会い、フルボディの少し古風なワインを飲みながら、アルゼンチンの思い出に浸ったところである。
ピアソラはアルゼンチンに生まれたがニューヨークで育ち、パリで音楽教育を受けた。その国際性を活かしつつタンゴのリズムを発展させ、稀有な音楽を生み出した。現在クラシックで聞くピアソラの曲は、地域を越えて魅力的である。このバンドネオン協奏曲も、出だしから最後まで飽きることはない。
第1楽章のリズムや打楽器の慟哭にも圧倒されながら、実は主題が変わると静かな音楽に変わる。それはまだ第1楽章である。第2楽章が実に素晴らしく、私はこの音楽がタンゴの持つロマンチックな世界をうまく表しているように思う。最初は何か壊れたマイクを修理しているような間抜けな雰囲気だが、それからうらぶれた都会風のメロディーが出てきて、そうこれはタンゴだったのかと思う。第3楽章は再び速いが、ここでも中間部があって、リズムに体を合わせて酔いながら一気に最後まで聞かせる。
ピアノを含む小編成の管弦楽曲「ブエノスアイレスの四季」は、英語やドイツ語では単に「四季」と記載されていたが、オリジナルのタイトルに「ポルテーニョ(ニャ)」と形容詞が付けられており、実はこれは「港の」、すなわちブエノスアイレスを意味するそうだ。だからこれはまさにブエノスアイレスの春、夏、秋、冬ということになる。作曲は「夏」からだったようだが、私の持っているアラン・モーイア指揮トゥールーズ国立室内管弦楽団の演奏では「春」から始まる(南半球だから9月頃だろうか)。
4つの楽章いずれもピアソラならではの歯切れのいいリズムと、メランコリックなメロディーに新鮮な感動を覚えるが、面白いのは最終楽章のコーダの部分が、とても落ち着いた、気持ちが安らぐ情景を醸し出している点だ。「春」から演奏された場合、これが最終の曲である。私はブエノスアイレスの「冬」を知らないが、南米でもっともヨーロッパ風の街は、小雨に似れた石畳の上を時代遅れのコートを着た紳士が歩き、夜ともなれば巨大なステーキを出すレストランやバーからは、時折大きな声の話し声が聞こえてくる。
最後に「オブリヴィオン」について。オーボエをソロとする3分余りのこの曲は、実に美しい曲で、このCDの中では一番のお気に入りである。数多くリリースされ、ファンの多いピアソラのディスクの中で、なぜ私がこのディスクを所有しているのかは謎である。ピアソラ自身が1992年まで生きていた作曲家だから、彼自身の演奏というのも数多くリリースされているし、クレーメルやクロノス・クァルテットのような演奏家のものも有名で、一度は聞いておきたいとも思っている。
なお、私がはじめてピアソラの曲に触れたのは、1986年にリリースされた名アルバム「Tango Zero Hour」によってであった。このCDを初めて聞いた時は衝撃的で、今でもその時の記憶を鮮烈に覚えている。このような体験は、私にとってストラヴィンスキーの「春の祭典」以来であった。
【収録曲】
1. バンドネオン協奏曲
2. オブリヴィオン
3. 弦楽合奏のための「2つのタンゴ」
4. ブエノスアイレスの四季
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